第三話:未知なる敵
バジリスクが叫ぶ少し前からラーグは何かの気配を感じ取っていた。
初めは気のせいだとも思ってみたが、やけに静かな道に辿り着いた瞬間その疑惑は確信に変わっていた。
バジリスクがその違和感に気付き辺りの警戒を強めたとき、ラーグも同様に周囲に魔力で形成した網を流してそれに引っかかる者がいないか確認していたのだ。
だがその原因を特定出来る材料はなく、ただ漠然とした厭な感じだけが胸に残っていたのだ。
その時だった。
「構えろ!! 敵襲だ!!」
バジリスクの怒声が辺りに広がったのと時を同じくして、ラーグの警戒網がとてつもなく大きな力を持った何かが接近してくるのを捉えた。おそらくバジリスクもこれに似た間隔に襲われたのだろう。即座に戦闘態勢に入ると、どこから対象が近付いてくるのか確認しようと周囲に隈なく目を凝らしているのが視界の端で分かった。
ラーグ達は円状に陣を組みながら、どこから来ても隙を見せないよう警戒を強めながら各々の準備に取り掛かる。
ラーグは魔力を手足に充填しながら未知なる敵を捕捉しようと躍起になった。先ほど敵が接近するのを確かに感じたが、それがどの方角からやってくるかまでは判断できなかった。普通ならばそのような事はないはずなのだがそれが分からなかったということは相手側に此方が想定するよりも強大な存在がいることになる。
非常に厄介なことになったとラーグは内心で舌打ちをした。
「おい、敵はどこにいるんだ!?」
「分からないわ! 気配は感じられないし、不自然なモノも見当たらない!!」
マシューの焦った声に普段より一段と高い声で答えるファルナは抜き放った刀を構えながら眼球だけを左右に動かしている。刀身に反射した陽光が地面を白く光らせ、無味な光景に一筋の色付けを施している。
対するレミは顔にこそ焦りや動揺は見えないが、刀を握る手に力が入っていることから少しは緊張しているようだった。
「気を抜くなよ。どこから来るか分からんぞ」
バジリスクの指示に大人しく従う四名は以前警戒を緩めないまま敵襲に備えていた。
どれくらいの時間が経過したのかも分からないままひたすら周囲に目をやり続ける皆の中で、ラーグだけは広げていた警戒網を更に広範囲に伸ばしていた。
異常に気付いた時に感じた存在は完全に消え去っていたのだ。探知されたことに気付いて気配を押し殺しているのかもしれないが、そのような真似をしている時点で敵であることは明白だった。
(どこだ……どこにいる?)
必死に敵を捕捉しようとラーグが奮闘した甲斐もあってか、ようやく敵の居場所を特定することが出来た。
(――やっと、見つけたっ!!)
ここから見て北東に位置する場所、距離にしておよそ一マイル程度。
どんな人物かは判別できないが敵の人数は把握することが出来た。
「北東方面に敵発見。人数は四人だ」
ラーグがそう伝えると皆は驚いた様子で彼を食い入るように見つめてきた。
「居場所が分かったのか?」
「ええ、まあ」
「お前そんな能力まで持ってるのかよ!?」
「魔法を応用しただけだ、莫迦」
「――流石ね」
「――有り難う」
レミだけは何も言わずにただ見ているだけだったが、その目には驚きと称賛が込められているのがよく分かった。
各々がそれぞれの反応を見せたところで、バジリスクが次の対応を手短に伝達していく。敵の位置を把握出来たとはいえいつ襲撃に遭うか分からない中では下手に油断した姿を晒すのはあまりにも危険なのだ。
「少しでも情報が手に入ったのは幸運だ。皆注意を怠るなよ? 敵の姿が見えない今、気を抜くとやられるぞ」
