第三話:各々の野望
ローヴァンヌ公爵家が所有する邸宅の一室。
部屋に置かれた大きなベットの中で、一人の女性が眠っている。
「んーっ、むにゃむにゃ…」
などと何とも可愛らしい寝言なのだが、女性の容姿も、見る者をくぎ付けにするほどの美貌である。
透き通るような白い肌に見る者を惹きつける金瞳、印象に残る濃い金髪のロングヘアー。服から見える四肢はスラリと伸びており、胸の膨らみは大きすぎず小さすぎず、男性好みの大きさを持っている。その正体を知らない者は思わず声を掛けたくなりそうなほど端整な顔立ちなのである。
とはいえ、この国にそうそう声を掛けようなどと無謀な考えを抱く馬鹿者はいない。
何を隠そうこの女性、アリュスーラ筆頭侯爵のローヴァンヌ家、代々続く龍族の血統であるマルコ・ローヴァンヌの娘、エルメス・ローヴァンヌなのである。
それを知らずに声を掛けた無知な男がどんな結末をたどったか――。
想像するだけでもおぞましいので、ここでは割愛させていただく。
マルコは周囲のお墨付きがつくほどの親バカで有名である。
娘に不用意に近づこうとする男がいれば、その身辺を徹底的に探り、娘に見合わないと判断すれば即刻遠ざけてしまう。もしも粗暴な輩が近づこうものなら、己の権力の全てを以て排除する。
龍族の血統でもあり、可愛い愛娘の婚約相手には相応の男性を迎え入れたいと考えるマルコ。今までに幾度となく縁談の申し入れがあったのだが、ことごとく断りの返事を送っているのだ。
――――本当なら一人いたんだがなぁ…。
実はマルコ、過去に一度だけ婚約者として認めてもよいと考える者がいた。といっても娘、相手ともにまだ赤ん坊の時なので、婚約云々はまだ早いような気がするのだが、そこはマルコの行き過ぎた愛情が引き起こしたものだとしておく。
当時アリュスーラ王国の王都に滞在していた半龍種、その中でも特に活発で公爵家とも仲良くしていた夫婦がいた。名は確かアルバスとセフィリアだったはずだ。その夫婦の間には生まれたばかりの男の子がいた。
龍族と半龍種で大きく異なる点は、身体機能、特に戦闘時に龍化できるかどうかである。単純な戦闘能力だけを見るならばどちらも人間種よりはるかに高い領域を行くのだが、勿論個々の能力値によって、成長していくにしたがって差は出てくるが、基本的な性質は龍族も半龍種も大した違いはないと言える。
あの夫婦と出会った時、何故かはわからないが運命を感じた気がした。龍にまつわる者同士で共鳴しあうものがあったのかもしれない。とにかく、幼いながらもこの二人は結びつかなくてはならない、そういった感覚にマルコは襲われた。
しかし、その夫婦は帝国との争いが終わると我々の前から姿を消してしまった。娘の婚約者として唯一真剣に考えていたマルコにとっては寝耳に水の出来事であった。いなくなってからはあらゆる情報網を使って居所を掴もうとしたが、それも叶わなかった。
「はぅぅぅぅぅ―――…」
ここまでしているのは全てエルメスのためだというのだから、マルコの溺愛ぶりは周囲の者が少し恐怖を抱くほどである。
そんなマルコの下に連絡が入ったのは、人目も憚らずにうじうじと悩み抜いている真っ最中の時であった。
それは国王陛下から届いたものだった。
「私が待ち望んだ者が現れる、だと? 陛下もご冗談を言うようになったのか。私が待つのはエルメスの婚約者に見合った男だけであって、そこらの若造ではな―――っ!?」
何かに気づいたように、マルコは目をひん剥いて最後に書かれた一文を食い入るように見つめた。
≪その男の名はラーグ・バーテン―――――半龍種の子である可能性アリ≫
これには流石のマルコも驚きを隠せずにいた。
半龍種の子、バーテンという名、年齢も同じだというではないか……。
ふつふつと、マルコの中で消えかかっていた”何か”が再び燃え上ってくるのを感じていた。
