第六話:武闘大会 後編
あれから少しばかり話をしてラクリアと別れたラーグは控室に戻ってきていた。
戻ってきた俺を待っていたのは、
単純明快な強さへの純粋な尊敬、
己の不甲斐無さを俺に向けてきた理不尽な恨み、
圧倒的な強さを見せつけた俺への羨望、憎悪に似た感情、
大体こんな感じのものが一緒になって俺を出迎えてくれた。
ラーグは人のあまりいない場所を見つけると、そこに陣取ってモニターを眺める。
周りの視線にここまで無関心でいられるのは最早長所といってよい。周囲のことに無頓着なのか、自分のことに集中することが可能なのか―――とにかくラーグの性格は普通の人とは少し違っている。
広場を複数に区切って大会を開いていたが、それでも最大規模の武闘大会への参加者が非常に多いせいで想像以上に時間がかかっているようだった。勝ちぬけ方式で行われているので、一度闘えば次に出番が来るまで時間がかかる。参加者が一通り闘い終えるまでに数時間を要した。
予想以上に時間がかかったことを踏まえて、国王陛下はある策を講じた。
一度闘った中で有能或いは一定の力があると思われる者は、陛下の命によって一対一ではなく複数を同時に相手取るように指示された。
勿論ラーグとラクリアもその中に含まれている。
何せ、伝達があって一番初めに名前を呼ばれたのがラーグである。結果から言えば一瞬しか闘いのなかったラーグよりもあれだけ派手な闘いを見せたラクリアが先に呼ばれてもいいものなのだが、何故かラーグが先に呼ばれた。
ラーグは何か意図があると感づき始めていたが、自分が半龍種だと認識された状態でいるとは思いもしていない。
始まってから二時間半が経過した頃、ようやくラーグの出番が回ってきた。
再びラーグが広場に現れると、観客から大きな歓声に迎え入れられた。
今回は観客席の方にも陛下たちが見守る方にも目をやることはなかった。
周囲の目よりも目の前の闘いに集中したいという気持ちからだったが、一体何人の女がそれにがっくりと肩を落としただろう。ラーグと目が合うだけでも心臓の鼓動が高鳴り、雌としての欲情が湧き出てくる感覚は男にはおそらく理解不能だ。
ラーグが出てくるのと同じくして、反対側から八人の男たちがこちらに向かってくる。
皆人間種の中では屈強な部類に属するだろう大きな体躯にそれぞれが武器を携え、ラーグを見据えている。
先に闘ったラクリアが六人と対峙していたのを思い出して、ラーグは僅かに顔をしかめる。
(――俺の力を試そうというのか)
面白い。実に面白い。
ちょうどいいから、たかが人間種を集めたところで俺には敵わないということを身を以て教えてやろう。
(お前たち、スマンな。悪いが俺の力を示す踏み台となってくれ)
心の中でなかなか物騒な独り言を言いつつ、ラーグは本日二回目となる闘いを始めるのであった。
結果から言えば、大方の予想通りに終わった。
深く考えるまでもないが、それはそれはもう、滑稽としか言いようがない。
ラーグに向かっていく男はことごとく殴られ、蹴られ、吹き飛ばされ、投げ飛ばされ、周りに散った男の残骸が積みあがっていく。魔法を駆使してラーグに一泡吹かせようとする奴もいたが、ラーグの前ではそれすら無力に等しく、放たれた光球はラーグが手を振り払っただけで一蹴されてしまった。青ざめた男たちは半狂乱になって迫ってきたが、魔力を充填した脚力で広場を縦横無尽に駆け回り、死角から攻撃を繰り出すラーグに手も足も出ない。
おそらく、参加者の中でラーグと当たらなかったもの以外で闘える者はもういない。次々と参加者を投入したが、その全てをラーグは制圧していた。
集まるだけの注目を集めきったラーグは、悠々とその場を後にする。
それを見ていた観客は一層盛り上がりを見せる。過去、ここまで武勇に優れた者が現れただろうか。しかも、少年が自分より大きい大人を蹂躙しているのだ。
これだけ理不尽な闘いを見せつけられては流石にその他の参加者も口出しできなくなってしまった。
戦意のある者は殆ど残っておらず、ラーグと対等に渡り合えそうな人物はラクリアくらいのものだ。ラーグとしてはラクリアとやり合っても全然構わないと思う―――というかラーグが期待できるのは彼しかいない―――のだが、陛下の意向からなのかラクリアと当たることはなかった。
