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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第七章『現想泡壊』
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6.現想

 雫と丸眼鏡の男が落ちた部屋は粉塵が霧のように舞い、何もかもが全く見えない。しかしその霧も徐々に晴れてくる。晴れた霧の中に映し出されたのはクレーターのような状態の床に横たわる丸眼鏡の男。そして彼に馬乗りになっている雫の姿。雫の突き立てた漆黒の刀はクレーターの中に満ちた砂の中に刺さっている。丸眼鏡の男はうっすらと目を開き同時にまだ生きていることが信じられないという表情を浮かべる。

「お前はさっきの恐怖をその『彼女』に幾度(いくたび)と味あわせようというのか?」

 顔色は青いままだが、雫は静かに語りかける。

「それに残念ながらこの空身は不死とは程遠い存在だ。瀕死の重傷を負ったとき、瞬時に治癒を促すだけ。空身そのものは『死への恐怖』が根源だな」

 丸眼鏡の男はまだ先ほどまでの状況で興奮状態にあるのか、荒い呼吸のまま雫を見る。

「死への恐怖を抱えた患者なら私のところにだって来ていたが……」

「それは当然だ、そんなもの誰だってもっている」

 雫の肩から砂をかぶってなお滑らかな長髪が流れる。

「ならなぜ私はその心因性乖離存在を生み出せなかった?」

 白い息を間断なく吐き出す丸眼鏡の男に雫はため息をこぼす。

「そんな重い想い、心にとどめておける人間なんてそうそういない。大抵はその重みに耐えられずどこかで我慢できなくなり想いを吐き出す」

 雫は刀を引き抜き背中に隠した鞘に閃黒をしまい、背を向ける。

「残念ながらお前の求めるものはここにはない、諦めろ」

 背を向けたまま立つ雫の背後で丸眼鏡の男はよろめきながら立ち上がった。

「ただ最後に聞かせろ。お前のいう彼女とやらはお前の大切な人なのか?」

 着地の際に手首でもひねったのか、左手をかばいながら丸眼鏡の男は頷いた。

「ああ、大切な人だ。失いたくなかった、死んでほしくなかった。しかし現在の医療ではどうしようもなかった」

「それでたまたま出会った空身に目をつけた、というわけか」

 雪が次々と積もっていく。ここまで大粒で積もるのではないかという雪はこの地方では珍しいのだろうか。駅に面した通りから微かに歓声のようなものが聞こえる。

「お前は……その人に恨まれているのか」

 丸眼鏡の男は思いもよらない言葉をかけられたせいなのか数秒、微かに口を開けたまま呆然と立っていた。

「いや……恨まれてはいないはずだが」

「ならそばにいてやれば良かったんだ」

 背中を向けたままの雫に丸眼鏡の男は何も書ける言葉が見つからないのかその背中をただ眺めていた。

「本当に大切と思える人なら、お互いが好きあっていて恨まれていないのなら……」

 そう語り続ける雫の背中はひどく頼りなく哀しげだった。

「お前は……ただ大事な人のそばにいて手を握ってやれば良かったんだ。そうするだけでその人もお前も幸せになれた筈だ」

 雫は出口を指さす。そこには早くも白銀に彩られた(せかい)

「さっさと現実に戻れ、そんな独りよがりの妄言に付きまとわれるな。そして俺のまえに……二度と姿を現すな」

 丸眼鏡の男は戸惑いを隠せないのか、それとも罠があるとでも思ったのか、周囲を落ち着かない様子で見回しながら雫の指さした出口に向かう。

「……一つ聞かせてくれ」

 雫は無言だったがそれを了承ととった丸眼鏡の男は構わず尋ねる。

「なぜ貴様は、いや君は人が本当に自分と向き合い続けることが出来ると思っているのか?」

 相変わらず雫は背を向けたまま帯の結び目に隠された鞘に白雪を納める。

「できるさ。一人で抱えられなくなったらそこら辺のお人よしがいる。そもそも自分と向き合うこともしないで他人との向き合い方を考えることが出来るか? お前はそれも仕事のうちだっただろう?」

