第四話:邪運襲来
ゆっくりとした動作で立ち上がった影はそのまま此方に向き直ると、地面に落ちていた剣を拾い上げてそれを何度か振り下ろす動作を行った後に敵を睨みつける。一連の流れには迷いも動揺もなく、ただ目の前の敵を排除するためだけに動いているようだった。
敵も後ろで感じる気配に気付いたのか、レミに向かっていた足を止めると後方を見やる。今まで斃れていたはずのバジリスクの姿を見てその表情に微かに驚きが浮かんだ。
服に破損した形跡は見られたが本人の動きに目立った特徴はなく、外傷も殆どといっていいほどなかった。先立って派手に地面に叩きつけられている様子を目の当たりにしていたレミ達は無傷で平然としているバジリスクに唖然とし、同時に安堵した。
「――随分と派手な歓迎をしてくれたな?」
その言葉だけでバジリスクが怒っていることが容易に想像することが出来た。
その目は普段見せていた他人をからかうようなものではなく、殺気に満ち溢れたそれで敵を睨み据えており、冗談が通じるような状況でないことは明らかだった。
「――――」
バジリスクの予期せぬ復活によって攻撃の機会を削がれた敵は、バジリスクとレミの両者から離れるようにして飛び退り、油断なく視線を這わせている。
その間一言も発することなく、ただ生気の感じられない目で現在の状況を観察しているだけだ。
「レミの言う通り気持ち悪い奴だな。その面で無言だと負の要素しか持ち合わせていないだろう?」
「――ふん、≪魂喰らい≫か。忌み嫌われる存在の貴殿がこんな所にいるとは全く知らなかったよ」
今にも襲いかかりかねないほど険悪な雰囲気を撒き散らすバジリスクを前にしてもその口振りや態度は一向に変わる気配がない。
レミは純粋にその胆力に称賛を送りたくなった。
「生憎こんな俺を傍に置きたいって言う物好きがいるもんでな」
冗談めいた口調で言葉を交わすものの、その表情に緩みは一切ない。
手に持つ刃で敵を切り裂こうと一歩踏み出したとき、敵は突然武装を解除し、戦闘を行うことを中断した。
「どういうつもりだ」
依然警戒を解かぬままに疑問を投げかけるバジリスク。そう問われても敵は一切の感情を見せず、ただ淡々と言葉を紡ぐだけだ。
「今ここで争っても勝機は薄い。他の者は皆死んだようだからな」
「まさかこの期に及んで逃げられるとでも?」
「可能か不可能かの問題ではない。それは確定事項だ」
当たり前のように言い放つ敵の余裕とも取れる発言に、バジリスクの額に大きな青筋が浮かぶ。
如何なる方法を隠しているのかバジリスクには見当もつかなかったが、そう簡単に逃がしてやるほど優しい心は持ち合わせていない。
突然襲撃された挙句に自分の大切な部下に危害を加えようと計画を企てたのだ。五体満足で帰すつもりは毛頭なかった。
「――ふん、やれるものならやってみろっ!」
その言葉を皮切りにバジリスクが猛然と襲いかかる。
戦闘態勢に入っていない相手に斬りかかるのは多少気が引けたが、そんな悠長なことを言っていられる状況でないのは理解していたので問答無用で刀を振りかぶるバジリスク。
敵の首を刎ねようと唸りを上げて放たれた剣戟は、間違いなくその目的のために敵の急所目掛けて吸い込まれていき、そして弾かれた。
驚きで目を見開くバジリスクを余所に敵はその一瞬の隙を見逃さず、全力で宙へ飛び上がるとそのまま跳躍を繰り返して建物の屋根へ着地した。その間、ラーグ達を含めて皆がその成り行きを見守っていたことは責めようのないことだった。
此方へ振り返った敵の目には何の光も宿っておらず、どこを見ているのか視点も定まっていないように感じられた。一切の感情を抹消した無機質な男は、何も言わずに指を鳴らした。
すると彼の足許に魔法陣が浮かび上がり、強烈な魔法光が周囲を照らし出していく。
「――なかなか有意義な時間だった」
魔法陣の輝きが増していく中で敵がそう呟く。その言葉に即座に反応出来る者はこの中にはいなかった。
「君たちが葬った仲間は回収させてもらおう」
そう言うとラーグ達が闘った敵の遺骸の周囲に黒い霧のようなものがかかり、それらを覆っていく。徐々に大きさを増す黒い影は屍の身体を全て覆い尽くすと、瞬時に雲散霧消した。
そこにあったはずの遺骸は跡形もなく消え去っていた。
「これで後始末も終えた――。さて、君たちとはまた会う日が来るかもしれない。それまで精々各々の力を鍛えてじっくりと再会を待ち侘びるといい」
敵の魔法陣が一層輝いたと思った途端、光の奔流が敵を飲み込んでいく。あまりの明るさにその場の全員が目を庇って視線を逸らしてしまう。
強烈な光が止み、辺りに静寂が蘇ってきた頃にはそこにいたはずの敵の姿はどこにも見当たらなかった。
