第二話:不穏分子
空気が重いとは今の状況に打ってつけの言葉だとラーグは思った。
隊として初の仕事でもある警邏に向かう準備を整えた隊士以下四名は、帯同予定の将軍、バジリスクの到着を今か今かと待機している。
昨日はファルナと適度に緊張をほぐしあったが、いざ今日こうして集まっているとマシューとレミの緊張が此方にも伝染して結局硬い表情で立ち尽くすこととなってしまっている。
ファルナといえば、集まって早々マシューと恒例の言い合いを見せており、見事にマシューを看破していた。マシューは初めこそファルナと喧嘩になったことで幾分か緊張も和らいでいたようだったが、それも終わるとたちまち元の緊張した表情に戻ってしまい、今に至る。
レミはこの中では比較的に感情を読み取りにくい類に属するが、それでも緊張で体が強張っているのが鎧を着込んだ上からでもよく分かった。
「あー!! 緊張するっ!!」
この静寂に耐え切れなくなったのかマシューが大声でそう叫んだが、真横にいたファルナによって瞬く間にその口は閉じられることになった。
最近マシューがファルナの犠牲になっている気がするがラーグは助けの手を差し向けるつもりは毛頭ない。昨日のやり取りでファルナの新たな一面を知ったので、どちらかというとファルナの味方である。
まだ日が頂点に達していない中、甲冑姿で待機している四人は汗だくになりながら最後の一人をただ待ち続けた。
「この甲冑、動きにくいんだよな……」
そう独りごちたのは他でもないラーグだ。
今までの旅路で軽装しかしてこなかったラーグにとって王国兵として支給される正装の服も、こうして警邏巡回時に身に付ける甲冑も、普段の動きが制限されるために邪魔でしかなかった。
「それじゃなかったらどんな格好する気だ?」
そう訊いたマシューはラーグが文句を言った甲冑を見事に着こなしており、筋肉によって肥大した逞しい体を引き立たせている。
ラーグも普段の鍛錬でそれなりに鍛えているので細身ながらも引き締まった筋肉が体を覆っているが、マシューのそれはラーグと比較にならないほど大きく、一回りは超えるほどの筋肉の鎧が体中を包んでいる。
ラーグが甲冑を着こなしていないわけではないが、あまりにもマシューが似合いすぎていて他者が同じ格好をしても同じだけの迫力を感じられないのだ。
「ここに来るときに着ていた服とか、かな」
勿論王都に来るまで常に身に付けていた漆黒の衣のことを指しているが、あれはあくまで旅路に適した衣服なわけで、こうして警邏に出たり戦場に出るときにはあのような軽装は不適切だ。
事実、マルコにも衣服に関しての指摘を受けたことがあるラーグは渋々ながら黒の普段着を封印している。
「あんなんじゃ何かあった時に困るだろ」
「でもあれが自分の動きを最大限引き出せる服装なんだよ」
軽装じゃないと本領が発揮できないのもどうかと思うが、今まで甲冑姿で戦闘を行った経験がないのでいざそのような場面に遭遇したときに持ち前の力が出せるかと言われれば、否に近い答えが導き出されることは容易に想像できた。
今となってはラーグは特注で自分専用の服装を用意してもらえるように頼もうかと画策しているのだからその執着ぶりは万人の想像の遥か先を行くに違いない。
「でも、確かにあの服はラーグ似合ってたわよ?」
横からファルナの横やりが入ったが、それを言った瞬間からファルナは慌ててそれを訂正するかのように言葉を継ぎ足していく。
「い、いや、武闘大会で見かけたからね!! 闘ってる姿はなかなか凛々しかったからその感想を言ったまでよ!!」
「……何を一人で焦ってるんだ」
呆れたマシューの言葉に普段なら即座に言い返すファルナだが、今回はそんなことに気付く気配もなく、ただ言い訳をつらつらと述べている。
そんな態度に可笑しさを感じたラーグだがここで不用意に笑ったりするほど愚かではなかった。今ここで笑みを浮かべれば、万が一にも鉄拳制裁という報復が待ち受けている可能性があるのだから。
「――っと。話してる間に来たみたいだよ」
レミの言う方角へ皆が視線を向けると、バジリスクが此方に向かって歩いてきているところだった。