「……そうだな、しかし」

 納得はできないという表情で出口に立つ丸眼鏡の男。

「さっさと行け、大事な人が危ないんだろうが」

 丸眼鏡の男ははっとしたように目を見開き、出口から駆け出す。それと同時に入ってきたのは小脇に上着をはさみ、フィリアを引きずっている稲穂。

「……逃がしたの?」

「ふん、目が見えないのにこれ以上の退魔は不可能だ」

 雫の目からは涙のあとのように血が頬を伝っている。魔眼『震炎』を発動した証拠。

「着地の際に受け身をとれるほどの余力がなかった。だから範囲を狭めて、砕いたコンクリートをクッション代わりにするしかなかったんだよ」

 それでも声のするほうに顔を向ける雫。目の見えない状態でも弱っている相手ならそれなりの相手はできそうな余裕も感じる。

「今回は短時間、狭範囲の発動だったからすぐに目も見えるようになる」

 着衣を直そうとした雫に、稲穂は脇に抱えていた上着を投げつけるように渡す。そのコートはところどころ汚れた白い女物のコートではあるが、雫が着ても違和感はないであろう代物。

「そんなぼろぼろの和服じゃ寒いし変質者扱いされるわよ、それ、着て」

「……わかったよ」

 無表情のまま雫は手で探るようにコートを羽織る。

「どうでもいいがフィリア、いつまで狸寝入りを決め込んでいる?」

 ピクリ、と体を動かしたフィリアの体。稲穂も流石にそれに気が付いたらしい。

「……フィリアさん、何を考えているの?」

「……起きるタイミングが掴めなかったというか、寝ていても大丈夫だって思ってたの」

 小首を傾げ「てへっ」と少し舌を出しているあたり反省の色は全くない。むしろその態度が稲穂を怒らせたようだ。フィリアを掴んでいた手を叩き付けるように離す。そんな行為を意にも介せず、フィリアは何事もなかったかのように立ち上がり、両手を胸の前に組む。

「涙ながらに語る、稲穂ちゃんのあの愛のこ……」

「わーっ!わーっ! それいじょういわないで!」

 慌てふためく稲穂とものすごく生き生きしているフィリア。その光景に背を向け雫は廃墟の中庭のほうに顔を向ける。

「そこにいるんだろう? 出てこいよ」

 先ほどまでの戦闘とは違った性質の怒気を含んだその声にはしゃいでいた稲穂とフィリアに緊張が走る。

「え、えへへ……」

「美紀!?」

 そこにいたのは紛れもない大崎美紀。なぜここにいるのかという疑問を隠せない稲穂にフィリアは明らかに動揺している。しかも稲穂とフィリアが現場で出くわしたのは連続。どちらも人気のない場所だけに偶然を疑うのも難しい。

「お前は中庭で俺が『死んだ』のを見た筈だ、なぜそう平然としていられる」

 雫の睨みつけるような視線。目が見えていなくともこんなに威圧的な視線を送ることが人間にできるのだろうか、と思うほどそれは鋭い。友人である稲穂ですらその言葉を聞いて動揺が最高潮に達した反動か、凍りついたように表情が固まる。

「まるで『生き返るのがわかっていた』とでもいうような冷静さじゃなかったか? ん?」

 黙りこくっている美紀に対する雫の追及は止まらない。

「それにどうしてその現場をみてなぜまともに俺を見る。なぜ笑っている」

「えーとね、それは……」

 美紀の言葉には邪気も悪意も感じない。それがむしろ薄気味悪い。

「目の前で人が致命傷を一瞬で回復する、そんな状況に出くわしたお前はなんで笑っている!」

 いら立ちを隠さない雫、そして笑顔のままの美紀を見る稲穂の目に恐怖心のようなものが浮かぶ。

「……何よりその笑顔も笑い声も張りぼてみたいで気持ち悪いんだよ! とっととこの場から失せろ」

 寒いのは外で雪が降っているだけではない、そう断言できるほどの凍えた空気。

 雫はすでにうっすらと目が見えているのだろう、はっきりと美紀の目を見て吐き捨てる。

「だって怪我……」

「失せろ、って言っているんだよ!」

 雫の嫌悪しか感じないその言葉に美紀はわずかに体をこわばらせた。美紀は一瞬戸惑いを見せたのち、逃げるようにこの場から走り去る。脇を通り過ぎた時にも雫は美紀を睨みつけ、そっぽを向いた。

 鳥肌が立ってもおかしくないほどの寒さの中。三人は廃墟の中で立ち尽くす。

 いつの間にか脛の中ほどまで積もった雪、その雪が民家の屋根から滑り落ちる。そこにできた壁のようになっている小さな雪山。一体どこまで大きくなるのか、想像もつかない。


『現想・了』



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