表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第七章『現想泡壊』
43/58

5.崩壊

 水滴の垂れる音ががらんどうの廃墟マンションにこだまする。その一室、窓の枠も何もない中で稲穂とフィリアの二人は柱を挟んで、背中合わせで縛られていた。

「おめざめかな?」

 そこに響く一人の男の声。その声に稲穂がまず目を開き、縛られている現状を認識する。

「抵抗すると無駄に怪我をするだけだ、質問に答えてもらおう」

 稲穂は縄をほどこうとしたが背後にはフィリアもいるということもあって作業を中断する。

「……答えられる範囲内なら」

「それが賢い反応だ」

 うむ、とうなずく丸眼鏡の男は表情を変えずに腕を組む。その姿は本人が意識しているかはさておき、かなりの威圧感を放っている。

「では例の心因性乖離存在についてのことだが……」

「近いものなら知っている」

 睨みつけるように言い放つ稲穂。その眼には確かな敵意が宿っていた。

「私に退魔師代行を依頼した人間がそれに近い空身を内包している」

「ほう、親しい仲なのかな?」

 その興味深い、とでも言いたげな口調に顔をしかめる稲穂。

「親しいっていうよりは義兄(にい)さん、よ」

 そこで丸眼鏡の男はひどく不思議そうな顔をする。

「君には兄と姉がいるのか? それともただ単に……退魔師としての能力を持った人間が身内に二人いるとでもいうのか?」

 稲穂は首をかしげる。

「いいえ、私の身近にいるのは義兄(にい)さんだけよ」

「嘘はいけないな」

 丸眼鏡の男は感情こそ表さないものの微かに怒気を帯びた声を放つ。

「君のご家族としていま女性が訪れ、私と戦闘になった。彼女は私との戦いに敗れ死んだのだよ?」

 稲穂が目を見開く。

「さあ、本当のことを言いたまえ」

 窓ガラスおろか窓枠すらついていない部屋の外では大粒の雪が降り注いでいる。周囲の音は聞こえない静寂の中。雨漏りよる水滴の音ばかりが響く。

「ふふふ……」

 突如、稲穂は笑い出す。

「何がおかしい?」

 そのいら立ちを隠さない丸眼鏡の男に稲穂は愉快でたまらない、といった笑顔を向ける。

「残念でした、あなたひどい勘違いをしているよ?」

 そして稲穂は笑顔から一変哀しそうな、それでいて同情するような奇妙な表情を浮かべる。

「おめでとう。あなたの探し求めた不死擬き(もどき)は手の届くところにある」

 徐々に泣きそうな表情になりつつも、強がっているような声を張り上げる。

「その大当たりの宝くじ(不死擬きの空身)で手に入るのは地獄行きの片道切符だけだけどね」

 月明かりも届かないそれでも明るく感じるのは外で白銀の世界が広がっているからだろうか。稲穂のその痛々しささえ感じる表情は曇天のもとでもなぜかはっきりと見て取れた。

「何の話だ?」

 丸眼鏡の男は稲穂に踏みより、見下ろしながら睨みつける。

「別に……、ただあなた達が哀れでしょうがないってだけ」

 稲穂は睨みつける男の視線など意にも介せず言い放った。

(退魔師)はあなたみたいな人間の死神なのよ」

 今にも泣きだしそうな表情なのに無理やり笑顔を作る稲穂は呟くように声を絞り出した。

「あなた達みたいな人がいなければ雫の心が壊れることもなかったのに」

 瞳から滴がこぼれる。無理やり作られた笑顔はあっけなく崩れる。

「雫は私の理想のままでいられたのに……」

 薄い雪を踏みしめる音が部屋の中に響く。その音に丸眼鏡の男はゆっくりと振り返り、目を見開く。

 稲穂は囁く。

「貴方の夢はここで終わり。せめて無力な私を笑って、非力な自分を恨みなさい」

 丸眼鏡の男の視線にはうっすらと舞い込んだ雪を踏みしめる人影。

 右のわき腹を露出させている人間の姿。はだけた和服を着た雫が立っていた。



 * * *


 正直わたしは混乱していた、確かに彼女は死んだはず。いや死んでいた。

 腹をえぐられた時点で蘇生など不可能。なら目の前に立っている彼女はなんだ?

