反証可能性で捉える、閃光のパラダイム・シフト的認識入門
これまで人間は、真実というものへ辿りつこうとする為に検証論理、言わば科学を研究しました。
科学は我々人間に、様々な時代の変遷と発展を結びつける、極めて大事なものであることに、懐疑する人は居ないでしょう。
何故なら、今貴方が立っている世界は科学によって原始的なものから断続的に変化し続けている途中の、発展途上な世界だからです。
今貴方の視界に、喩え何も人工的な物が映らなかったと言え、其れは自然にも同じ事が言えます。
自然も、多くの種が生と滅を繰り返して、今の世界を築き上げてるに他ならないからです。
僕は、この断続的に発展していく世界の一直線を「閃光」と捉えます。
光は真直ぐに進むが、途中で障害物があれば屈折を行い、紆曲してしまう。其れは世界も同じです。
其れこそがまさしく、「パラダイム・シフト」と言うものです。
「科学者というのは世の中の動きについての基本的な見方を共有するものだ。その見方はその時点で支配的なパラダイムなのである。」
パラダイム・シフト論の親とも言える存在、トーマス・サミュエル・クーン氏の言葉です。
此処で言う科学者は、我々人間である事に他なりません。「見方」と言う枠組みに囚われてる事に、科学者(人間)は気づかないだけなのです。
喩えば、貴方の目の前に白いアヒルと黒いアヒルがいたとしましょう。すると貴方は黒いアヒルを稀有そうに扱い、珍重するでしょう。
事実、アルビノと呼ばれる動物種は大変珍しがられています。皮膚などの色だけが違い、後は全て同じの動物を人間はアルビノ種だけ大変そうに扱うのです。
其れは、貴方が元々"アヒルは白い"と言う枠組みに束縛されていたのです。
アヒルは白い、だからこそ黒いアヒルなどいる訳無い、と言う、謂わば「思考の排他主義」そのものなのです。
その思考の排他主義がいずれどんなことを招くのか、其れは世界のパラダイム・シフトの波に飲みこまれる事です。
世界は断続的に変化し続ける、と先述しましたが、固定観念に囚われた人間が常に移り変わり行く閃光に置いて行かれないでしょうか?
残念ながら、答えはノーです。人間は考えを退ける限り、必然的に置いて行かれるでしょう。
今、貴方自身が立っている世界の一時代を知っているならば世界を知っている、と言う方程式が成り立つわけが無いからです。
今まで常識のようにあった、天動説やニュートン力学では理論が付かない事象が発見された時、人はどうなるのか。
間違いなく、変遷し行く世界に置いて行かれ、そのまま過去を貪るだけの人間になるだけでしょう。
科学者は真実を見つけるが為に研究に研究を重ねましたが、思考の排他主義だけでは真実は愚か、進歩さえもしない簡潔な思考で終わってしまうでしょう。
閃光(世界)は何かの障害物によって紆曲(常識を覆される)する可能性があります。
障害物が幾ら行った先にあるのか、其れは常に進みゆく閃光にも分かりません。だけれども、思考は違います。
思考は排他主義のように固定観念に囚われる事も出来れば、予測も出来るのです。
だから僕は、此処でパラダイム・シフト的認識を唱えます。
人間は誰にでも可能性はあります。誰しも未来は見えないが、「未来」と言う存在は絶対的なものだと認識できるでしょう。
其の「未来」に向かって常に移り変わってゆく世界の一員であるならば、枠組みに囚われてはいけないのです。
有象無象に常識は存在しません。何故なら常識と言う物は人間が生み出した仮定的なものに過ぎないからです。
常識とは、人が生み出した空想です。
そして、思考とは人が変遷する世界において唯一対抗できる武器に他なりません。
其の武器を捨てて、世界に身を任すことは自身の身を滅ぼす事そのものであることに、多くの人は無知のままでいるのです。
だからこそ、閃光のパラダイム・シフト的認識を行い、世界から解放されるのです。
そうすれば、一時代と言う世界が滅び、また新たな一時代と言う世界が生まれた時、貴方は巻き添えにならないでしょう。
何故なら、貴方は世界から解放されているからです。