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鬼庭左月  作者:
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第二章「約束」

 春の日差しを浴びて桜の花がほころぶ庭を眺めながら、隠居所の縁側に二人の老人が座っている。一人は正真正銘、八十に近い老翁であるが、もう一人は老人にも見えるし壮年にも見える、正体不明の小男。了庵・茂庭綱元と上月佐助である。

 「佐助、幸長も十二歳になるな。」

 「はい。」

 「早いもので六年も経つか。」

 「左様でございますな。」

 「立派な若武者に育った。」

 「了庵殿の御薫陶の御蔭様にて。」

 「何の。あの者の素質よ。いや、血のせいかな。日本一の兵と鬼の血筋じゃ。立派にならぬ訳が無  い。佐助、その方も色々と伝えておるようじゃな。身のこなしは素早いし、時折、目の前に居るのに気配を感じない事すらある。」

 「恐れ入ります。幸長の殿の存在は、この徳川の治世では危ういものにて、万が一の場合には、御自らの力で生き抜いて頂かねばなりませぬ故。」

 「そちの方が危うかろう。何しろ神君家康公の御命を縮めた男じゃからのう。」

 「何、某なぞは、吹けば飛ぶような軽き命でござりますれば。」

 「忍びとは、そのような者よの。されど、そちが消えれば、この了庵が寂しくなるわい。」

 「これは過分な御言葉、痛み入りまする。」

 「上無しの忍びの言葉とは思えぬの。お互いに戦場で血飛沫を上げてきたいくさ人同士。そち程の良き話し相手は得難いものじゃ。」

 「某も、殿に男惚れ致しております故、心地良う過ごさせて頂いておりまする。」

 「左様か。時に、幸長を元服させようと思うが、公には出来ぬ故、この隠居が烏帽子親になり、そちの立ち会いで密かにやるしかあるまい。日和も良し、今からやるか。」

 「宜しゅうございます。早速御呼びして参りましょう。」


 六文銭の家紋を染め抜いた裃姿の若者が涼やかに入室し、端座している。五尺を超える、十二歳にしては大柄な胴体の上に、この世のものとは思えぬほどの美しい顔が乗っている。

 「おお、幸直殿。相変わらず美々しいの。小十郎の若き頃をも凌いでおるわい。」

 「恐れ入ります。」

 「世が世であれば、もそっと華々しく元服させられたものを、不憫じゃの。」

 「何を仰せられます。父上様が烏帽子親となって頂ける事、この幸長にとりましては望外の幸せ、恐悦至極に存じ奉ります。」

 幸長は、心から了庵・茂庭綱元を敬愛し、この祖父のような老将を父上様と呼ぶようになっていた。

 「そちの父、小十郎の下に居る大八、今は片倉守信と称しておるが、あの者がいずれは真田を名乗ろ う。どうじゃ、この元服を期に改姓せぬか。」

 「仰せのままに。」

 「そちは、かの真田左衛門佐幸村、真田信繁公の摘孫である。本来ならば真田の姓は捨て難きものであろうが、本日只今より、六文銭の家紋も捨て、新しき家を作って行くが良い。」

 「承知仕りました。」

 「されば、何と言う姓を名乗っていただこうかの。」

 「父上様に御決め頂たく存じまする。」

 「左様か。」


 暫く天井に目をやって思案をする了庵。やがて室内に吹き込んだ桜の花びらに目を移しつつ、呟くように話し始めた。

 「今を去ること四十二年・・・・・・。父と共に人取橋の合戦にて殿軍を勤めた。そこもとも話には聞き及んでいよう。」

 「はい。御家中の方より伺っております。」

 「あれは、我が戦人生の中でも最大の危機であった。正宗公の御尊父、輝宗公の仇を討たんと二本松を攻めたのじゃが、佐竹が伊達を見限り、蘆名・岩城・石川・白川・小峰・相馬と連合軍を組んで攻め寄せて参っての。敵は三万を超え、我が軍は精鋭とは申せ七千足らず。正宗公も矢傷を負い、鉄砲の鉛玉を5つも受けられた。正宗公を逃がさんと我が父左月斎が殿軍を承ったのじゃが、多勢に無勢。父は七十三であったか、鎧が重過ぎてつけられず、黄綿の帽子を被って正宗公拝領の軍扇を振り翳し、敵陣深くに突っ込んで行かれた。我が軍は二百余りの首級をあげたが、父の首を岩城常隆が家臣、窪田十郎に獲られてしもうた。」

