人生、一兵卒
それにしてもここは一体どこでしょうか? ああ、そういえば、突然現れた兵達に襲われたんでした。今ならわかりますが、彼らは伏兵、私達はそれに気づかずにのんびり進軍していたわけです。と言いましても、のんびり感じたのは私の心意気の問題かもしれません。私は侵攻戦にはあまり興味がなかったのです。敵国の名前も覚えていないですし。もちろん皆の前ではやる気ある素振りを見せていましたけどね。誰かが「ウオーーー!」と剣を突き上げたら、私も合わせて「うおーーー」と言いながら槍を持ち上げます。まあ、重いのでたいして上がりませんが。それでさっき誰かさんに文句を言われたんですよ。「もっと高く! 天に!」みたいなことを言っていましたが、こっちは槍だってことをわかっているんですかね? 私も剣ならあなたくらい持ち上げて見せますよ。大体、気合いが何の役に立つんです? 実際ボロボロに負けているじゃないですか。
と、草の香りが立ち込める森林の中で独り横になりながら愚痴らせて頂きました。いやこれは怠けているわけではありませんよ? 少々高いところから落ちたらしくて身体中が痛いんですよ。特に右足がね、もしかしたら折れちゃっているかもしれません。ただこれはこれで、ここで寝そべる理由になるのでいいもんですよ。森に入ることなんてよくあることなので、森にいること自体はそれほど珍しいことではないのですが、こうして横になったのは初めてですね。普段は狩りか行軍のために森に入るので。
やや居心地の悪さを感じるわけですよ。慣れないことをしているからですかね。いつもキビキビ動いていて真面目な働き者で決して横になることはないから、と言いたいのですが、当然そうではありません。囲炉裏の前の私と言えばいつもこの姿勢ですからね。居心地の悪さの原因は行動そのものではなくて、横になる場所が違うということです。例えば、厠で飯を食うのってどうです? 居心地悪くないですか? やはり自宅で独り飯をつっつくのが一番いいですね。ちなみに私にとっては戦の前などに皆で飯を食う方が厠で食うよりも居心地が悪いです。
そう考えると、どうやら慣れないことをしているから、というのは居心地の悪い理由には適さないように思えますね。皆で飯を食うことなんて多々あるわけですから。私にはこれまでの生活が合っていたのでしょうか? ずっと国のために戦ってきた人生、下っ端として働いてきました。これといった成功も失敗もありません。私は下っ端なのだから当たり前です。最も上の者の命令を受けた者が下の者へ伝え、そしてさらに下の者へ伝え、それを繰り返して私の元まで届く、ただその命令に従って動くだけで成功とか失敗という評価はない、淡々と国のために命令を全うしていく生活です。この生活を疑ったことはありません。飯は保証されていますし、戦を除けば普段の生活は安泰、悪くないですよね。
ただ見直してみると、私は盲目的に従っているように思えてきます。他に選択肢がないから今の生活を送るしかない、その考えが既に盲目的です。他の国で暮らすこともできるはずでしょう。あるいはどこの国にも属さずふらふらと生きてもよいでしょう。しかし私はそんな生き方を選びませんでした。どうしてでしょう?
一つ考えられるのは、国に所属することが私自身のアイデンティティとなるからではないでしょうか? 「〜国の〜」と名乗ることができてはじめて、私という人間が確立されます。ですがこれは本当でしょうか? 先日たまたま出会った旅人と一杯やりましたが、彼はどこの国にも居を構えることなく旅をしているようでした。死ぬまでに世界の全てを見たいと思い立ってすぐに国を出たそうです。彼にはアイデンティティがないのでしょうか? いやそんなことはないですよね。彼のアイデンティティとは旅をすること、またはどこの国にも所属していないことでしょう。私とは正反対ですがそれでもアイデンティティはあります。
どうやら私は単にアイデンティティのためにこの国の兵をやっているわけではないようです。
では安定した生活のためにこの国にいるのではないでしょうか? 私の性格を考慮するとありえますね。私は楽しくなくてもいいので、とにかくストレスが全くない状態が理想だと考えています。例えば、今日の飯、明日の飯の心配しなくてはならない状況は私には厳しい。旅人は各地の珍しいものを買い、別の地で売った時の利ざやで儲けていると言っていましたが、そういった不確定要素の多い生き方は私には向いていないと思います。しかしもちろん兵として仕える以上、極端にストレスが発生することがあります。それが戦です。戦さえなければストレスは皆無ーー誰かさんのようなやる気満々な方に気合いをぶつけられるのは多大なストレスの原因となりますが今回は目を瞑ってやりましょうーーと言っても過言ではありません。まあまずそんなことは起こりませんし、もし戦が全くなくなるようであれば、兵という仕事は縮小され、私なんて最初に辞めさせられそうです。ストレスがないことが理想とは言ったものの、やはり私はストレスのある場所で生活しているのです。
ところで、数年前の遠征の際に偶然出会った御老人は一人で山奥に暮らしていました。作物を自分で育て、それを食べて生活しているようです。時々山を降りて情報収集等をするようですが、基本的には山奥で暮らしていると話していました。彼の生活は私がさきほど示した理想的な生活でしょう。ただどうも私はその生活に憧れません。彼は本を読んで過ごしていると言っていました。私も本は好きですが、彼のように楽しく生活できる自信がありません。作物も充分に採れると言っていましたし、実際そのようだと私も思うので旅人ほど不安定な生活だとは思えません。
ではなぜ彼のような生活を選ばないのでしょうか? 独りで生活するのは周囲に気を使うことがないので素晴らしいと思うのですが。どうしてわざわざストレスだらけの生活をし続けているのでしょう? 私はどうかしているのでしょうか?
あ。あれは私の国の兵達ではありませんか。皆、くたびれていますね。
あそこに向かえばきっと拾ってもらえる。そうすれば国へ帰れる。しかし何のために。このままここにいれば彼らに見つからない。この先独りで生きていける。あのむさ苦しい集団の中で声を張る必要もなくなる。私はおそらく戦死という扱いになるだろうから脱走兵でもない。私は忠実に働いていたから仲間から疑われることもない。でも戻りたい。私はあの場所でなければ生きていけない。何よりも大事なことはストレスだとか安定した生活だとかそんなことではない。命令をもらうこと。それが私にとって最も大事なことなのだ。
槍を天に向けて突き立て両手に力を込める。特に痛む右足をかばいながらゆっくり立ち上がり、そこで一度体勢を整える。左足を少し前へ動かした後に、槍を動かして地面を打つ。左足と槍を交互に使い兵達の元へ進む。国のためではなく、何よりも自分のために、私は進んでいた。
咆哮。
私は自然と声を上げていた。空虚な自分を埋める献身を求めて。