山の端にて
今回はサクヤの話です。
「さぁて、どうしたものでしょうねぇ」
サクヤはボルカヌス火山を周縁から眺めながら呟いた。遠目からは、進軍を再開したと思わしき兵たちが見える。
兵たちがかなり回り道をしているのは明らかだった。ただ上を目指すというような動きはほとんど見られない。
だが無意味な行程を進んでいるのかと言えばそんなことはなかった。闇雲に上を目指すのは火砕流によって阻まれてしまう。
火砕流の流れはまるで不規則で、迷路を進むがごとくだった。
サクヤには【看破】の能力によってその火砕流の迷路の、ゴールまでの最短ルートが見えている。
サクヤの【看破】ならば、あらゆるステータスを完全に閲覧できる。それは人だけでなく物も、そして土地のステータスさえも見ることができる。
土地にステータスがあると気付いているのは、この世界広しと言えどもサクヤくらいのものだろう――というのは早計か。ただ、気づいている者が少ないことは確かだ。
そしてアイリーンは目的地を魔王の居城ではないところに設定して導いていることも、彼女からは見えていた。
といっても、そこへ進路をとるのは当然の帰結と言えた。驚くべきは、彼女にそんな気遣いができたということだ。
「彼女は兵たちを、無いよりはマシな多少役に立てばいいだけの存在くらいにしか思っていなかったはずですが……?」
彼女にも何かがあったのだろう。距離が遠すぎて、さすがに彼女のステータスまではここからは覗けなかったが。
実際、兵や冒険者たちは弱い。一般人からすれば強いが、魔王幹部には遠く及ばない。
その割に兵たちは偉そうだし命令にないことはやろうともしないし、冒険者たちはうるさいし乱暴だし色目で見てくるし――っと、普段の愚痴が出てしまった。とサクヤは反省する。
「ノトス、ちゃんと記録は取っていますかぁ?」
「ええ、ばっちりと。ほら、絵の具の配分を少し変えてみたんですよ、綺麗に描けてるでしょう?」
ノトスは緑色の髪の少女だ。あちこちの裂け目をくたびれた革で繋ぎ止めたような服に身を包み小ぶりのキャンバスに絵を描いている。
ノトスはサクヤに絵を見せた。それはボルカヌス火山の絵だ。火砕流の迷路を描き、そして兵たちの進軍の道筋が黒い線で描かれていた。
「綺麗ですよぉ。でも綺麗さよりも正確さを重視してください。あなたがやっているのは芸術品を描くことではなく、記録することなのですから」
「わかってますよ。今の時代に画家に仕事があるなんて、ありがたいことですからね」
と言いつつも、ノトスが内心「こんな仕事が画家のやることなんて」と考えていることくらいはサクヤにはお見通しだった。
だからといって彼女がいい加減な仕事をするような人間ではないことも分かっているので、なにも言うことはなかったが。
「それは明日、後続の兵たちがいま進軍している兵たちにいち早く追いつくための道しるべなんですから」
【看破】のことを明かしてしまえば、彼女自身が先導することも不可能ではない。だがそんなことをするわけにもいかないサクヤには、別の先導手段を作らなくてはならないのだ。
なにせ【看破】は強すぎる。この世界のどんな秘密さえも一瞬で見抜いてしまえるのだから。
その能力の強さが分からなければ勇者に選ばれることになったかもしれないが。しかしそれでもサクヤは自身が転生者であることを明かすつもりは毛ほどもなかった。誰が危険な目に遭おうと、どんなことがあっても、サクヤは自身の能力を他者に知らせることはない。ただ一人を除いては。
「でも、これ意味あるんですか」
「どうしてそんなことを言うのですかぁ?」
「だって、この山、いま沈んでいる最中じゃないですか」
山と山以外の境界線。一般的にそんなものははっきりと線が引けるものではない。だが、いまのボルカヌス火山ならばその線が引ける。
山と山以外の境界線に沿って断層が生まれている。そして山側の土地が沈み込み、段差が生まれる。
その段差に溶岩が溜り、堀になっている。
つまり、堀を形成されたのは、山が沈んだからなのだ。
「どうやったらあんなことが起きるんですか」
「溶岩や山頂から飛び出してくる火球によって山の中身が減ってしまって、スカスカになっていたんでしょうねぇ。そして自重に堪えかねるようになった……とか考えてみたんですけど、信じますぅ?」