 「あの窪田様でございますか。」

 「左様。今、そちの世話役を勤めておる、その窪田じゃ。合戦後に捕らえたが、あたら勇猛なる武将を殺すのが惜しくなっての、我が家臣とした。父に申し訳ないとは思ったが、窪田も岩城の家臣として忠実に武功を上げたに過ぎぬ。怨むは筋違いと思うてのう。とんだ親不孝者よ。」

 「左様でございましたか。」

 「うむ。されば、幸長殿、そちの新しき姓じゃが、鬼庭を名乗ってはもらえまいか。」

 「鬼庭でございますか。」

 「左様。父の代まで名乗っておった姓じゃ。天正十八年、正宗公が煽動して葛西大崎一揆を起こしたことが露見しての。太閤殿下に申し開きに参った。その折、鬼が庭にいるのは縁起が悪いと申され、茂庭と復姓したのじゃ。重ね重ねの親不孝、このような齢になっても気に病んでおる。そこもとに父の姓を引き継いでもらえれば有り難いのじゃが。」

 「謹んで御受け致しまする。」

 「おお、受けてくれるか。幾分か親不孝の肩の荷が下りる心持ちじゃ。いや、有り難し。」

 「過分なる御言葉、痛み入ります。父上様、されば、この幸長、御当家の為に何が出来ましょうか。」

 「今のそちでは、何も出来まい。まして、このような太平の世ではの。」

 視線を落胆の色を隠せずにいる僅か十二歳の幸長に向けたまま、暫く黙った。


 (まだ子供だな。)


 「されど、三代後、十代後になれば、何事かを行えるやも知れぬな。」

 「されば、三代後、十代後に何が出来ましょうか。」

 愚問だった。そんなことは御自分で考えなされと一言で切り下げられても止むを得ないところだが、了庵・茂庭綱元も戦場往来の老練な武将である。この生涯を食客として過ごすであろう御曹司に、憐れみを超えた愛情を持っていたし、自分にとって孫のような子供である。

 腕組みをして考える風を示し、目を閉じて呟くように話した。

 「左様さな、そちの子孫に鬼庭の姓を引き継がせ、その折に、いつの日か天下に鬼庭の名を知らしめ、その祖に我が父、左月斎が居ったことを伝えて行ってもらえようか。」

 「承知仕りました。この幸長、父上様の御父君の姓を背負い、この姓を世に伝えて参る事、天地神明に誓いまして御約束申し上げまする。」

 「うむ。この役目は、我が茂庭家にとって万石に相当するものである。今後、その役儀を以って、我が家臣筆頭を凌ぐ地位にあるものと思し召せ。」

 若年ながらも堂々とした、えも言われぬ素直な姿に感動し、つい口に出た。


 「有り難き幸せ。」

 平伏する幸長に、鬼庭左月入道良直が最期に揮った金色の軍扇を手渡し、家紋も黒鐘とした。この瞬間に仙台裏真田と称される鬼庭氏が誕生した。その初代鬼庭幸長。自らの身の処し方と将来に苦悶していた子供が、食客の身分から新たな役儀を与えられ、興奮している様子がありありと分かる。目が輝き、透き通るような白い肌が紅潮している。


  目の前の爽やかな若武者の興奮振りに、心の中で呟いた。

 (父上の愛した女性の曾孫にして、真田左衛門佐幸村の摘孫か。今の幸長では世を憚る身。何も出来はすまいが、その子孫なら、或いは何事かをしでかしてくれるやも知れぬ。)

 そのような不確かな、遠い未来の事を考えた自分が可笑しくなり、大声を出して笑った。

 (茂庭綱元、老いたり!)

