イマジネーションの限界
思考が止まった。
「いま、あなた、なんとおっしゃいました?」
「異世界転移者ですよぉ。異世界から転移してくる方々。トリッパーとでもお呼びしましょうかぁ?」
冒険者ギルドの受付嬢は相変わらずにこにことしている。
ほんわかとした空気を感じさせるが、反面その営業スマイルはあまりに完璧で、同時に底知れなさをも感じさせる――と、そう感じるのはきっと、営業スマイルに対して苦手意識があるからだろう。他の人は気にも留めず、ただ素敵な笑顔だと感じるにちがいない。
「この世界には、そういう方たちがたくさんいるんですか?」
「ええ、そりゃもう。たくさんいらっしゃいますよぉ。昔からふらりとやってくるんです」
「昔からふらりと……ああ、それで」
「どうかしましたぁ?」
「いや、この街ってローマ字だったり日本語だったり石造家屋だったり木造家屋だったりちぐはぐじゃないですか。とてもまっとうな文明成長を遂げているようには思えなくて」
「いろんな人がいろんな技術を異世界から持ってきましたからねぇ」
この世界は様々な現代知識が輸入されてきたことによって、様々な技術が雑多に混じりあって使われているのだ。そのため、様々なものがごっちゃになった街並みが作られるようになったということなのだ。
「地球からくる人が多いんですか?」
「まあだいたいはそうなんでしょうねえ、チキュウのニホンからやってきたという人は少なくないと聞きますよ。他のところは……あまり聞きませんねえ」
「ふむ」
ということは、もしかしたらここで昔の知り合いに出会うこともあるのかもしれないのか。
それは……なんか嫌だなあ。
新しく人生を始めようという僕にとって、過去が追いかけてくるのは嬉しくないことなのだ。
「どうかしましたぁ?」
「いや、なんでも。それより、どうして僕がその異世界転移者だって分かったんですか?」
「ああー……それはですねぇ……渡されたステータスですよ。普通人間はどんなに頑張ってもステータスが二桁に達することはまずありませんから、そんな風に書かれるのは詐称か、もしくは何らかの強力な能力によって底上げされているかのどちらかしかありえません。そんなわけのわからない詐称をするのはこの世界に来たばかりの異世界転移者くらいのものですし、また能力を持っているのも、異世界出身の方々しかいませんので」
「人間ってそんな低いのか!」
「転移してきて最初のときにときどきやる人が出てくる間違いなんですよぉ。あなたの書かれたステータスは【魔王幹部】とかそれくらいの強さですから、村人さんではありえませんねえ」
「はえ-」
それは随分と赤っ恥を書いたものだ。
しかし、いきなり地球出身だとバレてしまった。これはどうしたものか。
「あの……異世界転移してきた他の人たちって普段、何をしているんですか? やっぱりギルドでお金を稼いだり?」
「それを最初にやる方は本当に多いですねぇ。あとはそのうちひきこもってぇ……【魔法】や【能力】の研究を始めたり」
「魔法があるんですか!」
「ええ、習得すれば【スキル】の欄の中に表示されますねぇ」
やったぜ魔法がある。
【スキル】があるけど魔法という欄が無いから、無いかもしれないと思っていたけど、あったぜ。
MPがあるのはそのせいだったかー。やっぱあったかー。
一度は使ってみたかったんだよねー。
ひゃっほい。
「話し中失礼」
そんなことを考えていると、隣から鎧の男が割り込んできた。
190センチは越えようかという大男で、筋肉質。短く切られた髪の下には、切れ長の鋭い眼がある。
鎧は金色に輝いているが黄金というわけではなさそうな輝き方をしている(真鍮とかもっと安っぽい金属だ)。随分と使いこまれているようで、こびりついて取れない汚れや歪みがそこかしこに見られた。
たぶんこの騎士は強いのだろうと一目でわかった。そういう覇気を全身から発している。息せき切ってきたようで、全身から熱を発しているから余計にそう感じるのかもしれない。
「火急の件で相談があるんだが」
「タイラスさんがマナーも考えずにいきなり割り込むなんて、随分と急ぎの用なんですねえ。ごめんなさいサトウさん。後でいいですか」
「まあ、構いませんよ」
いつもこういうことをする人なのならムッとして譲らなかったかもしれないが、そうでないのならよっぽどのことがあったのだろう。
実際悪い人間には思えなかった。どこか陰のある感じもしたが、人に慕われるようなカリスマ性というか、力強さを感じさせるのだ。あとマッチョでイケメン。
ずるいよなあこういうやつ。許さないって思わせないんだもの。
受付嬢とタイラスという男はギルドの奥の方に入っていった。
あれ、そういえば僕の名前を今、受付嬢さんはなんて言った?
