第八話:真実
王都フェリオンにあるミールバルク城の中でも一番の大きさを兼ね備える大広間にて、史上稀に見るほど盛大な式典が開かれた。
今回の式典の主たる目的は、武闘大会に参加した中で優秀な成績を残した者、或いは一定の力が認められた者に対して何らかの報酬を与えることである。
各国間での軍事的緊張が高まる中で、少しでも期待戦力を手に入れるために国王陛下主導の下に開かれた武闘大会は、今までに類を見ないほどの大成功を収めたと言っても過言ではない。
何といっても陛下が望んでいた人物――――半龍種である少年に出会えたことは、今後の情勢を鑑みても素晴らしい収穫である。
先の武闘大会で見せた大器の片鱗は瞬く間に市井の人々に知れ渡ることになり、また軍関係者たちでさえ舌を巻くほどの実力であった。
大会が終了してから式典が開かれるまでの間で、一部の軍人からはラーグを要職に就けるべきとの意見も持ち出されたが、現状でいきなり重要な役職に配置するのは時期尚早だとの反対意見も多かったため、現時点で具体的な案は決定されていない。
しかし、要職配置に難色を示していた者たちもラーグの力量は認めているようで、陸軍への招聘自体に異論を唱えるようなことはなかった。
少なくとも陛下を始め、半龍種の功績を知る人々にとっては最良の駒を手に入れたと言える。
様々な思惑が交錯する中で、式典は開催されることになった。
多くの人々が集まっている大広間には軍の幹部関係者と思われる服装を身に纏った者もチラホラと見受けられる。
他の軍兵士の様に白の服装とは違い、黒を基調とした服装に身を包む姿は、見る者に自然と畏怖を感じさせるほどであった。それほどまでにその佇まいには覇気が滲み出ているのだ。
その後ろには白で統一された格好をした兵士が整然と並んでいる。
これが大陸に名を轟かせる、アリュスーラ王国陸軍の存在感であろうか。
一挙一動、その隅々まで行きわたった統率力は見る者を釘付けにするほど優雅で、そのきびきびとした動きには感嘆する者が後を絶たない。
陸軍の隣には空軍部隊が列を作って待機している。
此方も物々しい雰囲気を醸し出しており、歴戦を潜り抜けてきただけの風貌を持った男が大勢いる。
陸軍とは違って龍種や竜種といった航空戦力を主とする空軍には、陸海軍に比べて女性の比重が高い傾向にある。
これは遥か昔の自叙伝に記されていた内容から明らかにされたことだが、元来女性は竜種と心を通い合わせやすいと言われており、事実過去の記録を見ても空軍で活躍し後世に名を残している人の中には女性が多く含まれている。
空軍の主戦力でもある龍種は男性の割合が高く、竜種や魔法を駆使して戦闘や後方支援を行う部隊には女性の割合が高いので、軍へ入隊を希望する女性は大抵王国空軍で陽の目を浴びる夢を見ているのだ。
続いてその横には王国海軍が並んでいる。
王国の立地上、海軍が表立って活躍することは少ないが、過去に起こった争いの中では古くから小競り合いを繰り返してきた≪魔導帝国レジマルク≫と領海侵犯問題で国境付近で激突したこともある。
あまり注目を浴びないとは言ってもその規模は決して小さいことはなく、大陸辺境の地にある中小国家が保持する海軍戦力などを遥かに凌駕するくらいの戦力は持ち合わせている。
王国海軍の主戦力は希少とされている海龍種である。
龍種とは違って水中を主戦場とする彼らは、圧倒的な軍事力を保有する帝国でさえ持ち得ておらず、大陸中を探しても王国にしか存在しない唯一の存在である。
通常、海軍の戦闘は艦船から魔力を圧縮して使用する魔導砲などを主として行うのだが、海龍種の存在は他国に脅威を与えており、海軍だけを見れば他国の追随を許さないほどの破壊力を兼ね備えている。
そして、錚々たる面子が揃う中、その脇に控える形で先日行われた武闘大会から招かれた参加者たちが緊張の面持ちで静かに時が過ぎていくのを待っている。
参加者の顔は一様に強張っており、この場の雰囲気に呑まれていることが窺える。
そう、たった二人を除いて。
参加者の中で明らかに気の抜けた表情をしている二人は、周囲が緊張のあまり直立不動となっている様子を視界の隅に捉えながら、小声で会話をしていた。