もしもこの時、マルコを止める者がいたならば、全力で止めにかかるべきだったかもしれない。
「誰かぁ!! 今すぐエルメスに外出の準備を! 急いで婚約者の顔を拝みにいかなければぁぁぁならぁぁんっ!!!」
マルコの中でくすぶっていた親バカの力が長い眠りから覚めようとしていた。
コンコンと、軽快に扉を叩く音がする。
「失礼いたします……エルメス様、入ります」
返事がないことを確認すると、専属の侍女はさっさと部屋の中に入っていく。
知らない人が見れば何と失礼な侍女だ、と思うかもしれないが、この宅ではこれが当たり前の習慣となっている。エルメス・ローヴァンヌという女性の寝起きの悪さは最早皆が知るところである。
侍女はつかつかとベットに歩み寄ると、柔らかな掛け布団にくるまってスヤスヤと寝息を立てている女性を起こしにかかる。
「エルメス様、父上様がお呼びです」
そんな優しい言葉で起きるなら、エルメスの侍女になった者が苦労するはずもない。
一向に起きる気配のない主に少し苛立った様子の侍女は、少し語気を強めて再度揺り起こしにかかる。
「大事な話があるそうですよ? 父上様をお待たせするのはよくありません、早く起きてください」
それでも起きようとはしないエルメスという女。
正攻法では無理だと悟った侍女は、揺り起こすのをやめ、くるまっていた掛け布団を引っぺがす。
急に訪れた寒さに身を震わせながら、それでも手を体に回して眠りに着こうとしていたエルメスの耳元に、侍女の容赦ない罵声が降り注いだ。
「早く起きなさい、この怠け者!! いつまで寝ているつもりですか! 父上様を待たせるなど言語道断、それが娘として取るべきものですか!?」
他にもガミガミと怒鳴り、喚き散らしたのだが、驚いて飛び起きたエルメスの頭には殆ど入ってこない。
ようやく目を覚ましたエルメスは隣で騒いでいる侍女に気付くと、今にも泣きだしそうな顔でそっと告げる。
「そんなに怒らないでよぉ…せっかく気持ちよく寝てたのにぃ」
「何時だと思ってるんですか? それだけグータラしておいて、ご自慢のスタイルも宝の持ち腐れになりますよ」
「ふぅんだ! 寝る子はよく育つもんね!!」
などと子供さながらの言い訳を言ってのけるエルメスに、侍女は溜め息をつく。
このままでは埒が明かないので、とりあえず伝えるべき用件だけを手短に伝える。
「父上様から、一緒に武闘大会を見に行くので至急準備を整えるように、と」
それを聞いたエルメスは目を点にして言われたことを少しずつ噛み砕いていく。
「武闘大会……また開くみたいだけど、私が行って何の意味があるのかしら?」
「私に聞かれましても困ります。直接父上様にお聞きになったらどうです?」
侍女は大変素っ気なく、エルメスを早くベットから追い出したいかのようにあしらう。
(うぅ……視線が冷たいよぉ……。)
邪魔者をどかせようとする侍女と小さく縮こまっている半べその少女。
それを聞いたエルメスは渋々、渋々ながらも父に会いに行くべく準備を整えるのであった。
***** *****
「お呼びですか、お父様?」
あれからちょっとばかり急いで服装を整えたエルメスは、父のいる部屋へ足を運んでいた。
「おぉ、ようやく来たか」
いかにも待ち焦がれていたかのように娘を上機嫌に出迎えるむさ苦しい父親。
いい年になったエルメスにとって、父の異常とまでいえる愛情は少々目障りである。マルコが聞けば大層落ち込むだろうが、娘からしたら必要以上に構われるのはこの上なく迷惑な話だ。
「また武闘大会に赴くそうですね。そんなに行きたければ一人で行けばいいじゃない…。こっちは夢の中から無理矢理引き戻されて機嫌が悪いのよ?」
愚痴をつらつらと述べる娘。それを暖かな目で見つめる父親。
傍から見たら、この状況はどのように映っているだろうか?
