1-2 スタートダッシュ
時代や文化によっては一夫多妻性が良しとされるように、子孫繁栄という観点から子供の安全というモノの価値は基本的に高い。子宝という表現が現代にも根強く残っている事からも、この価値が低下していない事はよく伺えるだろう。本能的にも、子供の安全の優先順位は極めて高いといえる。迷子探しを『たかが』と思えるのは、治安のよさに危機感を薄れさせているということで、いかに現代人が平和呆けしているかの証明といえる。
それを考慮に入れると、果たしてどのような対価を求めるのが正当であったのかアキラには判らなかった。着陸態勢へ移行する旨のアナウンスを聞き流しつつ、チュートリアルをスキップしてしまった事への自己正当化を自分にし、心の中でため息を吐く。
後悔するよりも、得た情報を精査する方が有益だ。
まず、少女の母親はアキラを即座に冒険者だと断定した。つまり、言動または発音のニュアンス、装いなどから客観的に冒険者であると判断できたか、システム的に彼女には冒険者である事が筒抜けであるか。
改めて自分の服装を見てみると、『布の服』という名称の豪華さの欠片もない質素な上下と、布の靴という頼りない防具だった。メニューウィンドウを呼び出して改めて確認したところ、それらが防具扱いとして装備状態を示す『E』マークが表示されている。他に持っているものといえば、同じく装備状態の冒険者の杖とメニュー左下に表示されている千crのみだった。下着さえない。道理で圧迫感がないわけだとようやく意識した。
この装備から冒険者であると見抜かれたのならば、大きく二つの可能性が考えられる。
ひとつは、単純に貧相な装いの人間が秘匿魔法技術の飛行船に乗船しているというアンバランスさから推測された可能性だ。見た目からなのか装備の品質や性能からなのかは判りかねるが、後者であるならもうひとつの方の可能性にも分類できるだろう。
もうひとつは、相手の装備の性能や品質などの情報を見抜く事に成功した可能性だ。アキラは何気なく周囲の人物を伺ってきたが、少女の服に対してさえ失敗した。そのようなシステムが存在しないのか、専用スキルを所持していないせいか、装備のランクが高いからか、装備者の秘匿能力が高いからか。理由は数多に考えられるが、結果は変わらない。
願わくば後者であって欲しいものだと、これ以上の考察を打ち切った。判断材料が不足しているからだ。
ゲーム開始直後の装備で冒険者と判断されたのならば、十中八九、プレイヤーの立ち位置は冒険者なのだろう。キャラクター作成時に職業やクラス、ステータス、スキルなどゲームでお馴染みの設定がなかったことも考えると、プレイヤーキャラクターの初期設定は横並びであると考えられる。この世界での自分の体——アバターの生成も、リアルトレースを元にした特徴の自動強調だ。能動的な設定は、種族と名前の決定くらいだった。その種族の設定にしても、ごく微量のステータス補正がある程度で、キャラクターを育てるにつれその差は埋まっていくという。
ゲーマー的観点からすれば、そのごく微量な差を突き詰めた特化キャラというものに魅かれない訳でもない。しかし、事前情報皆無のこのタイトルで特化キャラを序盤から目指すのはリスクが高すぎた。どれほど事前情報が不足しているかというと、ネット上のあらゆるデータを検閲し、削除して回るBotが存在するとさえ噂されるほどだ。そのBotはアキラが公式から作成を依頼されたのだから、噂は間違いなく正しいのだが。
はずれを引くリスクを回避し無難に適応できるであろう、多種族と比較して優劣のない種族・ヒューマンをアキラは選んだ。誰に向けるでもない正当化を脳内再生し、思考の脱線を修正する。
冒険者という職業、あるいは生き様は、MMORPGというジャンルにおいてかなりポピュラーな存在だ。初期のRPGでいうところの勇者といったところか。場合によっては万を超える人間が同時に一つの世界で遊ぶMMORPGというジャンルにおいて、誰かひとりを特別優遇すればゲームバランスに支障を来す。かといって全員が全員『勇者』では、学芸会の登場人物の八割が桃太郎といった混沌と同じような状況になりかねない。そこで昔のゲームデザイナーがひねり出したのが『冒険者』だ。