あくまで武闘大会なので下手に力を見せることも出来ない。よって出せる範囲の中だけでもいいからラクリアと力比べをしてみたいと思うのだが、現状で自分のやりたいことを勝手にすることは許されない。
不本意ではあるが、陛下が是としなければ叶わない願いである。
というわけで次の出番が来るまでゆっくりしようと控室に戻ろうとしていたラーグだったのだが――
「――――暫し待たれよ」
澄み切った、それでいて威厳に満ち溢れた重厚な声がラーグの足を止めさせる。
驚いて振り返ると、視線の先――――上から試合を見ていた国王陛下、アレクセイ・フォン・エドワードが此方だけを見つめて話しかけていた。ここからは少し距離があるはずなのに、その声は耳元で発せられたかのようにはっきりと聞き取ることが出来た。
「貴殿の闘いぶり、実に見事であった。久しぶりに良いものを見させてもらった」
陛下の”貴殿”という言葉遣いに違和感を覚え無言の問いを発する。
が、陛下はそれに触れることなく言葉を紡いでいく。
「残ったものに貴殿の相手が務まる者はいないだろう。そこで提案なのだが、此方で用意する者と一戦交えてみないだろうか。その実力ならば不足はないはずだ」
突然の提案にラーグは目を丸くして言われたことを咀嚼する。
陛下に話しかけられたことも驚きだが、何よりその扱いが他と明らかに違う。実力だけで言うならラクリアだって相当の手練れだ。なのに、そのラクリアには一切触れずにラーグにだけ提案を出してきた。そして自分に向かって陛下は貴殿と言った。いくら腕が立つとはいえ、初対面の俺に接するものではない。
謎がどんどん多くなっていくのだが、考えても今すぐに答えが出そうにはない。ここはとりあえずその案に乗っかっておこうと思い、ラーグは陛下からの案を受け入れることにした。
「陛下がそうおっしゃるなら喜んでお相手させていただきます。陛下がご用意なされた方と闘えるとは嬉しい限り。期待に応えられるかはわかりませんが、精いっぱい努力させていただきましょう」
そう言うとラーグだけはその場に残り、用意したという相手を待つことにする。
その他の者は控室に戻るべく足早に立ち去る。
その中で一人、ラクリアだけが意味深な視線を投げかけてきたがラーグはそれを一瞥するとすぐに正面を見据える。
どんな人物が出てくるか分からないが、陛下がわざわざ用意するほどだ、並大抵の実力ではないだろう。今まで見てきた中でもかなり上位に位置づけられるほどの相手と一戦交えられるのは好都合だ。それを糧にしてより強くなり、俺が生きている唯一の目的を達成するのにまた一歩近づける。
自分でも魔族を倒すだけの実力が伴っていないことを重々承知している。自分が半龍種としての力を殆ど引き出せていないことも、発揮できる力がまだまだ不安定であることも。
半龍種は体内に宿す龍に認められて初めてその力を使用することが出来る。つまり、認められなければ半龍種であってもその力は使えないのだ。一人前の半龍種は心の奥深くで眠る龍と念話で話すことが出来るという。龍と信頼関係を構築していくことで、龍も徐々に力を貸し与えると言われている。
その点で見れば、ラーグは半龍種としての力を全く使用できていない、そこらの人間種より強いというだけの存在だ。天性の才華で磨かれた身体能力によって常人をはるかに凌ぐ力を手に入れてはいるが、肉体以外は人間種の域を脱せていないのだ。今現在ラーグが使用できる魔法の質も威力も、龍のそれに比べれば足元にも及ばない。
ラーグは自分が半龍種であると認識してから一度も龍と会話したことがなかった。それどころか、自分の中に龍が存在するかどうかも疑わしいと思うときすらある。半龍種は通常、個体によって早い遅いの違いはあれども、大抵十二才前後になると自らの中に宿る龍の波動を感じるという。それによって半龍種としての存在を再確認し、龍と関係を気付く次のステップへと進むのだ。
しかしラーグはというと、十八になった今でも波動すら感じたことがない。いくら違いがあるとはいえ、この年で龍の息吹すら感じたことのないラーグは少々異質と言える。
