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Superior type X  作者: 永原啓斗
第一章
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第一章 分隊(移動班)

――午前2時40分 西棟廊下

 そこは窓から漏れてくる月明かりを除けば、闇の世界と呼ぶに相応しい場所であった。

 そこは夏季にも関らず、生物の外的干渉を拒絶するかの如き沈黙を保つ場所であった。

 そこは人々が生活する現世でありながら、最も世界から隔離されている場所であった。

 しかし、そこに四つの人影があった。先頭に立つ大柄な影は暗闇の中を颯爽と突き進み、更にその後をひと回り小柄な三人の影が追って行く。内の一人だけは明からさまに身なりが異なっていた。

「あの? 日本の学校のトイレはこんなに遠いですか?」

 その中での最も小柄な影――張明月は沈黙を破って、私服姿の少女へと尋ねた。

「す、すみません。今の時間、南棟のトイレは使用禁止なんです」

 誰が原因と言う訳ではないのだが、教室を離れてから既に三分が経過している。明月でなくてもそれを不満に思うのは当然であった。

 鳳凰学園の校舎は東西南北、四つの棟に区分される。各棟の二階には連絡通路があり、そこを通らない限りは別棟への移動が出来ない構造になっている。その為、彼女達は教室のある南棟からトイレのある西棟へと移動していたのである。

「そうですか……」

 明月の心の中で不安の色が漸々と濃くなっていく。錬金術師(アルケミスト)である明月はSTとしての能力は第三部隊の中で一番実戦向きではない。それだけでは無く、身長、年齢、果ては給与の何から何まで見比べても、殆ど全ての項目が一番低い位置にある。つまり、ヴァンパイアの餌食にされる確率が一番高いのは、そこの女子生徒を除けば、必然的に彼女である事になってしまう。

 明月は溜息をつくと、他の二人の隊員を交互に見る。先程からマルコとソヨンは一言も声を発してはいない。大きな背面からでも感じる程、無骨で硬派な印象のマルコはともかくとして、姉御肌のソヨンが神妙な顔持ちだと無性な不安に駆られてしまう。

 明月は額に手を当てながら原因をあれやこれやと猜疑するが、そうしている内に、隣の少女がマルコに向かって声を掛けていた。

「あの突き当りの手前にある部屋です」

「そうか。分かった」

 マルコは少女の指定した部屋の前で足を止めると、扉に視線を移す。貼り付けられているネームプレートには『WOMEN』と横文字で彫られていた。

「あっ。ここがトイレですね。やっとたどり着きました」

 目的地に辿り着いて、明月の心に感動が沸々と湧き上がる。それは教室を出発してから約五分を過ぎた事であった。

「皆さん、ありがとうございます!」

 少女が三人に向かって何度も礼儀正しい辞儀を繰り返し、扉の窪みへと指を掛けるのだが、動きは何故か急にそこで止まってしまう。

「……えーと。ど、どうしました?」

「あの……、申し訳ないのですが。どなたか一緒に付いてきてもらえないでしょうか?」

「や、やっぱり怖い決まってるよね」

 少女が深夜の公共トイレに一人で入れるとは到底思えなかった。ましてや先程ヴァンパイアに殺されかけた者なら尚更であり、明月ですらそこに平然と入る勇気と度胸は持ち合わせてはない。しかし運命とは時に奇遇でそして残酷で、嫌だと思えば思う程に御鉢が自身へと廻ってきてしまうものである。

「あの、お願いです。一緒に付いてきてもらえませんか、明月さん!」

 不運にも、少女は明月に向かって名指しで請願した。指名された側は思わず疑問の声を漏らし、数秒後には顔を引きつらせながらも無理に笑っていた。

「だ、だめでしょうか……?」

 少女は明月を涙目でも確りと見据えていたが、声は反して、か細く震えていた。こんな弱々しく頼まれてしまっては拒否しようが無い。ましてや民間人の護衛放棄などとはどうして出来ようか?