相変わらず将軍に似つかわしくない服装で颯爽と現れたバジリスクはラーグ達の前まで来ると全員を見渡して、一言だけ呟いた。
「――暑くないのか?」
暑いに決まっているだろう。
この場にいる全員が口を揃えて言いたかったことは、音として発せられることなく結局萎んでいった。
将軍様に向かって下手な口のきき方をすれば自分の身が危うくなってしまうので皆苦渋に満ちた表情でバジリスクを見つめていた。
勿論、ただ一人を除いて。
「暑いに決まってるだろ!! こんな炎天下の中で甲冑身に纏って警邏だなんて俺たちに死んでほしいのかよ!!」
残る一同はラーグの言動に戦慄した。
あのファルナでさえ驚きと恐怖で顔を引き攣らせているのだからラーグが相当場違いな行動を取ったということだけは理解できる。
しかし当の本人といえば、そんな周りの心配に気付くことなくバジリスクに開口一番食って掛かっていた。
「絶対間違ってるぞ。確かに金属製の鎧は対近接戦に置いて一定の防御を誇るけどな、魔法攻撃には弱すぎるんだよ。ここはミスリルを用いて、それに特殊合成魔法を併用して対魔法攻撃でも充分防げるような代物を使うべきだろう。そうすれば今の既製品に比べて重量も格段に軽くなるし、その分兵士個々の機動力も上がる、結果として部隊全体の活動範囲も跳ね上がるじゃないか!!」
怒涛の勢いで繰り出されるラーグの意見にバジリスクは唖然として聞き入るしかなかった。
こんな知識を持っているとは知らなかったが、それでもラーグの指摘は概ね間違ってはいない。現にバジリスク自身も似通った意見を上に述べたことがあるからだ。
新人として入隊したラーグだがここまで実践的な思考を働かせることが出来るのは非常に希少であり、これから成長すれば間違いなく国の要を背負うことが出来るくらいの脳をラーグは持っていた。
とはいえ、バジリスクはこんな暑い場所でラーグの熱弁をこれ以上聞くつもりはなく、それは残った隊の者たちも同じだった。
「国の予算を考えてもミスリル装備の投入は無謀ではないはずだ。確かに希少金属故に兵士全員への配備は時間がかかるかもしれないが、それでも俺は試験的に導入を検討してみてもいいと思う。何なら俺たちの部隊がその試験を請け負ってもいい、というか寧ろそうしてくれ!! こんな甲冑でウロウロするなんて、冬ならまだしも夏場はキツすぎる。やはり衛生面からしても――」
「あー、分かった。分かったから、とりあえずそのお喋りな口を今すぐに閉じろこの莫迦野郎」
「何て口のきき方だよ!! それが人の上に立つ者としての話し方か!!」
「ならお前は目上の人に対する話し方を一から学んでこい!!」
ゴチンと音が聞こえそうな威力で放たれた拳骨は見事にラーグの脳天に命中。そのままラーグを地面に這いずり回らせることに成功した。
その場にいる誰も、ラーグに同情したりはしなかった。
呻き続けるラーグをまるで初めから存在していないような扱いに仕立て上げているバジリスクは、今日の日程を漏らさず皆に伝達する。
「話には聞いていると思うが今日は俺も一緒に付いて回ることになっている。まあお前らの初任務ということもあって形式上は補佐役になってるがな。警邏区域は王都北西部、区画CからDの範囲を中心に行ってもらうが、一応心の準備だけはしておいてくれ。少々のいざこざや喧嘩なんて四六時中起きてるから普通に鎮圧に向かわなきゃいけない可能性だってある」
丁寧に手順を教えていくバジリスクの説明に真剣な表情で聞き入る一同。
この時点でラーグの容態を気にする者は皆無だった。
「――以上が大体の形だ。何か疑問点は?」
「特にはありません」
「ないな」
「分かりやすい説明だったわ、有り難うございます」
「異議あり!! 抗議させていただきたい!!」
一同揃ってラーグを無視するという暴挙には流石のラーグも黙っていられなかったようだ。文句や苦情が出るのも恐れず、意を決して声を張り上げたその威勢は称賛に値するものだったかもしれない。
しかし、この時ばかりはその行動が裏目に出ることとなった。
「何だ、ラーグいたのか」
「気配が感じられなかったからどこかへ行ってるものだと思ってたわ」