『冒険者』は秘境やダンジョンを冒険して一般人では入手困難なアイテムを手に入れたり、強大なモンスターと戦い稀少で強靭な素材を入手したり、人々の悩みの種を解決して報酬を得るなどして思い思いに日々を過ごす、異端者だ。常識や価値観が世間のそれと異なっていてもさほど不自然ではなく、常人にはない知識や技術を身に付けていても、異文化出身と言われれば納得できる。何とも都合のいい立場である。
また、とある傭兵の『私も昔はお前のような冒険者だったが、膝に矢を受けてしまってな』という名台詞にもあるように、妻子を持ち、定住するようになって冒険者時代に培った知識や技術を用いて職に就くことも、選択の一つだろう。
自分の立場が見えたことで、ゲームへの理解が深まる。
もうひとつ注目すべき点がある。クエストと報酬についてだ。今回は受注そのものを失敗したが、解決の後から報酬を要求できるというのは、ゲームのプレイを円滑にできるシステムだ。クエストを受注してからのみアイテムを入手できるようになるとか、キーモンスターと遭遇できるようになるとか、キーキャラクターからの発言が変わるといった事態を減らす事ができる。もちろん採取に専用のアイテムが必要な場合など、万事解決とはならないだろうが。そのぶん、金や報酬にがめついといったような印象が強くなり、警戒や忌避感につながっているかもしれないが。まぁ、同じ難度のクエストがあったとして、特に事情がなければ効率がいい方を選ぶだろうからあながち間違いでもない。この評価については甘んじて受けるべきである。
エレベーターが止まるような衝撃の後、アナウンスが着港を告げた。下船は看板または各フロアの案内に従う必要があるらしい。フロア案内図をコピーした地図を表示して、アキラは歩き出した。
垂直離着陸可能な大型船が停泊する港ははたして空港と呼ぶべきか。アキラの疑問をよそに、流れる人の波はあれよあれよという間に下船手続きを終えてしまう。その波に飲まれていたアキラも含めて。雑音で周囲の会話から情報を収集することはできず、係員とも言葉を交えることができなかったのは、アキラとしては不満であったが。
それでも入手した情報は、アキラは祭りを機に大都市を訪れた物見遊山の冒険者ということになっている、という背景事情だ。なるほど、オエープンβテストを終え正式公開されたオンラインゲームの解放初日。同時に何万ものプレイヤーが一気に接続することは想像に難くない。初回ログインが船の中というのは、接続場所でプレイヤーが多すぎて身動きが取れなくなるといったトラブルを避けると同時に、自然に世界にとけ込めるように、没頭できるようにという運営の配慮なのだろう。
それを逆算的に解釈しようとするアキラ自身の異端性については、とりあえず棚のむこうに投げ捨てる。
特に明確な目的のないまま、広大の世界の一つの街に放り出された形だ。MMORPGの出だしとしてはそれほど特殊なものでもない。なにせ、誰かがラスボスを倒せば終わりという単純な世界ではなく、プレイヤー各個人が思い思いに世界を冒険し、自分らしくキャラクターを育成し、RPすることがこのジャンルの醍醐味なのだ。個々人で目指す方向が違うというのに、いきなりゴールを押し付けられても辟易とするだけである。タイトルによっては、グランドクエストなどと銘打った大規模な条件を達成したとき、世界的に大きなイベントが起きたり、発展したり、滅亡したり、それこそ、ゲームがクリアされることもあるが、それはあくまで全体としての結果であって、個々人がどうこうできるような条件ではないことが多い。……最終的に超大型ボスとの大規模戦闘に発展することもないではないが、その場合はボスの一撃で何十人ものプレイヤーが瀕死になるようなバランス設定をされていたりする。
閑話休題。
RPGにおいて暇なときにやることと言えば、装備の更新・金策・レベルあげ・情報収集などがあげられるだろう。もちろん、MMOというジャンルである以上、そこには当然他のプレイヤーという存在が様々な形で関わってくるし、彼らと交流することも一つの選択である。
