十海 遥斗と水無月 紗綾
「悪夢」についてのお話です。
もともとは友達の作った設定をお借りして書いていたものですが、書いてるうちにどんどん改変した結果、元の設定とは微妙に(かなり?)違う設定になりました。
アメコミ原作の実写映画みたいなもんです。
このお話が誰かの暇しのぎになれば幸いと思います。
何年前からだろうか、
私は眠るのが怖くなった。
正確には、「夢を見るのが」怖くなったのだ。
いつからか、私が眠りにつくと、毎晩決まって同じ光景が現れるようになった。
どこまでも続く、草一つ生えていない夜の砂原。
そして私は、ある「怪物」からひたすら逃げ続けている。
それは一定の姿を持たず、
時に人のようでもあり、
また獣のようでもあった。
しかしそれは確実に、自分にとって良い存在ではなかった。
耐え兼ねて家族や医者に相談したが、
「ストレスのせい」とか、
「疲れてるんだろう」と言われるだけで、
大して変わる事は無かった。
母は心配してよく手をかけてくれたが、
それでも、私の苦しみを真に感じてはくれなかった。
徐々に学校生活にも影響が及びはじめ、私は心を落ち着ける場所を亡くしていった。
ある時医者が
「周囲の環境を変えることによっていい方向に動くこともある」
というような事を言って以来、
何度か家を変え学校も転々としたが、
結局あの「怪物」は消えることは無かった。
「もしあの怪物に追いつかれ、捕まってしまったら・・・」
近頃、そんな恐怖が頭をよぎるようになった。
実際にあの「怪物」は、日毎に迫ってきているのが私にはわかっていた。
でも、それを誰かに相談したり、打ち明けようなどという気はもう無かった。
どうせ、わかりっこないんだから。
「紗綾、明日は新しい学校なんだから、今日くらい早めに寝なさいよ」
「・・・・うん」
水無月 紗綾は、
PCの画面から目を外さないまま、母の言葉に生返事をした。
「・・・眠れるなら、とっくにそうしてるよ」
そうつぶやきながら、紗綾は手元のコーヒーを口に流し込んだ。
まぶたは恐ろしく重い。
視界も半ばぼやけている。
腕もだるくて動かない。
それでも紗綾は、何とかして意識を保とうとしていた。
目を覚ますために好きでもない音楽を耳にガンガンとねじ込み、
とにかくキーボードを叩き手を動かす。
「もう一回シャワー浴びてこようかな・・・」
そう言って立ち上がり、ドアノブに手をかけ、数センチほど開いた所で動きが止まった。
その隙間の先には、明かりの消えた廊下の闇が広がっていた。
歩き慣れたはずの廊下なのに、
どこか知らない真っ暗な世界へ落ちてしまいそうな気さえした。
一歩足を踏み入れたら、もう逃げられない、ただただ暗く恐ろしい世界―
いつもなら「くだらない」で済ませられる妄想も、今の紗綾を引き留め、
呼吸を荒げ震わせるには充分過ぎる力があった。
「・・・・高校生にもなって・・・我ながら情けないよ」
紗綾は、ふうっとため息をついた。
視界には、果てしなく続く砂原だけがあった。
木や水など、およそ生命を感じられるものは見当たらず、
真っ暗な空には、太陽はおろか、月すらも出ていなかった。
突如、背後から声が聞こえた。
唸り声とも悲鳴ともとれる、とにかく敵意を持った悍ましい声。
恐る恐る振り向くと、
そこには「怪物」がいた。
人と獣の臓物や爪、頭部などを無造作にくっつけたような、
まさに「怪物」と言うべきものだった。
少女は小さく悲鳴を上げ、「怪物」から急いで離れた。
「怪物」は頭のひとつを少女の方へ向けると、突然恐ろしい速さで走り出した。
それに気づいた少女は全速力で駆けたが、
「怪物」はみるみるうちに少女に迫り、