ラーグ自身、それはよく分かっている。半龍種について記された文献の中でそのことは知っていたし、普通ならとっくの昔に半龍種としての特有の感覚に襲われているはずだということも理解している。
だからこそラーグは焦っているのだ。デュナス・ベルフェールを含む憎き魔族たちに復讐するためには龍の力の開花が絶対に必要となる。早く本当の半龍種として覚醒しなければ、その願いは決して叶うことはないのだ。
故に、今までラーグはひたすらに強い相手を探し続けてきた。自分よりも格上の敵と戦いさえすれば、龍の力が目覚めるのではないか――。その希望に縋り付くかのように、どんな困難でも一人で乗り越えてきた。
そして今、またとないチャンスが舞い降りてきた。おそらく自分よりずっと強い相手。この闘いが終われば何かが変わるんじゃないか。ラーグは今までにないほどの胸の高鳴りを感じた。
――――ガシャンッ
今まで参加者が出てきたのとは違う門がゆっくりと開いていく。そして開いた隙間から、一人の男が此方へと向かってくる。
その男は異様な雰囲気を醸し出していた。軍の兵士が身に纏うであろう甲冑を一切身に付けず、至って普通の、極々ありふれたような服装をしていた。それは市民と変わらない、むしろそのオーラがなければ普通の市民と間違ってもおかしくはなかった。
そう思わなかった理由。それは男の周りを漂う異質な空間が原因だ。
身長はラーグより少し高いくらい、傍から見ても決して筋肉質ではない体格なのに、その体から湧き出ている殺気は明らかに戦場慣れした傭兵そのものである。腰には服装からして場違いに見えるショートソードを差しており、非常に不気味な印象を与えた。
人々はその姿に目を奪われ、片時も目を逸らすことが出来なかった。
男はラーグの正面に来ると、その瞳を見据えながら低い声で話しかける。
「初めましてだな、少年」
「……俺はアンタを知ってるよ、バジリスク・ゲッツェ」
バジリスク・ゲッツェ。
軍に在籍する者やその道に精通する者ならば必ず耳にしたことのある名だ。
若くしてアリュスーラの軍へ入隊した彼は御年で四十六になるのだが、その外見からは絶対に年齢を言い当てることは出来ないだろう。
彼は世間から別の名でもよく知られている。
≪魂喰らい(ソウルイーター)≫
名前の通り、敵の魂を喰らうことでその寿命の一部を得ることが出来る種族だ。個体数が圧倒的に少ないために遭遇することは殆どないのだが、一度出会えば命を吸い取られると代々恐れられてきた生物だ。
そんな彼が軍に居ることは不思議に思うかもしれないが、これには少し事情がある。
元々人間種から忌み嫌われる存在の魂喰らいは、自分から積極的に人間種と関わろうとはしない。だが中には例外もいるようで、バジリスクもその一人であった。
彼は幼少からその種族ゆえに周囲から疎まれ、孤独に苦しんできた。
彼もまた、その辛さから己の中に眠る魂喰らいとしての自分の存在が増幅していくのを自覚していた。その欲求を止めることは出来ないため、彼は夜な夜な街に出ては悪事を働く輩だけを狙ってその魂を喰らい続けた。そうすることで魂喰らいとしての衝動を最低限に押さえつけ、同時に人としての自分を保とうとしてきた。
しかし、人々はそれを良い方向には捉えなかった。
ある日、いつも通りバジリスクが街に繰り出て悪者の魂を喰らっていたときに、その光景を一人の女性に目撃されてしまった。女性は悪魔を見るかのような目でバジリスクを見つめると、踵を返して逃げ出してしまった。
バジリスクの噂はすぐ広まり、皆自然と彼を避けるようになってしまった。どこへ行っても彼は関わりを拒否され、周りとの温度差が露呈していった。中には悪意の籠もった言葉を投げかける者もおり、バジリスクは完全に周囲から孤立してしまった。
そんな中、バジリスクに近付いたのが現国王陛下であるアレクセイだった。若かりし頃のアレクセイは種族などで偏見を持つことはなく、周囲が嫌がるのも一切無視してバジリスクに対してごく普通に接した。
そんなアレクセイの態度がとても嬉しくて、バジリスクは次第にアレクセイにだけは心を開き、笑顔を見せるようになった。
