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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第八章『詠円慈愛』
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9.詠円

 雫は上空に向かっていた『繋がり』見た際、そして切った瞬間にも気が付くべきでもあった。二階のテラスのようなところから飛び降りてきた稲穂は仏頂面で美紀を抱える。

 稲穂はおそらく自分よりも早くこの場所に気が付き、人避けの結界を準備していたのだろう。即刻、結界を利用した治療を施す。それと並行して、美紀をフィリアのいる教壇の裏に連れて行く。その時、彼女が雫の服を掴んだ。

「やったよ……未来を変えられた、んだよ、私は……。だから、赤根さんは自分の意志を通して。役割とか、立場とか、そんなものは……振り、払って……」

 空気が抜けるような声を出しながら、むせこみ、咳とともに血を吐いた美紀。

「そうすれば運命は変えられるって……私は証明して見せたでしょ」

 雫に弱々しい笑顔を浮かべ、赤い口元のまま美紀は語る。滅茶苦茶な論理、雫は信じるつもりも何もないだろう。それでも、雫はその笑顔にふさわしくない強い瞳の力に押し負けた。

「美紀、もうしばらくは話さないで。傷が開くよ?」

 稲穂は心配そうな表情を浮かべ、やさしく話しかける。その声を聴いた美紀は笑顔のまま瞳を閉じた。

「ほら、早く終わらせなさい。どれだけの人に迷惑をかけてもいいけど、心配はかけないで。私にだって兄さんに、雫に言いたいことはいくらでもあるんだよ?」

 稲穂は長い髪を振り払うように首を振り、雫に顔を向ける。

「女の子に傷を負わせた責任はとってあげなさい、責任放棄は許さないよ!」

 投げ渡された鞘ごとの刀、その刀を見た空身は目を見開いた。

「なんで!? その刀は……『朧霞』!」

 空身は「でもその刀はあそこに……」と自分の後方に突き刺さる刀をふるえながら見る。

「残念、最後に私の『兄貴』が触れた時に結界で視界を歪ませて、偽物にすり替えていたの。もっとも茜さんも気が付かない早業だったからあなたが気付かないのも無理ない」

「なら魔眼があいつに……彼の中に居座るやつに魔眼が効かなかったのは」

「お前の感じる恐怖、そのものが姉さんのものだからさ。姉さんはその恐怖が欠落しお前という存在が生まれた、恐怖を与える魔眼の影響を受けるはずがない」

 雫は稲穂に背を向け、『白雪』をお返し、とばかりに鞘に入れて放る。その雫の目は深紅に染まり、教会の全体が悲鳴を上げるように震える。

「だが、お前は違う、恐怖の塊そのままだ」

 雫の瞳から血の涙がとめどなく流れる、それは頬を伝いバージンロードに二度目の血液をしみこませた。

「魔眼『震炎』の持ち主であるがゆえに、これに対する耐性など持ち合わせていない!」

 膝が笑うと、表現した昔の人を(たた)えたいほど見事に震える空身。

「やだ、やだやだヤダ……怖いこわいコワイ!」

 空身の目も紅に染まり、お互い魔眼『震炎』を真っ向から発動させる。恐怖のぶつけ合い、それは通常なら互角、相殺で終わるはずだった、雫に『朧霞』さえなければ。

 雫は鯉口を切る。チキリ、という金属音とともにわずかに覗いた刀身を中心に魔眼の効力が消失、雫の両脇と背後以外が魔眼によって崩壊する。ステンドガラスは虹色の雨を降らせ、天井の燭台を模した照明は金と銀の粉となり煌めく。騒がしい濃霧の中を一直線に空身に向かって走る雫。恐怖のあまり砕けた腰から体制を立て直した空身。お互いが攻撃の射程内に入った。

 一瞬、時が止まったように感じる。雫と空身が両目を見開き、互いに叫んでいるはずなのに音すら聞こえない、無音という名の騒音空間。

『閃黒』をふるった空身と『朧霞』を抜刀した雫がすれ違う。

 二人とも立ったまま、動かない。教会内の振動が止み、金属とガラスの霧が落ち切ってもなお、お互い背を向けたままだった。

「やっぱりあなたは昔から変わってなかった」

 口元に笑みを浮かべ「よかった」と空身が呟いたのが始まりだったように時が動き出す。

 雫の右のわき腹が裂け、短く血が噴き出す。空身も同じく右のわき腹から血が噴き出す。いや、空身に関しては量からして血液、というほうが正しいかもしれない。

「最悪でもわたしはあなたを愛せた、美しいまま……よかっ――――」

 断末の短い囁きとともに、バージンロードに倒れこむ空身。そのトサリ、という静かな音を聞き、右手の鞘に刀を納める。雫は空身に背を向けたまま、見向きもせずにそのまま扉を目指す。稲穂はとりあえず傷をふさいだ美紀を抱え、空身のわきを通る。

「違います、雫は変わりました。今まで以上に優しく、脆く、でも強くなりました」

 返事のない空身、いや茜の死んだ肉体に話しかける稲穂。

「あなたも私と同じように雫に幻想を抱き過ぎていました、私は途中で目が覚めたけど……」

 稲穂は目を出口に向け歩き出す。

「少なくとも茜さんの想いは強く、本物だったんですね。歪んでいてもそれは偽りありません、憧れだけだった、私と違って」



「ああ、終わったみたいだよ」

 久須志の声に紫藍(きらん)は少し伏せていた顔を上げる。重苦しい扉の開閉音がして、鞘に納めた刀を右手に持ち、わき腹と頬を血に染めた姿の雫が紫藍(きらん)の視界に飛び込む。

 紫藍(きらん)は自分の胸が苦しいのかと思うほど、心臓の前でこぶしを握り締める。

「……本当は許してあげたいんだろ? 行ってきたら良い」

 驚いたように久須志を見上げる紫藍(きらん)、しかしすぐにうつむいた。

「できませんよ、いまさら。だって私が許したら私の兄が報われませんし……」

「そんな大層なことじゃなくて『彼』のために意地を張っていたんだろ? 優しく受け止めたら壊れてしまいそうで、あいつは繊細だがそう脆くはない」

 紫藍(きらん)は久須志の言葉に短く笑う。

「大丈夫ですよ、やさしく受け止める役は私には似合いません。その役目は彼女に譲ります」

 久須志はあきれたようにため息をつく。

「全く、どいつもこいつもあきれた意地っ張りだな」

 教会のほうに目線を向けた、久須志は呟く。

「そんな虚ろな思いを抱えて、大切なものを見逃すような奴ばっかりだ」

 たぶんその声は隣の紫藍(きらん)にすら届かなかっただろうほど、小さく。



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