1-1 チュートリアル
白に塗りつぶされた視界。短い浮遊感の後、目が慣れるようにして徐々に周囲の光景が目に映る。いつの間にか、足の下には床があった。
ログインや転移の際の五感入力として、『一色の視界から目が慣れるように周囲の光景が見えるようになり、それとともに浮遊感が薄れる』というのは現代のVR系ゲームでは一般的なものだ。『へその裏を引っ張られる』など様々な感覚が様々なゲームタイトルで試行錯誤され、他の表現は淘汰されていったという歴史がある。
ゲームへログインした友明は自分のおかれた環境を確認する。戦闘チュートリアルと称して大型の魔物に襲われるところから始まるゲームも過去にはあったので、周囲への警戒は重要だ。ちなみに、ろくな装備もなければ予備知識もない新規プレイヤーは、そのままモンスターに喰われるまでがお約束だった。
命からがら逃げ出した苦い思い出を胸に周囲を、手狭な部屋を見回す。シングルベッドに床面積の大半を占められた、手狭な部屋だ。ベッドというよりは、段の上に布団が敷いてある、と表現するべきか。ともあれ、部屋の中には彼以外誰もいなかった。もちろん、魔物の姿もない。
念のため、クローゼットの目隠し布も捲り上げて中身を確認したところ、簡素な棒が立て掛けられていた。
何のために使う棒か。眺め、考えていると現実世界では見慣れた、半透明の青い板——仮想ウィンドウが表示される。世界観的にどうかと思うが、そういう魔法かなにかなのだろうととりあえず納得する。
知りもしない情報が頭の中に思い浮かぶというのは、多くの人間にとって気味が悪い。実装していたタイトルでは、それが理由にプレイヤーが離れる程度には不好評だった。
仮想ウィンドウに表示された文字列は、以下の内容だ。
旅人の杖
分類:打撃武器
物理攻撃力+1 魔力+1
所有者:アキラ
アキラとは友明が操作しているアバターの名前だ。この世界の名前、と表現する事の方が多いだろう。つまり、この棒もといグリップもない杖は、友明の初期装備らしい。性能もないよりはある方がまし程度の、いかにもな初期装備だ。
一応他にも何かないかとアキラは部屋の中を観察してみるが、ベッドのHP・SP・MP回復効果が微弱である事が分かっただけだった。
杖はアイテム取得のチュートリアルだったようだ。
アイテムを探している間に一度放送があった。
「ご搭乗の皆様にご案内いたします。この船はただいま空港側の着港準備のため、地上最大の交易都市ナウルの上空を旋回しております。着港の準備が整い次第ご案内いたしますので、ご自由にお寛ぎ下さい。なお、本日は晴天のため、甲板では地平の彼方まで絶景がお楽しみいただけます」
伝声管独特の響きが、妙にアキラの心をくすぐった。声は天井から響いたが、そこにスピーカーなどない。現象の解析は魔法かなにかだと放棄して、アキラは告げられた言葉を噛み砕く。
『上空を旋回するこの船』は、この部屋の内装からしても飛行機とはほど遠いものだろう。わざわざ着港準備待ちについて放送する事からしても、旅客船のような存在か。軍事目的や個人所有とは考えづらい。まもなくと言った表現がなく、『ご自由にお寛ぎ下さい』と告げられた事からも、着港準備には相当な時間がかかるようだ。
室内の捜索を終えたアキラは、放送で登場した『甲板』でイベントがあるかもしれないと考え、部屋を後にする。
眼下に広がる大都市は、いったいどれだけの人が住んでいるのか。
巨大な豪邸がいくつも建ち並ぶエリア、豪華さは見劣りするものの、同程度の規模の建築物がひしめき合うエリア、規模は劣るが上空からでもはっきりと分かるほど圧倒的な賑わいを見せるエリア、同じような造りの小規模な家が整然と並ぶエリア等々。街というオブジェクトがそこにあるのではなく、人々がそこで生活を織りなしている事が、一人一人を識別できないこの高さからでも十分に伺える。
