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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第七章『現想泡壊』
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7.エピローグ『抱壊』

 

 * * *


 病院に到着したときすでにさくらは手術室へと運ばれるところだった。

「遅いですよ、大畠(おおはた)先生」

 少しいらだったような、それでも穏やかな表情のまま手術の準備をする安藤先生の姿。

「さくらの容体は……」

「先ほどから心臓がどうもよくない、それで急きょ緊急手術だ」

 私がもたついている間にさくらはどれだけ苦しんだのだろう、そんなことが脳裏をよぎる。

「時間がないから人工心肺も使えない。オフポンプでやるから手伝ってくれ」

 オフポンプ。その言葉に身に心に緊張が走る。人工心肺を使わず鼓動を続けたままの心臓手術。しかしそれなら心療、および精神内科が専門の私の出番はない。そんな私の思考を読み取ったのかのように彼は優しく笑う。

「彼女のそばで落ち着かせてやってくれ。脈を少しでも落ち着かせることが出来れば手術もやりやすい」

 ただし手術台の下に潜っていろよと冗談めいて言う安藤先生は頼もしい。だてに『名医』と呼ばれていない。

 急いで、しかし念入りに消毒を済ませ手術着に着替える。手術室にはすでに麻酔のきき始めたさくらが手術台の上に横たわっていた。安藤先生はマスクと帽子姿で顎をしゃくる。声をかけろ、という意味だろうか。

「さくら」

 短く名前だけ、その声に彼女の口元が少し緩んだような気がした。それは偶然に筋肉が緩んだだけかもしれない。ただそれだとしてもさくらは私がいることに安心してくれた、そう錯覚するには十分すぎるほど安心しきった顔だった。

「手術を開始する」

 安藤先生の両掌は上を向き、その計十本の指は天井を指す。手術室には四人の看護師と見学なのだろうか、瞬きもせず指先に注目する一人の研修医。その姿を見て私はふと自分を思った。

 私はさくらを助けたいと思った。しかし自分はさくらの意思を聞かず、自分の目的を彼女の意思と錯覚し、独りよがりに突っ走っていたのかもしれない。なぜ忘れていた。この通り手術は複数人でやるではないか。

 人間一人でできることなどたかが知れている。だから手を取り合い協力したりされたり。言い方は悪いかもしれないが一方が利用し、利用されたりもする。誰も一人で生きることはできない、人の命を救おうというならなおさらだ。

 退魔師の彼が言っていたことはわかる。大事な人のそばにいてやれという言葉は確かに正しい。いつでもしっかりと握れる手があるということは何よりも代えがたい安心と心強さに優しさ、言葉では言い尽くせないほどのものを得られていた。今までも、願わくはこれからも。

 しかし――――、いやだからこそ私は彼の生き方は認めない。

 彼の生き方は孤高、その一言に尽きる。人を拒絶するような物言いは自分一人で生きていけるという傲慢だ。おそらく彼は差し出された手の多くを払いのけているのだろう。何が原因で、何の理想があってそうしているのかは推し量れない。

 ただ彼はほんの些細な幸せが最大の幸福たり得るということを知っているようにも思えた。いつかはきっと彼にも手を取り合える人間が生まれるはずだ、そんなことを思う。

 人生は絶望ではない。人生は苦痛ではない。人生は不幸ではない。

 彼が少しでも一瞬でもそんなことを思える人間となったらその時彼の人生に光が射すだろう。

「メス」

 安藤先生のその言葉で現実に引き戻される。……いけない、気になったことをこう考えるのは今、必要なことではない。

「さくら」

 その声は聞こえていない、わかっていても声に出す。

 神様など信じていなくとも仏教徒でもなくとも、多くの人は祈る。きっと自分の無力をかみしめる時が人生でやってくる。なにかの、誰かの助けを求めて。

 人はそれを甘えと呼ぶかもしれない。しかし手を差し伸べてもらえるのは不断の努力をし、かつそれでも力及ばないものだけだ。

 願わくは救いの手が彼女の命を繋ぎ止めんことを。

 ともに青空の下で君の名前の花吹雪に溺れられる日を私は待っている。

 目の前の手術は淡々と順調に進められている。

 これからの人生はこうはいかないかも知れなくとも、それは待ち遠しい、幸せの日々であることには違いない。

 辛いことがあったら逃げてもいい、ただそのつけはいつか来るだろう。しかしそれでもきっと、その時には乗り越えられる強さを持ち合わせているだろう。隣り合わせの誰かとともに。