気づけば、あとほんの少し手を伸ばせば掴めるという距離まできていた。
「はっ・・・・・ はぁっ・・・・・・・・」
目で直接見なくとも、「怪物」が背中に触れようとしているのを感じる。
これ以上、走れない。
もう限界だ。
目を開けると、カーテンの隙間から漏れる陽光が突き刺さってきた。
座椅子は変な角度に曲がり、電源を入れっぱなしのPCがほのかに熱を帯びている。
呼吸が浅くなり、心臓の鼓動がハッキリと聞こえる。
着ていた服は下着までぐしょぐしょに濡れていた。
「・・・そろそろ、ダメなのかなあ」
「今日からこの学校に転入することになった、水無月君だ」
「水無月 紗綾です・・・よろしくお願いします」
もう何度目かわからないクラスの人達からの
「よろしくー」という声に、紗綾は力なく笑みを返した。
「君の席は、十海・・・あそこの、ヘッドホン男の隣だ」
「わかりました」
そう言うが早いか、紗綾はふらふらと自分の世界に入っているヘッドホンの隣へ歩いていき、
バッグを置いて机に突っ伏した。
「えっと・・・・ 皆、仲良くしてやってくれ」
「よろしくね水無月さん、私・・・ 水無月さん?」
朝のHRが終わり、休み時間に入った時には、紗綾は既に寝息を立てていた。
夢に「怪物」が出るのは夜に寝た時だけで、昼寝の時には出ないという事に気付いて以来、
紗綾の生活サイクルは、
「夜我慢して、学校で寝る」という昼夜逆転型にほぼ固定されていた。
もちろん故意に学校で寝ているわけではなく、
夜に寝る恐怖心からの徹夜が続き、
その疲労が蓄積された末に起こる、
いわば必然的な体の防衛本能ともいえるものだった。
何人かの生徒が紗綾に話しかけたが、
結局紗綾の意識を呼び戻すには至らなかった。
「ん・・・・・」
「あ、やっと目ぇ覚めた」
寝ぼけ眼で声の主を探すと、
隣の席のヘッドホン男子がこちらを見ていた。
「・・・・今って・・・」
「昼休みだよ。転校初日に午前いっぱい寝倒すってのはなかなか勇気あるなあ」
そう言ってヘッドホンは呆れ気味に笑ってから、
紗綾の机に飲み物の缶をごん!と置いた。
きょとんとしている紗綾を見て、ヘッドホンは言葉を続けた。
「僕の元気の源だ。まあ飲んでみな、顔色悪いよ?」
紗綾はとりあえず言われたとおり缶を開けて飲んでみた。
中身はただのホットチョコレートのようだが、
空腹のせいか妙に体に染み渡り、ほんのりと元気が湧いてくる気がした。
「・・・ありがとう、 えーと・・・十海君だっけ」
「ああ、十海 遥斗って名前だよ」
「ありがとう、遥斗君。なんだか落ち着いた」
遥斗は少し照れくさそうに笑って、
「午後は寝ない方がいいよ、家庭科の先生うるさいから」と言った。
帰りのHRが終わってから、紗綾は担任の先生に呼び止められた。
「クラスはどうだ?楽しくやっていけそうか?」
「はい、なんとか」
「そうか・・・午前中はどうしたんだ?体調が優れなかったようだが」
「あ・・・・えっと」
紗綾は言葉を詰まらせた。
「ちょっと・・・寝不足で」
悪夢だの「怪物」だのと話す気は起きなかった。
言っても笑われるのがオチだというのは、
今までの経験で嫌というほどわかっている事だ。
「(結局・・・今日まともに話せたのは遥斗って人だけだったなあ)」
帰り道の途中、紗綾はふと足を止めた。
「(やっぱり今回も、ダメなのかな・・・
今回も、皆とまともに話せないで、
怪物も結局消えないで、また次の所へ行くだけなのかな・・・
この次も、そのまた次も、結局意味無くて、
最後は怪物に追いつかれて、食べられて、
おかしくなって死んじゃうのかな・・・・・)」
恐怖が身を包んでゆく。
胸が締め付けられ、
頭は中に鉛が埋まったように重くなり、