「お前隠れるのが上手だな! いっそのこと隠密部隊にいけ――」
ラーグの鉄槌でマシューは続きを発することは叶わなかった。
息が合っているのかちぐはぐなのか分からない四人の反応を見てバジリスクは思わず大きな溜め息をついてしまったが、配属されて短期間でここまで意思疎通の出来上がった部隊は今までに例を見なかったので、これはこれでいい傾向なのだと判断することにした。
通常少数で組まれる隊で男女が混合されることはあまりありえないことなのだが、今回ばかりは例外といっていい。
冷静な判断力を持ち合わせ、時には怜悧狡猾な一面を垣間見せるレミ・デレント。
見た目通りの強靭な肉体とそれに見合った豪快な一撃で、瞬く間に視認し得る敵を全て捻じ伏せるマシュー・ロッテンガルム。
幼げな印象とは裏腹に的確な攻撃を随所で決めることのできる器用な策士ファルナ・クレドセア。
そして、武闘大会では圧倒的な力の差を見せつけた――憎たらしいことだがバジリスクに疑似戦闘とはいえ勝利した――ラーグ・バーテン。
異なった面子で編成されたこの隊は今回新たに王国兵として加わった者の中でも秀逸した人物による集まりだった。無論、他にもめぼしい兵士や有力な者で編成された隊はいくつか存在するが、この隊ほど優秀で任務を即座に遂行できるところは皆無と断言できた。
「頼むからここで怪我する愚かな真似だけはするなよ?」
そう忠告をしていてもそんなことが本当に起こるとは微塵も考えていない。
仮にもバジリスク自身が推薦した少年とそれに相応しい人選によってつくられたこの隊は、少々の事態で動揺を招いてしまうような生温い訓練は行われていない。現在王国で想像できる限りの非常事態でも冷静に行動できるよう厳しい日々を送っているのだ、普段の生活で墓穴を掘るような腑抜けたことは万が一にも発生する可能性は限りなく無に等しい。
「痛えな!! 少しくらい手加減してくれてもいいだろうがっ!!」
「マシュー、とうとうお前も頭がいかれたか。筋繊維しか詰まってないお前の思考を正すには相応の衝撃が必要だろう? 俺はその為に必要な手段を講じたまでだ」
「ラーグこそ何でもかんでも暴力で解決して単細胞の塊じゃねえか!! そんな短絡的な方法は利口とは言えないぞ」
「俺が実力行使に出るのは殆ど、というか全部お前だけだ。マシューが莫迦だからそれを手早く解決しようとして何が悪い!」
「誰が莫迦だと!?」
「お前以外誰がいるんだ、この莫迦ッ!!」
前言撤回、バジリスクが考えているほど彼らは聡明ではなかった。
お互い胸ぐらを掴み合って今にも殴り合いが勃発しそうな険悪な雰囲気に割って入るレミとファルナ。しかしファルナはどさくさに紛れてマシューの頭に豪快な頭突きを放ったりしているのであまり効果は出ていない。
もしかしたら仲が悪いのかもしれないと、バジリスクは評価の訂正を速やかに行うことを心の中で決断していた。
「おーい、俺の言ったことが聞こえてたか?」
やんわりと間に入ってこの場を収めようとしたが、一向にこの喧騒が静まる気配は見せない。
初めこそ落ち着いていたバジリスクだが、元来彼は『魂喰らい』であり戦闘や騒ぎなどの類には割と積極的に参加するような性格である。ここでも彼のある意味迷惑な本性が発揮されることとなった。
「――いい加減に、しやがれっ!!」
この日一番の威力となった拳骨の名残ともいえる音が辺り一帯に盛大に響き渡ったことは言うまでもなかった。
*****
「まだ痛いよ、畜生」
「それは自業自得だろう」
あれから暫くしてようやく本来の仕事である警邏の任務に就いた一行は、現在王都北西部区画C、つまり本日の警邏区域地点に到着したところだった。
未だに痛む頭部を押さえながら泣き言を垂れるラーグは周りに相手にされず、ただ一人でボヤくばかりだった。
レミには苦笑いで返され、ファルナからは呆れた視線を浴びせかけられ、バジリスクには散々文句を言われた。
マシューはというと、ラーグ達の後方をとぼとぼとくっ付いて歩いているが、その手はラーグ同様頭部を押さえている。度を超えた二人の悪ふざけは鬼のひと振りで粛清されたわけだ。
