第七話:運命の出会い
来客者用にあてがわれた一室で、一人の少年が苦悩に満ちた顔で立ち尽くしていた。
「うーむ。いくらなんでもこの服はどうなんだろうか……」
多くの人々の注目を集めた武闘大会から四日。
闘いの疲れを癒やすべく、参加者の多くは暫くの間、王都に滞在するのだという。
その中でも限られた者だけが、王都フェリオンの中でも一段と目を引く城、ミールバルク城にて暫しの休息を取ることが出来る。
今現在悩みに悩み抜いている少年、ラーグ・バーテンもその中の一人であった。
ラーグは先程から、用意された衣服を眺めながら先の見えない格闘を続けている。
普段から黒などの地味な服しか着ないラーグにとって、用意されたそれは派手という程ではないにしろラーグから見れば十分すぎるくらい目立つ代物だ。
上下共に白を基調とした地に肩口から袖口まで濃紺の帯が伸びており、胸には王国の紋章が堂々と刻まれている。部屋まで案内してくれた兵士によるとこれは正装だそうだが、何故こんなものが用意されているのかラーグには理解が出来なかった。
理解できずとも後の式典とやらではこれに着替えねばならないそうなので文句を言ってもしょうがない。しかし、ラーグからすれば半ば強引に押し付けられたので多少なりとも抗議の意を示したかったのだが、連れてきてくれた兵士は用件を済ませたらとっととどこかへ歩いて行ってしまった。
故にこのような状況が繰り広げられている。
「選択肢がないというのがこれほど辛いとは思わなかったな」
とりあえず愚痴を言ってみるものの、それに答えてくれる人はいない。
虚しさだけが残ってしまい、ラーグは人知れず溜め息をついてしまった。
激闘の武闘大会が終了してから、ラーグの周囲は劇的に変化したといっていい。
何と言っても、国民の反応が以前にも増して大きくなっていた。
あれから一度だけ王都の街に散策がてら足を運んだのだが、ラーグの姿を見つけた途端、そこだけある種のお祭り騒ぎ状態に陥ってしまった。
特に女性のラーグに対する反応の強さは異常で、少しでもラーグを近くで見ようと押し寄せ、挙句の果てには女性同士で罵り合いの大喧嘩が始まる始末である。
ラーグがその様子を見て驚きを通り越して少し引いてしまったことは秘密だ。
女性からの支持は揺るぎようのない確固たるものとなっていたが、男性からはそんなに甘いものばかりではない。
ラーグと同世代の息子を持つ年齢の男衆は、ラーグの雄姿に胸打たれ、自分の息子に「お前もあの少年を見習って少しは強くなってみやがれ」と説教をする有り様。
逆にラーグと同い年程度の男或いはそれに近い年齢の男衆からは、圧倒的ともいえる強さへの嫉妬と羨望、女性の注意を一心に集めるラーグへの憎しみや殺意の籠もった眼差しが強くなってしまった。
ラーグに好意的な印象を持つ人と嫌悪感を抱く人と両方存在しているが、どちらかというと同性からは嫌われたという印象を持ったほうが賢明かもしれない。
実は散策中に一度だけ酒に酔った集団に絡まれたことがあったのだが、そこはラーグも十八になっただけあって出来るだけ冷静に対処したつもりである。
勿論大怪我をしない程度に、それでいて二度と人様に迷惑をかけないように、ものの見事に蹴散らしたわけなのだが、騒ぎを聞きつけて後処理に駆けつけた衛兵がラーグを呆れた目で見てきたことは、これまた秘密の出来事である。
その騒動が起こって以来、ラーグは街に足を運んでいない。正確には外出することをそれとなく禁じられたわけだが、忠告してきた少尉があまりにもビクビクしながらラーグに言いつけたものだから、どれだけ自分は恐れられているのかと自問自答してしまった。
(俺ってそんなに怖いのか……?)