アレクセイが後に陛下になるべき存在だと知った時は流石のバジリスクも驚いた。しかしそれでも彼の中には揺るぎようのない気持ちが芽生えていた。
「俺はアンタと一緒にいたい。これからも、ずっとアンタの力になりたい」
バジリスクの心からの願いを聞き入れた時のアレクセイの顔、そして彼から帰ってきた言葉をバジリスクは今もなお忘れることなく鮮明に覚えている。
「ならば共に参ろうか。私と共にこの国の未来を拝みに行こう」
以降、バジリスクは常に国のため、陛下のためを思い生活している。
自分に生きる意味を見出してくれた陛下のためなら命を懸けられると彼は断言したという。
「俺の名前を知ってるのか……物好きめ」
「俺でなくとも、バジリスクという名を知らない方が少ないんじゃないか?」
「それもそうか……。まぁいい、とにかく俺がお前の相手だ。自分で言うのもアレだが今まで見たいな奴とは違うからな、今からでも遅くはないからきっちりと覚悟しとけよ」
そう言うと、バジリスクの周囲の空気だけが少し変化した。
この場にいる誰一人気付かない――――ただ一人を除いては。
「――――ッ!!」
一瞬で脳内に警鐘が響き渡る。
体中に緊張が走り、敵の襲来を悟る。
本能で後方へ飛び跳ねた直後、間髪入れずにバジリスクの拳が振り下ろされた。
放たれた拳から湧き出る圧によって着弾した地面は文字通り陥没し、周囲に大きなクレーターを作り上げてしまった。
(……これは、なかなかまずいんじゃないか?)
今の一撃を見てバジリスクの言葉が嘘でないことを理解したラーグは、それこそ戦場さながらの殺気を纏って反撃に打って出る。
飛び跳ねた直後には体を反転させながら華麗に着地し、即座に地を蹴って敵との間合いを詰める。足に充填した膨大な魔力が滾るのを肌で感じ、ラーグは突っ込んだ勢いのまま拳を振りぬいた。
大男に見せたのと同様、瞬きも許さぬほどの速さで繰り出された一撃はバジリスクの鳩尾を見事に捉えた――――かのように見えた。
しかし、ラーグの手には敵を打ち抜いた感触が一切訪れることはなかった。
「うん、なかなかいい攻撃だが……まだ荒いな」
ラーグの拳を掴んだまま、バジリスクは朗らかに言い放つ。
唖然としてそれを見つめるラーグ。
僅かに見せたその隙を見逃すはずもなく、バジリスクは掴んだ腕を引き込むと、逆にラーグの鳩尾に強烈な一撃を叩き込む。
「ぐぅ――っ!?」
今までに経験したことのないとてつもない痛みを伴った一撃を浴びて、ラーグの体は遥か後方、自分が立っていた場所よりも遠くへ吹き飛ばされていく。
空中で何とか態勢を整えて、地に着いた足に力を込めてどうにか踏みとどまろうとする。
それでもなかなか言うことは聞かず、踏ん張った部分の地面が深くえぐられていた。
「丈夫な体じゃねえか。少しは鍛えてるんだな?」
こんなふざけた一撃を見舞っておいてそんな呑気な事を抜かすのか。
人間種だったら確実に命にかかわっている。というか、半龍種の俺でも仮に反応できていなかったら確実に臓器損傷程度の傷は負っていたはずだ。
「――この怪力男め」
今のやり取りだけでバジリスクの強さは証明された。
反撃に出て少しは抵抗しなければ。
しかし、ラーグはその場から動くことが出来なかった。
ラーグはそっと攻撃を受けた部分に手を添える。
(――肋骨が数本、確実に折れている)
致命傷とまではいかないが、今までのような俊敏な動きが制限されてしまう位のダメージは負ってしまったようだ。殴られた箇所は今もズキズキと痛みを発しており、体を動かすたびに悲鳴を上げる。
敵の強さからいってこのまま隙を見逃すはずもない。敵の手の届く範囲が分からないので一刻も早く、少しでも遠くへと距離を開けたいのだが、バジリスクはそれを許さない。
ほんの少しの間、思考に集中した瞬間を狙って更なる追撃がラーグを襲ってくる。
判断に遅れたラーグは攻撃を回避することが出来ず、振りぬかれた回し蹴りを腕で受け止める。
「――ふん」
力のこもった蹴りはそれだけで勢いが止まるはずがなく、ラーグの体は再び宙に舞うことになる。
しかし今度は先ほどのように吹き飛ばされることはなかった。
蹴りを受け止めていた腕をがしっと掴まれると、体の向きを強引に変えられる。
その瞬間、ラーグとバジリスクの視線がぶつかった。