鉄筋コンクリートの高層ビルやマンションなんてどこにも存在しない。修学旅行で上った日本首都の地上最高高度の展望台から見たコンクリートジャングルには、ここまでの感動はなかった。ときめきはなかった。そういうものだと、頭のどこかで理解していたからだ。立ち並ぶ無機物に、生命の息吹を感じなかった。
人の営みが確かにここにある。私たちはここにいると強く主張している。アキラは柄にもなく、その光景に心を躍らせた。
ピコン、と聞き慣れた耳に響く。あの世界で聞き慣れた、メッセージの着信音だ。習慣的に、視線が右上へ向かう。普段、あちらで小さくメッセージ着信を告げる仮想ウィンドウが表示される場所へ、同じようにメッセージが表示されていた。
『交易都市:ナウル』を魂の拠り所に登録しました
おそらくは、冒険の途中で力つきたときに転移される場所——死に戻り先としての初期設定がこの街なのだろう。システムメッセージの通達についてのチュートリアルをかねて、街の全貌を見渡させると同時に、世界観を理解させる。
憎めない演出だと、アキラはほくそ笑む。
規定のモーションコマンドからメニューウィンドウを経由し、MAPを呼び出す。
そこに表示されたのは、甲板の地図だ。ほとんど甲板の形状を表示しただけの、存在が必要になるのかさえ疑問になるMAPである。図面の横にあるタブには、『旅客船甲板』『旅客船5層』『旅客船4層』と表記されているが、やはり都市やその周辺の情報はない。街の全貌を見渡してもMAPは手に入らなかったという事だ。
あわよくばという程度の確認だったので、アキラは気落ちする事はなかった。
最初に確認したときは、歩いた場所とその周辺のみが自動でマッピングされていた。次に、フロア案内図を見た後に確認すると、案内図で得た情報に更新されていた。つまり、マッピングの条件は、自分の足を使って探索するか、地図から情報を得る必要があるようだ。ただ目にしただけでは不足らしい。
アキラがそうして順調にシステムへの理解を深めていると、何処からか子供のなく声が聞こえてきた。辺りを伺えど、声の主はない。ほぼ真下、船内からこの声は聞こえているらしいと理解して、足を運ぶ事にする。
廊下の片隅で少女が泣いていた。ゴシックロリータというよりは、正しく、高級感のあるドレスを身に纏っている。そんな気品ある服装をしていても、泣く子供はやはり泣く子供だった。相対する青い軍服の男の表情も、現実世界で迷子の応対に困惑する係員のそれと同じだ。
『中の人』が演技をしているなら、大したものだと思う。
「迷子か?」
躊躇せず、アキラは話しかけた。イベントやクエストならそれでよし。少なくとも、何の意味もない演出ではないだろうし、着陸までも暇がある。現実なら、既に男が対応している時点で興味を失ったかもしれないが、今は関係のない話だった。
「ええ、そのようですが。……この子の保護者をご存じないですか?」
どうかしたのか、なにかあったのか。そんな枕詞のような問いかけをアキラは省いた。なにかあったのは明白だからだ。軍服の男がそれを解決できずにいることも。
不躾な問いかけに、軍服の男は驚きという表現を持って応えた。先ほど街を見たとき受けた印象通り、キーワードをぶつけなければ応対できないような低位AIではないらしい。
「いや、生憎記憶にないな。本人に尋ねることは……失敗したようだな」
「恥ずかしながら。私の主な使命は外敵より皆様をお守りすることですので」
軍服の男はそういうが、そこに羞恥の色はない。驚きの感情も一瞬でなりを潜め、堅実な兵士の表情がそこにはあった。顔のほりの深さのせいか厳めしいと表現しても相違ない。