他人が見れば「これだけ注目を浴びておいて何を抜かすか」と怒鳴られそうだが、実際それだけのことをやらかしているわけで、聞いたところによると既に半龍種であることも公にされているらしい。
そういうわけで今となっては、注目を浴びない、目立たない、恐れられない、といった願いは聞き入れられるはずもなく、ラーグは一躍王都中の人々が噂をするほどの人物となってしまっている。
暫しの葛藤を繰り返した挙句、今の服のままでいることを決めたラーグは、とりあえず城の中を見て回ろうと思い立ち、部屋を後にする。訪ねてきた少尉からは城内であれば自由に見て回っていいと言われているので、ラーグは興味津々といった目で辺りを見渡しながら歩いていく。
長く続く廊下の途中には様々な絵画が飾られており、そのどれもが如何にも高級そうな額縁に入れられていたので、思わず顔をしかめてしまった(全て売れば一体いくらになるのかなどという不埒な事を考えていたわけではない。断じてそんなことはありえないんだからな!)。
ちなみに、途中で侍女らしき女性とすれ違ったのでそれとなく挨拶をしてみたのだが、ラーグを見てほんのりと頬を赤く染めて恭しく挨拶を返してきたのを見て、怪訝そうな目を向けてしまった。
その反応の真意を掴み損ねてラーグは侍女に思わず一歩近付いたのだが、ラーグの顔がより近くに接近したことで侍女が昏倒してしまったときは流石のラーグも慌てて救助を呼ぶ羽目になってしまった。
たまたま近くに居合わせて、何事かと救助に駆け付けた近衛兵が顔を赤くして倒れている侍女とラーグを交互に見比べて、深々と溜め息をついていたことはその場に居合わせた者の心の中に永久に封印されることになる。
後に他人から口伝で自分に対する周囲の評価を聞いたことで、侍女がいきなり目の前で倒れるという奇々怪々な疑問は無事解決されることになるが、それはまだ少し先の話である。
暫く歩き続けた後、階下へと伸びる階段のある広間へと辿り着いたラーグは、そこで馴染みのある顔を見つけて頬を緩ませながら声をかけた。
「久しぶりだな、ラクリア」
声をかけられたラクリアは驚いて振り返ったが、声をかけたのがラーグだと分かると途端に緊張を解き、笑顔で応対してきた。
「確かに久しぶりだね。長らく顔を見ないもんだからどこか怪我でもしたんじゃないかって心配してたんだよ?」
心配している素振りすら見せないところに少々ムッとくるラーグだったが、当のラクリアはお構いなしに話を続けていく。
「でもあんな騒動をやってのける位だから心配は無用だったみたいだね」
あんな騒動とは散策に出かけた際の出来事を差しているのだろう。
ラクリアの顔は苦笑いに満ちており、面白いものを見たような目つきでじろじろと見つめてくる。
「女には興味がないって言ってたくせに。ちゃっかり気を引くような真似しちゃって! それが無意識なら完全に病気だよね。意識してたらしてたで女たらしだけど、意識してないのもそれはそれで問題だよ」
またその話題かと辟易してラーグが違う話に持っていこうとしたが、ラクリアはよっぽどラーグの女癖について語りたいのか、一向に話を止めるつもりはないようだった。
「ラーグが女に目覚めちゃうときっと一国が滅びそうなんだよね。あ、これはあくまで僕個人としての意見だよ? 皆がそう思ってるとは限らないけど、それでもラーグが女性の注目を浴び続けてるのを黙って見ている他の男性諸君を見ていると何だか胸が痛くてね。彼らの中には危ないことを目論んでそうな人もいたけど、それはラーグに非があることは目に見えてるから僕としては――――」
「うるさぁい!! そんな話を俺にするな! 俺がそうなるように仕組んだわけじゃないし、そいつらが勝手に勘違いしているだけだろうがっ!!」
久しぶりの再会にも関わらず開口一番そのような話を持ち出されていい気になるはずがない。
ラーグの顔には目に見えて分かるほど不機嫌の色が浮かび始めていた。
その様子を見ていたラクリアが「これはマズイ」と呟いてわざとらしく話題を変えるのを、首元に噛みつきそうな勢いで睨みつけるラーグ。
そのやり取りを偶然見かけた兵士の話では、その視線だけで人の命を簡単に奪えそうなくらい剣呑な雰囲気を醸し出していたという。
どうにかラーグを宥めることに成功したラクリアは、取り繕うように違う話題に切り替えてきた。
「そういえばラーグっていつもその格好だよね。部屋に服、用意されてなかった? この後の式典には一応あれを着て行かなきゃいけないって言われたんだけど」
「あぁ、あれなら部屋に置いてきたぞ。あんな派手な服、自ら進んで着たいなんて全く思わないからな」
確かに最終的には着なければならないだろうが、別に今すぐ着替えろと命令されたわけではない。ならば好き好んであんな似合わない服装に着替えようなどと思うはずがない。
自分に言い聞かせるように言っているが、あの服は俺には場違いなんだ!