「何だよこの空気は。居づらくて困るんだが」
「しょうがないよね~~。王国軍が勢揃いしてるんだから。そりゃ緊張するよ」
「そう言うラクリアは緊張しているようには全く見えないんだが?」
「ラーグだって似たようなもんでしょ?」
と言って会話しているのは、武闘大会で注目を浴びることとなったラーグとラクリアである。
何とも緊張感のない会話だが、ラーグは何もボーっと突っ立って時間を過ごしているわけではない。
ラクリアと会話しつつもその目は居並ぶ王国軍の方へ向けられており、舐めるような視線は軍人たちを品定めするかのように鋭く、かつ冷静に分析している。
並んでいる王国陸軍の先頭にはバジリスクの姿も見ることが出来た。
流石将軍職に就いているだけのことはあるのか、ただ立っているだけなのに周囲に撒き散らすオーラは凄まじいものがある。
あれと対峙していたのかと思うと、今更ながら背筋に寒気が走ってくる。
エルメスと会話していたときに言われた「目が笑っていなかった」というフレーズが頭の中をぐるぐると回ってなかなか離れてくれないのが苦しいところだ。
「……確かに緊張はしてないな。見たところ、式典は長引きそうだから早いとこ終わってくれないかとは願っているんだけど」
「それってつまり」
「面倒じゃないか」
事もなげに言ってのける図太さにラクリアは思わず目を瞠ってしまう。
これが本当にあの半龍種なのかと考えると、気が重くなった気がする。
ラクリアの喉からは掠れた音しか出なかった。
「まあそんなに長くなることはないと思うよ? 僕らに褒美とかを与えるくらいだろうから」
ラクリアは軽くそう返してきたが、ラーグはなかなか納得することが出来なかった。
そもそも、武闘大会参加者に褒美を与えるにしては式典の規模が桁違いに大きすぎる。
それだけならばもう少し簡素な感じでやればいいし、わざわざ王国軍を終結させる必要もないのではないか。
ここにきて、ラーグは一つの仮説を打ち立てていた。
確かに褒美の授与は目的の一つだろうが、それとは別に何か狙いがあるはずだ。
狙いの内容を正確に把握することは出来ていないが、少なくとも軍を総出にしてでもしなければいけないことは確かなようだ。
「……何か他の理由もあるような気がするんだがな」
ラーグの疑問に答えるべきか迷う素振りを見せたラクリアだったが、意を決したように口を開いた。
「やっぱり半龍種の存在が明るみになったからかな?」
(……やはり、そうか)
薄々は感づいていた。ただ、確証はなかったので疑惑程度に捉えていたのだが、今になってようやく確信を得た。
間違いなく陛下の目的は自分である、と。
海龍種が水中戦を得意とするように、半龍種は陸上での戦いを得意とする。
龍種は戦闘時に体を龍の姿に変えて戦うため、必然的に空中戦を任されることになる。
これに対して半龍種は己の意識深くに龍を宿し、そのままの状態で龍の力を使用することが出来るので、陸上での戦闘に特化している。
個々の戦闘力だけ見ても、その力は人間種を束にしても敵わないほどのもので、磨き抜かれた精鋭ともなれば軍隊に匹敵するほどの力を持ち合わせている。
その知識を備えているからこそ、目の前に現れた希少な存在を前にして欲に駆られた行動を取ろうとする姿がラーグにはありありと浮かんできた。
あまりにも身勝手すぎる発想に不快感を露わにしそうになる。
人を人と思わない考え方に嫌悪感が湧き出てくるのが感じられた。
ラーグが必要とされているのではなく、ラーグの持つ特別な力を求めているという事実が胸に深く突き刺さってきた。
俺は、軍事兵器じゃないぞ。
「ラーグ、顔に出てるよ」
堪りかねたのだろうか、ラクリアがそっと耳元で囁いてきた。
どうやら不機嫌だという心の状況が漏れていたようだ。
指摘を受けたことでそれに気付いたラーグは、慌てて表情を消そうとする。
そのとき、前方が不意に騒がしくなった。
驚いて前に目をやると、一人の兵士が別の兵士から何やら耳打ちをされていた。何かを伝えられた兵士は胸を張ると、腹の底から絞り出すように、広間に響き渡る声で宣言する。
「国王陛下、王子殿下、御入来!!」
それを聞いた途端、場の空気が一瞬で張りつめた。