 それは恋人だったり、友人だったり、家族だったり……場合によってはペットやお守りのような物かもしれない。

 その隣り合わせの誰かがいるなら、仮にその困難に打ち砕かれても問題はない。その時は優しく手を引いてくれるのだから。身体を預けることが出来るのだから……。

 私はそれを許す。君も許してくれるだろう?



 ――――さくら



 * * *



 この地方では珍しかった豪雪も今ではすっかり溶けている。そのおかげで交通機関も通常に戻っていた。

 しかし美紀と雫たちとの関係はそうはいかなかった。

 美紀のほうはいつも通りに接しようとしてくるものの雫はそれを拒み、稲穂も戸惑い続けるばかりだ。

 眞子(まこ)もそのぎくしゃくした感じを流石に感じ取ったようだ。何とか仲の修復を試みようとしてみたものの雫の(かたく)なな態度に会えなくギブアップする。

 その後は特に大きな事件も起きず、その溝を抱えたまま春休みに突入する。

 皆が長期の休みに浮かれる中、雫は退魔師としての仕事もほとんどなく夜の見回りをする程度であった。普段は軽口の一つでも言いそうな稲穂も黙ったままそばに付き添う。

 時折訪れるフィリアも、情報を提供するなり「それでは」と何か言いたそうな表情のまま雫の部屋を去る。

 何事も起きず不愉快な空気のまま終わった春休みがそのまま新学年を告げる。三年生ともなれば受験も始まり、ところどころでは嫌気の射したような声が聞こえた。

 効率がいいのか悪いのか、クラス分けの紙が張り出されている掲示板に人が群がっている。そばにある桜の木から花びらが舞っていた。

 雫は自分のクラスが「3―2」であることを確認したのちさっさとその人ごみから抜け出す。

「やったね眞子! 今年はみんな同じクラスだよ!」

 妙にはしゃいでいるこの声は目を向けなくても雫にはわかるのだろう。手を取りはしゃいでいる大崎美紀と少し複雑そうな表情の彼女の友人、安藤眞子。

「おー大介も同じクラスだ」

 無邪気なその声に眉を顰めさっさと昇降口で上履きに履き替える。歓声と落胆の声を窓越しに聞きながら四階建ての校舎の最上階を目指し階段を上る。人気のない校舎内はまるで白骨のように冷たく、静かだ。足音の響く廊下は自分が独りであることを突きつける。立てつけの悪い教室の扉。それを開けると新鮮味に欠ける教室。しかしその教室には予想外にも先客がいた。

 彼女は雫のほうを向き睨みつける。

 普段の雫ならば睨み返しただろう、しかし彼は逆に目を見開いた。

 薄い茶色のかかったショートカットの髪の毛。積極的な性格で好奇心も強かった彼女の面影は今も残っていた。

「ふん、奇遇よね。早く着きすぎて教室の場所を見ておこうと思ったらあんたに会うなんて」

 雫は彼女の「半分は嘘だけどね」という言葉を聞いたまま固まっていた。予想外だったからか、あるいは過去のことを思い出してなのかは理解の及ぶところではない。

「苗字が変わっていたけど、あんたのような名前は珍しいからね、すぐにわかったわ」

紫蘭(きらん)……」

「私はこれから職員室に行かなくちゃいけないの」

 ふん、と鼻で笑い荷物を手に取り教室を出ようとする紫蘭(きらん)。彼女は雫の脇を通り過ぎる際に耳に囁いた。

「これから一年よろしくね、――――人殺し」

 固まったままの雫。その視界の先で窓ガラスを揺らす風が桜の花びらを舞い上がらせていた。




『抱壊・了』


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