第一話:要塞城国
アリュスーラ王国。
ウェーデル大陸西方に位置するこの国は八千三百万もの人口を有している。王都フェリオンを囲んでいる強固な城壁は敵からの侵攻を念頭に入れて設計されており、建国以来一度たりとも城壁の内側に敵軍の侵入を許したことはない。まさに要塞そのものである。
外から見る限りでは城壁に覆われただけに見えるが、ひとたび中へ足を踏み入れるとそこは活気に満ち溢れており、多くの商人が店を並べ、道行く人々の注意を引こうと元気に声を上げている。
生活している人々の殆どは人間種――――筆頭公爵であるローヴァンヌ公爵家は代々続く龍族の家系で、他には少数ではあるがエルフやドワーフといった部族――――である。
大半が人間種ではあるが、初等教育において魔法を習う講義もあるため、初級魔法程度であれば扱えるものも少なくない。中級魔法以上になると、軍内部にある専門教育機関で学ぶ必要があるため、そのためだけに軍へ入隊志願する者もかなり存在する。
国を支えているのは大陸でも一・二を争う軍事力であるが、中でも国王自ら率いる直属軍とその子である王子が指揮する陸空軍は、少しばかり大陸に名の知れたものである。
というのも、かつて侵攻してきた魔導帝国レジマルクの圧倒的な軍勢に対して、隅々まで行き届いた統制力と緻密な戦略によってその脅威を退けたという経緯がある。故にアリュスーラの軍は他国の間でも一目置かれている。
ウェーデル大陸には大小合わせて多くの国が存在するが、大きく分けると、西方に位置するアリュスーラ王国、大陸東方に広大な領土を保有し、アリュスーラをも凌駕する圧倒的な軍事力を持つ魔導帝国レジマルク、大陸南方に位置し、先の二国ほどの軍事力は保有していないものの、その巧みな交渉術で近隣の諸国家と同盟を締結し、大陸三番目にまで領土を拡大させることに成功したクレベリー中立連邦、の三国が大陸を占めている。
その他、三国に属していない小国家群が大陸中央に位置している。これらについては三国が領土拡大及び大陸における主導権を握るために幾度も触手を伸ばしているが、手中に収めることが出来ずにいるため、これらの小国家群は三国に囲まれる形で国を治めている。
「ふぅ、ようやく見えてきたか」
その三国の一端を担うアリュスーラの王都を囲む城壁を視野に入れた一人の少年。
腰には二本のショートソードが差してあり、鞘に施された装飾からただの剣ではないことがよく分かる。実は半龍種に代々伝わる唯一無二の剣なのだが、まだ龍の力が目覚めていない少年にとってはごくごくありふれた普通の剣としか認識されていない。
長く伸びた黒髪を手でかき上げ、その黒い瞳に確固たる決意を秘めた少年は、王都へと続く長い街道をスタスタと歩いていく。
鉄壁の防御を誇るこの国へ訪れることになったのは、とある小さな町で拾った一枚の紙がキッカケであった。そこに書かれていた文章を見て少年はアリュスーラ王都へ向かうと決めたのだ。
≪武闘大会を開催。腕の立つ者は奮って参加されたし≫
何でも武勇に優れた猛者たちを一堂に集めて武闘大会を開くのだそうだ。しかも、この大会で結果を出せば大陸に名を轟かせるアリュスーラ王国陸軍へ加入することが出来るという。
力ある者にとって夢でもあるアリュスーラ軍への加入。各々が夢、野望を抱きながら今日この国を訪れているのだ。
そしてこの少年もまた、秘めたる思いを胸に王都へと辿り着いた。
全ては復讐のため。自分から大切なものを奪い取った憎き魔族を滅ぼすため。
亡くなった両親の墓前で、必ず仇を討つと涙を流しながら誓ったあの日のことを少年は今でも鮮明に覚えている。
魔族に対抗しうる力を身に付けるため、ここまでの道中でも己の腕を磨き続けた。
通りかかった町で暴れていた盗賊の一味を壊滅させた。値の付く若い女を拉致し、闇夜に紛れて逃亡を図っていた夜盗を斬り伏せた。また、別の町で、以前軍に従事していたという人に剣術の基礎からその応用まで教えてもらった。