弛緩していた筋肉が一気に引き締まっていくのが分かる。
先程まで不機嫌さが滲み出ていたラーグでさえ背筋を伸ばさずにはいられないほどの緊張感が辺りを覆っていく。
暫くして、玉座の横にある扉がゆっくりと開き、そこから二人の人物が姿を現した。
一人は以前に見たことのある顔――武闘大会でラーグに声をかけた張本人――国王陛下アレクセイ・フォン・エドワードであった。
もう一人、陛下の後ろに続いて歩いてくるのは今まで見たことのない顔であった。
年齢もかなり若いと思われ、端整な顔立ちは多くの女性の目を惹きつけそうなくらい美しい。
これが王子殿下ゼクトール・フォン・エドワードと対面した瞬間であった。
広間にいた者は皆一斉に、現れた二人に向かって頭を垂れる。
二人はゆっくりと玉座まで歩みを進め、辿り着いたときに正面、即ち此方のほうに体を向けた。
「皆、面を上げよ」
優しい響きを残しつつも、威厳に満ち溢れた声が静寂を切り裂いた。
国王陛下の合図によって式典参加者は下げていた顔を上げ、正面で自分らを見据える君主とその子息に注意を向ける。
「こうして皆に集まってもらったのには理由がある」
そうして話の口火を切ったアレクセイは、顔を僅かにラーグたちの方へ向けながら続きを話し出す。
ラーグはほんの瞬間だったが、アレクセイと目が合ったような気がした。
「今回開かれた武闘大会では今までよりも優秀な人材が多く発掘された。その者たちのお披露目も兼ねて、今日は皆の前で褒賞を授けることとする」
アレクセイの言葉に驚きと動揺の入り混じった感情が広間を駆け抜けていく。
皆が驚くのも無理はない。寧ろ、皆の反応は至極当然のものだ。
今まで数多く大会が開かれてきたが、軍関係者が驚くほどの逸材は殆どと言っていいほど現れなかった。極一部の参加者の中には光る素質を持った者もいたにはいたが、それも国の重要な戦力となるまでには至っていない。
それが、今回はこうして陸海空軍全てを集結させての発表である。
これが意味することは何か。
即ち、国家戦力として見做すことのできるほどの実力を兼ね備えた人物が現れたということだ。
これには普段冷静な者たちも流石に目を点にしてしまった。
中には武闘大会参加者として参列している一同をジロジロと見てくる者もいる。
「――それでは早速褒賞の授与を開始いたします」
陛下から視線で合図を受けたのか、進行する役目を負った兵士が粛々と式典を進めていく。
初めはざわついていた会場だったが、式自体は滞りなく進んでいった。
***** *****
「それは一体どういう事だ!!」
ここはアレクセイの私室である。
豪奢な一室で声を荒げたのは他ならぬアレクセイ自身だった。
「そのままの意味で解釈していただいて大丈夫です」
それに答えたのは先日の武闘大会で皆を驚愕させた人物。
半龍種として名を知らしめることとなったラーグだ。
「軍には入らないだと? その理由を聞かせてもらえるだろうか?」
「陛下にわざわざ言うほどのものではありません。私の個人的な思いです」
「そんな言い草で納得できるとでも? 申し訳ないが、きっちりと説明してもらいたい」
アレクセイは半ば強引にラーグを詰問している。
それも当然な結果だと言える。何せ、私室に来ていきなり軍への加入を拒否するというありえない決断をラーグから告げられたのだから。
「何度も言っていますが、私は軍へ加入することを目的にしていたわけではありません。私には私なりの考えがあってこの場にいるのです」
「ならばその考えを聞かせてもらいたい」
アレクセイも簡単に引き下がるつもりはないらしい。
納得できる理由が聞けるまでは逃がさないとでも言いたげに今もラーグを睨みつけている。
その表情も態度も仕草も、その全てがラーグを苛つかせる要因となっている。
「……ですから、私個人の思いですので。陛下にお話しする必要はありません」
先程よりもやや棘のある言葉で言い返すと、周囲にいた近衛兵の顔が険しくなるのが分かった。
他人から見れば陛下に対して失礼な態度を取っているのは明らかであり、ラーグを囲んでいる人々からは剣呑とした雰囲気が流れ出している。
そんな中、一人の男がラーグに声をかけた。
「ラーグ、少し言葉に気をつけろ」
