偽装貨物船「名無しの権兵衛」号
大平洋戦争において、日本本土と南方資源地帯を結ぶ海上通商路の保持は重要であった。
日本本土に立派な工場があっても、船で資源を運び込めなければ意味が無いからだ。
しかし、そのための商船の護衛に海軍は無関心か、関心があっても、人員・装備・予算の制約から護衛は不充分であった。
それに対して、ある船会社が行った「名無しの権兵衛」号について、筆者は取り上げることにした。
「名無しの権兵衛」号は、この船の正式な船名ではないのだが、この船名の方が有名なので、ここでも、そう呼ぶことにする。
「名無しの権兵衛」号は、大型貨物船で、資源輸送のため日本本土と南方資源地帯を往復していた。
軍がまともに護衛を付けてくれないのが、「名無しの権兵衛」号を保有する船会社にとっての悩みであった。
小さな船会社であったので、大型貨物船一隻を失えば、倒産確実であった。
船会社では、損失を避けるために色々と考えた。
ハリネズミのように武装したとしても、米軍から本格的な攻撃をされたらお終いである。
それで、発想の転換で、日本以外の外国の商船に偽装することを思いついたのだった。
まずは、中立国の船に偽装することにした。
中立国の旗を手に入れて、船に掲げた。
日本に居住している中立国の人間から、その国の言葉を習い、できれば、表向きだけの「船長」として雇い入れた。
航海日誌等の船にある書類も中立国の物に偽装し、船名も中立国でありえる名前に頻繁に変えた。
乗組員のほとんどは日本人だが、海外で出稼ぎしている中国人に偽装した。
そうすることで、連合国による海上での臨検を切り抜けたのだった。
国際法に違反しているため、中立国に偽装している船は、この一隻だけで、海軍軍人たちや船員たちの間でも、この船のことを知るのはごく一部であった。
しかし、噂は流れて、船名が頻繁に変わるため、「名無しの権兵衛」号と呼ばれるようになった。
何度も綱渡りをするような思いをしながら、「名無しの権兵衛」号は、日本本土に資源を運び続けた。
わずか一隻の貨物船が運べる量は、日本全体が必要とする量からすれば、水一滴にもならないかもしれないが、危険を冒して使命を果たし続けた。
戦局が日本にとって悪化するにつれて、中立国に偽装するのも難しくなってきた。
ついには、敵である連合国の船への偽装までした。
もちろん、完全な国際法違反である。
主に中華民国の船に偽装した。
戦争末期には、アメリカ合衆国の船にまで偽装することまでした。
日本近海に向かうアメリカの輸送船団に、大胆にも紛れ込むようなことまでしたのだ。
大平洋戦争が終結し、連合軍により日本占領が始まると、占領軍は「名無しの権兵衛」号の調査を始めた。
連合軍内部では、「名無しの権兵衛」号は、英語で同じ意味になる「ジョン・ドゥ」号として知られていたのだ。
「名無しの権兵衛」号が戦時中にしたことは、明らかに国際法違反であり、連合軍は関係者を戦争犯罪人として逮捕するつもりであった。
しかし、調査は困難を極めた。
「名無しの権兵衛」号を所有していた船会社は、終戦の日である1945年8月15日に解散して清算していて、会社その物が無くなっていた。
経営陣は、社長以下全員が行方不明であり、役所にあった彼らの戸籍は空襲により焼失していたため、生死すら不明であった。
「名無しの権兵衛」号は、会社が解散した時に、他の船会社に売却されており、その後は何度も転売されていて、追跡調査は困難であった。
しかし、連合軍は執念で突き止めた。
だが、発見した「名無しの権兵衛」号は、空襲により大破しており、スクラップとして処理されるところであった。
アメリカ軍は、わざわざ大破していた「名無し権兵衛」号を曳航可能なまでに修理して、アメリカ本土に回航しようとした。
その目的は、アメリカ国民の前で「晒し者」にすることであった。
米海軍の軍艦に曳航される途中、大波により転覆して「名無しの権兵衛」号は沈没してしまった。
ここで、「名無しの権兵衛」号は生涯を終えた……ということになっているが、真実は違う。
沈没した「名無しの権兵衛」号は、替え玉であった。
建造中だった同型船で、資材不足により工事が中断していたのを身代わりにしたのだった。
本物の「名無しの権兵衛」号は、連合軍の調査から隠し通すことに成功したのだ。
朝鮮戦争の発生により、戦犯への追求が緩くなると、解散した船会社の経営陣は戸籍を復活させて、新しい船会社を設立した。
「名無しの権兵衛」号は、また改名して貨物船として活動するようになり、米軍向けの物資を輸送したりもした。
日本の戦後復興期と高度経済成長期に活躍した「名無しの権兵衛」号も昭和40年代には老朽化により、廃船し、スクラップにされた。
これで、「名無しの権兵衛」号は本当に生涯を終えた……、のだが、また改名して、どこかの海で活躍しているんじゃないかと、筆者は空想することがある。
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