「……そうかなぁ? 僕からすれば充分似合うと思うよ? 僕とは違ってラーグの体って凄く引き締まってるし、何着ても着こなせる感じ? 傍から見ても羨ましいよ」
もしもこの場にふくよかな男性がいて、今のラクリアの発言を聞いたら何と感じるだろうか。
少しはラーグへの殺意が此方に移るだろうか。
いっそのこと、王都中の男性諸君に今の発言を密告してやろうか。
少し意地の悪い想像が頭をよぎり、慌ててそれを振り払おうとぶんぶんと頭を上下左右に振ったせいで、ラクリアから冷めた目で見られてしまった。
「ええと……ラクリアだって細身だし、案外何でも着こなせるんじゃないか?」
とりあえず急いでその場はそう補足しておいた。
その甲斐あってか、ラクリアは「本当かい!?」と目を輝かせて喜んでいたので万々歳である(扱いやすい男だ、なんて考えたりしていないからな!)。
服装に関する無駄話はこの辺にしておいて、ラーグは気になっていたことをラクリアに尋ねてみることにした。
「そういやラクリアはこれからどうするんだ? 式典とやらまではまだ時間があるだろう?」
「うん、その通りなんだよね。今からはとりあえず部屋に戻ってゆっくりお風呂にでも入ろうかなって考えてるんだ。疲れを取ったら用意された服に袖を通してみるよ。直前で着られないってなったら迷惑かけるからね。招かれてる身分でそういう恥ずかしい思いだけは避けたいから」
そんな事を考えたりするのかと密かに驚いていたが、そんな考えは一切顔には出さず、平然として受け答えをする。
「そうか。俺はとりあえず城内を見て回ってみるよ。外には出るなって言われたし、部屋に居てもすることがないからな」
ラーグの答えに、笑いながらラクリアが相槌を打つ。
「まああれだけ騒がれたら困るよね。少しは自重という言葉を知った方がいいよ?」
「――俺はそんなに迷惑はかけてないと思うんだがな」
ラクリアの言葉に少しばかり傷付いた素振りを見せるラーグだが、ラクリアはやはり心配の様子を見せることなく話を進めていく。
「それじゃ、また後でね。君も一度は服を確認しといたほうがいいよ?」
「はいは~い。了解しました~」
適当に返事を返すと、苦笑しながらラクリアが自分の部屋へと戻っていった。
角を曲がってラクリアの姿が見えなくなるまでその場で立ち尽くしていたラーグは、そのまま階段を下りて行って引き続き城内の散策を続けるのであった。
***** *****
そうして暫く散策を続けていたラーグだったが、突然の呼びかけにビクッと体を震わせることになる。
「そ、そこのアナタ!! そう、今ビクッとしたアナタよ!!」
驚いて振り向くと、後方から何とも可愛らしい女性が息せき切って此方へ歩みを進めてきていた。
その女性が近付くにつれて、何だか見覚えのある顔だということにラーグは気付く。
女性が目の前に立ったとき、ラーグはようやく誰なのかを思い出すことが出来た。
「アンタ、確か武闘大会の時に……」
