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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第七章『現想泡壊』
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1.夜偵

 

 さあ舞台は整った

 後は役者だけ

 配役は決まっている

 体から乖離した心と退魔師

 それさえいれば完璧に

 そう、ここは劇場(手術室)

 さあ人類の夢を

 私の夢を

 共に叶えよう

 届かなかった

 空ろな(からだ)達よ



『現想抱懐』



 深夜の病院の廊下は墓場のように静まっている。非常口の緑色の光が唯一の光源といっても過言ではないほど暗く静まり返った場所に雫はいた。

 しかしその静かな空間において雫は圧倒的な異彩を放っている。それこそ白昼の人ごみに放り込んだら人の波に空白が出来てもおかしくないほどに。そのまなざしは鋭く、使命感とも憎しみとも取れない。早足で歩いていたかと思えば、通路の曲がり角に角に体を密着させ様子を窺う。

 その様は敵地に侵入する工作員のように見えなくもない。実際雫にはここは敵の胃袋とでも言うべき危険な場所。

 階段を踊り場まで一気に飛び越え猫のように音も立てず着地する。

 すると一つ下の階のひときわ明るい空間から一人の影が伸びているのが雫の視界に入る。

 病院の一階ロビー。恐らくは自販機の照明だろう。

 息を殺す雫。

 今度は足がついていることを疑うほど静かに、かつ軽やかに階段を降りていく。階段とロビーを繋ぐ角から左目の端で自販機の前を窺う。逆光の所為でかろうじて女性とわかる人影しか見えない。

 雫は軽く腕を振ると手のひらに二つに分かれたはさみが現れる。

「やはり心許ない、せめて『白雪』があれば……」

 警戒心を解かないままロビーに影の如く躍り出る。相手が敵性人物であったら一瞬で殺せるような距離まで近づき。

「あれ、雫さんも夜のお茶タイムですか?」

 相手が誰だか認識した雫はすぐに病院着の袂にはさみを隠す。

「宜しければご一緒しませんか? 一人だと流石に寂しいです」

 にこりと笑う銀髪の少女は栢野瑞葉(かやのみずは)。稲穂達の友人で『連続猟奇殺人』の『容疑者』栢野津司の妹。

「断る」

 雫はとりつく島もなくぶっきらぼうに彼女の脇を通る。

「では私のお兄ちゃんの話を聞いてはくれませんか?」

「断るといっているだろう」

 そのまま通り過ぎようとする雫。

「退魔師のあなたにとってとても有益な情報ですよ?」

 雫が足を止める。

「以前あったときは目が見えなかったから解りませんでしたがあなたは『雨下家』の人間でしたね?」

「……栢野瑞葉。お前は何者だ?」

 優しく優美な笑顔を雫に向ける彼女は聖女を思わせる。

「私は空身を諭し、空身を天に返す魔籠(まごめ)師、薄野(すすきの)家の末裔です」

 彼女は「ただ……」と言い困ったような表情を浮かべ耳にかかった銀髪を耳の後ろに払う。その仕草の一つ一つがどこか優雅であるのに、流れる小川のような艶やかさを感じさせる。

「私が生まれたときにはもう魔籠(まごめ)師としての地位は失っていたけど」

「薄野……なるほど雨下に空身を取り込む術を教えた一家か」

 彼女は首を縦に振り、自販機のホットコーヒーのボタンを押す。稲穂との会話で雫がブラックのコーヒーを好むことを知っていたのだろう。

「雨下家との親交はなくなっていましたけど私の母と井澄さんは友人の関係だったのでたまに会っていたんです」

「そうか」

 雫は彼女が自分の旧姓を知っている事実と理由に納得したのか、遠い過去に思いを馳せ、目を背ける。

「気がつかなかったのも無理はないですけど小さい頃に会っていたんですよ、私たち。もっとも変わりすぎていたし私もこの髪の色ではなかったですから」

「異能が発現したのか?」

 缶コーヒーを手渡し、苦笑いを浮かべながら彼女は首肯する。

「最初は感情の共有。これならまだ異能とはいえないでしょうけど小学校に入る直前ごろから徐々に異様さを増してきました」

 彼女は表面上、平静を保っているがとてつもなく苦痛を伴った人生を送っていたに違いない。多感な時期にむき出しの感情を直接知るということは恐ろしいことである。

「そして共有は感情を超え肉体面での共有にまで及びました」

 暗闇の中、眩しすぎるスポットライト(自販機の明かり)のもとで紡がれる彼女の独白。

「友人が怪我をすれば私も同じところを怪我しました。それは風邪も同様に。それが強くなっていくうちに中学校に入る頃には感覚までもが繋がり始めました」

 彼女は一度深呼吸する。

「肉体面での共有はごくごく限られた親友と呼べる友人だけでしたけど……この頃から私の髪の色も変化しだし、中学校に入る頃にはあだ名で『銀色』とか『銀』とか呼ばれるようになりました」

 雫は「今聞きたいのはそんなことではない」とでも言いたげに、若干イラついたような表情を見せるものの黙って聞いている。

「この髪の色のせいもあり私はいじめに会うのは必然だったのかもしれません。そのとき親友と兄が護ってくれていましたことが心の支えになっていたのは当然の理でしょう」

 彼女は手に持っていたスポーツドリンクのペットボトルを一口飲む。

「でもその親友は中学二年生の夏休み半ばに死にました、いえ……」

「殺された」

 雫は間髪をいれず言葉を続ける。全国区でのニュースになった『女子中学生殺人事件』と言うチープなタイトルの重い事件。各ニュースは『乱暴された後、殺された』と人間としての尊厳など無視し、視聴者の感情をあおり、テレビにひきつけようとした。

「その彼女が殺されたときその感情を、感覚を私も共有しました」

 雫は黙して聴いている。恐らく栢野津司もこのことを聞いたことを感じ取ったのだろう。そのくらいは異能などなくとも容易いことだった。

 ペットボトルがへこんだのか小さくぺこんと音を立てる。見れば彼女の手に握られたお茶のペットボトルを握る手が震えている。

 確か容疑者は捕まらなかったが高校生の男子三人組、であるとの証言が合ったとも当時は言われていた。雫は合点がいった、と言う風に頷く。

「なるほど津司はあんたの友人が殺されたという怒りを押さえ込み、その怒りを押さえ込むこと自体が目的になった。それがあの空身を生み出し、『抑圧する(握り潰す)』魔眼を持った有身となったのか」

「それはすこし違います」

 すっと声のトーンが低く氷のような空気を纏う。

「実際にはきっかけはずっと前からありました」

 渡された缶コーヒーを雫は飲もうとしない。

「それでも決定的になったのはその事件の最後の被害者が私だからです」

 人気のない静寂の中、ほぼ唯一の光源である自販機の耳障りなモーター音が響き渡っている。

「そこから先は俺の予想通りってわけだな」

 彼女は黙って頷く。そしてクスリと小さく笑った。

「……何がおかしい」

 雫は不機嫌さを隠そうともしない。

「いえ、稲穂ちゃんから話を聞いていた通り本当に優しい人だなって思っただけですよ?」

「……お前が女じゃなかったら顔面を殴っているところだ」

 雫はすっかりぬるくなったコーヒーを彼女に投げ返す。

「お詫びに一つだけ確かな情報を」

 彼女は立ち上がりかけた雫に声をかける。

「今私の兄、津司には『抑圧する』感情や想いが『すこしも』ありません」

 ついと顔を背け、無言のまま去っていく雫の背中を見る彼女。

「雫さん。あなたにはどんな過去があったのかな……」

 自販機のモーター音が静かになったロビーから栢野瑞葉は退場する。



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