そして、このジャンルにある程度慣れてくると、効率的な行動の重要性がいやでも身に付く。効率の差次第では、同じプレイ時間でレベルは倍の差が開き、所持金は数十倍の差が開くことも、珍しくないのだ。RPGというジャンルは、そういった向上心こそが原動力である。それに加えてMMOというジャンルは、他のプレイヤーという比較対象が常にそばにいる環境だ。相手より上という優越感は小学生でも知っている充足感の一つであり、下に見られる悔しさは言うまでもないだろう。
では、MMORPGにおける効率的な序盤の行動とは何なのか。
素早く身支度を整え、フィールドへ駆け出して手当り次第にモンスターを倒すことか。答えは否だ。そういった行動に効率性を感じるうちは、初心者を脱しきれていないと自ら喧伝しているようなものであるとアキラは考える。
まずは、情報収集だ。装備を整えるにも、金を稼ぐにも、戦闘を行って自身を強化するにも。情報の有無ですべての効率が変わってくる。
例えば、初心者向けの装備だと思って購入した木剣が、実は重いばかりで初心者には満足に振るうことも難しい上に攻撃力の低いはずれ武器だったり。例えば、売っても大した価値のない近郊モンスターの皮アイテムが、嵩張る上に重かったり。例えば、防御力を上げるためにはあえて攻撃を喰らわなければならず、序盤のモンスターの攻撃を回避し続けたがために後で苦労するはめになったり。
都市外周南部円形広場。同心円状の都市の八方角十六カ所に存在する円形広場を表現するには確かに分かりやすい表現ではあるが、実に呼びにくい名称である。率直な感想を述べると、道を教えてくれた男も肩をすくめて苦笑するしかなかったようだ。
この広場にやってきたのも人と情報の集まる場所を求めてだった。
文化レベル、魔法など独自仕様の背景、国の歴史なども暇なときに収拾したいが、今はまず金銭感覚と当面の活動費用の確保、キャラクター育成のヒントが必要だ。
さて、手始めに誰から情報を得たものか。アキラは広場の中心でぐるりとあたりの様子を一瞥する。
大都市であるせいか人通りは多い。祭りの前ということもそれに拍車をかけているのだろう。あちこちで出店や屋台の準備を進める人々が、それぞれの作業に没頭している。まだ、ゲームの一般公開から一時間も経過していない。リアルでは二分と少しだ。つまり、露天を始めるプレイヤーなどいるはずもなく、彼らは皆NPCということになる。彼らが織りなす祭り前の興奮と混沌の空気は、本当に『中の人』が存在しないのかと疑いたくなるほどである。
急ぎの仕事があるのか、広場を走り抜ける人に声をかけるのは無理があるだろう。角材を運ぶ物達に声をかけるのも気が引ける。重そうな角材を何人かで力を合わせて運んでいるのだ。足を止めさせれば時間的負担は肉体的負担を加速度的に増加させるだろう。その角材を使って出店や屋台などを組み上げている男達は、声を掛け合って安全と状態の確認に急がしそうだ。その様を俯瞰している人間も、監督かなにか、それなりに忙しい立場に違いない。
そうやって広場の人間を観察していると、不意に服を引っ張られた。
振り向くと、活発そうな少女がアキラを見上げている。
ーーいや、成人しているかもしれないのか。
飛行船内で出会った少女よりは大人びていて背も高いその娘を見て、第一印象を即座に否定する。ともあれ、わざわざ服を引っ張ったという事は用事があるという事だろう。彼女が世間的に子供か大人かなど、どうでもいいと切り捨てて水を向けてみる。
「なにか用か?」
「ええ、情報をお求めではありませんか?」
返ってきたのは、まさしく求めていた言葉だった。
なるほど、貧相な装備の——駆け出しの冒険者らしき人物が街中で何かを求めるように視線を彷徨わせている様は、何を探しているのであれ端的に表現するならば情報を求めている事になる。それが建物や店舗などの施設であれ、クエストに関わる人物であれ。
「ああ、そうだな。君は情報屋をやってるのか?」
「その情報は三crで売ろうかな」
