ある男の回想録:はじまりのはじまり
視点が変わります。
その日も良い天気だった。
寝室の窓を開け放つと気持ちのいい潮風が部屋に入ってくる。
少し高台に建っているこの家は見晴らしが非常に良い。
そもそもこのあたりの建物は丘を切り崩し、緩やかな勾配にそって建っているのでこの家に限ったことではないが。
あたりに広がる海は青緑色に澄んで日の光を反射してきらきらと輝いてる。
そして海に目をやると必ず目に入るものが変わらずそこにあった。
――巨大な木。いや、はたして木と呼べるのだろうか。
それはまっすぐ天に向かって伸びており、その先はどうなっているのかまるでわからない。いくら晴れていようとその先だけはうっすらと白く霞がかってはっきりとしない。
それほどの巨木は海に浮かぶ島から天に向かって伸びているようだった。
だった、というのは書物として記録に残されている何百年もの昔から誰もその島に上陸はおろか、近づくことすらできないでいるからである。
その島は、周りをゆっくりとした渦が取り巻いており、その上四方すべてを断崖で囲まれているのだ。
断崖の上には木が生い茂っているのが確認でき、森のようになっているのが分かる。
過去何人もの人間が船で、また泳いで島に近づこうとしたがまるで透明な壁があるかのように渦の中には少しも入り込めなかった。
泳ぐことにかけては他の追随を許さない“水”の一族ですら同様で、更に彼らは島の周りで何か想像もつかないものの存在を感じるというのだ。
海の生き物を獲り海と共に生きている彼らの想像もつかない何か――
海を挟んで島の近くの土地に住んでいた者たちはそれに畏怖を感じ、獲れた魚、酒、果物などを小舟にのせ貢物として定期的に海に送り出すことにした。
不思議なことに貢物を乗せた小舟だけはあの渦の中に入り込んで消える。そして翌日、貢物が無くなった状態で小舟だけがこちらに流れ着くのである。
“風”の一族が船に乗り遠くから島を確認したところ、断崖の部分に波で削られ洞窟のようになっている箇所があり、その先に砂浜のようなものが見えたらしい。おそらく貢物はそこに流れ着くのだろう、ということだ。
――――あの島には神がお住まいになっている。
島に1番近い場所にあるこの海上都市とも城塞都市とも呼ばれる自治都市クダヤ、ここに住む者たちは誰もがそう認識している。あの巨木は神の世界に繋がっている――とも。
「あら、おはようアルバート」
顔を洗って階段を下りると母が朝食を食べていた。
少し先のテラスでは祖父母が食後のお茶を飲みながらのんびりと海を眺めていた。老人は朝が早い。
「おはよう。父さん達はもう仕事?」
席に着きながら尋ねる。父と2人の兄は城の書物を扱う部署で働いている。
もともと祖父は隣国の貴族だったが、お家騒動から逃れるため貴族の地位を捨てこの自治都市クダヤに移り住むことに決めたのだ。
“理”の一族の祖母と結婚しその能力が子達に受け継がれた為、祖父が隣国の貴族であったにも関わらず父達は城で働くことが可能なのだ。
なぜなら、力を受け継いだ者は不思議な事にこの土地を裏切るようなことができないからである。
「そう。なんでもずいぶんと古い書物が見つかったとかで朝早くに。飛行術に関することかもしれないって大騒ぎ」
「飛行術? ほんとにそんなものが存在するのかなあ」
我々人間、いやこの地上の生き物は神の力の一部を使うことが出来るとされている。
今の人間が使えるのは、ほんの残り香程度の微々たるものだろうが……。
今の生活の根幹をなしているのは数百年以上前の過去の人間が作り上げた技術である。我々はそれらを残された書物から一部分を紐解き活用しているだけで進歩はしていない。
なぜなら神の力とされるものは段々と弱くなってきており、今の人間達ではそれほど使えないし理解もできないのである。
それは例外なく他の生き物にも当てはまり、過去に力を持った動物達――力を使い人間を襲ったものは魔のモノ、魔物と呼ばれるようになった――の数も減少している。
力を持ったクダヤの“一族達”ならもう少し使えるだろうが。
その過去の人間達でさえ空を飛ぶという技術は完成させられなかったのだ。それとも、そのような書物が見つかっていないだけなのか――。