「……いつまでも勝ってばっかじゃつまらんだろ? だからたまにはやられる側になってみろ」
そしてラーグの視界が、敵の魔力が籠もった掌で覆われた。
***** *****
場内は完全に静まり返っている。
ラーグを応援していた女性たちもこの光景には声を上げることは不可能だった。
あれから繰り広げられているのはあまりにも一方的な闘い。
少年が攻勢に出ても、相対する青年姿の男はその全てを躱し、少年が生んだ僅かな隙から致命傷にならない程度のダメージを的確に与えていく。
いくら致命傷にならなくても、塵も積もれば山となるものだ。
攻撃に晒され続け、少年の体は最早ボロボロである。
「……少しやりすぎたか?」
半龍種だと聞いていたので、ついやりすぎたかもしれない。
しかし龍族や半龍種に見られる特徴である自己修復が行われないのを見ると、どうやら半龍種としての素質がまだ開花していないのだろうか。
治療を施すには己の魔力を使用しなくてはならないみたいだが、今はそれも叶わない。
攻撃を受け続けた代償は大きく、少年は既に魔力の大半を消費してしまっていた。
(そろそろ終わりにしたほうがいいな)
あくまで武闘大会なわけで、これは戦場ではない。こんな所で命を落とされでもしたらこっちが困るのだ。今までの経緯で少年の力は大体把握することが出来たし、陛下や陸軍の関係者も十分戦力としてみなすことは出来たであろう。
そう考えたバジリスクは、静かに少年に語りかける。
「少年、ここらで闘いは終わりだ」
それを聞いた少年の肩が震えるのが手に取るように分かった。
「まだ……終わ、て……ない」
「いや、もう終わりだ。その怪我でどうするっていうんだ? これ以上やると俺が怒られる」
バジリスクは少年の執念ともとれる態度に内心驚いていた。
まだ若いのにどうしてここまで勝ちにこだわるのか。
事情は知らないが、きっと何かがあったのだろう。
しかし、今焦ったとしても急激に強くなれるわけではない。その上、半龍種としての力を扱い切れていない少年にこれ以上何かを期待することはバジリスクには出来なかった。
「――何を焦っているのか知らんが、自分の力を使いこなせない今のお前じゃ俺には勝てん。この場で無駄な足掻きをしなくてもこれから十分に鍛えてやるから今は大人しく負けとけ」
バジリスクなりに誠意を込めて諭したつもりだった。
これ以上少年を周囲の目に晒したくはなかったし、何よりも陛下が待ち望んでいた人物だ。下手に大怪我をさせれば逆に俺が怒られてしまう。
彼なりに考えぬいて選択した言葉だったが、どうやらその言葉は少年の心には届かなかったようだ。
静かに佇んだままの少年は微動だにせず、次の動きを見せる気配がない。
不審に思ったバジリスクが少年に声を掛けようとした。
「おい、少年。人の話を――」
最後まで言い切ることはなかった。
いや、言い切ることが出来なかった。
少年から発せられる怒気に、バジリスクの体のありとあらゆる動き、そしてその思考までもが活動を停止させた。
暫くして、とてつもなく長く感じられた静寂を破るように少年の低い声が響き渡る。
「……さぁ、続きを始めようか」
その眼は灼熱の紅に、紛れもなく龍の証である色に染まっていた。
***** *****
ラーグの意識は途切れる寸前だった。
一方的に攻撃を受け続け、体力も魔力も底を尽きかけている。
肉体的にも精神的にも限界に近付いていたが、バジリスクはそれでもその手を緩めようとはしない。
これまで辛うじてバジリスクの攻撃で被るダメージを最小限に抑えてきたのだが、何度目かの攻撃を受けた時、ついにラーグの態勢が崩され決定的となる一撃を叩き込まれてしまう。
苦痛に顔を歪め、血反吐を吐きながら、ラーグは踏ん張りの効かない足に頑張って力を込め、倒れこまないように体を支えようとする。
次の攻撃に備えて少しでも態勢を整えなければと思っての判断だったが、ラーグの考えとは違い、次の攻撃が襲ってくることはなかった。
先程までの様に続けざまに攻撃を仕掛けたりはせず、バジリスクは少し離れた場所からラーグを感情の籠もらない目で見つめていた。