得意げな笑みを作る少女に、アキラは同種のそれを返す。
「アピールを聞くという依頼を受けてやっても良いぞ」
しばし見つめ合い、どちらからともなく二人は吹き出した。
これではもう、ほとんど自己紹介のようなものだ。
「俺は冒険者というよりは放浪者だな。ギルドの使い方すら知らん」
「いかにも田舎者ですって空気だよね、君。そんなんじゃ詐欺師に騙されるよ?」
「それはそれで勉強料とでも考えるさ」
「情報屋を前にそんなに事言ってると、身包み剥がされるよ? 詐欺師と情報屋は紙一重なんだから」
「そんな忠告をしてくれる君の事は信用できそうだ」
言葉の応酬は笑顔の下に交わされる。
先に折れたのは少女の方だった。やれやれといった具合に肩をすくめてみせる。
「信頼は情報屋の武器でもあるからね。駆け出しの冒険者に恩を売っておくのも悪くないかな。活躍したら、取り立てれるだろうし。知らずに無茶をして、死なれても目覚めが悪いもん」
わずかに早口になる彼女の態度はあからさまな照れ隠しだったが、アキラは指摘しない。所持金は所詮初期配布。活動経費として無駄にできるほどの額があるとは考えられない。余裕ができてから恩返しをするくらいのことで情報が得られるならば、願ったりだった。
「そりゃ大変だ。寝不足とあっちゃ君の可愛さが損なわれちまう」
軽口を交わし、雑談を交え、アキラは少女から情報を聞き出す。
少女が顔を赤らめて『サービスはここまで!』と宣言するまでにアキラが引き出した情報を纏めると、以下のようになった。
街近郊と主要街道は定期的に騎士団と冒険者ギルドによってモンスターの討伐が行われているので、脅威となるようなモンスターは滅多に出没することがない。街道を外れれば低確率でモンスターとエンカウントするが、冒険者を名乗るほどの実力者であれば単身でも切り抜けることも不可能ではないだろう。もちろん、森や洞窟などモンスターの縄張り(テリトリー)に足を踏み入れればその限りではない。モンスターは群れで行動するので、よほど腕に自身があるか、特殊な事情がない限りパーティーを組むべきである。
モンスターからの戦利品を効率よく入手するためには、解体技能を身につけるか、専門の業者を雇うべきである。また、倒したモンスターから放出される魔力は、放置すれば環境を汚染することに加え、魔結晶に吸収すれば売ることができるので、モンスターとの戦闘を想定するならば魔結晶の所持は必須となる。
魔結晶の入手は冒険者ギルドが一般的であり、使用方法もレクチャーしてくれる。魔力を蓄えた魔結晶は様々な道具や装置、装備を作成・機能させるために必要な存在である。そのため、魔力を多く蓄えるほどその価値は高くなる。
ちなみに、魔結晶と素材の売却、クエストの報酬が冒険者の主な収入となる。
物価は変動するため、売り時・買い時を逃さないようにこまめに確認する必要がある。
素材などのアイテムの処理方法は三つ。収拾系クエストでの納品、様々な手段での売却、武器防具やその他道具の生産またはその代行だ。
街中で露店を開く場合、その街の権力者に許可を取る必要がある。一応、冒険者が個人で店舗を構えることも可能ではある。どちらにしても簡単ではないため、一般的には各種ギルドでの売却か商業ギルドでの代行販売依頼が冒険者個人のアイテム処理方法となる。
得た情報のほとんどは、この世界では常識的な事なのだろう。それこそ、冒険者ギルドの役員にでも尋ねれば全て答えが返ってくるはずだ。図鑑のように管理する必要もなければ、系統的に伝承する必要もなく、鮮度ででいえば腐っているような重要度の低い情報と想像できる。
サービス終了といわれてしまったのは、情報取得の時間的密度が高すぎたためか。
これ以上の情報の無償提供は、少女の、情報屋としての誇りを傷つけるという。少女ののせられやすさに内心感謝しつつ、アキラは感謝を告げる事にする。
「参考になったよ、ありがとう。格好いいな、君は」
その言葉は、一分の世辞もないアキラの本心だった。
「年上の男性に、そう褒められるのは、なんか癪なんだけど」
わずかに頬を緩ませてそう口にする少女に、アキラは首を傾げる。