見る見るうちに教えたことを吸収していく少年を見て、元軍人の男性は少年に己のすべてを叩き込んだ。
剣術をはじめ、拳闘術、馬術、魔法術、更には武術とは関係のない礼儀・作法まで、己の持つありとあらゆる知識を少年に託していった。そのおかげもあってか、その場を去る日までに少年は見違えるほどの力を身に付けていた。
魔法術に至っては、初級魔法ならともかく、指南だけで中級魔法の全て、一部上級魔法を、まだまだ不安定ながら使用することが出来るまでに成長を遂げていた(実際は龍の力を宿しているので、意識せずとも魔法ならばある程度は使用できる)。
「そういえば、あのおっさんの名前、聞いとけばよかったな…」
何とこの少年、自らを鍛え上げた男性の名前すら聞かずに修行に励んでいた。今頃、当の本人は名前を聞いてくれなかった少年に文句の一つでも言っているに違いない。
こうして、呑気なことをぼやきつつも、己の野望のために並々ならぬ努力で力をつけた少年は、王都フェリオンへと向かって足を運びつづけるのであった。
***** *****
「で、でけぇ……」
言葉が出ないとはこういうことを言うのだろうか。
目の前に佇む巨大な城門。城門へと続く石橋を歩きながら、少年は目を見開きながら目の前の門を眺めている。
その様子をすれ違いざまに確認する商人は、少年の驚きように苦笑いを浮かべ、同時に腰に差した刀を見て、この若い男の子も武闘大会に参加するのか、と眉を顰めていた。
この時代、力や名声を手に入れるために軍に加入し功績を残そうと考えるものは数多くいるが、この国の住人以外でここまで若い少年が軍へ入ろうとしているのかと思うと、商人は複雑な気持ちになる。
実際は、少年には軍に加入したいという思いなどほんの少しも持ち合わせていなかったのだが、通りかかった商人にそれを知る術はない。というか、結果を出せば軍に加入できるという文言はとうに忘れており、少年の頭に浮かんでいるのは己の力をより向上させ、どうすれば魔族を討つことが出来るか。その一点だけであった。
城門を潜り抜けた先に広がる光景に、少年はまたしても驚くことになった。
要塞と呼ばれる国からは想像もできないほど活気に満ち溢れ、行く人々にも、その足を少しでも自分の店に向けさせようと声を張り上げる商人にも、皆一様に幸せの色が浮かんでいる。
子どもと手を繋ぎながら家路につくのだろうか、母親の顔には笑顔が浮かんでいる。ある男性は、何か成し遂げたのか、えらく満足したような表情を浮かべながら道を歩いていく。
自分が想像していたイメージと大きくかけ離れていたため、少年は困惑のオーラを全面に、そう、全面に押し出しながら街中に足を進めていく。
暫く歩いていると、少し先に甲冑に身を纏った兵士が看板を手に持ちながら佇んでいるのを発見した。とても手入れが行き届いているのだろう、太陽の光を反射させている銀の甲冑に身を包んだ男性は額に大粒の汗を浮かべながらじっとその場から動かずにいる。
この炎天下で大変だ、などど心の中で思いつつ、兵士が手に持つ看板に目を向けると
≪武闘大会参加希望者は、この先の申込み所まで≫
と大きな字で書かれていた。
少年はそれを確認すると、兵士に憐憫の眼差しを向けて、奥の申込み所へと足を運ぶ。目を向けた瞬間、兵士のいかにもしんどいです、と言いたげな視線とぶつかったが、これを華麗に無視して先を急ぐ。
言われていた申込み所に到着すると、そこには既に何人かの参加希望者がいた。いかにも力自慢だとでも言いたげな大柄の男性、体自体は小柄ではあるがその体から幾度もの修羅場をくぐり抜けてきたかのような雰囲気を出す青年、爽やかな印象を与えて笑顔が似合いそうな、女性人気が高そうな童顔の少年。