いつ攻撃されてもいいように警戒を解かなかったラーグだが、次の瞬間、かけられた言葉に衝撃を受けることになる。
「少年、ここらで闘いは終わりだ」
ラーグは一瞬言われたことを理解できなかった。
しかし、言葉の意味を理解した瞬間、途方もない喪失感が彼を包み込んできた。
(まだ……まだ……)
体が震えているのを感じていたが、それどころではなかった。
「まだ……終わ、て……ない」
必死にそれだけ絞り出したが、心の動揺は隠せない。
「いや、もう終わりだ。その怪我でどうするっていうんだ? これ以上やると俺が怒られる」
バジリスクが説得の言葉を投げかけるが、ラーグの心には届かない。
闘いが終わるという恐怖、半龍種としての力を引き出せないという恐怖、両親の仇を討つことが出来ないという恐怖。その全てがラーグの心を蝕み、彼から平常心を奪っていった。
(何とかして、何とかして闘いを続けないと……)
疲弊しきった頭を必死に回転させ、闘いが終わらぬよう考えを巡らせるが、一向にいい案は浮かんでこない。それがかえってラーグの動揺を広げることになり、冷静な判断を下すことが難しくなっていた。
と、その時、バジリスクが放ったある言葉にラーグはその身を硬直させた。
「――今のお前じゃ俺には勝てん」
(今、何と言った?)
「――無駄な足掻きを」
(無駄な……足掻き?)
「大人しく負けとけ」
(俺が……負ける……?)
バジリスクが放った言葉の断片が頭を駆け巡り、ラーグの思考は完全に停止した。
そして次の瞬間、ラーグの意識は自らの内へと引きずられていった。
意識を取り戻したラーグの目の前に広がっていたのは、一面真っ白に彩られた世界だった。
上下左右どこを見ても白しか存在しない場所。
しかし、一か所だけ異なる点があった。
そしてその先、唯一白ではない場所に、真紅の鱗を身に纏った龍が此方を見つめていた。
その佇まいは見る者に恐怖を与え、普通の人間であれば卒倒するほどの雰囲気を醸し出していた。
ラーグはゆっくりと龍に向かって歩みを進めていく。お互いの距離が近づく間、ラーグは龍から一度も目を離すことなく、龍もまたラーグから目を離すことはなかった。
両者の距離が目と鼻の先程度にまで縮まったところでラーグは歩みを止める。それからほんの少しの間を置いて、ラーグの脳内に低く重みのある声が響き渡った。
『ようやく目覚めたか、我が主よ』
聞く人によれば恐怖で足がすくみそうな声音だが、その声は確かにラーグに対して幾らかの優しさが込められたものだった。
「アンタが俺の中に眠ってる龍なのか?」
どうしても確かめたかった。
目の前の龍が、自分がずっと待ち望んでいた存在なのかどうか。
自分に力を与えてくれる存在なのかどうか。
『……確かに、私はお前の中で長きに渡って眠り続けた存在。お前がずっと求め続けた存在だ』
龍はラーグの望む答えを述べた。
それを聞いてラーグは緊張で強張っていた表情を緩め、目の前で自分を見つめる龍を温かい目で見返す。
「あの時からずっと待っていた。魔族に復讐を誓ったあの日以来、ずっと待ち焦がれていた」
『私もお前をずっと待っていた。お前の意識が覚醒するのを今か今かと待ち続けていた』
「――今こうしてアンタと会話できてるってことは、少しは俺にも半龍種としての力が備わりつつあるという解釈でいいのだろうか」
ラーグの問いに、龍は目を細めながら答える。
『まだ完全には目覚めておらん。後は私がお前を認めるかどうか、だ。力を与える前にどうしてもお前の生の声を聞きたくてな』
そう言うと、龍は一拍の間を空けてから言葉を紡いでいく。
『お前は力を得たらどうしたいのだ』
ラーグはその問いを聞いて心の中で苦笑する。
今まで何度も自問自答してきた問いだ。最愛の家族を失ったあの日からずっと考えて悩みぬいてきた問い。
答えはとっくの昔に決まっていた。
「愚問だな。改めて考える必要もない。……俺は家族の命を奪った魔族に復讐したい。そのためならこんなちっぽけな命などくれてやる。そしてもう一つ、俺は俺の守りたいものを守るためにその力が欲しい。これから先、俺が出会い関わる全ての人を守ることが出来るようにな」
自分の口から出た言葉ながら、自分でも呆れるほど無茶な要求である。
それでもこれは本心から出た言葉だ。