「それにしては溶岩なんかの量が足りない気がしますけど」
「じゃあまだ溜っているのかもしれませんねえ。そのうち一気に噴き出してきちゃうかもしれませんよぉ」
サクヤは冗談のように言うが、実際そうなることを知っている。
溶岩ではなく、火球――燃えた岩が、今の比ではない量が一気にこれから落ちてくる。その量の前では、|三人一組(スリ―マンセル)の回避連携など通用しないだろう。
それを知らせる術も助ける術も、サクヤにはない。タイラス一行が自分達の力で何とかしなくてはならない。
「まあ、この山も『火山の魔王』が一人の力で作り上げた山だって聞いてますからね。魔王が関わることなら、それくらいのことは起きても不思議じゃありません。そういう攻撃だって、してくるかもしれませんね」
「攻撃ですかぁ」
「違うんですか?」
「その割には迂遠ですよねぇ……まあとにかく、あの堀を何とかしないといけませんねえ。彼らが進軍したということは、それくらいのことはこちらでなんとかしろと言うことですからね」
堀が生まれてしまった以上、それを何とかしなくては残された兵たちを送り込むことはできない。
幸い、兵という名の人材は余るほどいるが、どうしたものかサクヤには見当もつかなかった。
「私も暇じゃないんでねえ」
いまは少しだけ休憩を挟んでいるが実際、彼女はまったく暇ではなかった。装備調達のための連絡や、兵站の確保および輸送ルートの確定など、やることは山ほどあるのだ。一日前倒してことが進んでしまったため、ただでさえタイトなスケジュールがおして大変なのだ。
「それについては大丈夫みたいですよ」
「え?」
ノトスの言葉に、サクヤは虚を突かれた。すぐにステータスを読みこむと、得心がいった。
「それよりも、そろそろ仕事に戻った方がいいんじゃないですか?」
「……ええ。そうですねぇ。私も頑張らないと」
サクヤは大きく伸びをして言った。その表情はどこか晴れやかだった。
「じゃあ、あとは頑張ってくださいねえ」
「はいはい分かってますよ」
手をふりながら仕事に戻っていくサクヤは、そっと呟いた。
「忙しくて、読み込みが足りませんでしたねえ」
サクヤの世界には、沢山のステータス画面が表示されている。そのすべてを読んでいる時間など彼女にはない。だから忙しいときには、重要なことを読み逃してしまうこともあるのだ。それをノトスに気づかされた。
ステータス画面は隠されているだけで、本当に多くのことが書かれている。
ノトスが知っていることは、ステータス画面を通じてサクヤも知ることができる。
「嬉しい誤算ですよぉ」
サクヤは兵たちを見た。
彼らはただ待っているだけではなかった。兵たちは英気を養うことも仕事のうちと、そういってだらけていることも多いので、期待していなかったのだ。
指示待ち人間だと思っていたのだ。もとより兵はそれで良い。指示に従うことが至上の使命だから。だが彼らはそれ以上をやった。
冒険者が混じっていたことの影響だろうか。
「あ、嬢ちゃん、大工仕事の工具諸々、ギルドにあったやつ勝手に借りてるぜ」「斧とかもな」
「ふふ。ありがとうございますぅ。がんばってくださいねぇ」「嬢ちゃんもな!」「はぁい。がんばりますぅ!」
サクヤは胸元で両手に握りこぶしを作る。
彼らは、橋を作ろうとしているのだ。堀にかける即席の橋。
人はいた。森林の木材と云う材料もあった。そして堀の橋を作った経験者も、エルキアの冒険者の中にはいた。だから彼らはやった。それだけの話だ。
だが役立たずだと思っていた彼らが精を出したということが、サクヤには嬉しかった。
サクヤは看破能力から得られた情報をもとに、だいたいのことを予測できる。それは少し退屈だ。
だから予想が外れると人よりも心が騒ぐ。嬉しい誤算ならば、上機嫌にもなる。
サクヤは上機嫌で、ここにはいないタイラスに向けて言う。
「いろいろ細かい問題はまだありますけど、明日はなんとかなりそうです……だから」
突然、山頂付近が火を噴いた。大量の岩が溶岩をまとい、火球となって降り注ぐ。
それはかつてない量と密度。
「――だからどうか、皆さんも頑張って今を生き残ってくださいね?」
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