かくいう少年であるが、世間一般的に見ればかなり上位に属する、要するにイケメンの部類にいるのだが、本人にその意識はない。ここまで来る中でも周りの女性からチラチラと、好奇の視線を浴びていたのだが、本人は疑問に満ちた視線を返すばかりであった。勿論、少年と目が合った女性はキャーキャー騒ぎ立てたり、恋に夢中の乙女のように顔を赤らめたりしていたのだが、少年には理解しがたい状況であったことに変わりはない。
そんな中で目的地に辿り着いたわけだが、ここでも少年は周りの人から注目の的となる。とはいっても先ほどのように甘いものではなく、場違いな場所に来た者を見て嘲るような、少年姿に驚きを滲ませたような、年齢の近い少年が現れて喜んでいるような、様々な反応が見て取れた。
俺みたいな風貌はこの辺りでは物珍しいのだろうか、などとマヌケな考えを巡らせているあたり、ラーグという少年は自分の外見には殆どといっていいほど気を使っていないように思われる。
少年は周りからの視線をものともせずにまっすぐ受付に向かうと、受付で応対していた女性に声をかける。
「大会参加の申し込みをしたいんだが」
受付の女性は少年の容姿に驚きと、羞恥の混じった表情を浮かべると、うわずった声を絞り出す。
「あ、は、はぃ!! 武闘大会の参加ですね? それではこちらの用紙に必要事項を記入していただけますか?」
「……あぁ、わかった」
少年は女性の反応に違和感を覚えつつも用紙に記入を済ませ、速やかに女性に返却する。
「……ラーグ・バーテンさんですね? それでは時間になりましたら参加者の皆さんに集合の合図がかかりますので暫くお待ちください」
それを聞いて時間を確認すると、予定の時刻までもう少し余裕があった。
そのため、ラーグはとりあえず街中をじっくり見て回ろうと考えて来た道を引き返そうと後ろを振り向く。
そのとき、一人の男がラーグに声をかけてきた。
「おい、坊主。お前みたいな若造が何でこんな場所に来てるんだ?」
一体誰だろうか? ……あぁ、さっき見かけた大柄の木偶の坊か。
などと思考を巡らせていると、目の前に立つ大男が苛立ちを含んだ声で声を荒げる。
「俺様を無視するとはなかなか度胸のあるガキじゃねえか。一体何者だ?」
「お前みたいな力だけが取り柄の木偶の坊に話すことは何もない。邪魔だからそこをどいてもらえるだろうか?」
お前になんぞ興味の欠片も湧かないな、とでも言いたげなラーグの言葉を聞いた大男は額に青筋を立てて、怒気を含んだ声色でラーグに迫ってきた。
「あまり調子に乗らない方がいいぞ、坊主。お前のひ弱な骨なんか簡単にへし折ることも出来るんだからな」
「アンタこそ調子に乗りすぎない方がいいんじゃないか? それだけでかい図体をしておいて、いざ戦ってボロ負けでもしたら恥をかくだけだぞ。今から自分の力を見せびらかそうとするのはあまり感心しないな」
そんな大男の言うこともどこ吹く風と聞き流し、ラーグは目の前の男に端的に言い放った。
全く物怖じしないラーグの受け答えに、周りにいた参加者たちは肝を冷やしながら遠目から事の成り行きを見守っていた。
自分を見ても怖がる素振りすら見せようとしないラーグを見て大男は怒りで身を震わせていたが、ふと何かを思いついたのか、冷静になると、粘つくようないやらしい笑みを浮かべた。
「まぁいい。大会が始まれば今に俺様の実力を嫌でも思い知ることになるだろう。それまで楽しみにしておくとしよう……せーぜー俺様と当たらないことを祈っておくんだな!」
そう言い残すと、大男は気味の悪い笑い声をこぼしながらその場を後にした。
その後ろ姿を興味なさげに見送っていたラーグだが、少しして、ふと何かに気づいたように独りごちた。
「あぁ、また名前聞き忘れた。…ま、いいか、あんな木偶の坊の名なんか聞いても意味はないだろうし」
この少年はそういう性格なのか、それとも故意的なのか、一向に他人の名前を覚えようとしない能天気な男であった。