言わずもがな、先の武闘大会でラーグと闘った張本人であるバジリスク将軍だ。
バジリスクは親が子に言うようにラーグをたしなめる。が、
「今はアンタには関係ない。少し黙ってくれないか」
ラーグの返答は簡潔かつ素っ気ないものだった。
これには流石のバジリスクも額に青筋を浮かべ、怒りを堪えようとしている。
だが陛下の御前、怒鳴り散らさなかったところは分別を弁えている。
「君に色々と事情があるのは分かった。しかし我々もそう簡単に諦めるわけにはいかないんだよ」
「それは俺が国家戦力として期待できるからか?」
ラーグの予期せぬ返答に、アレクセイは返す言葉が思いつかなかった。
まさか目の前の少年からはっきりと言葉を放たれるとは考えてはいなかったようだ。
この場にいる誰もが、ラーグの言葉に隠された拒絶の感情を理解した。
「――――ラーグ君。少し落ち着かないかい?」
声がした方に顔を向けたラーグは、そこにいる男性が見慣れない、しかし一度面識のある人物であることに気付いた。
武闘大会で上の貴賓席(?)から観覧していた人だ。
同時にこの男性がエルメスと共にいたことを思い出し、その正体は誰なのかおおよその見当をつけることが出来た。
「アンタの名前は」
「初めまして、ラーグ君。私の名はマルコ・ローヴァンヌという。もしかしたら私の娘がお世話になっているかもしれないが……」
「――あぁ、確かに少し話はしたが」
そう言うとマルコの顔に安堵の色が広がっていく。
「既に面識があったのか、それはよかった。それでだな、今回の――――」
「申し訳ないが、それと今の状況とは関係があるのか?」
「――――え?」
ラーグの冷たい一言に言葉を失うマルコ。
そんな様子を傍目に見て、ラーグは淡々と言葉を紡いでいく。
「エルメスと出会ったことと今俺がここで足止めを食らっていることと何か関係があるのかと聞いているんだ」
「い、いや、それは……。か、関係ないとは言い切れないというか、まあ」
ラーグの猛烈な言い様に徐々に落ち着きを失くしていくマルコ。額には大粒の冷や汗が浮かんでおり、どう収拾をつけるべきか考えあぐねているようだ。
親心としてはエルメスはいずれお前の妻となるのだと言い放ってやりたいが、場所が場所なだけに口を滑らせるわけにもいかない。かといって全く関係ないと言ってしまえば後で彼女に怒鳴り散らされるのは目に見えている。
娘を溺愛しているマルコにとって、エルメスに嫌われるということは死罪に匹敵するほどに辛い。そんな逼迫した状況を作り出すのは彼にとっては負の要素しかないので非常にマズイ。
故にこの場を取り繕う上手い言い訳が出てこず、言葉の語尾を濁すしか方法が浮かばなかった。
一向に聞く耳を持とうとしない態度に業を煮やしたのか、バジリスクが少々語気を荒げてラーグに詰め寄った。
「おい、ラーグ。ここらでは王国軍に加入できるってことはこの上ない褒賞だって言われてるんだぞ? それをいらないと言うんだったらお前は何のためにここまで来たっていうんだ!」
「別に皆が皆、軍に入りたいと思うわけじゃないだろ。俺はアンタと闘えた。それで一応の目的は果たせたからもうここにいる意味はない」
「俺と闘うのが目的だったのか? だったらここにいればもっと闘ってやるぞ」
「アンタが目的じゃない。たまたまアンタが選ばれたってだけだ。それに一度勝った相手にもう用はない」
ここにきて、ラーグの会話から他者に対する敬意は完全に欠けていた。
陛下を前にしてもその口調は変わることなく、寧ろ今まで聞いてきた以上にぶっきらぼうになっているようにも見て取れる。
ラーグの変貌ぶりを目の当たりにして、周囲の者たちは怒りと困惑の入り混じった表情を浮かべていた。
「――――お前は一体何を考えているんだ? たかが十八の少年が一人で王都まで来たりして。しかも半龍種だというじゃないか。これで色々と勘ぐるなというほうが難しいぞ」
バジリスクが言うことは尤もだ。かつて関わりを持っていた半龍種の少年が、たった一人で王都まで足を運んだという事実は驚かないほうが無理だ。それにこの時期に出会えたことは何かの巡り合わせなのかもしれない、そう考えることもできた。