これから先俺と関わる人が二度と傷つかないように、俺の目の前で傷つけさせないために。
その為なら己の命など惜しくはなかった。
『――なかなか大きな野心を抱いてるのだな。それも、かなり難儀なものを』
「そんなことは重々承知している。だが、この思いは変わらん。この願いこそが今の俺にとって生きる意味を見いだせるものだからな」
『……』
龍は暫し黙ってラーグの話を噛み砕いていた。
ようやく龍が口を開いた時、その声に籠もっていたのは”信頼”だった。
『よかろう。私の力、お前に授けよう。お前が望む限り私は力を与え続ける。お前は私の力に応えてみせよ』
「……感謝する、我が龍よ」
『私の名はガルガン。そう呼んで構わない』
ガルガンはそう言うと、ラーグの体内に己の魔力を流し込んでいく。
「有り難うガルガン。これで俺はもっと強くなれる」
『ふむ、確かにそうだ。お前は今より遥かに上の領域に足を踏み入れることになる。お前の望みを叶えたいなら、全力でもがき、そして勝ち取れ』
ガルガンの声を聞きながら、ラーグは意識がはっきりしていくのを肌で感じていた。
感覚が急速に研ぎ澄まされていき、己の内に入っていた自我が目覚めようと暴れ始める。
「そういえば、まだバジリスクとの闘いの最中なんだった」
そう伝えると、ガルガンは目を細めながらラーグを見つめ、そっと一言だけ告げた。
『半龍種としての初陣だ。まあ盛大にとは言わんが、きちんと自分の力を確認してくるといい』
その言葉を最後に、ラーグは再び現実へと引き戻されていった。
***** *****
意識がハッキリしてきてラーグは重い目をゆっくりと開く。
辺りに目をやると、そこは先程まで闘いを行っていた広場であった。
広場には先程まで闘い続けた痕跡がくっきりと残っており、ここで行われた闘いがいかに凄まじかったのかを如実に物語っている。
更に視野を広げていくと周囲の人々は静まり返っており、黙って此方の動向を見守っているようだった。周囲の誰もがラーグに心配の籠もった目を向けており、女性の中には涙を流している者までいた。
その様子を目の端で確認しながら、ラーグは瞬時に自らの体の損傷範囲を見て回った。
肉体損傷、特に腕や胴体に大怪我を負っていたはずなのだが、どういうわけか殆ど治癒されていた。
今までの治癒とは違い、半龍種として覚醒したことによって得た力による修復は目を見張るものがあり、その治療速度、範囲、効能は今までとは比べ物にならないくらいの違いがあった。
事実、こうして体の確認をしている間にも治癒は急速に進んでおり、折れた骨や出血していた箇所はほぼ完全に元通りとなっていった。
そうこうしてようやく目の前の人物に注意を向けることにしたラーグであったが、自分と相対している男は怪訝そうな目をして此方を見つめていた。
(それもそうか。俺に降伏を進めてたもんな……)
そんな事をぼんやりと考えていると、バジリスクが閉ざしていた口を開こうとした。
「おい、少年。人の話を――――」
最後まで言わせるつもりはなかった。
滾る覇気をバジリスクに叩きつけるように向けると、バジリスクはその勢いに呑まれてしまい、吐き出そうとしていた言葉を最後まで言い終えることが出来なかった。
まだ終わるわけにはいかない。終わらせるわけにはいかない。
体内の奥深くから漲る魔力を体中に染み込ませながら、脳内はこの状況をどう覆すか、その一点だけに思考を集中させていた。既に負傷した部分は元通りになっているので以前と変わらず、寧ろ龍の力を得たことで今まで以上の力を発揮できる状態にある。
とにかく、現在思慮すべきなのは、目の前の魂喰らいをどうやって駆逐するかなのだが、今のラーグは不思議と負ける気が全くしなかった。
半龍種として覚醒したからだろうか、今のラーグにはバジリスクさえ小さな存在のように思えた。
早く決着をつけるため、ラーグはバジリスクに声をかけた。
「……さぁ、続きを始めようか」
そう言い放つと同時に、膨大な魔力によってラーグの周囲だけ歪みを生み出した。
空間を歪めるほどの魔力を目の当たりにして、バジリスクは驚きを滲ませる。