「そうか? その年で教示を持って事に当たっている。つまり、情報屋としての己の技量と仕事に誇りと信念を持っているということだ。こんなに輝いてる人は、早々いないさ」
「その年って……私これでも成人したんだけど。」
「はは、これはすまない。俺が知ってる君くらいの年の子と、どうしても比較してしまってなぁ」
「……また子供扱いする」
唇を尖らせる少女の様に、アキラは思わず笑みをこぼしてしまう。
「って、女の子の年齢はトップシークレットだよ! とっても高いんだからね」
そういって、少女はそっぽを向いてしまう。そのタイミングを待っていたように、アキラは表情と口調を真剣なものに改めた。
「今後、君から情報を買いたいと思った時は、どうすればいい?」
急な話題転換に言葉を窮した少女は、やや考えるような仕草をした後答えた。
「一日の大半、私がいるのはこの広場かな。ここならいろいろな情報が収集できるしね。ほかにも、冒険者ギルドで私宛に伝言を頼んでおいてくれれば、会う約束をすることもできると思う」
「つまり、例えば定期的にどこかで落ち合う約束をすることも可能ということか?」
「可能だよ。冒険者さんからすれば、無理に私から情報を買う必要もないと思うんだけど……」
「信頼できる情報は、信頼できる人物から。それに、君と話してるとそれだけで楽しいし」
「む。たしかに、情報の信憑性は重要だね。私を信頼してくれるのも嬉しい、かな」
ようやく赤面から立ち直りかけていた少女の顔を再び赤くさせつつ、詰めに入る。
「聞き忘れてたんだけど、情報提供料ってどのくらいになるのかな?」
「それは、情報の重要性や入手難度によるかな。常識程度のことであれば、ある程度サービスするし。今回はしすぎた来もするけど。現在の物価と変動の履歴くらいなら、過去一月分を纏めても五十crってところだね。最新情報だけなら三十crでいいよ」
「いまいちこの辺りの金銭感覚が分からんのだよなぁ。それが高いのか安いのか……」
その言葉に少女はしばし迷いを見せた。定期購入顧客の会得と、先ほど口にしたサービス打ち止めという自分の発言を天秤にかけたのだろう。
しばしあって、仕方ないなぁ、と言いたげに少女は口を開いた。
「君、無知過ぎ。そんなんじゃ悪い人に騙されちゃうよ?」
「自覚はある。だからこそ、信頼できる人と情報が欲しいのさ」
躊躇のない返答とまっすぐな視線に、少女は大きくため息を吐いた。
「切り詰めれば、三十crあれば大人ひとりが一日を暮らせるくらいだね。五十なら、多少贅沢できる。百もあれば、小さな家庭を養えるよ。冒険者さんの収入からすれば、平民の生活費なんて財布にあいた穴より小さいんじゃないかな。一番簡単なクエストでも、報酬八十crは下らないだろうし」
どこか自嘲を含んだその言葉を受けて、アキラはメニューウィンドウを操作して三百crを取り出した。ウィンドウ上に出現した|半透明(具現化待機状態)の硬貨三百枚は片手でつかめる量ではなく、手に取るのに苦労する。
虚空から大量の銀貨を取り出す様子を見て、少女は途端に慌てた。
「わ、わ。しまって! しまって! 不用心すぎるよ!」
焦燥に駆られながらも、衆目を集めないように押さえられたその声に、アキラも緊急性を理解する。おうむ返しに尋ねるような愚は犯さず、手早く硬貨をメニューウィンドウに戻した。瞬時に三百枚の銀に光る硬貨は他者からは見えない半透明状態へと戻る。
「突然なんなのさ。そんなにたくさんの現金。しかも全部一cr硬貨だなんて、盗んでくれっていってるようなものじゃない。数枚減っても分からないでしょ?」
困惑を瞳に浮かべ、訴えるように少女は言う。
「いや、すまない。これ以外の硬貨を持っていないようでな」
「ようでな、って。はぁ。百cr硬貨くらいなら、冒険者だったらよく使うだろうから、準備しておくことをお勧めするよ。それより大きい桁の、現金での直接のやり取りなんて、私だったら怖くてできないかな。冒険者さんなら、そこらへんのごろつきに教われても返り討ちにするだけかもしれないけど、私たちは襲われたら抵抗する余地なんてない訳だし」