 自嘲しつつ、眼前に控える孫のような幸長の美々しい若武者振りを、改めて惚れ惚れと眺めた。


 時に寛永五年、一六二八年。七十九歳の老雄、了庵・茂庭綱元と仙台裏真田・初代鬼庭幸長の他愛も無い会話である。

 それが四百年近くも経た仙台の地に於いて、了庵も幸長も想像さえ出来なかったであろう形で実現される。

 その第一歩は、仙台裏真田・初代鬼庭幸長から数えて十六代目、「ケチ直」の父「幸元」が企てた計画から始まる。

 幸元が息子「ケチ直」と共に孫の誕生を祝した日。「五月二十四日」の夜である。


 「良直、孫の名は左月にしよう。」

 と、唐突に言った。

 「お前も知っている通り、仙台裏真田・鬼庭家には果たさねばならぬ約束がある。恩人・茂庭綱元公と初代鬼庭幸長公が寛永五年に交わした約束だ。

 鬼庭の姓と鬼庭左月入道良直公の名を後世に伝えるという役目を受けていながら、歴史家や小説家の手に委ねるがままに役目を怠ってきた。

 このままでは、綱元公に対しても幸長公に対しても申し訳が立つまい。

 幸いにして、お前は事業に成功して資金を握った。これからも潤沢な資金を手に入れられるだろう。

 それら全てを祖先の約束を果たすために使ってくれないか。いや、お前の今後の人生全てを祖先の約束を果たすために捧げて欲しい。

 勝手なのは百も承知だが、俺には出来なかった事が、お前達親子になら出来る。

 なあ義直、今日がどんな日か知っているか。

 綱元公が、この世を去られた日だ。

 伊達正宗公も、この日に世を去られた。

 その日に生まれたという事に、只ならぬ運命を感じるんだよ。

 我々が今日という日を迎えられたのも、茂庭綱元公在ったればこそだ。

 どうだろう、そうは思わないか。」

 「ケチ直」は沈黙している。そうするより他に無かった。何しろ驚いた。あの寡黙な父が長口舌を奮ったという事だけでも驚きに値するのに、人生をくれと言う。驚天動地の出来事といって良いほどの衝撃を受け、ひたすらに混乱する頭脳と戦っていた。長男の誕生という喜びなど、すっ飛んでしまっている。

 冠婚葬祭の仕出しを生業とする割烹鬼庭家を受け継ぎ、大衆食堂も開店してから経営は順風満帆、人も羨む様な贅沢な生活を送ってきただけに、それらを全て捧げよと言われても、俄かに返答するのは不可能であった。

 

 三時間以上、この親子は黙った。


 大昔の約束を果たすという、常識では考えられない、言わば馬鹿げた事の為に、息子が悩み、父親が返答を待っている。

 普通なら即座に断っても然るべき問題だが、「ケチ直」は一笑に付す事をしなかった。

 遥か後に、息子の左月に対して、この時の心境を語っている。この日の幸元が、時に茂庭綱元公に見え、時に鬼庭幸長公に見える不思議な体験をしたという。

 四百年近くも前の寛永五年、一六二八年にタイムスリップした様な錯覚を起こしたという。


 「いいでしょう。」


 懊悩の末に搾り出した、この一言を境として、良直は「ケチ直」となった。二年後には妻とも離婚し(逃げられたと言った方が正しい。)金の亡者と化して行った。

 とにかく金を使わない。前述の如く、店の改修はおろか、調理器具に至るまで、この日から一切そのままにした。

 外食もゴルフも控え、好きだった車も売り、洋服も買わなくなった。

 妻が最も驚いたのは、冠婚葬祭の一切に出席しなくなった事である。祝儀や香典すら吝しんだのである。

 当然の事ながら、親類縁者全てにそっぽを向かれ、遂には妻も出て行ってしまった。


 四百年近くも前の約束が、左月の祖父と父の人生を変える結果となった。いや、その約束が、祖父と父の人生最大の目標と化して行ったのである。


 そんな「ケチ直」も、こと左月に関する事に限っては金を使う。必要と思われる物は何でも買い与え、家庭教師を雇い、衣服の着替えまで手伝わせる使用人を三人も付けた。毎月毎月、僅かの面積ではあるが、贈与の形で左月名義の土地を買い増していった。