*****
その後、本来の任務である警邏を足早に切り上げた一行は、急いでミールバルク城に帰城した。将軍という立場からバジリスクは先程発生した謎の襲撃について陛下に報告に行かなければならず、戻って早々にラーグ達と別れて陛下に謁見しに向かった。
ラーグ達も自らに降り注いだ災厄を忘れることのないまま各自の部屋へと向かい服装を改めて再び集まることにした。
集合場所に指定された食堂へと足を運んだラーグは、食堂の端で陣を構えたマシューとレミを発見してそこへ近付き、空いている席に腰掛けた。程無くしてファルナも駆け付け、無事に四人全員が顔を揃えた格好となった。
「あいつら、一体何だったんだよ!?」
真っ先に口を開いたのはお調子者のマシュー・ロッテンガルム。此度の戦闘で最も敵と白熱した争いを見せた青年は、握りしめた拳を何度も机に叩きつけながら高らかに怒鳴りつける。
周囲の反応が気になるのか、マシューの行動に対して露骨に厭な顔をするのは隊の紅一点、ファルナ・クレドセア。それでも襲撃者については彼女も興味があるらしく、一体誰なのかしきりに意見を交わしていた。
「かなりの手練れだったわね。それも、生半可な訓練じゃ身に付かないほどの殺気を身に纏ってたわ」
素人が出せるような雰囲気ではなかったことからどこかの間諜かとも考えられたが、まだ配属されたばかりの彼らに詳しい情報が知り得るはずもなく、各々の脳内で配置される予想を基に組み立てるしかない。
対峙した者にしか分からない絶対的な悪意と、王国兵と理解したうえで襲撃してきた点から見ても<アリュスーラ王国>に仇なす者と見るのは至極妥当な見解だが、それが何処の誰なのかまでは流石に把握しようがなかった。
「――――」
「おい、さっきから何を黙ってるんだよ?」
席に着いてから一言も発さないのはレミ・デレント。先の戦闘で同じく正体不明の敵と交戦し、おそらく隊の中で最も敵の猛攻を受けきったであろう青年だ。
マシューの呼びかけにも一切答えずにただ虚空をじっと見つめたまま静止している状態のレミを見て、少し心配になったラーグがレミの肩を掴んで此方に体を強引に向けさせる。
「おい、レミ! 何か考え事か?」
「――えっ? いや、何でもありませんよ?」
ようやく我に返ったレミは、自分の肩を掴んで不安げな顔をしているラーグとその一同を見渡すと、何もなかったかのようないつもの優しげな笑みを浮かべてそう答えた。
「ボーっとしたりして、いつものレミらしくないぞ?」
「はは、単細胞のマシューに言われると何だかムカつきますねえ」
「何だと!?」
軽口を叩く姿は普段通りのレミだったが、先程見せた普段とは違う一面にラーグはほんの少しながら説明し難い違和感を覚えた。
しかしそんな疑惑も一瞬のことで、襲撃者の話題についてすぐさま話は戻っていく。
「ラーグ君が中級魔法を使用したことからそれなりに腕の立つ相手だったことまでは想像がつきますが、それ以上となると流石に情報が少なすぎて判断しようがありませんね」
「確かに……」
現状で四人に判断できることは限られており、結局はバジリスクの得る情報に頼るしか方法は思い浮かばなかった。
「将軍は何か知ってるのかな?」
「さあね、知ってても私たちに教えてくれるかは別でしょう」
「俺たちは襲われたんだぞ!? 教えてもらわなきゃ納得出来ねえよ!!」
今回ばかりはマシューが憤るのも納得できた。
唐突に命を狙われてその相手のことを知ることが出来ないのはいくらなんでも理不尽といえる。多少強引に迫ってでもバジリスクに話を訊こうと目論むラーグだった。
*****
バジリスク将軍によって一連の騒動の報告を受けたアレクセイ国王陛下は、自らの名の下に襲撃者の行方と正体を調べ上げるための特別部隊を編成することを決定した。
情報を調べ上げる精鋭を組み込まれて作られたこの部隊は、すぐさま迅速な行動を開始した。交戦場所や潜伏していたと思われる場所を見つけ出し、そこで得た痕跡を頼りに敵の正体を解読するために昼夜を問わずに働き通したのだ。
結果としてその努力が報われたのは事件発生から二週間が経過した頃だった。
陛下の下に届いた報告書には、王国の安寧を脅かす重大な事実が記されていた。
『新兵、及びバジリスク・ゲッツェ将軍が交戦したと思われる敵の微粒子から、ごく少量ではあるが魔血漿と思われる反応が確認された。医療部隊からの報告が正しいと仮定するならば、正体不明の敵は魔族である可能性が極めて高い』
この情報はすぐさま上層部の者たちに行き届くことになる。しかし、部下や国民には一切の情報は開示されなかった。不確定な情報を基に無用な混乱を招くことを避けるためだ。
勿論、ラーグたちにもその報告の内容が届くことはなかった。
駄目です
夏休みで体力が削られてボロボロです……