皆の脳内でやられるという言葉と殺られるという意味が結びつくのにそう時間はかからなかった。これは訓練ではなく本当の実戦なわけで、誰かが失敗を犯せばそれは即ち隊の壊滅に繋がることだってあり得ることだ。
王国の歴史でも十分な用意を怠った者や敵を侮って本来の力が発揮できなかった者など、些細な過ちで生涯を終えた人だって過去には数多く存在している。その中に埋もれていかないという保証はどこにもないのだ。
「――ッ!? 敵が接近してくる!!」
ラーグの声に呼応するかのように北東の方角から影が四つ確認できた。
いずれも薄手の外套を羽織っていて顔を窺うことは出来ないが、その体からは間違いようのない殺気が此方へと向けられていた。
敵は尋常ではないほどの速さを維持しながら猛烈な勢いで此方との距離を詰めてきており、そのせいでラーグ達は十分な迎撃態勢を執ることが出来ないまま迎え撃たなければならなくなってしまった。
「くっ! お前ら、絶対に隙を見せるなよ!」
そう言い残すとバジリスクは先頭を走ってきていた敵目掛けて一目散に走りだした。敵もそれを確認してなのか、速度を緩めることなく突き進んでいく。
両者の距離は瞬く間に無くなり、間髪入れずに互いの攻撃が激突した。
バジリスクが繰り出した渾身の突きを片手で軽く往なすと、すぐさま反撃で拳を見舞ってくる。何の変哲もない普通の殴りかかりに見えたが、バジリスクの表情が僅かに歪んだことからそれがただの攻撃ではないことを知らしめていた。
敵はそのままバジリスクの腕を抱え込むと背負い投げをする要領で大きく後方へ投げ飛ばす。それを予期していたのか、流れるような動作で受け身を取ろうと試みたが、ここで次の刺客が襲いかかってきた。
投げ飛ばされたバジリスクの近くまで迫っていた別の敵は彼の動きに合わせて跳躍し、その勢いを利用したまま態勢を整えようとしていた体の側腹部に強烈な蹴りを放った。重力だけでは説明のつかない速さで落下していた加速度に加え、体を捻ったバネで更に威力を増した蹴りは不安定な姿勢だったバジリスクに受け流すことが出来るはずもなく、そのまま地表に叩きつけられるようにして倒れ込んでしまった。
「ッ!? 将軍ッ!!」
あっという間に敵に制圧されてしまったバジリスクを見て悲鳴に近い声を上げてしまったファルナだが、他の一同もこの状況を見て楽観視できるほどの余裕は持ち合わせていない。
この中で最も実戦経験に長け、地力のある者は間違いなくバジリスクである。その彼がいとも容易く組み伏せられてしまったということは、少なくともここにいる誰と比較してみても相手の方が力は上だということになる。
それに敵は全部で四人、しかも全員無傷のままだ。
数では同じでも戦闘能力では大きく差が開けられているのは火を見るよりも明らかだった。
「――無駄な抵抗はせずに大人しく降伏した方が身の為だぞ?」
声からして男だろうか、バジリスクを投げ飛ばした敵が此方に語りかけてくる。ラーグ達はその一挙一動を見逃しまいと警戒心を解かぬまま相対していた。
その様子を見て男は背筋が凍るような笑い声を上げると、無機質な目をラーグ達に向けてゆっくりと語りかけてくる。
「貴様等程度が我々に勝てるとでも?」
莫迦にしたような言い草に真っ先に反応したのはマシューだった。
素の筋力で他者を凌駕するマシューはラーグとレミの間をすり抜けると、凍て付くような視線を目の前でニヤニヤと笑い続ける男に差し向けた。
「そんなのやってみなきゃ分からないぜ?」
そしてそれを合図にマシューは自分の得物である長剣を中段に構えて、切っ先を寸分違わず敵である目標に狙い定める。
