ある男の回想録38:神の店
まずい。
まずい。
まずいまずい……!
このままでは店内に俺1人取り残されてしまう……!
俺が他国の間者の尾行を撒けるはずがないからカセルに同行するのは無理だ。
かといって領主様が間者を捕らえる現場なんてもっと無理だ。
「カセルさんはミュリナさんライハさん達にそれとなく身辺に気をつけるよう伝えてくれますか? ミュリナさんのところは大丈夫そうですけど」
「さすがですね~。隠し事なんて無理ですね!」
「エスクベル様と守役の力はすごいんです」
なんでカセルはそんな楽しそうなんだよ……!
後をつけられるところだったんだぞ!
「あと正式に店の管理者に関しての返答は聞いていませんが、もし外出ができるようなら一度お店に来て頂く事は可能かどうか聞いてきてください。ジョゼフさんお1人でも結構ですので」
「かしこまりました」
「サンリエルさんはお互い痛い思いをしないように気をつけてください。情報を引き出せない場合は私から守役に尋ねてみますから。もちろん言える事と言えない事はありますが」
「お心遣いありがとうございます」
隠し事など一切できない力は改めておそろしい。
「ではお2人ともお気をつけて」
しまった! 神に連なる方々のお力に畏れを抱いている場合じゃなかった!
「あ、あの……!」
勇気を振り絞ってヤマ様にお声を掛ける。
「どうしました?」
「あ、あの、俺1人ではヤマ様のお店の役に立つことが出来ませんので……あの! 姉を連れて来ても良いでしょうか……!?」
ああ……情けない……。身内に頼るなんて……。
でも自分1人よりはましだ……!
「姉はあんな感じですが女性の好みにもいちおう精通しているはずです! 守役様がいらっしゃいますのでご不便に感じるとは思いますがどうかお願いします……! カセルが戻ってくるまででいいんです!」
慌てて付け加える。
姉がいれば変な客が来ても軽くあしらってもらえるだろう。
そしてカセルは笑うな。
「……わかりました。カセルさんにアルバートさんのご自宅に寄ってもらいましょうね」
なんだ……? ヤマ様がこちらを優しい顔で見つめながら何度も頷かれているのは……?
「アレクシスと俺が店に到着するのが同じかもしれねーけどいちおう言ってみるわ!」
笑うな!
にやにやしながら裏口から出て行ったカセル。
領主様はじっとこちらを見ていたが気付かないふりをした。
「も、もう店は開けますか?」
何か仕事を見つけるんだ……!
「そうですねえ、アレクシスさんかカセルさんが到着するまで待ちますか? あ、少しお待ちください」
ヤマ様が再度神のお言葉を話し始めた。
俺から意識が逸れてどこかほっとする。
守役様達はじっとこちらを見ていたが、気付かないふりをして飾られている花を少し手直しする。
どこも乱れていないが。
炊事場の掃除でもしようかと思い始めた所でヤマ様から声をかけられた。
「少し休憩してから店を開けましょう」
「は、はい」
そうだよな、ヤマ様だって準備でお疲れのはずだ。俺って気が利かないな……。
挽回する気持ちで急いで炊事場に走り込む。
そして俺の出来る限りの手際の良さで準備を行う。
「ありがとうございます。上で待っていてもいいですか?」
「はい! 後程お持ちします!」
助かった、これで少しは1人の時間が確保できる。
ひと安心して再度準備に取り掛かろうとすると視線を感じた。
そおっと炊事場の入り口に目をやると、白い守役様を頭にお乗せになった手先の器用な大きな守役様がこちらを見ていた。
「あ、あの……?」
「確認のようですからお気になさらず。その守役は穏やかですので大丈夫です」
言い換えれば穏やかではない守役様がいらっしゃるって事ですよね……。
その大きな守役様はヤマ様と抱き合った後どすんとその場に腰を落ち着けられた。
見ていると眠くなってくるお方だな……。
「……確認よろしくお願いします」
挨拶をしてから作業に集中する事にした。
守役様の分もあるからたくさんお湯を沸かそう。
領主様お手製のお菓子を切り分けている所で階段からヤマ様が降りてくる音が聞こえた。
しまった、急げ!
「――――そろそろいらっしゃいますよ」
大きな守役様と神の言葉で会話し、次に俺に話しかけてきたヤマ様。
「え? そろそろ?」
カセルが戻って来るにはいくら何でも早すぎるし、姉にしたってそうだ。
何のことかわからず戸惑っていると店の扉がノックされた。
「はーい」
笑顔で扉に向かうヤマ様。
こちらに一瞬見せた表情がどこかカセルと重なって見えた。
「ヤマチカちゃん、また会えて嬉しいわ。おめでとう!」
「開店祝いを持ってきたわよ」
「大人数で押しかけて申し訳ないね」
「ならギルバートは帰ってもいいのよ?」
「イシュリエ、私の希望でついて来てもらったんだから」
え……?