「……ああ、お前が病院にいた胸糞悪い気配の持ち主か」

 その声も姿もまぎれもなく先ほどの戦闘において『事故』から殺害してしまった彼女に間違いない。

「双子……?」

 思わず私はそう呟いていた。そうだ背後にいるこの少女は私を惑わせるためにあのようなウソをついたに違いない。

「おまえ、何を寝ぼけている」

「貴様は死んだはずだ! なぜ平然と立っている!」

 声が荒ぶる。呼吸が激しくなる。思考が乱れると心因性乖離存在の制御がうまくいかなくなることなどもう知ったことではなかった。この異常事態に私は一つの仮説に至った。

「まさか……? 貴様がそうなのか?」

「はっ、求めていたものがこういうものだと理解していなかったのか?」

 私の質問に鼻で笑う彼女はそれでも無表情のまま。

「おめでとう、不幸にも貴様は目的の空身にひどく近いものを探し出した」

 水分を多く含んだ雪が彼女の歩みに合わせ、水のようにびしゃりと跳ねる。

「ふ……ははは!」

 私は混乱から覚め不思議な高揚感に包まれていた。求め続けたものが今目の前に存在する。彼女からその空身を抜き取ればあとはさくらに移し、定着させればもう何も問題はない。

 ポケットの携帯電話が鳴る。本当に無粋なタイミングだがディスプレーには鞠池第二病院の文字がある。

「今は忙しいあとにしてくれ」

 電話口の先は妙にあわただしい。

「さくらさんが危篤です! 先ほど容態が急変して……!」

 一瞬の焦り、しかしこうなったら強引にでも間に合わせるよりほかはない。

「……一時間ほどでそっちに向かう」

 私はそう言い切り携帯電話を閉じる。

「残念だが時間が無くなった。貴様のその心因性乖離存在……いや、空身を貰い受ける!」

 私は和服の彼女に一直線に迫る。時間はかけられない。そんな私を彼女はあざ笑う。

「はっ、空身を『もの』としか思っていないような奴には制御不能だよ、第一……」

 彼女は漆黒の刀を投げ飛ばしてきたが少し体を左に傾けよける。

「本気で不老不死なんて都合のいいもの、存在するとでも思っていたのか?」

 瞬間、体の左側に感じた衝撃。ただの右足の蹴りだったが内臓を抉るような衝撃に思わず屈みこむ。

 悔しさと焦りを抱えたまま顔を見上げるとなんと彼女は吐いている、心なしか顔色も悪い。

 そのはだけた和服の隙間から見えた胸を見て私は一つの勘違いをしていたことに気が付く。

「貴様、男だったのか……?」

 おかしい。たしかに感情の気配は先ほどまでは女性のものだった。ならなぜ今目の前にいる人間は男なのか。

「俺もお前と同じ体質なんだよ、空身が体内にひしめいているせいで自我が曖昧になる」

 呼吸の荒い彼はいまだ吐きながら私をにらみ続けている。

「俺の場合、寝ていれば姉さんが、起きていれば俺自身が表に出る『約束』になってはいるけどな」

 そうか彼もその気になれば私と同じように心因性乖離存在を出して戦うことが出来るのか。ならば加減は無用。

「……出ろ」

 体内の心因性乖離存在を開放する。背中、腹、首に腕、脚等々さまざまなところから出てくる異形の心達。あまりにも種類が多すぎて何がどんな性質を持っているかも忘れたが軍勢には軍勢をぶつける、それが現在の最良。仮に不死が仮初めであったとしても空身さえ抽出できれば問題がない。