――――はっ、いかんいかん。無駄なことを考えてる場合ではない。
要らぬ思考に気を取られそうになるのを必死に堪えながら、マルコはエルメスに今回の目的を告げる。
「エルメス、私がお前の婚約者について話をしたことを覚えているか?」
「? …えぇ、覚えているわ。確か半龍種の男の子だったわよね? だいぶ昔に戦いがあった後にこの国からいなくなってしまったって言ってたと記憶しているけど」
「その少年がな、今日行われる武闘大会に参加するようなんだ」
その言葉を聞いたエルメスは、これまた言われたことをゆっくりと噛み砕く。
考えに考え抜いた後、出た言葉はとても冷静なものだった。
「えぇと……要するに、私の婚約者候補だった人がこの国に来ていると?」
「候補じゃない!! 私は彼こそがお前の婚約者であるべきだと考える。確かにまだ顔も合わせていないし、今現在どうなっているかも分からない。ただあの時抱いた気持ちは今も変わらん。お前が生まれてから本気で婚約者として認めてもいいと思ったのはその少年だけなんだからな」
捲し立てるように熱弁する父を見て、そんなに凄い男なのかとエルメスは瞠目する。
父に言われてから少なからずその男の子に思いを巡らせたこともあった。
面と向かって顔を合わせたことのない少年―――。
龍族の身としては半龍種としての能力も気になったし、やはり父が直感でも運命を感じたとまで言わしめた男だ。そこまで言われたら流石に意識するなという方が無理である。
「お父様がそこまで言うなんて、いよいよ興味が湧いてきたわね…。いいわ、私も一緒に行く」
娘の一言に感動したのか、目尻に涙を浮かべながらマルコは娘の手を握りながら喜びを露わにする。
「そうか、そうかっ!! ようやくお前も未来の夫に関心を示してくれたか…父さん、嬉しいぞ!!」
「か、勝手に話を進めないでよ! まだ私の夫になるなんて決まっていな…」
「お前の男は彼だけなんだ!! 他の男に大事な娘はやれん!!」
――――こうなってはもう人の話をまともに聞けないだろう。
自分の娘は彼だけのものだと言い張り続ける父親をどうにかして宥めると、エルメスはその少年の名を聞く。
「彼の名前はラーグ、ラーグ・バーテンだよ。はぁ…早く会いたいな、義息よ……」
勝手に妄想に耽る父を尻目に、エルメスはラーグという未来の夫となるかもしれない少年に思いを馳せるのであった。
暫くの憩いを挟んで、ラーグは武闘大会が開催される闘技場に来ていた。
つい先ほど、武闘大会に出場する人は闘技場に集まるようアナウンスが流れたのだ。
その場には多くの出場者がいた。
参加申し込みをしたときはあまり人数はいなかったので気にはしなかったが、こうして集まった面々を見てみると、実に様々な出場者がいるものだ。ラーグと同じようなショートソードを腰に差した者もいれば、長身のごつい刀を背中に背負い込む者、魔法を専門としているのか刀を持たない者、中にはこの場には似つかわしくない物騒な武器を担いだ者までいる。
ラーグと言えば、剣術だけでなく拳闘術や体術も習得しており、それに天性の才能から成長した魔法術を織り交ぜた戦闘を行うことが出来るので、そこいらの強者では相手にならないと自負している。
事実、此方を見て嘲ったような態度を見せた者は、少しばかり殺気混じった視線を向けただけでそそくさと退散していった。年齢に見合わない殺伐としたオーラを纏ったラーグの視線に耐えられるものはそうそういない。
そうして周りを牽制しながら待機していると、再びアナウンスが流れる。
『武闘大会に出場される方々にご連絡いたします。只今より闘技場内へ入場していただきます。中へ入られた方は順次出場者控室へとお向かい下さい。』
アナウンスが流れてから少しして、闘技場内へと続く門が乾いた音を立てて開いていく。それを見た武闘大会出場者は、次々と中へ消えていく。
ラーグも流れに沿う形で闘技場内に足を踏み入れる。
中は想像よりも広々としており、周りの壁や遥か上に見える天井には戦う戦士の絵が描かれている。