「なるほど。定期的に情報を提供することを依頼する、契約の前金にでもと思ったんだが」
「……契約、ね。その様子じゃ、その言葉の意味も重さも、分かってなさそうだね。君が捕まえた情報屋が詐欺師だったらと思うと、やれやれ、ため息が尽きないよ。感謝してよね」
どこか慈愛にも似た表情を浮かべながら、見上げてくる少女にアキラは苦笑した。
笑い事じゃないんだよ? と少女も笑う。
「契約っていうのは、絶対なんだ。魔法儀式の一種だよ。例えば、契約を違えた際のペナルティを死と設定した契約は、破れば死ぬ。これはどう足掻いても避けれない。なぜなら、その呪いをかけるのが、契約の関係者達……つまり、自分自身を含む複数人だからね。自分自身を含む複数人による呪いを、単身で防げる道理はないよ」
「ずいぶん極端な例だな」
ペナルティとしての死。携帯電話の契約などを日常的にかわしているアキラの価値観では、ずいぶん重いペナルティに感じられ、思わずそう口にしていた。
「軽いものでも、数日間の絶え間ない痛みだとか、身体機能の麻痺だとか、運が悪ければ間接的に命に関わるものばかりだよ、そうじゃないと、重要な契約に対する呪術で実現できるペナルティにならないからね」
契約の形式上、ペナルティはどうしても重いものにならざるを得ない。少女はそう語る。
「だからこそ、契約なんて、軽々しく結ぶものじゃないの。書類を残しても、あくまで約束どまりなの。国際契約とか、領土契約、市民契約、婚姻契約くらいかな、平民が生涯のうちに関わる契約は。死んでも死に足りないほど運が悪いと、奴隷契約なんかにも関わったりするけど……。余程の大商人でもない限り、商業契約なんて結ばないの」
「個人間で契約を結ぶ価値はない、と?」
「ないわけではないのよ。例えば、情報漏洩のリスクを軽減できるし、漏洩時のペナルティを特殊な呪いにすれば発覚しやすくなる、とかね。その呪いを実現できるだけの実力が契約関係者の総合力で必要になるけど。」
「腹痛をペナルティに設定して契約を交わすことで、信頼関係を主張したり?」
「できなくはないかなぁ。契約書は公的機関に保存してもらえば、物的証拠としても機能するはず……。冒険者なら、登録した冒険者ギルドの貸し倉庫や金庫を使えるだろうしね」
不意に思い出したように。
「そもそも、君はギルドにまだ登録してないんじゃないかな。そうでないと、雑談にまぎれて魔結晶の情報まで引き出した言動と矛盾するよね」
「実は適当に乗った飛行船でこの街についたばかりでな。ギルドの場所どころか、街の造りすら頭に入ってないのさ」
アキラがその事実を打ち明けると、少女はガックリと項垂れた。そのまま数秒、かわいらしく呻く。何を思案しているのか、アキラには分からないがとりあえず結論が出るのを静かに待つことにする。
やがて顔を上げた少女は、何かを決心したような、いや、覚悟したような表情でアキラに告げた。
「さっきの契約、受けてあげる。契約は二つ。一つは、私が君に必要な情報を集めて提供する。私は君に意図して嘘をつかない。必要とされる情報を秘匿しない。私は、提供する情報の対価として、正当な対価を君に要求する。君は私の情報の価値に応じた対価を支払う。なお、君が対価を提供できない場合に限り、私は情報を提供しないか、後日請求することを選択できるものとする。ペナルティは三日前後の絶え間ない腹痛。二つ目は、互いに相手を呼び出しに応じる。ペナルティは、呼び出しに応じるまで、相手の居場所に関する情報が腕に浮かび上がる。……本来は、契約違反者の烙印なんかに使う呪いなんだけど、応用できるはず。この内容でどうかな?」
覚悟が鈍る前にとでも言いたげな、言葉の弾幕にアキラは首を傾げる。いいのか、と問う前に、少女が頷いた。
「契約の仕方も分からないでしょ? 儀式のために、できれば他の人の耳目がない、集中できる場所も確保したいし。まずは冒険者ギルドに行こ。全部一遍に解決できるから」
そういって、少女はアキラの袖を引っ張って歩き始める。その背は、どこか楽し気だった。
▼内容
・ナウルへ到着
・情報屋への接触