さっきまで一方的にやられていたときとはまるっきり別人のような雰囲気を醸し出しているラーグを見て、一体彼の身に何が起こったのかという疑問がバジリスクの脳裏を過ぎる。
しかしバジリスクも馬鹿ではない。本能的なものか、高速に動いていた脳の性能なのか、瞬時に現状を整理することが出来た。
「やっぱり、半龍種なんだなぁ……」
いつの間にか灼熱の紅に変貌していた眼で此方を睨みつけているラーグを見て、バジリスクは誰に言うわけでもなくそう呟いていた。
咄嗟の判断でラーグの身に半龍種として何らかの変化が起こったことは理解したが、体はその思考についてくることは出来ないようだった。
確かに眼は灼熱の紅に変化し、その驚異的な治癒能力、纏う雰囲気は先程まで闘っていた少年から発せられるものとは大きくかけ離れている。しかし今、目の前で対峙する少年からは覇気こそ感じられるが、ただそれだけだ。
並々ならぬ力の波動を発してはいるが、その実感を与えない。自分以外に向けられるはずがないことは理解しているはずなのだが、それでも到底自分に向けられているとは思えないほど強大な力を前にして、ほんの少しだけ張りつめていた緊張の糸を緩めてしまった。
だからこそ、ラーグが見せた変化の兆候に気付くのが遅れてしまった。
僅かに揺らいだラーグの体を認識した時には、ラーグは既に自らの間合いに侵入してきていた。
刹那の思考で二人の距離を縮められたことで脳内は警鐘が鳴り響いていたが、一度緊張の解けた体はなかなか言うことを聞いてはくれないものである。
あっという間に攻撃の届く範囲にまで接近したラーグは、その勢いのまま恐ろしい速さで右拳を振り抜いた。
反応が遅れても尚攻撃を防ぐために防御姿勢を取ったバジリスクはやはり手練れの者というべきであろうか。それでも戦闘態勢を崩されていることに変わりはなく、全体重をかけて繰り出された渾身の一撃はバジリスクの態勢をぐらつかせるのには十分であった。
その隙を見逃すはずもなく、ラーグが多重攻撃を仕掛けるべく一気に攻勢に打って出る。
反撃の余地を残さないほど苛烈に攻撃を続けるラーグ。そして、それを必死の形相で受け続けるバジリスク。
目にもとまらぬ攻防が少しばかり継続された後、その均衡が崩れ去った。
防戦一方の中でバジリスクが反撃の機会を伺っていた時、ラーグの攻撃の中に僅かだが綻びを見つけ出すことに成功したバジリスク。それを逃しまいとラーグの隙をついて一矢報いようと拳を振り抜こうとした。
そして、同時にこれが誘導されたものだと後悔することになる。
反撃に出たバジリスクが見たもの。それは此方の攻撃を予測したうえで既に迎撃態勢を整えて待ち構えていたラーグとその顔に浮かんだ微笑であった。
「……何だよ。急に強くなりすぎだろうが」
誰にも聞こえない小言を述べたバジリスクは、自分の敗北が近いことを悟る。
最早攻撃を躱す手段も、この状況を打開する方法も彼には浮かばなかった。
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騒々しかった広場に静寂が戻ったとき、二人の男が立ち尽くしていた。
一人は拳を相手の顎元に突き付けており、その様相からは反撃を許さないよういつでも追撃が出来ることが見て取れた。
もう一人は顎元に拳を突き付けられているため、微動だにすることが出来ないようであった。
その状況がどれだけ続いたのだろうか。拳を向けられていた男がゆっくりと戦闘態勢を解き、目の前に佇む少年をゆっくりと見下ろすように見つめた。
少年も同じようにゆっくりと戦闘態勢を解いていき、自分を見つめている男と視線をぶつけさせる。
それから暫くして、片方の男が小さな、それでいて周囲の人間にはっきりと聞こえる声でこう宣言した。
「……俺の負けだ少年。そして、おめでとう」
王国に希望をもたらすことになる少年の出現によって、一躍未来に語り継がれるほど印象に残ることになった闘い。
その幕が下りた瞬間であった。
長らくお待たせしました(泣)
流石に学生生活と両立して話を書くとなると簡単ではないですね。
気付いたら更新してから三週間経過してました……
なるべく定期的に更新できるように努力していきますので長い目で見ていただければ有り難いです!