全ては必然の下で成り立っていると言うが、バジリスクもそのような考え方をする者の内の一人だ。
こうしてラーグと出会ったことは偶然ではなく、なるべくしてなったのだと今なら捉えることが出来ている。だからこそ目の前の少年が何かを隠していることに途方もない虚無感が漂うのをひしひしと感じていた。
「――――もしや、君の目的にはご両親が何か関わっているのかな?」
そう声を上げたのは暫し静観を続けていたアレクセイだった。
アレクセイはここに来て一つの可能性を思い浮かべていた。半龍種という種族が王国から消息を絶ってから少しの時が過ぎたが、今になってラーグという少年が出現した。更には頑なに自らの過去を語ろうとしない少年の動向から、何かが彼に起こったのではないかという結論が導き出されていた。
故にアレクセイはラーグ自身に直接真正面から話を訊くことにした。
アレクセイに問われ暫し黙っていたラーグだが、それでも尚、口を割ろうとはしないようだった。
「――――話す必要は、ない」
そう言われても引き下がるわけにはいかない。
アレクセイはどうにか話をしてくれるよう説得を試みる。
「いや、話してもらわなければならん。君に覚えがなくても、仮にも我等は君のご両親たちに窮地を救われているのだ。その後、特に何もしてやれなかったことを今も悔いている。もし何かあったのなら、我等に出来ることなら何でも――――」
「いい加減にしてくれ!」
話を遮るようにして怒号が辺りに響き渡った。
声を荒げたのは勿論ラーグである。
先程まである程度は落ち着いているように見受けられたラーグの突然の叫び声に、皆は一様に驚きの籠もった視線をラーグに向けていた。
シンと静まり返った中で聞こえてくるのは、乱れた呼吸をしているラーグの息づかいだけだ。
「どうして……どうして俺に構うんだ。これ以上俺を苦しめないでくれよ……」
つい先程声を荒げたときとは打って変わって一気に大人しくなったラーグは、ついにそれだけ声を発して黙ってしまった。
その声音も今までとは違って目に見えるくらいに弱々しくなり、とても武闘大会で優秀な結果を残した少年には見えない。
突然の激昂と僅かに垣間見えた本音の吐露を聞き、アレクセイを始めこの場に居合わせた一同はただ黙ってラーグを見つめることしか出来なかった。
***** *****
沈黙が辺りを包み込む中で、ようやく声を絞り出したのはアレクセイだった。
「――――何が、あったんだい」
ただそれだけを喋るだけなのに口の中から水分が一気になくなる感覚に襲われ、アレクセイは今更ながらこんなことを訊こうとしたことを後悔した。
ここから先は訊いてはいけない。本能がそう叫んでいた。
しかし、それでも続きを最後まで知らなければならないということも理解していた。
半龍種への恩義だけではない。目の前の少年を見ていると、何故かは分からないが救いの手を伸ばしてやりたくなった。何かに苦しんでいるように見える少年は誰かに助けを求めているのではないか。
アレクセイはいつの間にか、暗闇の中で必死に何かにもがいている少年のためにも少しでも手助けをしてやりたいと考えるようになっていた。
「――――――――」
ラーグは暫くの間何も話そうとしなかった。
長く感じられた沈黙がまだ続くかと思われたそのとき、ラーグが聞こえるか聞こえないかギリギリの声で一言呟いた。
「父さんと、母さんは、死んだ」
独り言に近いその声に、周囲の人はなかなか理解することが出来なかった。
現実味を帯びていない唐突な発言に皆反応に困っているのだろうか。
それでも徐々に時間が経つにつれて、言葉を噛みしめていた一同の表情が変化していくのが手に取るように分かった。
「両親は、もう死んだんだ」
ラーグは同じことをもう一度繰り返した。
その事実だけが余韻を残し、皆の胸に深く突き刺さっている。
「――――何故、そのような事に?」
そう声をかけたバジリスク自身の声が震えていたが、当の本人はそのことに全く気が付いていない。
あまりにもショックが大きすぎて気が動転しているのだろうか、普段は冷静に見える(まだ出会って間もないので見ていない一面もあるかもしれない)バジリスクもこの瞬間ばかりは動揺を隠し切れずにいた。