体の芯がひくひくと痙攣しはじめ・・・・・
「よっ!」
不意に、
ばしいん!と背中を叩かれ、紗綾は現実に引き戻された。
「あ・・・」
「聞いてたよー、寝不足なんだって?」
声の主は、遥斗だった。
「十海君か・・・・・うん、ちょっとね」
「あれ、さっきは名前で読んでたのに・・・まあいいや、はいこれ」
そう言って差し出したのは、例の缶チョコレートだった。
「これって、昼のチョコレート・・・?」
「そ!寝付けない時は、それをあっためて飲むといいんだよ。
体が暖まるし、なにより心が落ち着くんだ
きっとよく眠れるよー」
「・・・・・・・・・・・」
このチョコレートを飲んだ程度で「怪物」が消えるとは
到底思えなかったし、あまりよく眠れるとも思えなかった。
しかし、昼に飲んだ時に確かに心は落ち着いたし、
なにより遥斗があまりに満面の笑みで缶を突き出してくるので、
紗綾はとりあえず受け取る事にした。
夕飯を終えて部屋に戻った紗綾は、
いつものように座椅子に座りPCの画面と向き合っていた。
「この近辺の病院・・・ 大体全部行ったしなあ」
「目を覚ます方法・・・ 同じような方法しか出てこない」
「悪夢 原因・・・ このページは前にも見た」
何度検索しても、今の自分にぴたりと当てはまるような症状は出てこなかった。
こんな事をかれこれ1年近く続けていた紗綾は、既に半ば諦めかけ、
ついには軽く自殺まで考え始めるようになっていた。
「ストレス 心を落ち着ける・・・ ホットミルクを飲むといい、か」
不意に、遥斗にもらった缶の事を思い出す。
「チョコレート ストレス、解消・・・ へえ」
紗綾はバッグから缶を取り出し、蓋を開けてみた。
甘い香りが広がり、鼻を通り頭の中へ染み込んでいく。
一口飲んでみると、体の中心部まで甘みが行き渡っていくのを感じる。
ほうっと息をつくと、
今まで体の中で自分の居場所を忘れさまよっていた何かが、
全てを思い出して定位置に戻っていくような安心感が湧いてくる。
心が落ち着いてくると、今まで緊張や恐怖で覆い隠されていた疲労が顔を出し、
一斉に体にのしかかってきた。
座椅子に体を投げだし、
自分でも驚く程の巨大な疲れと、不思議な幸福感とを感じながら、
紗綾は自分のまぶたが下がり始めていることに気づいた。
「(あ・・・・ まずい、これは・・・・・ 寝ちゃう・・・・・・――――)」
無限とも思われるような広大な砂原の中心に、少女は佇んでいた。
少女は辺りを見回したが、やはりそこには草一本さえ生えてはいなかった。
少女が歩きだそうとした瞬間、水気のある不快な唸り声が響いた。
声の主を探そうとすると、突然少女の目の前に異形の「怪物」が現れた。
少女は思わず声を上げ、逃げ出そうとしたが、
走り出して直ぐに何かにつまずいて転んでしまった。
「怪物」はゆったりとした動きで、少女の目前まで迫っていた。
しかし、そこで「怪物」の歩みが止まった。
「怪物」はその場で立ち止まり、
何かを探し回るように辺りを見回したかと思うと、
目の前にいる少女には目もくれず、まるで見当違いな方向へと走っていった。
少女は、「怪物」が向かった先に、一つの人影を見た。
顔はハッキリとは見えなかったが、
どこかで見覚えがあった。
もっとよく見ようと目を凝らしたが、
直ぐに人影は遠のき、「怪物」共々見えなくなってしまった。
「・・・・・・・んん」
朝焼けを包んで、カーテンが薄赤く光っている。
紗綾は仰向けの姿勢のままそれを眺め、
しばらくの間ぼおっとしていた。
どうも、昨晩の事がハッキリと思い出せない。
正確には、昨晩の夢が。
いつもなら、砂原の光景や「怪物」の姿、
自分がどれだけ走り、疲れたかも鮮明に覚えているのに、