たしか僕はギルド登録書類の名前欄に「ケン」と書いたはずだけど。
さらっとしていたし、聞き間違いだったかな。まあいいや。
手持ち無沙汰になったので、受付のすぐ近くにある椅子に腰かける。ここは食堂と繋がっているようで、多くの人が飲み食いをしている。
そこの人の会話の聞き耳を立ててみる。
「タイラスがあんなに慌ててるってことは、またどこかの町だか村だかが壊れるんだろうな」
「冒険者の仕事はここんとこ大工ばっかりだ。仕事がないより助かるけどさ」
「まともな戦いに駆り出されるよりゃいいだろ。俺たちみたいに弱いのは」
「俺、もう冒険者なんだか大工なんだかわかんなくなってきた」
へえ、随分と大変なことが起きているんだな。
これは詳しく情報を知っておかないといけないだろう。
「あの、何が起きているんです?」
声をかけてみた。
「あ? 誰だお前」
「ケンって言います。今さっきこの街に来たばかりで、一体なにが起きているんですか?」
「…………」
「…………」
「お前、まさか転移者じゃねえだろうな?」
男の一人が睨んでくる。ひいこわい。他の二人も顔を見合わせて頷いてるし、なんだんだ?
「どういうことです? 転移者だとなにか関係あるんですか?」
「訊いてるのは俺だ。さっさと答えろ」
男たちはじっとこちらを見ている。
妙なプレッシャーを感じて、冷や汗を拭った。
と、そのとき気づく。なんだかさっきよりも静かじゃないか?
見渡すと、ここにいる連中全員がこちらに聞き耳を立てているのがわかった。
それほど重要なことらしい。
ここで発言を間違うと危険なことになる。嫌になるくらいそれが分かった。
ここで僕が答えるべきは――
「いいえ、僕は転移者じゃありませんよ」
「そうかい。じゃあ教えてやるよ。その前に酒おごってやる。まあ座れや」
どうやら正解を引いたようだ。そのまま席に座ってそっと息を吐く。
すぐにビールが運ばれてくる。ビールに見える。明らかなビールだ。
「長旅疲れただろう。まずは一杯、乾杯」
「ありがとうございます、乾杯」
ビールを手にグラスを鳴らす。
その手を別の男に掴まれた。
「え? 痛っ」
異常に強い力で、痛みを感じるほどだ。先ほどよりもはるかに低い、ぞっとするような低い声で、その冒険者は言った。
「村人にしちゃあ手が綺麗すぎるぜ。あんた、嘘をついたな?」
「え……あっ、お前、お前ら!」
何をされたのか理解した瞬間、手を振り払って飛びのく。
「僕を騙したのか!」
「悪いな。ちと、あんたは怪しすぎた。この世界にはな、あんたみたいのは来ちゃいけないんだよ。もう散々――迷惑してるんだ」
ガランガランと鐘が鳴る。戦士たちは武器を取る。
十数名の冒険者たちが、僕に対して殺気を放っている。殺される――はっきりとそのつもりであることが実感として分かった。
そのとき僕は理解した。
ああ、ここも、僕の居場所じゃないのか。
「なんだよ、なんなんだよ! 寄ってたかって、僕がなにをしたっていうんだ! なにが憎くて僕を殺そうとする!」
僕は叫ぶ。
返答は無言。剣による攻撃がすべての答えだった。
「くそっ!」
斬撃を飛びのいて避ける。僕はそのままギルドの出口へ逃げる。
「クソクソクソ! なんだんだ! なんだっていうんだよ一体!」
早く逃げよう。よくわからないけど失敗した。このギルドから、この街を出てすぐ、別のどこかでやり直すんだ。
――結局のところ、ギルドから出ても、光景はほとんど変わらなかった。町じゅうの男たちが武器を構えて僕を睨んでいる。変わったのは場所が少し広くなったことと、僕を襲いに来る男たちの数が増えたことくらい。あとは、希望が遠のいたということくらいのものだろう。
ずっと遠くの城門が閉じているのを見て、僕は直感した。その事実に気づいて、背筋が凍る。
あの城壁は外から身を守るためのモノじゃない。
内側に閉じ込めるため――僕を逃がさないためのモノだったのだ。
「な舐めるなよ。僕は、僕には空想具現化がある。なななんだって突破してやるさ」
震える声で、僕は自分を勇気づける。
想像する。創造する。この場から逃れる方法。そんな道具を。
四方を囲まれている今、ここを超えるためには空しかない。空を飛ぶために必要なのは――翼? いやだめだ。もっと勢いのあるもの……例えば、そう!