いずれにしろ、空を飛ぶことができたのなら神の島についてもっと判明していてもおかしくないのだ。
「まったく手掛かりが無いよりはましでしょうね。それより今日学校はいつまで?」
「今日は小さい子達に教えるから“赤”の鐘が鳴るまで」
「じゃあそのあとお城に寄ってお父さん達に食事を届けてちょうだい。きっと調べるのに夢中になって食事をとってないと思うから」
「わかった」
むしゃむしゃと行儀悪く食べながら答え、注意を受けながらも朝食をとり終えた。
「いってきます」
そう家族に伝え食べ物が入ったバスケットを持ち玄関を出る。
いい天気だなあ、と空を見ながら学校に向かっていると――
どんっという低い音が聞こえたと思ったら、何かにぶつかったような衝撃を体全体に感じた。
「…………っえ!?」
慌てて周囲を確認する。道を歩いていた人も衝撃を感じたのだろうか、騒ぎになり始めていた。
玄関から家族全員が飛び出してきて俺を見つけた母が飛びついてきた。
「アルバート……!!」
良かったみんな何事もなさそうだと、母を抱き留めながらほっと胸を撫で下ろす。
しかし祖母に目をやった時、祖母が驚きの顔をしてある方向を見つめているのが分かった。
無意識に祖母の視線の先を追う。すると――
神の島と天を結ぶあの巨木が光を纏い、まるで天と地を繋ぐ光の柱のようになっていた。
「え…………」
周りも神の島の様子に気付いたようで皆一様に唖然としたまま光の柱を見つめていた。
その時城の中心に建っている塔から時間を知らせる鐘の音とは別の音が一斉に鳴り響いた。
「ピーーーーーーーーーーッ!」
(これは……)
家庭で、学校で、物心ついた時から教え込まれるこの音は、城壁内に避難せよという合図の音だった。
今までざわついていた者達はすぐさま真剣な表情になり、冷静に城壁内への移動を開始する。
まだ自宅にいた者たちは食料・武器になるものを携え、持っていない者に渡しながら。
この地に住む者達は都市の歴史から、危機に対する対応を十分に心得ているのだ。
******
そもそもこの自治都市クダヤは政変、迫害などから逃れてきた者達が住み始めたことがきっかけで誕生した都市である。
フィガの大森林を抜けた先にあるこの土地は初め、元々の海が砂や土で埋まり海から離れ、更にフィガの大森林から流れ出す川と合流した湖が点在する、大陸から突き出た地形の湿地帯であった。
人が住むには適さず、また大森林を越えなければならず、近付けない得体の知れない巨木の島も近くにあるということもあって、開拓する労力に見合わないとして放置されていた土地だった。
しかし、行き場を無くした者達は苦労して大森林を抜けて逃げて来たこともあり大森林のそばの湿地で暮らし始めることにした。
決して楽な生活ではなかったが、十数年暮らすうちに住民達はあることに気が付いた。
自分達が使える神の力が以前より強くなってきていることに。
その顕著な変化は湖や海で食料を集めていた者達に最初に現れた。
長く水中に潜ることができ、手や足の指が薄い皮膚でくっつきはじめ水中を早く泳ぐことが出来るようになったのだ。
彼らは“水”の一族と呼ばれるようになった。
その後も、目が大きくなり耳も伸び遠くの音を聞いたり見たりすることができる“風”の一族。
足が長く大きくしなやかになり早く駆けることができる“地”の一族。
腕が大きく太くなり力がありながらも手先が器用な“技”の一族。
体は小さく髪は真っ白に変化し神の力をどの一族より行使することに長けた“理”の一族。
新たな一族が次々と生まれ、力が強くなった彼らは湿地帯を開拓することにした。
土地をならし次々と家を建設し湿地でも収穫できる作物を育てた。
その頃である。彼らが巨木のある島を神の島と呼ぶようになったのは。
以後そこに住む者達も増え始め、すべての者が各一族ほどの身体的変化を与えられるわけではなかったが、住民はこの土地で暮らしていると神の力が強くなることもあって湿地帯は村から町へと徐々に発展していった。
皆、神の島のおかげだと感謝するようになった。
それに目をつけたのが湿地帯を自国の領土と見做していたフィガの大森林を挟んで反対側にある国、ミナリームである。