今日の夢はどうも曖昧で、
砂原でいつものように追われていたのはうっすら覚えているが、
その先がどうしても思い出せない。
意識はまだ朦朧としていたが、もう一度寝ようとは思わなかった。
「あっ!水無月さん、おはよー!」
「お、おはよう」
教室に入って一番に、クラスの女子に声をかけられた。
「ねえねえ、昨日はどうしたの?ずっと寝てたみたいだけど」
「あっ、 えーと・・・」
内心、「またこれか」と思った。
転校する度に、必ず一回はこの質問をされた。
「ちょっと、生活リズムが乱れてて」
紗綾は、決まってこう答えるようにしていた。
最初の方こそ悪夢の話を打ち明けていたし、皆もそれなりに真面目な顔で聞いていた。
しかし夢である以上、その苦しみは絶対に共感できるものではない。
そのうちに、周囲からはだんだんと「被害妄想の激しい面倒な奴」のように見られ、
離れさっていくのだ。
席について一息つくと、隣からのんびりとした声が聞こえてきた。
「おはよ、夕べはよく眠れた?」
紗綾は返答に詰まった。
夢をあまり覚えていないということはよく眠れたのかもしれないが、
特に疲れが取れてスッキリしたという感じもない。
「あ・・・うん、よく眠れた方、かな・・・・?」
「・・・本当に?」
紗綾の曖昧な返答を聞き、遥斗は怪訝な顔をして紗綾を見つめた。
その目をまともに見るのがなんとなく憚られて、
紗綾は少し外方を向いた。
「うん、大丈夫だって・・・
遥斗君も、そんなに私の安眠が気になるの?」
「そりゃあ、君・・・
転校初日からクマ作って、昼休みまで爆睡してるのを見たら、
誰だって心配にもなるよ。それに」
「?」
「もう、すぐそこまで来てるんでしょ?」
ぞぉっとするような感覚が走り抜ける。
紗綾がばっと振り向くと、昨日の笑顔とは違う、
真剣な表情の遥斗と目があった。
紗綾は、その眼差しの先には自分の目ではなく、
もっとずっと奥の、自分の心の底、
意識と無意識の狭間にある何かまで見通されているような気がした。
紗綾はハッキリと感じた。
この人に隠し事はできない。
「 ・・・夢を、見るの」
そう言って紗綾は少し俯いた。
「夢なんだけど妙に怖くて、
何ていうか・・・現実には起こりえないんだけど、リアルな怖さを感じるっていうか・・・
しかもそれが毎晩毎晩、もう何ヶ月も続くから、眠るのが怖くなっちゃって・・・・」
「毎晩ってことは・・・昼寝とかの時には出ないの?」
「うん。都合のいい言い訳みたいだけど、お昼に寝るときは何もないんだ・・・
・・・・・バカみたいだよね、夢が怖くて眠れないなんて」
「そんなことないよ。」
「・・・え?」
紗綾は驚いて顔を上げた。
「バカみたいなんてことはない。
だって君がこんなにも苦しんでるのに、どうして君を嗤えるのさ」
驚きの表情を隠せない紗綾に、遥斗は再び真剣な眼差しを向けた。
そしてあのチョコレートを差し出して言った。
「大丈夫さ!君の中の世界は、君次第で変えられるんだから。」
遥斗の言葉は、何故かはわからないが、紗綾の中に強く響き、
心を落ち着け、安らがせた。
「・・・うん」
チョコレートの缶と、僅かに湧き上がってきた勇気を握り締めて、
紗綾はしっかりと頷いた。
その夜、紗綾は食事を終えると、いつもの座椅子には足を向けず、
押し入れの方へと向かった。
中には、もう数ヶ月も使っていない敷布団が入っている。
「いつからだろうな・・・こんなふうになっちゃったの」
枕にかぶった埃を払いながら、紗綾は呟いた。
座椅子をたたみ、電気を消す。
布団を顎までかぶり、意を決して目を瞑る。
今度こそ、負けるもんか。
どこまでも続く砂原の上を、紗綾は歩いていた。