マシューの武器は普通の物とは少し異なった形状をしており、通常の長剣と比べて一・五倍の長さを誇る代物だ。重量もそれに比例して通常より重くなっており、生半可な力ではまともに剣を振るうことすら叶わない。類稀な体格を持つマシューだからこそ使いこなせる特注の愛刀である。
「――愚か者め」
それを見た敵も己の武器を抜き去りマシューを迎え撃つ姿勢を取る。
両者の睨み合いが暫く続いた後、先に動きを見せたのはマシューだった。フッと息を吐くと同時に勢いよく地面を蹴り抜いて敵の目の前に迫る。
近付いてくる様子を見つめていた敵はマシューが接近しても一向に動く素振りを見せなかった。剣先を一点に集中させたまま己の間合いに侵入してくるのをじっと待っている。おそらく間合いに入った瞬間に相手を叩き斬る魂胆なのだろうが、ここで敵は二つ間違いを犯した。
一つは、マシューの持つ長剣がただの刀だと思い込んでしまったこと。そしてもう一つはマシューの身体能力を侮ってかかったこと。
マシューの長剣は他のそれよりもリーチが長い分、相手よりも先に間合いに捉えることを可能としている。そしてマシューは見た目通り筋肉の力を最大限引き出せるように普段から訓練しており、それが相手の油断を生み出した。
先に敵を己の間合いに捉えたマシューは全身のバネを駆使して、敵が反応するよりも早くに恐ろしいほどの速度で剣戟を振るった。
「っ!? ちっ!!」
予想していたものより遥かに速い斬撃を視界に捉えて思わず舌打ちをした敵は、咄嗟に剣を構えて防御姿勢に入った。しかしそれで勢いが弱まるはずもなく、剣と剣がぶつかり合う重い衝撃に敵は後方へ吹き飛ばされていく。
追撃に入ろうとしたマシューだが、仲間の三人が此方に向かって来るのを見てそれを踏みとどまった。流石の彼でも大人を複数――しかも相当の手練れ――相手に渡り合えると思うほど浅はかではない。
「<炎よ!!>」
簡易な呪文が耳に入った瞬間、マシューはその巨体を地に伏せた。そしてその上空を火の塊が滑空していき、そのまま敵に襲いかかった。
その態勢のまま後ろを向くと、ラーグが魔法を放っている様子が見えた。
この程度の魔法で敵が怯むとも思えなかったラーグはいつでも魔法を放てるように準備をしていた。
事実、敵に向かって飛んで行った火球は敵の振り払った手によって簡単に消し飛ばされてしまっていた。
それを確認したラーグは先程よりも強力な魔法を放つために術式を綿密に形成していく。勿論そんなことを敵が見逃すはずもなく、ラーグの異変に気付いた敵の一人が外套に隠し持っていた小刀を持ち出すとそれを全力で投げ飛ばしてきた。
ラーグの喉を狙って正確に放たれた小刀は一直線に向かってくるが、あと少しで到達するというところでそれは一振りの剣によって地に叩きつけられた。
「そんな小細工は通用しませんよ?」
冷静な表情のレミが細剣を構えながら敵を見据えていた。表情には感情は現れていなかったが、その目は獰猛な野獣が獲物を品定めするかのように動き回っていて、彼なりに戦闘態勢に突入しているようだった。
その横ではファルナが片手剣と楯を構えつつ敵の動きを読み取ろうと彼らを睨みつけていた。普段から他人に対して冷たい印象を与えることが多いファルナが睨みを利かせるとそこらの男が睨むよりも迫力があるのだが、そんな彼女を前にしても敵の動きに動揺は見られない。
遠距離からの不意打ちが効かないと理解した敵は、腰に据えられた短刀を二本抜くとラーグの魔法を警戒しつつ此方へと突進してきた。
「……双刀使いですか、厄介ですね」
そう独りごちたレミはラーグとファルナにこの場を任せると、迫りくる敵を迎え撃つべく自分も前に歩み出た。
