第二章 前夜
6月6日 午後11時58分 鳳凰学園校舎裏
亥の刻がまもなく過ぎようとした頃。
月の光がかろうじて届く場所で、月の色を瞳に溜めた其は笑っていた。
其は正装を着用していた。其は学園の関係者であった。
其は生活に満足していなかった。其は学園内で浮いていた。
其は他者との交流を羨望していた。其は常に孤独であった。
『ねえ、どうしたの?』
そんなある日、教室の窓に佇んでいる其に声を掛ける者がいた。それが始まりだった。
彼女の名は真由。其のクラスの女生徒であり、学年一の美少女でもあった。そして誰に対しても分け隔てずに接するその献身的な姿は、周りから『同窓の天使』と称されていた。
自分と対称的で無縁な少女が今、不安げな表情を浮かべて心配をしてくれている。其は自身の陰湿な存在に恥じて俯きながらも、純粋な願いを少女に打ち明ける事にした。
『うん。それなら、私達は今からお友達だよ!』
少女は快く言った。
『!?』
其にとってそれは衝撃だった。まさか友人になってくれる者が存在するとは、思いにもよらなかった。
それから二人は交流をする様になり、その度に其の心は少女へと惹かれていった。
真由が欲しい。全てが欲しい。
真由を独占したい。髪の毛一本誰にも渡したくない。
ああ、わたしのまゆ……。
其の心は愛深く、貪欲にも少女の全てを欲するようになっていた。この幸せを失うのを恐れ、どうすれば少女が自分だけを見てくれるのかを常に悩んでいた。
――ああ、そうか。そうすればいいんだ。
ある日ふと、其の頭に一つの考えが浮かび上がる。二人がずっと一緒にいられる方法。
「……ま……ゆ」
彼女を他人に渡したくないと言う一途な願望。それはつい先程、成就した。其は少女を校舎裏へと呼び出し、今でも溢れ出しそうな想いを告げると、
――愛しそうにその血肉を貪り食していたのである。
「!?」
突如、其の食事が止まった。食べかけの天使が無残にもゴロリと地面に転がり落ちる。
其は得体の知れない気配を背後から感じ、脅えながらもそちらに恐る恐ると振り返る。
「……ほう。下衆に気付かれるとは、己も堕ちたものだ」
そこには黒髪茶眼の男が立っていた。それも其の良く知っている人物だった。
其は不可解そうに首を傾げる。先程感じた殺気は一体何であったのだろう、と。
けれども、どのみち鮮血に染まった姿を目撃されたからには、餌となって貰うしか他ならない。
「――――」
其は野獣の如き叫びを辺りに響かせて襲い掛かろうとする。しかし餌がそれよりも早く右手で水平に虚空を切ったので、警戒してその場に踏み止まった。
「――?」
何も起こらない。其は余りに滑稽な餌の動作に嘲笑い、改めて襲い掛かった。
ズルッ!
其は不恰好にもバランスを崩して、急に地面へと伏してしまった。
其は直ぐに立ち上がろうと試みるが、足の力が何故か全然入らなかった。
其は焦心した。このままでは餌に逃げられてしまう。是が非でも仕留めなくては。
その時、餌の近くに何者かが立っている事に其は気付く。正装を着用しているが、身体からは大量の血の臭いが風に揺られながら漂っている。
恐らくは同族の者であろう、と其は直感した。
其は偶然に感謝し、惨めにも同族に対して必死に助けを求めようとするが、畏怖の感情もないのに発声が出来なかった。だがそれよりも不思議だったのは、この状況下であるにも関わらず、如何なる反応もない同族の様子であった。
其は不思議に思い、同族をゆっくりと見上げた。
「――――?」
其はふと発見する。同族の胸に、自分と同一の身分証が掲げられているのを。
「!!」
そして其はついに認識した。今の自分の視線と胴体は別々の平面座標にある事実を。つまりそれは……。
「やっと気付いたか。間抜けなヴァンパイアめ」
先程の餌が薄笑いを浮かべながら其を見下していた。
其が見たもの、それは――銀髪蒼眼の天狗であった。
それを最後に、其は意識を失った――。