「わ、分かりました」

 明月は極力平静さを装い了承した。裏には不安と困惑が混じり、渦を巻いていた。

 ソヨンは明月の心情を見透かしたのか、ニヤりと悪戯っ子のように口元を吊り上げると、背後から大袈裟に手を振りながら激励を送る。

それを聞いた明月はソヨン対して「……憶えてろ」と、小さい恨み声を漏らしながら、少女の後に次いで異空間へ歩を進めていくのだった。

「うわぁー!」

 少女の入室と同時に明かりが自動点灯する。内部のイメージは明月の想像とは大きく異なっていた。真夜中のトイレならではの陰湿な印象とは裏腹に、壁は一面の黄金白銀と光沢を保った鉱石で覆われており、普通ではありえないような高設備が整っている。

「うわっ! トイレなのにソファーもあります!」

「驚きました? 西棟には保護者や各界の方が来訪しますので、ここも来賓専用として建設したらしいです。でも豪華すぎて落ち着かないって、陰での不評も多いみたいですけど」

 異世界のソファーに腰を掛けて寛ぐ明月に対して、少女が苦笑いながら説明すると、いそいそと一番奥の個室に入って行った。

(やはり日本はお金ありますね。でもこれくらい光ってるなら、ワタシと一緒に行かなくても怖くなかったのでは?)

 明月は軽く疑問に思うが、正直、今の気分の前ではどうでも良くなっていた。

 ――ゴトッ!

 それは優雅な空間に相応しくない、一つの鈍い物音だった。

「えっ、ど、どうしましたか?」

 突然発生した不穏な音に明月は驚き、思わず少女へと声を掛けた。何故なら、音源は少女が入っている筈の個室だったからだ。

「あの、大丈夫ですよ、ね?」

 躊躇いがちに安否を問うが、中からは何も反応が無い。それが明月の不安を余計に掻き立ててしまう。

「ま、まさか……」

 最悪の情況を想定する明月の額から冷や汗がだらだらと流れる。身体はそわそわと、足は無意識に右往左往と動いていた。

 その時、個室からガサガサという音と共に、ようやく少女からの反応があった。

「あ、あの、驚かせてすみません。実はトイレットペーパーを誤って便器の中に落としてしまったようで……。その、申し訳ないのですが、洗面台の下棚から新しい分を取り出して頂けますでしょうか?」

「あ、はい。トイレットペーパー、ですね」

 少女の無事に安堵しきった明月はお安い御用、と紙を棚から取り出して個室へと向かう。

「ありがとうございます。それで再度、ご迷惑をお掛けしますが、私の両手が水浸しになってしまいまして。鍵は掛かってませんので、直接手渡しで貰えますか?」

「ええ!? 扉を開けて、それでもいいですか?」

「はい。紙が無いのは流石に……。結構ですので、是非とも宜しくお願いします」

「そうですか。はあ、本人が結構です、言うのであれば」

 明月はなるべく意識をしないように、よそよそしい態度で扉をゆっくりと開く。

「あのー。トイレットペーパー持ってきました……え?」

 ちらりと中を覗き込んだ瞬間、明月の表情は驚き固まった。そこに居る筈の少女が消えていた。

「っ!?」

 ふと、明月はふと天井に不穏な気配を察知する。それは射抜くような鋭い視線で、確実に個室内を見下している。

 明月は思わず口唾を呑み込んだ。あまりの緊迫感に耐えられず、その正体を確認しようと、恐怖に歪んだ顔を恐る恐ると上に傾ける。

 するとそこには……。

――紅い瞳の少女がべったりと逆さ天井に張り付いていた。

「ひッ!?」

 助けの悲鳴を上げようとした頃には既に遅し。明月は人ではない少女に飛び掛かられ、瞬時にして気管を封じられてしまっていた。

 明月が微かに咳き込み、その後にヒューヒューと掠れた空気が同じ部位から漏れる。

 細腕の少女はとてつもない怪力で明月の肢体を宙に吊り上げると、甘く妖艶に囁いた。

「うふふっ。やっぱりあなたを選んで正解でした。それでは、いただきまぁす!」

少女は(のこぎり)状の歯が羅列している凶暴な口を大きく剥き出し、それは待ち切れんと言わんばかりに、獲物の瑞々しく柔らかそうな(うなじ)めがけ襲いに掛かる。

 ――ガチッ!!