ファルナは不安げにレミを見つめていたがラーグはそれほどの心配はしていなかった。確かに敵の力は未知数で強敵かもしれないが、レミがかなりの腕を持っていることは普段の訓練で知っていたので例え勝てなくても負けることはないと、そう判断したのだ。
無論魔法での援護は忘れない。現在戦闘を行っているマシューとレミを守るために、一から術式を組みなおして十分な威力にまで引き高めた魔法がラーグから放たれた。
「<地獄の業火>」
先程の火球とは比べ物にならないほどの大きな火の奔流が敵へと襲いかかる。
簡単に蹴散らしたときとは違い、桁外れの魔力量を見て思わず敵がのけ反るのをラーグははっきりと目撃した。この隙に少しでも敵の戦力を削らなくてはならないと本能がそう告げていた。
「<爆風よ!!>」
次いで放った猛烈な突風の勢いで火の塊が命を吹き込まれたように暴れ狂い始める。風の力を得た爆火は敵の一人を飲み込むと、抵抗を許さないまま灼熱の炎で体を焼き尽くしていった。
悲鳴を上げる余裕もなく命を刈り取られた仲間の死にゆく姿を見て、戦闘を行っていない残る一人の顔に恐怖の色が浮かぶ。その様子を瞬時に読み取ったファルナが片手剣を握りしめて猛然とその敵に斬りかかった。
それを見て応戦しようと剣を抜いた敵だが、ここで火の魔法の第二波が襲いかかった。周囲を炎に囲まれて身動きが取れなくなった敵は、半狂乱になりながら剣を振りまわしていたがそれが命中することはない。やがて体に纏わりついた炎によって身を焼かれ、地面に倒れて苦しみに悶えているところにファルナが辿り着いた。
ファルナは地に這い蹲る敵を冷え切った目で見ると、情け容赦のない一振りを胸に突き入れた。胸を貫かれた敵は暫し体を痙攣させた後にピクリとも動かなくなった。
結末を見届けたラーグは残る敵に目を向けた。マシューとレミは今も刃を交わらせながら敵と交戦しているが、マシューのほうは少々分が悪いように見えた。肩で息をするマシューに比べて敵は平然としており、その顔には余裕さえ窺うことが出来た。
「残りは二人か……レミの相手は兎も角、マシューは厳しいな」
見れば手を合わせるごとに徐々にマシューは押しこまれ、彼は額に大粒の汗を浮かべながら必死の形相で応戦していた。
防戦一方になりつつも懸命に耐えるマシューを助けるべく、ラーグも遂に前に出ることを決意した。遠距離魔法ではマシューを巻き込んでしまう可能性もあるため、下手に攻撃することは出来ない以上、近接戦闘で決着をつけるしか術は残されていない。
両脚に魔力を充填していつでも殴りかかる準備を整えたラーグは、一息ついてから敵に向かって突進する。瞬時に最高速に到達したラーグはすぐに敵を自分の間合いに引き入れることに成功した。
マシューへの攻撃に気を逸らされていた敵は突然のラーグの接近に反応が遅れ慌てて迎撃態勢を執ろうとするが、流石に集中力を保てない中で二人を同時に相手した状態では両者を受け流すのは困難で、マシューの横薙ぎを防御したものの結局はラーグの拳を腹部に直撃する形で受け取ることになった。
魔力行使によって作り出した最高速で繰り出した突きは見事に敵の鳩尾辺りに命中しその体を吹き飛ばしていく。地面にぶつかる直前で何とか態勢を元に戻して無事着地した敵だったが、その息は荒く、口からは赤い液体が一筋流れ出てきていた。
致命傷とまではいかないまでも一応の手傷を負わせることに成功して安堵したラーグだったが、思いのほか動きを制限させられなかったことに危機感を抱いた。
(それなりに本気で殴ったのに効いていない……?)