黒い空には星の光ひとつ見当たらないが、
不思議と暗くはなかった。
風の音もなく、流砂のせせらぎも聞こえない、
滅んだように静かな世界の中をひたすら歩き続けていた。
しばらくして、紗綾は砂の上に突き出た平らな岩を見つけると、そこに腰掛けた。
ふうっと息をつくと、
静寂の中で響く、風の吹くような音に気づいた。
離れたところで獣が吠えるようなその音に、
紗綾は寒気を覚えた。
風の音は徐々に大きくなっていく。
いや、近づいているのかもしれない。
・・・いや、確実に近づいている。
予感が確信に変わった瞬間、背後からすすり泣くような唸り声が聞こえた。
紗綾は弾かれたように立ち上がり、全速力で駆け出した。
「怪物」は凄まじい速度で迫り、
みるみるうちに紗綾との距離を詰めていく。
紗綾が一瞬だけ後ろを見ると、
「怪物」の伸ばした腕は既に目と鼻の先まで来ていた。
紗綾は、その迫り来る腕から目が離せなくなってしまった。
「怪物」の腕は紗綾の顔を目指し、空中を這うように進んでいく。
どれだけ早く走っても、それが遠のく気配は無い。
もう、限界だ。
いくら走っても、この「怪物」からは逃れる事はできない。
「( ・・・・もう、だめだ・・・・)」
紗綾の心に、そんな重苦しい黒が滲んでくる。
頭の片隅にあった、
何をしても無駄かもしれないという予感が、
徐々に膨れ上がっていく。
闇色に染まりつつある心が、それを確信に変えようとしていた。
「(―――私は・・・・
私は、もう、 走れない
もう、逃げられな―) へっ!?」
紗綾の思考は、何かにつまづき転んだ事で思わず中断された。
「怪物」は目の前の獲物を急に見失い、
転んだ紗綾の目の前の砂に頭から突っ込んだ。
紗綾が呆気にとられてその様子を見ていると、
目の前に一人の影が割って入ってきた。
その人影は紗綾の方を向くと、
紗綾の足元を指差して
「やあ、悪いけど、それを貸してくれるかな?」
と言って笑いかけた。
紗綾の足元には、どこかで見たような空き缶が転がっていた。
「・・・・はい」
「ありがとね。
・・・さてとっ」
人影は体勢を立て直した「怪物」の方に体を向けると、
受け取った空き缶を軽く放り投げた。
そして、「怪物」の体めがけて思い切り蹴り飛ばした。
ごぉん!!
と、鈍い金属音が響いた。
アルミの塊は、その軽さに不釣合いなほど重く激しい音を立てて
「怪物」に命中し、その体を大きく吹き飛ばした。
人影は目の前の出来事に言葉の出ない紗綾の手をとり、
すっくと立たせた。
「やあ、大丈夫かい?」
「う、うん、大丈夫・・・・・・・
でも、
なんで十海君がここに・・・?」
紗綾の前にいる人間は、服装こそ見慣れないものだったが、
紛れもなく十海 遥斗だった。
「まあそれは後で話すよ。それよりも・・・」
遥斗は遠くに倒れている「怪物」を一瞥した。
「随分と大きいのを隠してたんだねえ」
「怪物」はむくりと立ち上がると、首をぐるりと遥斗の方へ回した。
「さてと、カウンセリング開始だ」
遥斗はどこからか定規を取り出すと、風を切り裂くように一振りした。
すると定規は鈍い光に包まれ、鋭い短剣に形を変えた。
二人は、お互いを睨んだまま暫く動かなかった。
一瞬の後、遥斗と「怪物」は同時に飛び出し、
白銀の砂を散らせながら衝突した。
力任せに振り回される左右の腕を、
遥斗は短剣で器用にいなしていくと同時に、徐々に肉を削ぎダメージを与えていく。
「怪物」の腕に血のようなものが滲み、動きがだんだんと鈍くなっていた。
苛立った「怪物」は遥斗の頭めがけて力任せに両腕を振り下ろしたが、
遥斗はほんの少し体を曲げてそれを回避した。
代わりに衝撃を受けた地面は、
ぼごぉっ!!