 凶器は感触をしっかりと捉えた。茶番を演じてついに得られた、官能の享楽とも言える感覚。少女は顔に悦楽と高揚を充満させると、中にある甘く粘り気のある蜜をゆっくりと啜り、じゅくじゅくと味わおうとする。

「ふふふ……んっ?」

けれども不可解にも、蜜はいつまで経っても溢れては来なかった。更には、少女が頸骨を粉砕するつもりで顎に力を込めても、明月の肉はまるで(くろがね)の如く硬かった

 流石の少女も、この状況に対して徐々に嫌疑を持ち始める。ゆっくりと視線を滑らせ、自分が喰らい付いているもの正体を確認する。

「っ!?」

 少女の顔から驚愕が生まれ、瞬時にして血の気と共に消えた。何故なら、明月だと思って噛み付いたもの、それは白銀に輝く44口径の銃筒であったからだ。

「…………」

 銃の持ち主は少女を無感情の瞳で見つめると、同情を込めて一言呟いた。

「……|Arrivederciアリヴェデルチ(……さらばだ)」

 刹那、激しい爆発音と共に、鋭い衝撃波が少女の頭を貫き、小柄な体を個室の奥へと吹き飛ばす。

「ぐっ……。な…何故…貴様達が……?」

 壁に勢い良く叩き付けられ、既に後頭部を打ち抜かれて瀕死となりながらも、少女はこの場に存在する筈が無い者達を必死の形相で睨みつけた。

「残念だけど。あたしは、あんた達二人がヴァンパイアだという可能性があると見ていた」

 廊下で待機している筈の二人のSTは、床に伏している少女を冷淡に見下していた。

「冥途の土産に教えてあげるけど、あたしは部隊の救護担当の白魔術師で、自身の生命力を媒体に他人の傷を癒す事が出来るんだよ。だからそれを確かめる為に、あんた達を慰めるフリをして治癒魔術をかけてみたのさ」

「……ま、まさかあの時」

 少女は理解した。あの優しさの裏に隠された本当の意図を。

「そしたら、ポニーテールの子には反応があったけど、あんたには全く感じられなかったんだよ。そりゃそうだよね。だって、あんたの肉体は既に生者のモノではなくなっていたんだからね。あたしをハメようなんざ百年早いんだよ――『生きる屍(アンデッド)』」

「そ…そん……な……」

 少女は信じられないと言いたげな表情を浮かべたまま、静かに空気中へと散っていった。

「恨むんなら。あたしの超殺人的な勘を恨むんだね」

 ソヨンは既にいなくなった者に向かって淡々とした口調で呟いていたが、表情には微かな哀愁が漂っていた。

「怪我は無いかね?」

 マルコが明月に向かって安否を問い掛けながら、片手を差し伸ばす。

「一応、無傷です。それよりワタシをオトリに使う為、黙ってましたね?」

 明月は手を取り立ち上がると、即座にソヨンの顔をジト目で睨んだ。

「え? まさか、オトリなんて」

 ソヨンはまるで重役の如く堂々とソファーに腰を掛けると、

「単にあんたに説明するの面倒だから省略しただけさ」

 平然と言い切った。しかも襲われたばかりの本人を目の前にして。

「なッ! ワ、ワタシのことを何と思っているですかーっ!」

 明月の理性はついに臨界点を超えて爆発した。茹で蛸の同然に顔を赤く膨らませ、蓄積していた恐怖と不満を次々と早口で昇華していく。

「はいはい。『終わり良ければ全て良し』ってあれだ。んー、日本人は思ったより正しい事を言うなー。感心、感心」

 明月の憤怒を微塵も意に介さず、ソヨンは逆に涼しい顔をしてあしらっている。

「むきィー!!」

「はいはい」

 結局、甲乙は着かず、戦場であった場所で幼稚なやり取りを、二人は延々と繰り返す。

「……ふむ」

 その様子を傍目から呆れながら観ていたマルコは、とある俗語を思い出した。

「確か、日本の言葉で『仲良きことは美しき』だった、かな……?」

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