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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第六章『墜憶時雨』
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5.約束

 * * *


 間抜けな玄関の呼び鈴が二回鳴る。こんなときはいつも不吉なことしか起こらない、それが私、釜蓋紫藍(かまぶたきらん)の昔からのジンクス。通り雨だと思ったら小一時間は降り続けている、これもよくない兆候。悪いことが起こると感じていると必ずといってもいいほど嫌なことが起こる。

 拉致された日も殺されかけた日も、雨が降っていた。あの時稲穂とお兄さんの久須志さんが助けてくれなかったら私の命はなかった。インターホン越しに人の姿を見る。

「警察の赤根充彦です」

 警察。とっさに三ヶ月前の事を思い出す。

「雨下雫さんのことでお伺いに上がりました」

 ああ、やっぱりろくな事がない。忘れていた、いや忘れていたかった殺されかけた事実。その殺そうとした人は自分が恋人だと信じて疑わなかった雫。でも私の名前を呼び捨てで呼ぶとき照れくさそうにした彼の名前をここで聞くことになるとは。

 玄関を開ける。あの事件以来、チェーンをかけたままのドアは僅かな隙間から優男の警察官の姿を見せる。

「はい……」

「夜分遅くに申し訳ない」

 それを先に言うべきでしょう、と言う言葉を飲み込む。

「単刀直入に聞きます。行方不明の雨下雫さんがどこにいるかご存知ではありませんか?」

 そんなことを聞かれても「知らない」としか答えようがない。そう思った瞬間、今でも雫を信じようとしている自分に腹が立つ。彼は「死んでは誰も守れない」と言っていた、私は彼にとっての人質であったという事実は飲み込めた。それでも許せない、そのはずなのに許したいという両極端の感情の狭間で、未だに私は彷徨っている。

 不機嫌な私の心情が表情に出ていたのかもしれない。その表情を自分への不満と取ったのか、目の前の赤根充彦と言う警官は愛想のよい表情を浮かべている。

「いえ、私は彼を知りませんが事件に巻き込まれている可能性があるんです」

「そうですか」

 私はため息をつく。

「残念ながら私もあの時以来、会ってはいません」

「『あの時』?」

 その言葉に充彦と言う警官は食いついてきた。同時に妙にはっきりとした声が脳内に響く。

 ――――紫藍――――

「……誰?」

「釜蓋さん?」

 ――――紫藍、来てくれないか――――

 その声は優しい兄、仙治の声に聞こえた。戸惑う警官をよそに、その声はどんどん強くなる。

 ――――助けてくれ、紫藍、お願いだ――――

「兄さん……が呼んでる」

 その言葉は意識を溶かすように、一つのことだけを夢想させ、目の前の現実から遠ざける。

「お兄さん……釜蓋仙治さんのことですか?」

 もはや警官の声なんて聞こえない。

「行かなきゃ……呼んでいる」

「ちょっと! 釜蓋紫藍さん!?」

 ――――こっちだ――――

 足が勝手に動く。警官の制止は何故か簡単に振り切れた。

 ――――早く、早く、「 」を止めてくれ――――

「兄……さん」

 いつの間にか駆け足になる自分の脚。

 今走っているのは()しくも雫に斬られかけたあの日、稲穂のお兄さん久須志さんがバイクで送り届けてくれたのと同じ道。それはあの日の再現か、あるいは悪夢の再演か、理解しておくべきだったのかもしれない。

 この日を生涯恨むことになるぐらいなら。



 * * *



「慣れても親しみどころか憎しみも湧かない、って言うのは不思議なものよね」

 茜にとっての『我が家』。血の繋がりもないのに素質だけを買われた茜にとってそれは当然のことだろう。人としての人権はなく、道具のように扱われた『雨下』茜。その雨下家の屋敷は酷く静まり返っていた。

 しかし光景を見る限り、つい先程までは騒がしかったということは容易に想像できる。

 水溜りと血溜りが交互に、血溜りの中心にはもれなく刀を持った雨下家の使用人と雨下家の血を引くものたち。その惨状と言う言葉以外浮かびすらしない現状。日が落ちた上に明かりも無い曇天の下でもはっきりとその様子が見て取れる。

