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合い鍵

作者: みつ

 オレは自宅のトイレで本を読むのが好きだ。

 ほどよい狭さ、いつでも用を足せる気軽さが良い。水を使う場所だからマイナスイオンが出てリラックスできるのかもしれない。

 一人暮らしの気安さでいつまでもこもっていられるのも、この日課に拍車をかける要因なのだろう。

 壁に設置して小物を置けるようにしたボードの上にスマートフォンを置き、便座に腰かけ今日も無心に本を読んだ。


 キリの良いところまで読むとトイレの水を流し、ドアを開けようとした。開かない。

 ドアノブをガチャガチャと音を立てて回しながらドアを必死で押した。やはり開かない。何回か試して息が上がり、ドアの前で立ち尽くす。ふと思い出したのは、ドアの前の壁に立てかけておいた簾の存在だ。

 先日工務店で簾を購入して、壁に立てかけたまま設置を後回しにしたのだった。おそらくそれがなにかのはずみに倒れてきて、ちょうどつっかい棒の代わりになってしまったのだと推理してみる。

 そういえば本を読んでいる最中、どん、と音がしたような気がする。それが倒れてきたときの音に違いない。


 幸い、トイレにスマホを持ち込んでいる。誰かにメールなり電話なりをして助けてもらえば……。

 いや、とオレは思い直した。助けてもらうにはトイレまでの道のりを見られるということになる。玄関のドアを開けてすぐ横の台所は、野菜の入っていたビニール袋や発泡トレー、買い物袋数枚が散らかり放題だし、ここ数日の着ていた服が脱いで放り投げてある。1Kのオレの部屋は、台所から六畳の部屋に行きつくまでの道のりが獣道だった。はっきり言って人を呼べる部屋では無い。

 それよりなにより、玄関のドアにカギがかかっている。よく聞く、郵便受けや鉢植えの下にスペアキーが置いてあるなんてこと、物騒だからできなかった。それがこんなときに響くとは思わなかった。


 それに、誰に連絡を取るかという問題も残る。

 オレは親元を遠く離れて一人暮らしだ。親戚も市内はおろか県内にすら一人もいない。

 遠くの親戚より近くの他人ともいうが、近所づきあいなんてものはアパートの一人暮らし者には遠い世界の話である。むしろ、お互いに顔を合わせないようにするものだ。


 友達はいることはいるが、仲の良い友はみんな家庭持ちになってしまった。スマホの表示を見る限り現在夜中の一時だ。さすがにオレも常識というものを知っているので、独身ならまだしも、家庭持ちへこんな時間に連絡はできない。


 はっと、一人思いつく。だがその人物は元恋人だった。

 友達にもどりましょうと付き合いが終わったので、友達というカテゴリーに入れてもいいだろうか。友達なら、友達なら助けてくれるよね?


 さっそく元恋人にメールを送ってみた。即届いた返信に喜んだのもつかの間、返信はmaildaemonからであった。あの女アドレス変えてやがる。


 こうなったらレスキューを呼ぶしかないのだろうか。レスキューってどこに連絡すればいいんだ? 消防署か?

 いや待てともう一度考えて、スマホのアドレスを初めから順に見た。

 同部署の社員の番号とメールアドレスが入っている。そのうちの一人はたしか隣の区に住んでいるはずだ。そんなに仲は良くないがたしか一人暮らしらしいから、この時間にかけても家庭持ちよりは迷惑ではないだろうと思う。彼女を連れ込んでいちゃついていたら悪いがな。


 連絡する相手はこれでいいとして、カギのかかったドアの問題が残っている。うちは一階だからどこか窓が開いていればそこから入ってくれと言えるのだが、あいにくすべての窓は閉めており、カギもかけている。


 迷ったすえに、オレは同僚にメールをした。

 夜分すまない、トイレに閉じ込められている、ガラスカッターを持っていたらそれで部屋の窓を切って侵入してくれないか、持っていないなら忘れてくれとの旨を打ち込み、メール送信した。

 同僚がガラスカッターを持っていないなら110番だか119番だかに電話して助けてもらう。持っていた場合、窓ガラス代は痛いが仕方のない出費として諦めよう。部屋の散らかりも諦めるしかないだろう。


 オレは便座に腰かけて同僚からのメールを待った。ほどなくしてメールが返ってきて、今から向うとあった。オレはほっとして天井を仰いだ。どうやら同僚はガラス切りを持っていてくれたようだ。文句の言葉もなく来てくれると返事をくれた同僚は、案外気の良い人物らしい。これを機に友誼を結んでみても良いかも知れない。


 しばらくするとメールが入る。アパート前についたようだ。アパートの場所は少し入り組んでいるのだが分かったらしい。メールで道案内などしていないのに無事たどり着いたことに少々疑問が生じるも、年賀状かなんかで住所を知っていたのだろうと気楽に考えた。

 トイレは玄関前の外通路に面している。通路からオレの名を呼ぶひっそりとした声が聞こえたので、オレも小声で返す。


「こんな時間にごめん、でも助かった」


 来てくれて本当に助かった。オレは玄関の裏手にある侵入できる窓のことを伝えようと口を開き、聞こえてくる音に口を開いたまま固まる。

 聞こえる金属音は、ドアノブのカギ穴にカギを挿したときの音に似ていた。かち、とカギの外れる音によく似た音も続けて聞こえる。

 ドアの開く音、閉まる音。カギのかかる音がして、ごそごそと聞こえ、トイレのドアが開いた。


「な、なんで玄関から入ってるんだ。カギは? カギかかってただろ!?」


 狭いトイレの中、ドアと反対側の壁に背中を押しつけて同僚を凝視した。スーツを着ておらず、見慣れない普段着の同僚はにっこりとほほえんだ。


「合いカギ、作っていて良かった。頼ってくれて嬉しいよ。怖かっただろ?」


 そう言って手を差し伸べるお前のほうが怖いわ!

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