「貴様という存在を抹消する」

 青い顔をし、苦しそうな彼には悪いがここで今すぐに終わらせる。そうすればさくらとの未来が待っている。そう信じる心が躊躇など消し去ってゆく。

「……ふん、それが貴様の限界だな」

 彼は右手で純白の刀を抜く。同時に双眸が蒼く輝いた。その色は深い海の底のような暗い透明感と揺らぎが同居した輝き。このような状況であるのにも関わらず私はその瞳を宝石のようだと思ってしまった。

 真っ先に飛び掛かったのは『過食』の心因性乖離存在。彼はすれ違いざまにその心因性乖離存在に純白の刀を無数に振るった。

 数瞬の間が空く。

「もう苦しまなくていい、向き合えるなら還れ、己のいた場所に」

 雄叫びのような残響音とともに『過食』は弾け、人間の姿となって飛び去ってゆく。

「……妙なことを!」

 次は『独占』の心因性乖離存在が束縛にかかる。

「お前たちの欲求は人間として当然のもの、恥じることはない」

 純白の閃光が八つ。嗚咽をこぼすような声を残し『独占』もまた人間の姿となり飛び去って行った。

 おかしい、統合はかなり純度を高めた筈。制御はしきれなくなったのはあまりにも強大になりすぎたからであって決して結束は弱いわけではない。なのに、なぜ分離するのかそこだけが理解できなかった。

「貴様、何をした?」

「繋がりを切断しただけだ」

 あっさりという彼はいまだに蒼い双眸で私を睨みつけている。

「他人の想いは他人の想い、他人の欲求は他人の欲求。似通っていてもそれはその人にとって唯一無二の感情だ」

 彼は純白の刀を逆手に持ち替え肩の高さに構える。

「もともと違う者同士、共感することはできても所詮は別物だから元の姿に戻すのは別に難儀なことじゃない」

 彼は一歩私に歩み寄る。

「俺は赤根雫、退魔師の巡り合わせとしてお前を退魔する」

 今にも倒れそうな彼は間違いなく信念だけで立っている。

 彼はあまりにも狂っている。

 彼はあまりにも現実的すぎる。

 そうであるのにもかかわらず心因性乖離存在にかけた言葉はあまりにも優しすぎる。

 今にも吐き出しそうな青い顔で一歩ずつ歩み寄ってくる彼、赤根雫の蒼い瞳は私を捉えて離さない。

「貴様は化け物か……?」

「貴様も同じだよ、同類」

 突如背中に走る悪寒。確かな死の気配が正面から迫ってくる。

「私は……彼女のためにも死ぬわけにはいかない!」

 とっさに床に向けて『破壊衝動』の心因性乖離存在を叩きつける。鉄筋コンクリートは鉄筋ごと宙に浮かぶ瓦礫の礫となり、そのまま重力に従って下降していく。そのうちの一つに乗り、私は安全を確保するための心因性乖離存在を準備する。

 その視界に瓦礫を蹴飛ばし、その合間を縫ってこちらに向かってくる赤根雫。

 いつの間に手に取ったのか放り投げた筈の漆黒の刀が握られている。

 ここまでとっておいたもっとも戦闘向きの空身。

「|『抑圧』されろ≪潰れろ≫!」

 唯一人を殺してしまった『抑圧』の空身。その空身は突然視界をふさいだ瓦礫にドーナッツ状の穴をあける。

「やっぱりお前の中にそいつがいたか」

 そういう彼は瓦礫を掴んでいた手を離し、穴をくぐり一直線に迫ってくる。

 私は柄にもなく吠えていた。無駄だとわかっているはずなのに心因性乖離存在を彼に襲わせる。

「その恐怖を忘れるな」

 先ほどまで蒼かった彼の双眸は今、紅に染まっている。その心因性乖離存在をも意に介せず迫りくる黒い刃。死を覚悟し、眼をつぶる。数瞬後、砂場にスコップを突き立てたような鈍い音が伽藍の廃墟にこだました。


 ** *


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