という鈍い轟音を立てて大きく波打ち、
活火山のように砂を巻き上げた。
立ち上る白銀の煙の中で、「怪物」は獲物を探し彷徨っていた。
遥斗はその背後から、音を殺し近づいた。
そして、「怪物」の首めがけ、おもいきり短剣を突き刺した。
「怪物」の肉を切り裂き、体を刺し貫く。
その感触を、遥斗は確かに感じた。
しかし、「怪物」はまるで虫でも止まったかのように、
背中を探り遥斗の位置を確かめると、
巨大な手で遥斗の腕を掴み、
力任せに投げ飛ばした。
「ぐぅッ・・・・・!!」
遥斗は砂煙から投げ出され、地面に叩きつけられた。
その様子を少し遠くから見ていた紗綾は、急いで遥斗のもとへ駆け寄った。
「遥斗君!!」
「心配しないで・・・ちょっと油断しただけさ」
言い終わった途端に、
背中に短剣を突き刺したままの「怪物」が砂煙の中から現れ、
遥斗に向かって凄まじい速度で走り出した。
遥斗は急いで立ち上がり、定規をもう一本取り出してひと振りしながら、
走って紗綾から距離をとった。
短剣を構え直した遥斗めがけて、
「怪物」は左右から丸太のような腕を何度も振りかぶる。
遥斗は短剣を巧みに操りなんとか凌いでいたが、
彼の胴体ほどもある腕の衝撃を完全に流すのは、
誰がどう見ても不可能だった。
何度か攻撃の隙間を縫って体を切り裂いても、
その傷は瞬きのうちに治ってしまっていた。
―――本当に、「怪物」を倒せるのだろうか?
紗綾の中に、そんな不安がよぎる。
「遥斗君、本当に―――」
「紗綾、その先は考えちゃダメだ!!」
遥斗は辛うじて「怪物」の攻撃を裁きながら、
紗綾に向かって叫んだ。
その間にも、遥斗はみるみるうちに追い詰められていく。
紗綾の中に、不安が募っていく。
「遥斗君・・・・・」
「大丈夫さ! 心配しないで――――・・・・ っ!」
次の瞬間、遥斗の体は「怪物」の拳を喰らい、高く宙を舞った。
肩から地面に突っ込んだ遥斗は、短剣を持ったままの右腕を抑えながら、
その場にうずくまっていた。
「怪物」はお待ちかねという風に紗綾の方に体を向けると、
獲物を着実に追い詰めるかのような、
ゆっくりとした足取りで近づいてきた。
一歩。
「(やっぱり・・・ここで捕まっちゃうのかな)」
また一歩。
「(嫌だ・・・・ 捕まりたくない)」
「怪物」が、紗綾の目の前で大きく腕を振りかぶる。
「(嫌だ、それ以上・・・・ 私に近づかないで!!」
「怪物」の腕は、
紗綾の頭に触れる寸前で、
口をついて出た言葉に阻まれるように動かなくなった。
「 え・・・?」
「怪物」はなんとか進もうともがき唸っていたが、
見えない壁に向かっていくら吼えても、
いくら爪を立てても、
いくら体重をかけても、
見ていて滑稽になるほどにその場から前に動くことはなかった。
紗綾が一歩前に出ると、
「怪物」はそれに無理矢理押し出されるように、
足元の砂ごと後ろに下がっていく。
紗綾は、遥斗の言っていた言葉を思い出した。
――君の中の世界は、君次第で変えられる――――
「(・・・・・もしかして、
私が近づかないでって思ったから・・・?)」
紗綾はもう一歩前へ出る。
「怪物」は檻の中の獣のように暴れるが、
それでも紗綾には少しも届かず、見えない壁ごと後ろに追いやられていく。
「(・・・もしこの世界も、あの「怪物」も、私の恐怖心が生んだものなら・・・)」
紗綾はゆっくりと、怪物に向かって左右の掌をかざした。
そして、強く念じた。
「―――あっち行けっ!!!」
その瞬間、「怪物」は見えない巨大な拳に殴り飛ばされたかのように、
凄まじい勢いで吹き飛ばされていった。
「怪物」が立ち上がろうともがく間にも、紗綾は念じ続ける。
「――出て行けっ!」
ぼごぉっ!と体に穴が空く。
「――消え去れっ!」
片足が吹き飛び、体制を崩す。
「――居なくなれっ!!」
ばしゃぁっ!という音と共に、「怪物」の顔が破裂し、
中から黒い液体が飛び散る。
「――二度と、出てこな・・・―っ!?」
とどめを刺そうとした紗綾を、突然息切れと頭痛が襲った。
紗綾はその場に膝をつき、
冷たい汗をかきながら、ボロボロになった「怪物」を睨みつけていた。
「怪物」の体から漏れ出した液体は、
蛇か蜥蜴のように地面を這いながら、紗綾の方へと迫っていた。
それは紗綾の目の前までくると、コップに注いだ水を巻き戻すように
縦に昇っていき、歪な鎌のようなものに成形した。
紗綾は再び離れろと念じようとしたが、頭痛がどうしてもその邪魔をする。
――あと少しで、
あとほんの少しで、この悪夢から逃れられると思ったのに・・・・
「考えたり強く思ったりするのって、結構エネルギー使うんだよ?