目の前で呼吸を整えている女性が武闘大会で自分を見ていたあの女性だとようやく気付いたラーグ。
あの日見た素晴らしい美貌の持ち主が今こうして自分の目の前に立っているのだが、気を抜くとその顔を食い入るように見つめてしまいそうで、慌てて宙に彷徨わせるようにして視線を逸らしてしまう。
その挙動不審な態度に疑いの目を向ける女性だったが、気を取り直したのかラーグを見上げて声をかけてきた。
「初めまして。私はエルメス・ローヴァンヌよ。貴方のことはお父様から聞いているわ、ラーグ。あれから貴方をずっと探していたのよ? どこを探しても見つからなかったけど、先日の騒ぎ以来用意された部屋にいるって聞いたから会いに行こうとしてたの」
先日の騒ぎとやらについて、一体どこまで広まっているんだと冷静な指摘をうっかりしそうになった。
しかし、この女性が「自分を探していた」と言ったことに違和感を覚え、口元まで出かかった愚痴を何とか堪えて、それについて質問をしてみることにした。
「何でアンタが俺を探す必要があるんだ?」
ラーグからしてみれば至極当然な疑問をぶつけただけである。
そこには特に他意は存在しないし、率直にそう思ったから聞いただけなのだが、どうやらエルメスはラーグの思い通りに言葉を捉えてはくれなかったようだ。
見る見るうちにその顔に動揺や焦燥、失望の色が浮かびあがり、ラーグの質問から幾らかの拒絶を感じ取ったようだ(全く以てエルメスの勘違いだ。こんな美少女が近寄ってきて嫌な顔をする奴は、男かどうか怪しいものだ)。
「あ、会いに来たら迷惑だったかしら……?」
ひどく落ち込んだ感じで一言呟いたので、ラーグがこれまた慌ててそれを否定するために四苦八苦することになってしまう。
「いやいや!! アンタみたいな高貴な家の娘が一大会参加者の俺に会いたがるなんて不思議で仕方なくてな。別にアンタに会って迷惑なんか被っていないから心配しなくていいぞ。もしそう思わせたならきっちりと謝るから。ほら、この通りだ!!」
そう言って深々と頭を下げるラーグ。
それを見てエルメスが慌ててラーグに頭を上げるように伝える。
「止めてちょうだい! 私が急に来たのが悪いんだから、ラーグが謝る必要なんかないわ」
見事に立場が逆転している現状を見て密かに苦笑いを浮かべながら、ラーグはゆっくりと顔を上げて目の前で不安げに自分を見上げてくる女性と目を合わせた。
こうして間近で見れば見るほどその美しさに目を奪われそうになる。
自分と同い年くらいの割に非常に整った顔立ちをしており、この顔から繰り出される笑顔や涙は、世の男性諸君に隕石を真上から叩き落とされるくらいの威力を与えるだろう。
少々過大評価しすぎだと言われそうだが、そんな奴を見つけたら今すぐにでもそいつの所へ行ってぶん殴って引きずってでもこの場へ連れてきても構わない。
そうすれば俺の言ったことに嘘偽りがないことが証明されるだろう。
しかし、もしもそれでも納得しない者がいたとすればどうする?