「アルバート、しっかりお手伝いしているの?」
「カセルから話を聞いたわよ。姉さんに任せなさい!」
「人の手を素直に借りる事が出来るというのは良い事ですよ」
最強の家族がきた。
……思っていた何倍もの戦力になってしまった。
「姉さん……早くない?」
「こっちに向かってる途中でカセルに会ったのよ」
「向かってた?」
そう聞き返すと、母が素早く扉に近付き外の様子を窺った後、祖母に目で合図をした。
どこの戦場なんだよ……。
「イシュリエがちょうど知らせに来てくれていたのよ。……間者の話は聞きました」
原因がわかった。
祖母の事が大好きな1人の婆さんの仕業だった。
ヤマチカさんの素性までは話していないだろうが……。仕事は……?
「あの子も御使い様の事となるとだめねえ。騒ぎになってしまうなんて」
「そうねローザ。こればっかりは私達にはそこまでわからない感覚よね」
「領主様がすぐ捕まえて下さるから安心してね!」
「はい」
にこにこと嬉しそうなヤマ様。
ちっとも驚いていないところをみると、守役様からあらかじめ知らされていたんだろう。
あっだからあの時のあの表情を……!
一気に華やかで騒がしくなった店内。
俺は常に祖父の近くにいられるようにし、女性達のおしゃべりに巻き込まれないようにした。
「――そうそう、以前購入したカリプスの代金の一部を渡しておくわね」
「ありがとうございます。今回美味しいカリプスがたくさん収穫できましたので宿を提供して頂いたお礼に――」
炊事場の棚に置いてあるバスケットを取るヤマ様。
すんなりとはいかなかったが、前回のカリプスに関しては結局街で買い取る事に祖母が頷いたのでヤマ様も安心されるだろう。
「こんなに?」
「何故か異常発生に近い実の生り方でして。神のきまぐれとはまさにこの事でしょうね。神が姿をお現しになった事と関係があるのかもしれません」
にこりと答えるヤマ様。
俺もヤマ様のようにさらりと上手なごまかし方が出来るようになるぞ……!
しかし違う世界の神の話題が出た事により一層盛り上がってしまった女性達。
神と御使い様を褒め称える家族にヤマ様が困っているのがわかり、申し訳ない気持ちでいっぱいに。
特に祝祭最終日のヤマ様のご様子を時系列に沿ってご本人に報告するのはやめてくれ。
「あ、あのさ! そろそろお店を開けた方が……」
祖父の背中に隠れながら提案する。
俺1人だけ立っていたから隠れるも何もないが。
「あら。つい話が盛り上がってしまったわ」
「そうね、お菓子も食べ終わったし。領主様お手製のお菓子美味しかったわ――ほんと領主様も力の注ぎ方が極端ですよね」
「そうですね。やはり領主という存在そのものが――」
今度は領主という存在が生まれる不思議についての話で盛り上がっている女性達。
ヤマ様も今は興味深そうに聞いている。
楽しそうにしているヤマ様の邪魔をするのも気が引けたので、いつ店を開けてもいいようにもう一度商品の確認をする事にした。
「アルバート、手伝うよ」
その時祖父がいつもの穏やかな笑顔で手伝いを申し出てくれた。
「あっすみません! 自分でやります! ギルバートさんは良ければこちらで座ってお店の開店を見守って頂けませんか?」
「そうですよ! お祖父様はこちらでどんと構えていてください」
……やはり祖父はすごい。
貴族としての教育を施されたからなのか、声高に主張しなくとも周りが自然と祖父を尊重する言動をとる。
俺の家族は祖母の態度を見ているから自然とそうなるが、ヤマ様までとなるとやはり祖父の持っている素養が関係しているんだろう。
「まったく。仕事ができる人間に任せて年寄りは座ってなさいよ」
イシュリエ婆さんはそんなの全くおかまいなしだけどな。
「――では表の看板を営業中に変えてきます」
最終準備を終え、店員役の俺と姉に神妙な顔つきで宣言するヤマ様。
ウインクで答える姉と、木の値札を改めて確認する俺。
こちらの字が書けないヤマ様に代わり俺が急遽書いた物だ。
字の乱れが俺の心を物語っておりすぐさま取り下げたかったが、ヤマ様が「味があって素敵です」と何故かお気に召されたようなのでそのまま置かれている。姉も何故か気に入っているようだ。
領主様に見つかるのも時間の問題だろうな……。
少し緊張した様子で通りに面した出窓を開き、看板を変える為外に出て行ったヤマ様。
神の愛し子、御使いであるヤマ・ブランケット様の店がこの日クダヤに誕生した。