それだけ強く念じたら、そりゃあ息も切れるさ」
隣から、聞き覚えのある声がする。
「でもアドリブでこれだけできるんだから、君はかなり強い方だと思うよ。
よくできました!」
のんびりとした、
それでいて何故か勇気を湧かせる声。
「遥斗・・・君・・・?」
「やあ!君の心は、君の力で変えられるって、気付いてくれたみたいだね」
遥斗の姿を補足した液体は、慌ててもとの「怪物」の体へ戻り、
修復を再開しようとしていた。
「あの黒いのは・・・?」
「あいつの本体だよ。
さ、君は休んでて。あとは僕に任せてくれればいい」
遥斗はポケットからシャーペンを取り出すと、掌の上でくるくる回し始めた。
シャーペンはみるみるうちに巨大化し、槍のようなものに姿を変えた。
遥斗は、それを「怪物」めがけて思い切り投げつけた。
ずじゅぅっ!という音をたてて、槍は「怪物」の体を穿ち貫いた。
「怪物」は悲鳴を上げて必死に槍を抜こうとしたが、
次の瞬間、槍は眩い光を放って爆散し、
辺りにインクのような黒い液体が飛び散った。
液体は地面につく前に霧散し、跡形もなくなってしまった。
遥斗はふぅっ、と息をついて、座り込んだままの紗綾に声をかけた。
「さてと、これで根絶完了、と。
さ、立てるかい?」
「・・・ぅ、」
「う?」
「ぅうわあああ~~~っ!!
怖かったよおぉぉっ!!」
「ぅぐふっ!?」
紗綾は遥斗の胴体めがけてがばぁっ!!と飛びかかり、
お腹に顔をうずめびいびい泣き出した。
「あははっ、うんうん、
辛かったね、怖かったね。
よしよし、もう大丈夫だからね・・・・」
二人は、平らな岩の上に並んで座っていた。
「ねえ、聞いてもいいかな」
泣きはらした目をこすりながら、紗綾は口を開いた。
「んー?何かな?」
「あれは一体、何だったの?それに、君は何者なの?」
「あいつは、人の精神世界に巣食う化物さ。
君みたく、不安になりやすい人によくとり憑くんだ。
そんで僕らは、あいつらから君達を守る仕事をしてる。
僕らは想像の力で、
普通は武器に使わないようなもの―例えば文房具とか―を武器に変えて、
あいつらと戦うんだ」
「僕ら・・・って事は、遥斗君だけじゃないの?」
「うん、僕らは組織でやってるんだ。
化物側も、一匹や二匹じゃあないからね」
紗綾はそれを聞くと、少しだけ視線を落とした。
「・・・じゃあ、私みたいに苦しんでる人は他にもいるんだ」
「うん。少し安心した?」
遥斗はそう言って、いたずらっぽく笑った。
紗綾は一瞬だけ答えるのを躊躇ったが、やがて小さな声で
「・・・・・・・ちょっとだけ」
と答えた。
「あの化物、もう出てこない?」
「うーーん、そうだなあ」
遥斗はあごに手をあててしばらく考え込んだ。
「絶対に出てこないとは限らないね。
これから先、また君の中に不安やストレスなんかが溜まってくと、
それを餌にするあいつらが、また現れるかもしれない。
でも、意識しなければ大丈夫だよ」
「意識しなければって言われても・・・」
そう呟いて下を向いた紗綾の額に、遥斗はそっと人差指を置いた。
「悪い夢は、忘れてしまうのが一番。さ、目を閉じて」
紗綾は言われるまま目を閉じた。
「忘れてしまうって・・・何を?」
「全部さ。ここで見た物、起こった事、全部」
「全部って事は・・・・君に、助けてもらったことも?」
「うん。でも、また明日学校で会えるよ」
それを聞いた紗綾は、少しだけ目を開いた。
そして遥斗の目をじっと見つめた。
「どうしたの?」
「もう一回だけ、君を頼ってもいい?」
「もう、甘えん坊なんだから」
呆れたように笑いながら、遥斗は紗綾を包み込むように抱きしめた。