この美少女を前にして尚、馬鹿げたことを抜かす輩がいるならば、最早実力行使しか残されていないのではないか。
勿論実力行使とは武力を使用するわけであって、自分の気持ちに正直になれない奴には身を以てでも理解させてやらなければならないだろう。
おそらくこの美少女を前に素直になれない奴が一般市民以下の実力のはずがないだろうから、それ相応の腕を持っていると仮定しておこう。
そうなれば、此方も準備運動程度と嘗めてかかると手痛いしっぺ返しを受ける恐れがあるので気は抜けない。
ある程度の手練れとなると怪我を負う可能性もあるから、それなりに用意をする必要がある。
それでも俺が負けるなどという確率は殆ど無に等しいので、結果として楽観的になってしまうところは、その性格上致し方ないであろう。
ここは大人の対応として、最悪の想定も視野に入れるべきなのだろう。
しかし、どうやっても俺が追い込まれるというシミュレーションが出来ない。
ならば、ここはひとつ敵を駆逐する方法を考えればいいのではないか。
敵が何かを仕掛けてくる前に敵を戦闘不能にしてしまえば此方が損害を被ることはないのだから。
となれば、どうやって敵を排除するかが問題となってくるな。
暫く動けないように素手で殴りつけるか、それとも四肢が二度と使えないように剣で切り刻んでしまおうか。
いや待て。そんな事をしてしまえばそいつが死んでしまうではないか。
だがよく考えてみるんだ、俺。
目の前にいる見目麗しき女性を否定するような男を斬っても大陸中の男は俺を非難したりはしない。寧ろ、賛同してくれるだろう。
よし、敵を倒す方法は決定したぞ。次はそのような場面に至るまでの過程を充分に踏まえたうえで一連の流れを順を追ってシミュレーションしてだな――――
「……さっきから何をぶつぶつ言ってるのかしら?」
深い思考にズブズブと沈みかけていたラーグを、エルメスが間一髪の所で現実に引き戻してくれた。
少ししてようやく現状を理解したラーグは、目の前に近付き、自分の顔を覗き込むようにして見てきたエルメスの顔を正面から見ることとなり、頬を赤らめながら後方へ顔を引くという行動を取ってしまった。
先程までの考えを、理解されていなくとも所々聞かれていたとあってか、ラーグは羞恥を覚え、一刻も早くこの場から、エルメスの前から消え去りたい衝動に駆られた。
可能ならば今すぐ地面に顔だけを埋めてほとぼりを覚ましたい(決してそういった性癖を持ち合わせているわけではないからな!)。
「いや、少し考え事があってな」
内心ではかなり動揺していたのだが、至って冷静に、心の内を悟られないように真面目な顔を作ることが出来たのは流石と言うべきだろうか。
「……ふーん。そっか」
納得はしていないようだが、ラーグがこれ以上何も言いたくないという気持ちが伝わったのか、エルメスが更に深く追及してくることはなかった。
少し気持ちが落ち着いたところで、ラーグは改めて質問をすることにした。
「それで、どうして俺を探してたんだ?」
言われてようやく本来の目的を思い出したのか、エルメスは下を俯きながらモジモジと体を動かし始めた。
よくよく見ればわずかに顔が赤くなっている。
何か言いにくいことなのかと考えたラーグは言葉を続けようとしたが、ラーグが何かを発する前にエルメスが閉ざしていた重い口を開いた。
「あ、あのね。武闘大会で活躍してたから、どんな人なのかなって気になって。……そ、それで」
そう言うとまた下を向いて黙ってしまった。
答えを聞けばラーグの中でくすぶっているモヤモヤは解消されるかと思っていたが、残念なことにそれは叶わなかった。というか、寧ろ一層モヤモヤが大きくなった気がするのは気のせいだろうか。
「活躍していた奴なら他にもいただろう。ほら、ラクリアとか。……って、いきなり名前だけ言われても分からないか
勝手に名前だけ口走って困らせたかと焦ったラーグだが、エルメスは冷静に言葉を返してきた。
「誰のことか察しが付くわ。空に飛び上がって規格外の魔法を使用した人でしょ? でも貴方の方が何倍も凄いわ! だって”あの”バジリスク将軍を倒したんですもの」
話してるうちに段々と目を輝かせながら、意気揚々と捲し立てるエルメスを見て苦笑いを浮かべていたラーグだったが、また一つ疑問が出てきてしまい、それを思わず口に出していた。
「”あの”? バジリスク”将軍”だと?」
「あら、知らなかったの? 貴方が闘った相手はバジリスク・ゲッツェ将軍。アリュスーラ王国に所属する立派な将で、多くの兵を束ねる凄い人なのよ?」
こ、これは驚いた。確かに強かったし凄い奴だと思ったが、まさか将軍だったのか……。
「それに、バジリスク将軍は王国陸軍に加入してから一度も負けたことがなかったんだけど」
つまり俺は負け知らずの猛者に勝ってしまったということになるのか。
「そういうこと。だからラーグが注目を浴びるのも不思議じゃないわ。不敗神話を持つ男をいとも簡単に倒したんだもの」
それって何だか大変なことを仕出かしたのではないだろうか?
仮にも一国の将を武闘大会とはいえ倒してしまったんだろう?