アナウンスで言われた通り、用意された控室へと入っていくと、一際大きな部屋――――部屋とは言い難いほど巨大な広間――――があり、各々が好きな場所で自分の出番を待っていた。
実は参加申し込みを行った際に、整理券のような紙を貰っていたのだが、出場者の数と広間の大きさを比べてみてようやく合点がいった。出場者があまりにも多いため、一定の人数ごとに部屋を複数に分けているようだ。
ラーグも適当な場所を見つけ、とりあえず部屋に置かれていた巨大なモニターに目を向ける。
モニターには武闘大会が行われる所であろうか、大きな円形の広場が映し出されており、その周りを囲む観覧席は人で埋め尽くされていた。席に着く人々は武闘大会を今か今かと待ちわびているのだろう、興奮を抑えられないといった感じで歓声が上がっている。
武闘大会を開くにあたって、一応のルールを踏まえておこう。
まず、自分で持ち込んだ武器の使用は可能。但し、今回はあくまで武闘大会であるため、対戦相手を死なせるような攻撃は基本的に禁止となっている。とはいえ、事前の忠告で広場には仕掛けが施されており、明らかに危険だと判断できるような魔法は自動的に制御され、武器での攻撃にも補正がかかるという。こちらが全力を出しても勝手に抑制してくれるのなら下手に心配する必要はないだろう。
勿論、意図的にそのような状態に陥らせるような場合、規律事項を破ったと見做される為、武闘大会では良い結果は望めないということになるのだが。
次に勝敗の決定だが、これはどちらかが負けを認めるか、或いは審判員が戦闘不能だと認めるか、のどちらかである。要するに、両者決定打を与えられず、膠着状態が続くならば半永久的に勝負は決まらないことになる。
実際は過去でそのような事が起こった例は皆無で、ほとんど無意味といってもよい。
最後に戦闘方法であるが、これは武闘大会を主催する国王陛下の気分次第、だそうだ。
陛下が一対一を望むならそうなるし、複数の相手を相手取って戦えと言えばそうなる。後者のような形式になるのは、アリュスーラ軍で優秀な成績を修めた者がその余興として行うことが殆どであったので、通常は前者だと考えてよい。
ただ、如何せんこの人数である。一対一を行い続けたらいつ終わるか分かったものじゃない。
そう思っていたら、モニターに映る闘技場がいくつもの魔法障壁で仕切られた。数えてみたら全部で九つに分かれている。そんなに仕切ることが出来る広場の大きさも凄いものだが、とりあえずは時間は大幅に短縮されそうだ。
諸々の準備が出来た頃、モニターに映る広場の人々の声が一段と大きくなった。
皆が注目すると、広場の奥、上から見下ろすような位置に数名の人物が現れた。
真ん中で一際注目を集める男性。彼がこの国の国王である、アレクセイ・フォン・エドワードである。その周りには軍関係者と思しき面々が揃っている。
その横には、柔和なイメージを連想させるほど優しい笑顔を振りまいている男性。そして、その隣には見目麗しき女性が佇んでいる。
その美しさに誰もが息を呑んだ。ラーグでさえ少し目を見開いてその女性に見入ったほどだ。
彼女がのちに知り合うエルメス・ローヴァンヌであるが、今の彼にそんな事は知りえない。
何故こんな場所に場違いなほど美しい女がいるのか―――?
そんな事を自問自答してみるが、明確な答えには至らない。
その女性とその父親、更には国王陛下の目的がラーグ自身だと知るのは、もう少し後になってからである。
『…それでは、これより武闘大会を開催いたします。自分の番号を呼ばれたら、所定の入り口から中央広場まで下りてきてください』
所定の入り口――――ここから右に少し行ったところに別の入り口があり、誘導員だろうか、豪奢な甲冑に身を纏った兵士が待機している。
『――――番、――――番、――――番、―――――――以上の方々は誘導員の指示に従って広場まで移動をお願いします』
夢や野望に渦巻いた注目の武闘大会が、今始まる――――――。