ミナリームは自国の領土としてそこに領主を派遣し税を徴収する事、力の強い者達は兵として徴兵する事を住民に通告してきた。
そこで暮らす者たちの事をいくら個々の力が強いとはいえ自分達の兵力には敵わない異形の者として見くびっていたのだ。
当然住民達は断固としてその要求をのまなかった。
自分達がこの場所で暮らすようになったのも、元はといえばその国から理不尽に追い出されたようなものであるし、実際はどの国にも属していない、放っておいた湿地帯が豊かになった途端権利を主張してきたのも許せなかった。
相手国が武力行使をしてきてもクダヤの民は徹底的に抗戦した。湿地・大森林の地の利を活かし、神の力を活かし住民総出で戦った。
その内、陸からの攻撃では埒が明かないとしびれを切らしたミナリーム側は海からの同時侵略を開始。大小様々な船を何百隻と用意し海岸から海に突き出た形の湿地帯を挟み込むように向かった。
しかし、湿地帯の住民は恐れていなかった。こちらには“水”の一族がいるのだ。
一族は海に潜んで相手の船団が来るのを待った。そして小さな船から確実に沈めていった。
大きな船だけが残り数十隻となって湿地帯に近付いてきた時それは起こった。
船が海水に包まれて高速で押し戻され始めたのだ。それらはあっという間に見えなくなり、気が付いた時にはあたり一面凪いだ海が広がっていた。
住民は歓喜した。神が守って下さったと。
ミナリームはその結果を受け表向きは湿地帯から手を引くことにした。自治を認め、交易を通じ力ではなく流通の面で支配しようとしたのだ。
しかし、“理”の一族がそれを許すわけはなくミナリームの思い通りにはいかなかった。
その為、神の島の力を知った他の国々と同様何かと裏から自治都市に干渉をしてくるようになった。
自治都市クダヤとしては中立を掲げどの国とも一定の距離をとることにし、住民すべてに脅威に対して自分のできる役割を果たすという事を小さい頃から教え込むようにした。
常に周りの国に狙われている――、長年そんな状態の為にクダヤに住む者は脅威というものに耐性がついているのである。
******
「じゃあ武器なんかを取ってくるから母さん達は簡単に食料をお願い」
各自自分の役割を果たすために動き出す。学校は“地”の一族の人達が街を見回るだろうからそちらに任せて自分の出来ることをする。
部屋に入りいちおう革の鎧を着け、稽古くらいでしか使わない剣を腰に手早く準備を進める。
(じいちゃんは自分で用意するだろうから……母さん達はこのナイフでいいかな)
準備を終え玄関に向かうと、祖父は大きな木の樽をいくつも荷車に乗せていたところだった。
「じいちゃんが食料の準備してるの? 多くない?」
「いや、こちらを頼むと言われてなあ」
祖父が困ったように笑っている。
(嫌な予感がする……)
その時、母達が現れた。
……完全武装していた。
母は銀色に輝く大盾を左手に持ち、フレイルを右手に“技”の一族が作ったであろうチェインメイルで頭から膝までを覆っていた。
祖母は大盾は持っていないにしろ真っ白なローブをはおり両手で自分の身長以上のメイスを持っていた。
……あのメイス迫力ありすぎないか? どんなダメージを与えるつもりなんだろうか……。
近接武器に白いローブってありなのか? 返り血が……。いや、それより大盾……。どんな一撃を想定してるんだよ……。
俺は今混乱している。
「えっと、避難指示が出たけどね……? 何と戦うつもり……?」
恐る恐る尋ねてみる。
「ふふふ。避難指示なんて久しぶりだったからつい」
「今回はどこの馬鹿でしょうねえ、お義母様」
2人はまるで上品に午後のお茶を楽しむかのように語り合っている。
「神の島見たよね? きっとあの光の柱が関係してると思うんだけど……」
今だ消えていない光の柱を見つめながらそう答える。
「まあいいじゃない! 備えあれば何とかってやつよ! さ、お義母様お義父様行きましょうか!」
肩をバンバン叩かれながら年甲斐もなくウインクされてしまった。
ちらちらと周りのこちらを窺う視線を感じながら母達の後に続き祖父と一緒に荷車を引き城壁へ向かうことになった。
(何事もなければいいなあ……)
ちなみに祖父は豪華に装飾された飾り物のレイピアを渡されていた。