体裁とか考えたら駄目なんじゃないのか?
というか、俺の命は無事で済むのだろうか?
――はっ!! まさか俺が外出を禁じられた本当の理由は俺がどこかへ逃げ出さないようにするためなんじゃ。
将軍の面目を(おそらく)つぶした俺を誰にも気付かれないように消すつもりなんじゃないのか!!
「心配しなくても命を奪われたりなんかしないわよ。バジリスク将軍だって『こりゃ一本取られたな』って笑って去っていったから。目は笑ってなかったけど」
「……それは危ないのでは? いやいや真面目な話」
心底不安になったラーグだったが、エルメスが嘘を言うような女ではないと感じたラーグはとりあえずエルメスの言うことを信じることにした。
どのみちあと少ししたら式典とやらに出なければならないし、そこには偉い方々も出席するんだろう。
どうせ武闘大会で素晴らしい活躍をした人に褒美やらお褒めの言葉が贈られるんだろうから、どうなるかはその時に判明するだろう。
そう考えたラーグは、後ろ向きになっていた思考を頭の隅に追いやることにした。
「それで、俺に会ってみてアンタは何か思うことがあったか?」
「アンタなんて酷いわ! ちゃんとエルメスって呼んでちょうだい」
そうやって頬を膨らませる仕草も空軍の爆撃並みに強烈なものだった。
にやけそうになるのを何とか堪えつつ、ラーグは話を先に進めることにした。
「悪かった。それでエルメスは俺と会ってみてどう感じたんだ?」
名前を呼ばれたことに照れたのか、頬を赤く染めながらエルメスは思ったことを口にした。
「雰囲気からでもラーグがただ者じゃないって分かるわ。これならラーグが半龍種だって言われても納得いくわ。そ、それに、近くで見たらいい男じゃない」
徐々に声が小さくなっていったので後半部分は殆ど聞き取れなかったが、褒められたことだけは確かなようで、ラーグはこんな美女に褒められて何だか幸せな気分になった。
「エルメスみたいな美人に褒められたら嬉しいよ。有り難う」
「び、美人っ!?」
大げさに驚いた後、顔を真っ赤にしながら俯くエルメスを見て、これまた反則級の技だ、などと見当違いな感想を抱いたラーグ。
女性のこういう反応は今まであまり見たことがなかったので、新鮮に感じて見入ってしまう。
じっと見つめられたことでエルメスの顔に赤みが更に増してしまったが、その顔さえも男心をくすぐるには充分すぎる威力を持ち合わせていた。
別段女が嫌いというわけではないので、エルメスの姿に思わず見惚れそうになるのだが、己の矜持に誓ってそんな事があってはならないと、たった今考えた思考について自戒する。
目的遂行のためには大切なもの、失うことで生じる代償の大きいものはなるべく少なくすることに越したことはない。
ラーグは心の中で、この女性に愛される男は何と幸せなんだろうと、誰にも悟られないようにこっそり賛辞を贈った。
今回ばかりは思ったことを口に出さなくて正解である。
仮に口に出していたら、この場で女性の愛の制裁が下された可能性が大いに高い。
「……それで、ラーグはこれからどうするの?」
暫くして冷静になったエルメスが、ラーグに今後の動向を尋ねてくる。
聞かれた本人は少し考えた後、これからの予定について自分の考えを打ち明ける。
「そうだな……ラクリアにも言われたし、とりあえず用意された服を着てみようかな。一通り城内も見て回ったし、他にすることもないし」
それに、どうせすぐ離れる街のことを詳しく知る必要もない。
人知れず心の中で呟いたラーグは、そんなことは一切顔に出さず、エルメスに返答する。
それを聞いたエルメスの顔に少しばかり暗い影がよぎった気がするが、それは気のせいだ、俺の勝手な妄想だ、と無理矢理納得させておこう。
「そう……。確かに袖は通した方がいいわよね。……私といるよりよっぽど大切なことですものね。式典に出られなかったら困るわよね。……私より優先すべき内容ですものね」
い、いや、いやいやいや。
俺が何か目の前の美女を悲しませることをしたのか?