こんな表情で事情聴取をされれば、幼い子供が泣くだろうことは想像に難くない。相手を威圧するには向いているかもしれないが、安心させるにはほど遠い。
事情を聞き出すには役に立たない男を捨て置いて、アキラは少女の前へ歩み出た。
警戒されるより早く、しゃがんで視線の高さを合わせる。
驚かれるよりも先に、頬に手を伸ばして微笑む。
僅かな力で、視線を合わせる。
視線の高さを合わせる事で対等の立場であると主張し、正面から目を見る事で話を聞いているという安心感を与える。首という急所を押さえつつ危害を与えない事で本能のレベルで仲間意識を与える。微笑みと意図的に長く行う瞬きで、正面から見据えられる威圧感を相殺する。
全ては、泣いていた原因から意識をそらすために。
「下ばっか向いてちゃ、気分まで沈んじまう。周りも見えなくなる。そしたら、助けを求めるチャンスすら見逃しちまうぞ?」
泣く事を忘れた少女に、アキラはゆっくり問いかける。
「親が逸れちまったか?」
彼女がではなく、親が。彼女の視点や小さなプライドを優先する事で、自尊心をくすぐる。敵愾心を削ぐ。
小さく首を振る少女に、そうかとアキラは優しく相槌を打つ。じゃあどうしたんだと柔らかく問いかける。
「私が逸れたの」
そう告白する少女の頭を撫でて、大変だったなと慰めた。
それから少し雑談を挟んで必要な情報を聞き出す。
両親と共に乗船した事、両親の服装や髪型などの特長、朝食を食べ、部屋に帰る途中で逸れた事、部屋の規模。情報は十分整ったと判断し、呆然と立ち尽くす軍服の男を見やる。
「この先は、そっちの得意分野だろう」
人海戦術であれ船内の情報をまとめる事であれ、後ろ盾のない個人より早いのは間違いない。
軍服の男は協力への礼を述べ、両親を捜すために少女を伴おうと手を伸ばす。
その手から逃れるように少女はアキラに隠れる。その手はアキラの袖を掴んでいた。
「ここで待っているさ」
少女の相手をする役目は、彼に勤まりそうにない。アキラは一瞬でそう判断を下し、軍服の男を送り出す。
その実、無私無欲の献身的な行動というわけでもなかった。いくつかの打算がこの行動にはある。
例えばそれは、軍服の男が帰ってくるまでの間に雑談の中で得る事ができた情報であった。
この飛行船は一般に公開されていない高度な魔法技術で動いている。
この船の目的地である交易都市ナウルは種族の平等と共存を謳う『共立国家』フェナゲルに属する、世界有数の規模を誇る街である。普段から交易のために世界中から様々な人が集まるが、この時期は特に数日後の世界再誕を祝う大きな祭りがあるため、人や物が集まっている。
そのため、仕事を求める冒険者も集まるらしい。護衛、警備、雑務、運搬、討伐、採取。クエストと呼ばれる『依頼』はよりどりみどりだという。
そういったクエストは大抵の場合互助会的な組織である『ギルド』で受注できる。冒険者の場合は冒険者ギルドだ。クエストを任せる相手を直接確保できない人物から斡旋し、適切な力量を持つ冒険者へ仲介する。その際の仲介手数料で運営されているのだろう。
少女がそういった事情になぜ詳しいのか聞こうとしたところで、彼女の母が現れた。いや、両親が現れたのだが、母の存在感が圧倒的すぎて、父の存在は認識した次の瞬間には意識の外に押し出されてしまった。
ドレスと、下品にならない限界を求めるかのような装飾で存在を主張する女性だった。ほとんど過剰装飾である。
「あなたが、娘から私たち夫婦のことを聞き出し、捜索に大きく貢献してくださった方ですね? ありがとうございます」
文言は確認であるのに、一方的に感謝の言葉を突きつける。感謝の言葉にしては、刺が鋭すぎる。不思議な緊張をはらんだ声色に、アキラは微笑とも苦笑ともつかない表情で応対する。