事実、敵は吐血したものの既に立ち上がっており、その表情からは戦意を奪い去ったとは言い切れない。獰猛な唸り声で威嚇し、此方を牽制するその姿はとても人間とは思えないほど異様な光景だった。
原因は分からないが打撃などの物理的攻撃が効かない。となると、少々面倒な事態に陥るとラーグは予測を立てた。接近戦で分が悪い以上、必然的に魔法を主体とした戦い方に切り替えなければならないが、住宅街で交戦しているために大技を放つことは出来ず、そうなるといとも容易く此方の魔法を弾いてみせた敵に有効な技は自ずと限られてくる。
先程放った炎と風の複合魔法でさえ周囲に危害が及ばないかヒヤヒヤしていたのだが幸いなことにどこにも二次災害が発生することはなかった。だからといって次もそうなるかと問えば答えは否で、危険を冒してまで実行に移すことは躊躇われた。
こうしている間にも視界の隅ではレミが残る一人と激しい攻防を繰り広げていた。見た限り押されてはいないが、攻め手を見出せないのかなかなか苦戦しているようだった。
焦りこそ浮かんでいないものの、その剣筋には見間違いようのない僅かなブレが生じてきており、レミがそれを維持するのに多大な精神力を使用していることが窺えた。
「余所見をしている場合か!!」
「――ッ!?」
ほんの少し注意を逸らしていた僅かな隙をついて、警戒していた敵が互いの距離を一瞬にして無くしてしまっていた。耳元で囁かれたような錯覚に陥るほど近くで聞こえた声を認識した瞬間、ラーグは全力でしゃがみ込む。少し遅れて頭上を空気を切り裂く音が通過していった。
「まだまだ!」
手を休めることなくあらゆる角度から降り注ぐ追撃の一手を、ラーグは冷静に受け流し、受け止め、そして反撃した。
それでも、表面上では平静を装っているラーグだが内心では敵の変わりように舌を巻いていた。
此方の攻撃に触発されたのかより好戦的となった敵からの攻撃は、少し前にマシューと闘っていたときよりも早く、そして的確に此方の隙を見抜いて繰り出されている。油断すればあっという間に勝負の決着はついてしまうかもしれないほど今の敵は危険だった。
「どうした……動きが鈍いが?」
「――ッ! 大きなお世話だ!」
相手の術中に嵌まっていると分かっていても返事をせずにはいられないほど今のラーグは精神的に疲弊してしまっていた。
それでも彼は決して諦めない。共に闘っている仲間がいる以上は勝手な都合で勝負を投げ出すわけにはいかなかったし、そんな屈辱的なことをラーグ自身が許すはずがなかった。
敵が此方の動向を警戒しつつ先程と同じように先手を打つべく攻撃を仕掛けてくる。それでもラーグはその場を動こうとはしなかった。徐々に敵が近付き、その手に持つ刃がラーグの喉元に吸い込まれてきても微動だにせず立ち尽くしていた。
(勝った……!!)
敵は本能でこの闘いに勝利すると確信した。
全く回避する素振りを見せずにじっと立っている間抜けとも受け取れるその姿に自らの得物は迫っていく。
自分の腕は知っているつもりだし、その剣筋から見てもとてもじゃないが回避できる距離ではないと判断したのだ。
しかし、彼はこの時ラーグ・バーテンという存在を軽視していた。
半龍種であることの意味を知らぬままに、その隠された力の奔流を見ることもないままに。
「これで終わ――っ!?」
敵にとって千載一遇であった機会を見逃さずにとどめを差しにいったはずだったのだが、その刃は虚しく空を切るだけで終わった。
迫り来る剣の軌道を持ち前の観察眼と洞察力で読んだラーグは、寸前のところで真横に移動して凶刃を躱すと、そのまま真上から敵の得物目掛けてありったけの力を込めて手刀を叩きつけた。
パキン、という小気味のいい音が辺りに響き渡り、敵が手にしていた剣はその柄から先が綺麗にへし折られていた。
