第一章 STの主軸変遷
現在、世界には妖、霊、魔の三つの存在が有り、其等によって成り立つ勢力がある。
『妖』とは人で非らざる者である。
彼等は生まれながらにして、特異な能力の発動と人間のそれを凌駕する身体能力を備えていた。所謂、妖魔である。
『霊』とは神に遣える者である。
彼等は選ばれた者として神托された力を駆使し、永きに渡り妖を殲滅することを生業としてきた。所謂、霊能力者である。
『魔』とは摂理に反する者である。
彼等は人の身でありながら特定の媒体を必要とし、如上二勢力に対抗する為の力量を能動的に得た存在。所謂、魔術師である。
此等の存在は超越する種族『ST』(Superior Type)と名付けられ、各勢力の頂点に立つ者を其々『妖王』、『霊王』、『魔王』と称し、彼者達は破壊兵器をも凌駕する程の絶対の力量と存在を常世に誇示してきた。
ゆえに国連は該勢力を監視及び鎮圧する為に、同STを主力として組織した特別対策軍『STTF』(ST Task Force)を全加盟国に設置する。
それから約半世紀後、各勢力の王が入れ替わってしまった事態により、情勢は不測の展開を迎えていく。
現妖王、『鳳雅俊』
彼者は日本三妖勢力である天狗の鳳宗家にて出生。生まれながらにして得た強大な妖力を以って、永きに渡り睨み合いを続けてきた日本三妖(天狗、鬼、妖狐)を統括、尚且つ七年前に当時の妖王、不死帝に闘いを挑み現妖王の地位を獲た男である。
現霊王、『御影蒼史』
彼者はとある神道一族の分家出身。十年前、前霊王であった当主の逝去と同時にその地位を継承する。潜在霊力こそ前霊王には及ばないものも、霊力を扱う事に関しては右に出る者は存在しないとも謂われている。
現魔王、『クリスティ・ハワード』
彼者は英国魔術師組合の幹部を務める父親ジェームス・ハワードと日本三妖の家系出身である新堂朱音の娘として誕生。生まれながらにして潜在魔力の量が桁違いに多く、若干五歳にして魔術師組合による選出により現魔王の地位に就く。
近年、三人の王を中心として、各主力勢力が日、英国へと集中。結果、STTF総本部は急遽全地域から大量のST人材を該当国に派遣し、現在までに到るのである――。
「……ふぅ。大体こんなもんかな」
男はボールペンを机へ投げ捨てると、散らけてあった赤い紙筒をを一つ口に咥えて、片手に握ったオイルライターの点火ドラムを親指で弾く。
先端に火を点した途端、独特の苦味と共に甘美な快感が全身へと沁み渡る。男は感覚に耐えられず、椅子の背に仰け反り靠れたたまま紫色の吐息を何度も漏らした。
「はあぁ~」
だがそんな幸せも長くは続かない。突然の来訪者により、憩いは悔しくも妨げられてしまう。
「誰だよ……こんな時に」
男は煩わしそうに元凶へと振り向くが、一瞬にして言葉を失い、すぐさま顔を背けて煙草の火を携帯灰皿で擦り消した。
「あれぇー。先輩ではないですかー。この時間に何をしているのですかー?」
「別に。吹雪には関係ないだろ」
男は真横まで寄ってきた女を上目で一睨みする。吹雪と呼ばれた女は傍目から見れば、まごう事なき美女である。穏やかで均整の取れた顔立ちに、腰にまでかかる艶のある日本人特有の黒髪。そして語尾に柔和を感じさせる緩慢とした口調。これらの要素を持ち併せれば、誰もが彼女をおっとりとした淑女と見捉えるだろう。
それでも男は吹雪を苦手とし、積極的な交流を極力避けていた。
「そこにあるのはレポートですかー? デスクワークを極力他人に押し付けたがる先輩が珍しいですねー」
「相変わらず言葉に棘があるよな。だから、こんな時間になってるんだろ……」
「もしかして、アークライライト大佐の御命令ですかー?」
「……まあな。何で今更、『ST勢力の主軸変遷』なんて初歩的な題目なんだ。訓練生じゃあるまいし」
「先輩の態度に非があったのではー? 少しは上官に敬意を表した方が良いとも思いますけどー」
「無理だ。あのゴリラに対して敬服の念なんてあるか。そもそも、あいつはな……」
男は腕を組みながら白い天井に向かって黒々しい鬱憤を吐露していく。感情に流されすぎてこの時はまだ、室内の気圧変化には全く気付けていなかった。
やがて心の霧がうっすらと晴れ、男が視線を元の位置に戻す。すると今しがたまで良く動かされた口輪筋はたちどころに痙攣を始めた。
「……げ」
吹雪の周囲には暗雲が渦を巻いていた。果たして降雨か落雷の前兆か。もしくは名の通り豪雪で荒れるのかもしれない。どのみち笑顔だけはそのままなので、却って不気味で威圧感のある光景だった。
「悪い吹雪。俺の替わりにこれを提出しといてくれ。ちょっと喫食所で晩飯食ってくるわ」
上官に対する罵詈雑言よりも、場の雰囲気に堪れなくなった男は半ば強引に書類を手渡すと、早足で扉に向かって行く。
「分かりましたー。これは私の署名で出してしまいますねー」
「……は?」
吹雪が含みを持たせて放った不意の一言で、男の忙しない脚に急制動がかかる。
「今、何て言った?」
男は自分の耳を疑うようにしてぎこちなく振り返る。
吹雪の冷たい笑顔はいつの間にか、煩わしいくらい勝ち誇ったものへと変貌していた。
「ですからー。私の名前で提出してしまっても良いのですねー。――レポートの作成者が匿名さんになっていますよー」
「…………」
男は無言で引き返して、追い剥ぎも吃驚する早業で吹雪から書類を奪い取ると、彼女を無視しながら署名欄へと適当な字体を書いていく。
「全く、こんなんで小言を言われたらマジで洒落にならんからな」
記入を終えて気が弛緩した男は顔に安堵の表情を浮かべる。そして再び書類を吹雪に押し付け、今度こそ颯爽と扉の向こう側に消え去って行った。
「全く、煙草なんて吸っているから、確認が疎かになるんですよー……」
場に残された吹雪はやれやれと独り言を呟きながら、視線を書類へと滑らせる。
「流石に、今度はちゃんと書かれてますねー」
困ったように笑う吹雪。レポートの署名欄にはこう書かれてあった。
『極東STTF 日本第18基地 少尉 神代正剛』