紗綾は胸が温まり、満たされていくのを感じながら、再び目を閉じた。
「ありがとう」
朝日を浴びたそよ風が、心地よく頬を撫でる。
ぼぉっとする頭の中を吹き抜け、目を薄く開かせる。
上体を起こし、感情の抜け落ちたような感覚に浸っていると、
徐々に意識がはっきりとしてきた。
「・・・・・あれ・・・・」
寝る前に何をしていたのか思い出せない。
確か、寝る前にホットチョコレートを飲んで、
PCの電源を落として、
久しぶりに布団を敷いて、・・・
「・・・・なんで布団を敷いたのが久しぶりなんだっけ・・・・?」
昨日の夜から、今日の朝までの記憶がすっかり抜け落ちている。
寝ていたのだから当たり前かもしれないが、
それでも何故か、頭から「何か」が抜けているような感覚があった。
しかし不思議と、それで不安になるようなことも無かった。
「おはよう」
「あっ、おはよう水無月さん!今日は元気そうだねー!」
そう言ってニコニコしている女子の言葉に、紗綾は首を傾げる。
「えっ?」
「ほら、昨日今日って、元気なさそうだったから」
「・・・・そうだったっけ?」
どうにも思い出せない。
おおまかな概要は覚えているが、
探していたものに近づこうとすると、急に靄がかかったように、
その先が見えなくなってしまう。
「・・・え、えーと、実はあんまし覚えてないんだ。
ほら、転校したばっかで緊張してたし」
紗綾はそう言ってクラスメイトと自分をなんとか納得させようとした。
「あははっ、なんだ、そういう事だったの!
早く慣れるといいね!」
なんとなく理解してくれた様子のクラスメイトを見ながらも、
紗綾は靄の中を駆け回り続けていた。
「やっ、おはよう!元気そうだね」
「おっ、・・・・おはよう・・・」
遥斗の声を聞いた紗綾は、思わず身を固くした。
何故かはわからないが、クラスメイトと同じ言い訳は通じない確信があったからだ。
数日の空白をどう説明しようか悩んでいると、
遥斗が何かを確かめるように紗綾の目を覗き込んできた。
「( ・・・あれっ・・・・?)」
その目を見た瞬間、妙な感覚に襲われた。
既視感というものなのか、
まるで、ここでは無い遠い遠い場所で、同じ目を見たような・・・・
「・・・遥斗君、もしかして、どこかで会った事ある?」
「 やだなあ、昨日もあったじゃない!」
「いや、それはそうなんだけど・・・・・うーん」
いまいち腑に落ちない紗綾を、引き戻すように遥斗は言った。
「そんなことより、準備はできてるの?」
「準備・・・?何の?」
「何のって・・・決まってるじゃないか。今日一日のさ。
筆箱はある?教科書は持った?お昼ご飯も用意した?
やっと起きられたんだから、これからしっかり満喫しなきゃね!」
長い、長い夢を見ていたような気がする。
それも悪い夢を。
あまりに長く、生々しい夢。
そこが夢か現実かもわからなくなるような、気の遠くなるほど長い夢・・・・・
正直、今もその夢から抜け出せたと確信することはできない。
今立っているこの場所が、まぼろしでないとも言い切れない。
でも、少なくとも、悪夢ではない。
「紗綾、シャーペン貸してほしいんだけどさ・・・」
「遥斗君・・・・これで何本目?今月だけで7本も無くしてるの?
それも自分のじゃないし」
「あはは・・・」
この日常が、いつかの夢の続きだとしても、
こういうのも悪くないかも・・・と、今なら思える。
おわり
以上、第一話でした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
このお話は、一応結末を考えてはありますが、そこに至るまでの道はほとんどノープランです。
ちまちまと続けていくつもりです。