ラーグは途切れ途切れながらも事の顛末を丁寧に説明していった。
魔族の一団によって村を襲撃されたこと。両親を含め、村に住んでいた半龍種の住人が皆犠牲になったこと。現在、半龍種唯一の生き残りは自分一人だけだということ。
その光景が今も鮮明に甦ってくる中、脳内に映る映像を事細やかに話し伝えていった。
誰一人言葉を発することなくラーグの話を聞いていたが、ラーグの話が終わる頃には皆の顔には一様に絶望や悲しみの色が浮かんでおり、あまりの事態に掛ける言葉も見当たらないようだった。
特に当時の半龍種と懇意にしていたアレクセイとマルコのショックは一際大きく、顔から血の気が引き、青白く変化してしまっていた。
「――だから、もうこの世に半龍種と呼べるのは俺だけなんだ」
息を吐ききるようにしてその言葉を絞り出したラーグはそれを最後に口を閉ざしてしまった。その端整な顔は影を潜め、涙を堪えるように眉を顰め、口元をきつく結んでいる。
その姿はとても大人びた少年には見えないほどか弱く見え、肩を震わせている後ろ姿は至って小動物そのものであった。
重苦しい時間が流れる中で、部屋に飾られた置き時計の針のチクタクと動く音がやけに大きく響いて聞こえてくる。針音以外は一切物音を立てず、ただただ時間だけが刻一刻と過ぎていく。
「――俺は魔族の連中に復讐するために力を手に入れたんだ。俺から全てを奪い去った忌々しい悪魔たちを一匹残らずこの世から消し去るために! 俺は、ありとあらゆるどんな手を使ってでも奴らを根絶やしにすると決めたんだ! そう、父さんと母さんの墓前で誓ったんだ」
再び口を開いたとき、ラーグの口調に先程までの弱さは一寸も見当たらず、視認出来そうなほどの憎悪が籠もった声音でそう吐き捨てた。
その迫力に圧倒されて、他の者は恐怖で一歩後ろに下がってしまった。
「だからこれ以上アンタたちのくだらない茶番に付き合っている暇はない。俺には俺のやるべきことがあるんだ。そこを下手に詮索されるつもりはないし、話すつもりもない」
そんな周りの様子を視界の隅に捉えつつ、ラーグは目の前のアレクセイを睨みつけながら改めて言葉を紡いでいく。
悲壮な決意を聞いたアレクセイは、それでもまだ諦めきることが出来なかった。
復讐という言葉に憑りつかれたように行動するラーグは、とてもではないが幸せな生き方をしてきたようには見えない。というか自分から幸せを放棄して不幸な道へと突き進んでおり、しかも本人はそのことに気付いていない。
復讐だけに縋り、それだけを拠り所としているラーグを見ていてアレクセイは胸の奥から苦しさが湧きあがってくる感覚に襲われた。
だからといって先程の話を聞かされた今、ラーグを引き留めることが出来るはずもなく、一同はただ黙って成り行きを見守ることしか出来なかった。
「俺の言いたいことは理解してもらえただろうか?」
「うむ」
「ならこれ以上話し合う必要はないな」
最早話し合いの余地はないと判断したのか、アレクセイは反論することはなかった。
周囲の者も声を上げたりせずアレクセイとラーグの会話を聞いている。
「――それではこれで失礼する」
そう告げたラーグはすぐさま踵を返し、部屋を後にしようとする。
それを見たアレクセイが慌ててラーグに声を掛けた。
「武闘大会に出場した者たちは街並みをゆっくりと過ごしていったりしておる。部屋はそのまま使ってもいいから君も街に出て楽しむといい」
精一杯のひと声のつもりだったが、それがラーグに届いたかは分からない。
ラーグの意志は固く、他人の意見で左右されることはないだろう。ならばこれから先の道を決めていくのもラーグ自身だ。
こればかりはどうしようもない現実。
どうにかして軍に引き入れようと画策していたアレクセイたちがどう望もうともラーグのこれからの人生を制限することは許されない。
ならば彼の判断に賭けようではないか。彼自身が選ぶ未来の選択を。
アレクセイの言葉に立ち止まったラーグは、暫し逡巡した後、一度も振り返ることなくそのまま部屋を立ち去った。
部屋に集まっていた一同はその姿を目で追っていた。ただ一人、アレクセイだけはその瞳に何か強い意志を携えながらラーグを見つめていた。
またまた掲載まで時間がかかりました(泣)