今となっては見慣れた景色となりつつある街並みを通り過ぎながら、ラーグ達は本来の目的である任務を遂行し始めた。
莫迦騒ぎを起こしても流石は選ばれた者だけあって次の行動に移るときは手早く、準備を整えることが出来た。周囲を警戒しつつ異常がないか確認していく。
警邏巡回とはいってもただ周辺を歩き回るだけの仕事ではない。時にはすれ違う人々の世間話に耳を傾け、時には行きかう人々と会話に勤しみ情報を仕入れることも立派な任務のうちの一つなのだ。
暫く警戒を続けていたとき、ラーグ達の下に少し気になる話が舞い込んできた。
ここ最近、この近辺で不審な人物の目撃と女性への暴行事件が相次いで発生しているとのことだった。
「将軍、どう思われますか?」
そう問うファルナの顔色はあまり優れない。不審者の出没に加えて、女性への暴行事件も同時に発生していることから同性としていい気持ちではないはずだ。
彼女だけでなくラーグとレミも同じように渋面を作っており、マシューに至っては憤りで顔が紅潮し拳を固く握っていた。
「確かに気になる案件だな。同時期に起こっていることを考えるとその不審人物と暴行事件は関係していると考えられるが……」
「ならば、早急に手を打つべきかと。こうしている間にも次の犠牲者が生まれるかもしれないのですから!!」
彼女にしては珍しく感情を爆発させるように捲し立てたファルナはこの件を深く追及するべきだと提案した。確かに見過ごしがたい問題ではあるが、こうも激しく彼女が意見を言うとはだれも予想していなかったので、皆面食らってファルナを眺めていた。
ラーグを除いてファルナの素性を詳しく知る者はいないので当然と言えば当然だが、彼女の表情に隠れた感情を読み取ることは困難であるのでそれを拝めたことは仲間内では奇跡に近いこととされている。
「――分かった。ここ一帯の警備を強化するよう相談してみよう。夜間の監視も増員できるか話し合ってみる」
バジリスクも女性問題という点から事態の重さを理解し、何とか状況を打開できるよう尽力すると言ったので何とかその場は落ち着いたが、ファルナの表情は依然として良くなることはなかった。
彼女なりに思うところがあったのだろうか、時折唇を噛み締める仕草を見せるファルナの横顔はどこか苦しげに見え、流石のマシューもこの時ばかりはからかったりすることもなかった。
「今日は思ったより平和だな。いつもは騒がしい酒飲みの連中もいないようだし」
バジリスク曰く、この辺りは普段酒に酔った男衆の喧騒で酷い有様らしい。かなりの頻度で殴り合いや取っ組み合いが起こり、その度に近衛兵が駆り出されるそうだ。
ところが今日に限ってその騒がしさはどこにも感じられない。普通に考えればそれは素晴らしいことでそれだけなら特に問題になることはないはずなのだが、普段とは違うその光景にバジリスクは歯痒い違和感を覚えていた。
(……やけに静かすぎる)
日も照る昼間にもかかわらず、いつもなら見かけるはずの子供たちの遊ぶ姿が全く見えず、陽気に声を張り上げて客を呼び込んでいるはずの露店の扉は固く閉ざされており、付近だけ別の空間に存在しているような錯覚に囚われる。
先程住民と会話した地点からまだそう遠くには来ていない。にもかかわらずこの静けさは異常としか考えられなかった。
バジリスクの脳裏で警戒網が徐々に広がり、そしてそれは無意識に体の各位に変化をきたした。
拳をきつく握りしめ、突如として眼光を鋭くして周囲に目を走らせ始めたバジリスクに隊の一同も何かがおかしいと勘付いたようだった。
「――将軍、何か?」
隊の中で最年長であるレミは一同を代表して湧いた疑惑の正体を訊くがバジリスクはその問いには答えない。代わりにゆっくりと振り返ると、視線だけで危機が迫っている可能性を示した。
その意味を正確に理解したレミは未だに疑問で表情が歪む三名に彼の意思を伝えようと皆に向かって口を開きかけた。
しかし、時はそれを待つことを許しはしなかった。
バジリスクの言った不安は見事に的中し、彼の警戒網の中に異端物が侵入したことを知らせてきた。
それを感じた刹那、バジリスクは後ろに控える隊士四名に切羽詰まった声音で一言だけ叫んだ。
「構えろ!! 敵襲だ!!」