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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第八章『詠円慈愛』
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6.闖入

 教会の扉が開く。ステンドグラスに着色された月光が教壇から入り口の門まで伸びていた。その光に照らされ現われたのは忘れもしない彼の姿。少し大人びた気もするが面影は昔のままそこに息づいている。

「遅いわよ、待っていたのに……」

 私はあまりの嬉しさに飛びつきそうになるがぐっとこらえる。神秘的な月光に照らされ、私の逆さ鏡である雫は少し目を細めた。いや、その姿がまぶしくて光に背を向けているはずの私も目を細めている。

「さあ、こっちに来てちょうだい……」

 何も答えず少し視線を上に上げた雫。その目線の先にあるのは十字架に磔にしたあの女。空身でも実体を持っている以上、血を吸うなら吸血鬼。それなのに十字架に磔にしても何ともなかったからいささかがっかりしていたところだ。

 彼はため息をついた後「フィリア、面倒くさいやつだ」と悪態をつく。私のことなんか眼中にないというその口調。それに少し腹立ちを覚える。

「ねぇ、なんで私を見てくれないの? 何年この時を待っていたと思っているの?」

 私は教壇の前に出る。彼はようやく私を見た。その瞳は月光に照らされ真珠のように輝く。

「私はあなたを愛せる。あなたは誰かに愛されたがっていた」

 私の影は月明かりとの角度が浅くなったせいか少しずつ伸びていく。彼の眉がピクリと動く。彼は無言のままだ。

「ああ、私はあなたをこんなにも求めている……」

 彼は口を開きかけた。しかしそのままつぐむ。

「さあ……殺し合い(愛し合い)ましょう」

 私は刀を抜いた。しかし彼は目を閉じて口を開いた。

「ずっと考えていた……」

 私は右手で刀を手にしたまま、彼に向き合う。

「なぜこの赤い魔眼『震炎』が恐怖を与える、なんて物なのかを」

 開かれた彼の目は黒いまま。その瞳は黒真珠のように無機質に月明かりを反射する。

 その瞳を私は美しいと思い、同時に体が震える。ああ、体がまた(たかぶ)ってきた。

「おしゃべりも悪くないけど本当にもう、我慢の限界」

「黙れよ、人の話は最後まで聞くべきだ」

 じれったいけれどもあとで燃える殺し合い(愛し合い)。いや、灼熱というのすら生ぬるい殺し合い(愛し合い)が待っている。ああ、でももう我慢の限界。腰が砕けそうなほど私は彼を求めている。

「駄・目・よ」

 こらえるのも限界になり彼の胸をめがけて走る。右手には直刃の刀。それでも彼は刀を抜かない、柄に手をかけすらしない。

 月の光が作ったバージンロードを結ばれるために駆け抜ける。ここは私と彼、雫だけの何人たりとも侵せぬ聖なる舞台。

 その純潔と永遠への道は見知らぬ人間にまたも邪魔された。



 * * *



 教会とは一体どんな場所なのだろう。少なくともこの現状を見る限りだとまともな場所には見えない。磔にされた金髪の女性。藍染の和服を着た男に桜色の和服を着た女。そしてナイフを桜色の和服を着た女性に突き立てた女子高生。

「お前……美紀!?」

 雫は完全に予想外の人物による闖入(ちんにゅう)に驚きの声を上げる。美紀のトレードマークでもある長いポニーテールが揺れる。そのポニーテールを掴む掌。

「邪魔……しないで!」

 激昂する茜の姿をした空身。空身はそのまま美紀を、バスケットボールを投げるように地面に叩き付ける。美紀はワンバウンドして、ナイフとともに、雫と空身の中間地点に転がる。

「なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……」

 肩を震わせる、空身。その腹部にはナイフの刺さった後はあるものの、血は一滴も流れていない。

「いつも、いつも邪魔が入るのよ。いい加減もう限界」

 美紀は額から血を流しながら四つん這いの状態で自分の持っていたナイフに手を伸ばす。踏みつけられるその美紀の右手。彼女は短く悲鳴を上げる。

「あたしのほうが彼を愛せる、永遠に、ずっと、褪せることなく!!」

 空身は美紀の手を踏みつけている足を右にねじ込む。美紀が歯を食いしばる様子が見て取れる。雫は一瞬刀に手を伸ばしかけた。

「生にしがみつくだけしがみついて、死んでいくだけのあなたにはできないことよ?」

「……うん、そうだよね」

 美紀の思わぬ同意の言葉。驚いたせいなの、雫は刀に伸ばした手を止める。動きが止まったのは空身も同じだった。

「ずっと、ずっと絶望ばかりの未来を見せられ続けて、そんな未来を変えたくてあがいて、でも結局変えられない」

 美紀の顔は地べたについたままで、表情まではくみ取れない。

「私は無力、笑えないほどに無力、って見せつけられただけ。ただじたばたして生きていただけ」

 彼女は左手で上体を起こす。

「だけどもう嫌なの」

 美紀の横顔が若干見える。その顔は相変わらず笑みを浮かべている。

「だまって運命とやらを受け止めるのは、もう嫌なの。未来を変えたいの」

 彼女は空身を見上げる。

「あなたにはわかる? 確定した未来を見せられ続け、生きていく、そんな人生が想像できる?」

 空身は踏みつけていた美紀の右手をさらに強く、踏みつける。手の腱が切れるのではないかと思うほど強く。美紀は一瞬顔をしかめたが、それでも笑顔のまま。

「怖いときには怖がりたい、怒りを感じた時には怒りたい、哀しいときには泣きたい。それが許されないの」

 空身の表情に戸惑いが浮かぶ。

「だってみんなに心配させたくないから、楽しい、嬉しいって表面上だけでも笑ってないと自分が押しつぶされる。表情があるように見せつけただけの笑顔の仮面、そんなの表情がないのと何ら変わりない」

 美紀は自嘲するように笑った、いつもの『笑顔』のまま。

「でも……いや、だからこそ終わらせたくない、終わりたくない。閉じて完結した世界なんてまっぴらごめんなの」

「私の生き方を否定する気?」

「ううん、違う」

 美紀は首を振る。

「でも物語(人生)は続きを想像できるもののほうが私は面白いと思うだけ。変化がないと腐りそうな感じがする、だから変えたい」

 美紀は「それにね」と短く、本当に楽しそうに笑う。

「幸せばかりじゃ『幸せ』がわからなくなってきちゃう気がして不幸な気がする、ただそれだけ」

「理想で現実を語らないで頂戴。ずっと愛されなかった、ずっと不幸だった私の何がわかるっているの!?」

 空身は怒りを通り過ぎたのか、冷徹に目を細める。

「もういいわ、邪魔だから死になさい」

 その言葉にまぶたを閉じる美紀。振りあげられた刀は月光を受け蒼に輝く。

「大丈夫、私が死ぬのはもっと先だから……」

 振り下ろされた刀と風が走った。

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