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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第六章『墜憶時雨』
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6.エピローグ『墜憶』

 * * *



 肌を打ち付ける何かの痛みで目が覚めた。開いた目に映る大地は無数の雨が矢のように突き刺さっている。でも不思議と体は温かかった。何かに抱えられたまま視線を上げる。この温もりには覚えがある。確か父さんと母さんが亡くなった次の日に隠れて泣いているところを見られた時だったかも知れない。

「茜姉さん……?」

 声をかけた自分の顔が強張るのを唐突に理解する。胸には刀が刺さり、そこが赤黒くくすんでいる。

 体に感じる温かさが徐々に薄れ冷たくなっていく。ただ不思議なことに自分の内面に茜姉さんの温もりを感じていた。ほんの少し自分の内側(精神世界)に意識を向ける。

 そこには確かに茜姉さんの魂とも言うべき心があるのを感じる。それが意味するのは目の前にいる茜姉さんの体は抜け殻(死んでいる)と言うこと。

「なんで……こんな事に?」

 正直、状況が飲み込めない。そういえばさっきまで狂っていた自分の意識は靄が晴れたように妙にはっきりとしている。

 しかしその理由はすぐにわかった。

 茜姉さんの魂に向けられる無数の怨み(うらみ)。自分の中で迷走していた空身たちが『茜姉さんへの怨み』で一致し、余計な思考から開放されたと言うこと。

 その瞬間訪れたのは自責の念。


 俺があの時祖父に刃を向けなければ

 俺が狂ったりしなければ

 俺なんて存在しなければ


「さあ、あなたを愛するための邪魔者はあと少しで居なくなるわよ」

 自己嫌悪と自己否定から急速に現実に引き戻される。その妙に高揚した声が聞こえるが早いか、茜姉さんの胸に刺さった漆黒の刀が引き抜かれた。その勢いに引っ張られるように仰向けに倒れるその亡き骸()。腹部の傷はどう見ても致命傷なのに、自分の姿に似たその空身は引き抜いた黒刀を持ち、いつの間にか稲穂の傍らにしっかりと立っている。

「後はこの娘(稲穂ちゃん)だけ」

 ユラリと刀を振り上げる空身。その太刀筋は確実に腰が抜けてへたり込んでいる稲穂を捉えるだろう。

 刹那、自分の体内の血液が沸騰する。怒りとも憎しみとも、それが自分に対してなのか相手に対するものなのかさえ理解できない感情()。しかしその感情()は確かに全身の力を爆発させた。

「貴様ぁー!!」

 手にしたままの漆黒の短刀を構え疾走する。

 降りしきる雨は肌に痛覚を伴い、機関銃の如く無数に衝突する(たたきつける)

 ぬかるんだ大地は蹴り飛ばされ、クレーターのように陥没する(くぼんでいる)

 自分の姿を模倣した空身に向かい、雷の如く漆黒の刃を走らせる(突き立てる)


 ――――鈍い斬撃音を聞いた――――

 空身の握った刀は柄のほうから地面に落ち、大地に突き刺さる。


 ――――命のこぼれる音を聞いた――――

 空身は口の端から赤い血を(こぼ)しながら微笑む


 ――――確かな喜びを聞いた――――

「これがあなたの私への愛なのね?」


 ――――相反する声を聞いた――――

「ありがとう、止めてくれて」


 ――――違う感謝を聴いた――――

「なら今度は、一緒に殺しあいましょ?」


 ――――悔恨の声を聴いた――――

「ごめんな、雫君」


 その声を聞き、沸騰していた血液が氷のように冷める。

「仙治……さん?」

「は、は……死に際に元の姿に戻れるとはね」

 力なく笑うその姿は、しかし清々(すがすが)しかった。

「君には重荷を背負わせてしまうことになるかな」

 言葉の羅列が鼓膜をゆすれども、どこかここではないどこかに思考が飛んでいってしまっているかのように理解できない。

 微かに残った思考が繰り返するのは周囲に満ちた死臭から導かれる事実。


 仙治も

 茜姉さんも

 雨下家の人間(家族皆)

 ――――みんな自分がコロシタ?――――


「ありえないことを叶えようとして邪な物に手を伸ばしてしまったから身を滅ぼしたんだな僕は」

 何で自分を嘲る?

 手を伸ばすのは当然だ

「結果として君の心を傷つけただけだったね、すまない」

 何で謝るんだ?

 殺した相手に

「ああ、贅沢言うなら最後に紫藍(きらん)の……顔を見たかっ……――――」

 何で、なのになんで


 ――――俺を 責めない?――――


 夢を壊したのに

 自分勝手に正義を振りかざそうとしていたのに

 人を殺したのに

 たった一人の人間すら護ろうとすることもできない

 そもそも「人を護る」だなんて理想はなかったのかもしれない

 きっと護りたかったものはただ虚ろな自分の心だけ


「兄さ……ん?」

 響いた懐かしい声。ああ、紫藍(きらん)か。

 そう思った瞬間、何故か震えているその体を無性に抱きしめたくなった。

 人の温もりが恋しかったのか、ただ単に自分が救われたかったのか、罪の許しを請いたかったのか、それは自分でもわからない。

「仙治!」

 でも悲痛な声に我に返る。そうだ自分は温もりなど手にしてはいけない。温もり()を奪ったその手で温もり(人間らしさ)を得ようだなんてあまりに虫が良すぎる(罪深い)

 自分の握る刀からは血が滴っている。

 目を開いたまま横たえる仙治の亡き骸に泣きつく紫藍(きらん)。その小さな体が乾いてしまうのではないかと言うほどの涙を流し、声帯が破裂するのではないかと思うほどの慟哭をあげる。

 何故かそんな紫藍(きらん)がひどく羨ましかった。

「――――雫、何があったの……?」

 紫藍(きらん)は震える背を俺に向けたまま、返答を待つ。ああ、俺が人間らしさを失ったならやるべきことは一つしかないじゃないか。

「仙治に何があったのよ! 答えてよ! ねぇ!」

 濡れた髪を振り乱し雨音すらかき消すほどの声を張り上げる紫藍(きらん)

「俺が殺した」

 紫藍(きらん)の体が強張るのが見て取れる。

「し……ずく、何を」

 稲穂の声を微かに聞く。

「うそ……でしょ……」

 紫藍(きらん)の表情から真っ青に血が引いていく

「刀を見ればわかるだろう? 退魔師の俺は仙治が『魔』だから殺した。これで満足か?」

 無表情に、かつごく冷淡に放った声は冷たい雨によってさらに冷え切る。

「――――人殺し」

 先ほどまでの表情とは打って変わった紫藍(きらん)。その眼には強い憎悪が宿っている。当然だ、家族の仇が目の前にいるんだから。

「――――許さない!」

 その言葉に背を向ける、そうだこれでいい。

「死んでも絶対に許さないからっ!」

 よせばいいのに稲穂がついてくる気配がする。

「雫っ! なんであんなことを……!?」

『失望した』とでも言いたげな眼つきの稲穂に胸倉を掴まれる。

「事実だからだ」

 突き放した稲穂はそれでもなお、追いすがるように後ろをついてくる。

 俺は何の気なしに門の入り口で空を見上げた。


 ああ、本当に良かった今日が……


 ――――今日が 雨で――――



 * * *


『墜憶時雨・了』


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