ロケットの噴射!
<<空想具現化能力:ジェット噴射機構を生成しました>>
肩に重みがかかる。装着済みで生成された。あとは飛ばすだけ。
「あっ!」
これを外から噴射させる方法を用意していなかった、その機構をイメージするのを忘れていた!
意志に応じて勝手に噴射できると無意識に思い込んでいた。アニメの見すぎだ。空想具現化能力は意識したことしか具現化されないのだ。
よってこれは無用の長物。
「もう一度……」
「その隙は与えん」
背後から衝撃。ふっ飛ばされて気づけば背負っていたロケットは真っ二つになっていた。
振り向くと、鎧の大男が大剣を振り下ろし、隣で受付嬢がにこにこと笑っていた。
にこにこと笑いながら、受付嬢は解説する。
「空想具現化は想像力頼みの能力です。想像できるものはなんでも創れるけれど、想像に不備があるとそれは正しく動作しない。例えばその噴射機構なら、どんな原理で動き、どう動かすのかといった構造を意識しながら同時に外枠の寸法もミリ単位で想像しなくてはなりません。頭の中のイメージを形にするのは、絵でも何でも難しいこと。描くことによって保存され、しかも作業しながらイメージを細かくすることができる絵とは違い、この能力は一発描き。簡単に扱えるような代物ではありません。その点に関してはあなたはなかなかに才能があったようです。しかし、危機に陥ったときに細かいところまで考える集中力を得るのは普通の人間にはできない。人並み外れた想像力に加え、使いこなすには長期間の訓練が必要な能力なのですよ」
受付嬢が解説した。間延びした口調が消え、はっきりと通る声になった。随分と長い解説だったが、すっと耳に入ってくる。
「空想具現化は最強の能力の一つですが、最も使いこなすことの難しい能力の一つでもあります。彼の経験の不足が、私たちの勝利の最大要因です」
受付嬢はにこにこと笑っている。ぞっとするくらいの営業スマイル。誰にも本心を悟られないという鉄の意志。
鎧の大男――タイラスが剣を振り上げる。
斬られるのだ。そこから逃れる術はない――そう確信させられた。
ああ、また死ぬのか。あまりにも早すぎる。
そう、頭の中で声が響いて、そして空しくなった。妙に頭が冷静になる。
「一つ、訊かせてくれ。なぜ僕は、死ななくてはならない?」
「釘を打たれた魂は、屠らなくてはならない。その魂が錆に侵され、腐り落ちてしまう前に」
「ああ、あの神か。あの神が僕に能力をくれるとき、そんなことをしていたな……そんな危険な物を僕に仕組んでやがったのか……くそ」
「俺からも一つ訊ねよう、釘をどうして受け入れた」
「知らない。分からないよ。あのときはなにがなんだかあやふやで、不安で、不安定で、存在を確定させたいと思ったんだ。きっと誰でもそうしてしまう。あれは、それくらい恐ろしい状態なんだ」
ずっと僕には居場所がなかった。
自分が自分でいられる場所が欲しかった。
自分を規定したかった。
でも、そんなところはどこにもなかった。だから空想に逃げた。
空想には、自分を規定する場所があったから。
「……空想具現化能力は、僕にとって、僕自身の存在を具現化する能力だったのか。そんなことも思いつかなかったなんて。――そう使えば、良かったな」
「この世界では、もう遅い。輪廻の先でそうするんだな。もしそんなところがあるのだとすればの話だが」
タイラスは剣を振り下ろし、数時間ぶりに僕の首はまた飛んで行った。吹き上がる走馬灯と諸々の感情。
「お前を殺すことが、真に正しいこととは思わない。だがそれでも、俺たちはおまえを殺す」
…………彼の眉間の皺が、僕の見た最後の光景だった。
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