今、俺は至極当然なことを言った様な気がするんだ。
だって式典があるのは事実だし、用意された衣服だって一応は確認した方がいいのも事実だ(ラクリアに言われるまでそんなこと考えたこともなかったが)。
つまり、だ。俺は一切悪いことはしていないと思うんだが。
では何故目の前の美女が悲しんでいるのを見て胸が痛くなるのだろうか?
如何にも俺が悪いことをしているような気がしてならない。
見えない葛藤に苦悩していたラーグだったが、不幸なことに更なる追い打ちをかける一言がラーグの頭上に舞い降りた。
「どうせ私といても楽しくないでしょうね……」
頭に金槌を打ち付けられたような衝撃が走ったような気がした。いや、本当に金槌で殴られた、間違いなくぶん殴られた。
どこをどう解釈したらその結末が導き出せるのか。
今の今まで少しは楽しげに会話した(少なくともラーグはそう捉えたつもりだ)ではないか。頑張って思い出そうとしてみるが、一連の流れで楽しくないと思わせるような節は見当たらない。
唯一あった名前の件はきちんと訂正したから問題ないはず。
ならば一体何が彼女に楽しくない、などと思わせたのだ!?
完全にパニックに陥ってしまったラーグである。そんな状況で答えが浮かんでくるわけがない。
「……え、あ、あの……そ、それはだな」
結果、言葉にならない単語を羅列するだけに終わった。
口ごもるラーグの有様を見て、エルメスの可憐な顔に差す影が一層暗くなった気がするのは気のせいだろうか。出来ればそうだと言ってもらいたい。
こういった時に気の利いた言い訳の一つでも言えればいいのに。
この時ばかりは自分の不甲斐無さに顔を覆いたくなった。
「そうよね、何の接点もない私とじゃ話すこともないしね……」
完全に拗ねた感じでエルメスがぼそぼそと呟いた。
どうしたものかと思案に暮れていたとき、ふと思いついたことがあった。
「エルメスは式典には出ないのか?」
武闘大会を観覧していたのだからそれなりに高貴な家柄のはずである。
ならば、これから開かれる式典にも出席することは可能のはずではないか。
「? ええ、一応出る手筈は整ってるはずだけど……」
「じゃあ別に後でもゆっくり話せるじゃないか。また会えるんだからな」
そう言われて、エルメスは大きく目を見開いたまま呆けた顔を無様に晒していた(それさえ様になるのだから何と素晴らしいことか!)。
少しして、ようやく先程の言葉の意味を理解できたエルメスが、まさに字の如く目を輝かせてラーグに一歩、いや二歩詰め寄ってきた。
「じ、じゃあ式典の後にまた会ってくれるのね!? 色々お話出来るのかしら!?」
「俺は別に全然構わないぞ?」
当然だとでも言いたげに(心の中では必死の形相で)了承の意を伝えた。
瞬く間に顔中に笑顔を取り戻していくエルメスを見て、何と感情の読みやすい女性だと思い、ラーグは苦笑いを浮かべた。
そして同時に、目の前の女性が喜んでいることがいつの間にか自分にとっても嬉しい出来事となっているのが不思議で仕方がなかった。
ほんの僅かの間だけ関わっただけなのに、エルメスという女性とは何か言いようのない縁で結ばれているような気がしてならなかった。
男としてこれは非常に喜ばしいことである。なのにラーグの心には暗く濃い霧が覆いかぶさってくるような、説明しがたい不安が襲いかかってきていた。
「それじゃ式典が終わったらまたここで会いましょう! 一応忠告しておくけど、間違っても忘れたりしないでよ? 絶対よ!」
小動物のように頬を膨らませているエルメスを見て、今はまだ深くは考えないでおこうと思い、この悩みを胸の奥にしまいこむことにした。
それが後々ラーグを苦しめることになるとは知らずに。
「大丈夫だ。忘れたりしない」
そう言いながら、ラーグは逃げるように自室へと足早に歩を進めて行った。
後ろから熱い視線が向けられていることにも気付くことはなかった。