 「ケチ直」は、父でありながら、息子の左月を「さん」付けで呼ぶ。使用人には「左月様」と呼ばせた。

 これら全ては、仙台裏真田・鬼庭家十六代目、左月の祖父「幸元」の指示であった。

 「左月さんは、生まれながらの鬼庭家当主として育てよう。

 我々親子も、左月さんを子や孫と思うまい。

 我々が敬ってこそ、我々の家の者も、周りの者も、そして、いずれは世間も左月さんを敬うようになる。

 資金と土地と周囲の尊敬を左月さんに与えよう。

 左月さんの資質次第ではあるが、少なくとも、人間は、その出発点の如何によって、将来が大きく左右されるものだ。

 我々親子は、左月さんの土台を可能な限り立派に、そして高く作る事に人生を捧げよう。左月さんが、自らの力で飛翔する日まで。」

 「ケチ直」は、その指示に忠実に従った。

 祖父を根に、父を幹として、鬼庭左月という花が咲き、その実を結んでいく事になる。


 左月は、物心両面において、この世に有り得ないほど完全に満たされた環境で育った。

 この様な環境に育った人間は、驕り昂ぶって我侭になるものだが、左月は素直で優しい人間に育った。使用人に対しても、級友に対しても深い思い遣りを見せた。

 祖父も父も、こと教育に関しては、他の追随を許さぬ程の達人であったと言って良い。

 この、世にも稀な祖父と父が、その人生の全てを、たった一人の人間を育てる事に賭けたのだから、当然と言えば当然の結果であったが、左月は、この二人の奇人から見ても、立派な作品に仕上がりつつあった。


 その左月の人格形成の一助となったのが、格闘技の修行であった。柔道も三歳の頃から習い始めたが、鬼庭家の使用人である老人が、武闘派拳法と呼ばれる格闘技を、左月が三歳の頃から毎日指導した。これは、あまり世に知られていない中国の格闘技だが、かつて中国政府が禁止令を出したほどの攻撃力を持つものであった。この拳法、笑顔で戦うことが作法であり、掴み、捻り、投げ、蹴り、打つ、強烈無比の拳法であった。第二次大戦中、中国大陸を馬に乗って駆けた馬賊であったというこの老人、相当な老齢であるにも拘らず、途轍もなく身のこなしが軽い。そして全く手加減をしない。擦り傷や瘤位ならまだしも、左月が小学生の段階で三度も骨折させてしまっている。中国語の家庭教師も兼ねたこの老人こそ、上月佐助から数えて十五代目「猿飛び佐助」であった。この伊賀の忍者「猿飛び」の一族は、割烹「鬼庭家」の敷地の一部に住居を構え、十五代目が庭師、十六代目が運転手として住んでいる。十七代目は鬼庭家が所有する山林の管理人として、左月と同年に誕生した十八代目と共に山小屋に居住していた。「猿飛び」の一族は、子が生まれると父と共に山に移り住んだ。伊賀の忍者としての術を伝える修行の為であった。ともあれ、この一族は、四百年近くもの間、鬼庭家に仕え続けてきたのである。


 左月が中学生になると、何本かに一本かの割合ではあるが、十五代目佐助ですら不覚を取るようになった。

 使用人が運転する車で送迎される、典型的な御坊ちゃまであった為、時に不良グループに絡まれた事もあったが、笑顔で、するりするりとかわして行く。囲まれて絶体絶命かという場面もあったが、やはり笑顔で何事も無かったかのように通り過ぎた。その後には数人の不良が倒れている。どうやったのかは良く分からない。間近で見ていた近所の少年さえ、さっぱり分からない。魔法でも使っているのかと質問した程だった。御礼参りと称して、何度か不良が挑んできたが、結果は同じであった。

 いつの頃からか、この女の子のような美しい顔を持つ、穏やかで礼儀正しい中学生に絡む者も無くなり、煩わしい不良退治の行事からも解放された。


 仙台裏真田十八代目当主、鬼庭左月の完成期は、高校時代に迎える。


 四百年近くも前の約束が、鬼庭左月という、後に日本という国を根底から変える程の人物を創造し、完成させていく。



 


 


 


 

 

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