「できることをしたまでだ」
泣いている子供から話を聞いた、ただそれだけだ。何も大げさなことはしていない。その程度のことにいちいち見返りを求めるつもりもない。そういった意図を込めた素っ気ない対応。その反応が意外だったのか、再び女性が口を開くまでに僅かに間が開いた。
「……見たところ、あなたは冒険者でしょう。冒険者は、対価のための人助けを行う人々です。私達の一人娘の窮地を救ったことで、あなたは何を求めるのです?」
あまりにも直球であるが、それこそが彼女が緊張と警戒を抱いている原因なのだろう。その直接的な表現も、オブラートに包んだ当周りなやりとりによって交渉が長引くことを避けたいがためか。アキラはそう考察しながらも、あえて質問で返す。
「事前に報酬の約束がなくとも、対価の要求がまかり通ると?」
「もちろんです。事前に契約を結んでいない事を理由に解決を見送ったがため、手遅れになっては本末転倒ですから」
「なるほど」
冷たい返答に、道理だ、とアキラは頷いた。
「つまり、あなた達にとって娘の安全のために差し出せるものを、請求する資格が俺にはあるということで?」
疑問ではなく、確認。対して、頷く女性の表情は更に緊張の度合いを増す。
「なんとも生々しい話だな。自分には、幼い娘さんの前で交える話題でもないように思えるのだが」
「幼いと言っても、後四年もすれば十四。成人を迎えます。あらゆる知識を、世間の厳しさを学ぶのに幼過ぎるということもありません」
少女の年齢をせいぜい八歳位と見ていたアキラは、その発言に軽い驚きを感じつつも、重要な情報だけはもらさず記憶する。成人年齢が低いということは、それだけその社会が求める世代交代の頻度が高いということ。つまり、平均寿命や社会全体の更新、つまり発展の必要性が大きく影響しているということだ。
「次代を担う、大切な一人娘を助けた報酬。なるほど、安くつくはずもなく、安く済ませるわけにもいかないと」
己の地位を顧みれば、身内のそれも代継の安全のためにどれだけできるのかということを示す必要さえある、と彼女の態度は表していた。相手をつけあがらせるだけの発言は、まさしく相手をつけあがらせるための発言なのだ。確認を終えて、アキラはニヤリと笑みを浮かべた。とびきりの悪戯を思いついた少年のような笑みだ。
「既に察しているとは思うが、俺は残念ながら世事に疎い。俺の要求が対価として見合うか、判断がつきかねるのだが」
そう、わざわざ前置きして。
「この子の幸せを対価としたい」
少女に視線を向けて、そう宣う。続ける言葉は、再びその母親に視線を戻してからだ。
「もちろん、この子の幸せを俺に寄越せという意味ではないぞ。この子が幸せになれるよう、最大限の努力をすることを、要求する。もちろん、その幸せの定義は親や世間といった第三者の価値観ではなく、この子自身の価値観において、という意味だ」
世間の目を意識し続ける母親にとってこの要求は皮肉であると同時に、理解し難く、そして実現困難な難題になるかもしれない。子供は親の道具ではない、その意図が伝わったか。しばし黙考していた女性は、初めて柔らかい笑みを浮かべて頭を下げた。
「ありがとうございました」
一切飾りのない母の礼言葉に背を向け、アキラはその場を後にする。
ピコンとメッセージが着信した。
チュートリアルクエストをショートカットしました
▼内容
・アイテム鑑定チュートリアル
・アイテム取得チュートリアル
・初期装備会得
(・アイテム装備チュートリアル)
(・アイテム収納チュートリアル)
(・アイテム具現化チュートリアル)
・マッピングチュートリアル
・魂の拠り所の初期設定
・クエストチュートリアル(未遂)
・魔法技術の一端(飛行船という実例)に触れる
・活動拠点情報取得