それに気付き何か言葉を発しようとする間もなく、次の攻撃が襲いかかる。ラーグの後方で待機していたマシューがここぞとばかりに前に出てくると、持ち前の筋力を最大限に活かした横薙ぎを繰り出した。それを気配で悟っていたラーグは焦ることなくその場にしゃがみ込んでその一撃を回避したが、敵にはそれを判断するだけの冷静な思考力もそれを躱すための反応力も存在しなかった。
思い切り振り抜かれた剣は敵の胸を深く切り裂き、大量の血液と臓器の一部を撒き散らしながら敵は吹き飛ばされていく。受け身を取ることもなく地面にそのまま叩きつけられた敵は少し痙攣した後、身動きすることなく事切れた。
苦戦しつつも当面の敵を斃したラーグとマシューは急いで集まると手短に互いの負傷具合を確かめていく。
「怪我は?」
「動けなくなるような深手は負ってない。それよりも今はレミに加勢しないと」
見ればレミと残る一人の敵との闘いは佳境に差し掛かってきており、敵の持つ双刀が何度も何度もレミを襲い、その度にレミが辛うじてその斬撃を往なしているという状況だった。
そうしている間に傍から見守っていたファルナも合流し、三人はレミを助けるべく行動を開始しようとした。
結論から言えば、その加勢に向かう必要はなかった。
正確には加勢に向かう前に別の加勢が入ったのだ。
「くっ……! ちょこまかと面倒な方ですね!」
双刀から繰り出される予測不能な怪奇的攻撃を受け流しながら、レミは普段の冷静な一面とは程遠い顔つきをしながら自らに襲いかかる敵を睨みつけた。
そうならざるを得ないほど敵の実力はレミの想像を超えていた。
「――――」
「無言ですか? 愛想の悪い男は嫌われますよ、とっ!!」
刀を交わらせてから一度も言葉を発さない相手に対して心理的に揺さぶりを掛けようと試みるレミだったが今のところ成功はしていない。
そうしつつも攻め手は緩めず一層過激に剣を打ち付けていくのだが、それさえも軽く跳ね返され、躱されていく。まるで此方の動きを読んでいるかのように全くといっていいほど攻撃が当たらないのだ。
これにはいかに冷静沈着なレミといえども流石に顔色を変えずにはいられなかった。
「全く気味が悪い人ですね。ここまで不気味な敵は貴方が初めてですよ?」
「――褒め言葉として受け取っておこう」
ようやく言葉を発した敵だったが、その瞬間、敵の顔つきが変化したことを見抜いたレミ。脳内の警戒レヴェルを一段階引き上げたレミは敵から視線を逸らすことなく次の手を急いで考えていく。
(実力差で言えば間違いなく相手の方が上。揺さぶりも効かない以上、此方が取れる方法は自ずと限られてきてしまう……)
攻撃の手段が限定されるということは、その分敵が此方の攻撃を予測して対策を立てることが可能になるということだ。そして敵のほうが上手である以上、その予測が当たってしまうことは即ち死を意味する。
迂闊な攻撃は即座に命を落とすことに繋がる虞がある現状で不用意に敵の懐に飛び込むのは自殺行為に等しかった。
視界の隅でラーグとマシューが敵を斃すのを確認していたがそちらばかりに注意を向けられるような状況ではない。準備が整い次第此方へ駆け付けてくるだろうが、はたしてそれまで持ちこたえられるかどうかレミには自信がなかった。
じりじりと間合いを詰めてくる敵と相対しながらレミは必死に思考を働かせることに終始した。打開策を見つけないことにはこの場を乗り切ることは不可能に近い。
「――ほんの一瞬の迷いでも、時としてそれは命取りになる」
レミが思考に囚われかけたほんの僅かな間を敵は見逃さなかった。その隙を狙って、敵は残りの距離を一気に詰めてくる。
判断に遅れたレミは己の失態を心の中で毒づいた。あれほど敵に隙を見せることが危険だと頭では考えていたはずなのに結局的にその隙を突かれる形で接近を許してしまったのだから元も子もない。
一縷の望みを賭けて相討ち覚悟で斬りかかろうと覚悟を決めた時、敵の背後で何か動く者を発見した。それはよく見ると人の形をしていて――まぎれもなく人の姿をしていた。