 人の気配は無い。しかし茜は刀を抜いた。

 いつでも攻撃、防御の体制が取れる状態を維持しつつ、すり足で移動する。

 茜は生臭い鉄の香りの中、足音も残さずに移動する。

 茜の視界の隅で影が動き、刀の切っ先をその方向に向ける。

 そこには半分泣きべそをかきながら稲穂が結界による拒絶作用を利用し、治療を施していた。

「稲穂ちゃん?」

 呼びかけにも答えず結界を展開し続ける稲穂。目の前の人間はどう見ても死んでいる。結界術は現実に生まれた奇跡の産物、でも奇跡を起こすことは出来ない。

「稲穂ちゃん、その人はもう……」

「まだ生きてる!」

 そう叫ぶ声は祈りにも似ている悲痛なもの。

「まだ暖かい! こんなに温かい人間が死んでいるはずが無い!」

 そう叫んだ稲穂は大粒の涙をこぼす。

「まだ……いきて……」

 言葉は出なかった。

「……もう、やめなさい」

 茜は毛布でくるむように優しく、しかし強く稲穂を抱き寄せる。周囲に人の死体が溢れているということを忘れるほど暖かく。

「もう、この人は死んでるわ」

「違……」

 かすれ声の稲穂を茜は一段と強く抱きしめる。

「でも良かった、あなたは生きている。無事でよかった」

「茜さ、ん」

「良かった、本当に、良かった」

 堰を切ったように泣き出す稲穂。茜はその姿を昔の記憶に重ねていた。いつも強がっているくせにちょっとしたことですぐに泣いていた稲穂。

「言ったでしょ、私は『お姉さん』だって」

 茜は抱きしめていた稲穂を離し、両手を稲穂の肩に乗せる。

「ここは危険よ、早く逃げて」

 優しい顔から一転、厳しい顔で逃避を促す。

「奴がまた来る前に」

 パシャリ、という水のはねる音。茜は反射的に振り返り、戦闘体制をとる。

 そこにはほとんど廃人のような状態の雫が立っていた。

「雫……?」

 返事は無い、しかし茜は背後で稲穂の表情が強張るような雰囲気を感じ取る。

「……堕ちて(死んで)しまえ」

 一瞬吹きぬけた風が雫の前髪を払う。左の額に見えたホクロが間違いなく目の前にいる人間が雫であるということを証明している。

「雫、大丈夫……!?」

 駆け寄ろうとした茜に突如振るわれた漆黒の刃。子供がよろめきながら振り回す程度の酷い太刀筋。普段の茜なら、かするはずも無いその刃は確かに茜の頬から血を流させた。

堕ちて(死んで)しまえ」

「――――っ!」

 でたらめに『閃黒』を振り回している雫。それを何も出来ず茜はかわし続ける。

「――――なんか――――だほう、がいいんだ」

 空ろな目で、よろめく足で狂気を振り回す雫。呟きも途切れ途切れで良く聞き取れない。

 まるで刀に遊ばれているように前進する雫と何もできず後退する茜。

 茜は刀を抜いてはいるもののその刀は防御にしか使えていない。

「もうやめてぇー!」

 稲穂の叫び声に微かに体をピクリと震わせる雫。瞬間雫の体が止まり、まるで全身の筋肉が痙攣を起こしているかのように震えだす。手からは『妖刀・閃黒』と袖の袂に隠し持っていたのか、『霊刀・白雪』がぬかるんだ地面に力なくおちる。

「がああぁぁ!」

 雫は獣のような叫び声をあげながら両手で頭を抑え、うずくまる。

「クルシイ・ニクイ・オカシイ・シニタイ・イキタイ」

 その声は雫の声だけではなかった。多くの声が雫のたった一つの口から重なって響き渡る。

「雫、まさか……」

「その、まさかよ」

「っ……!?」

 茜が後ろに振り返ると立っていたのは『雫』の姿をした空身。

「何人も何人も受け入れたのに私だけ弾かれたのには納得していないのだけれどもね」

 その空身は言葉に反し愉悦に満ちた表情で語っている。

「彼は愛したがっていた。誰に対しても」

 雨はやんでいたはずなのにまた、ポツリポツリと降り出している。

「私は愛されたかった。たった一人から」

 パシャリ、と水のはねる音。

「彼は憎んでいた。自分自身を、全てを」

 スラリ、と刀を抜く音。

「私は彼のために……彼が憎まなくてもよくなるように……」

 空身は全身の『バネ』をためる。

「彼の代わりに復讐しているのよ!」

 空身の全身の力が爆発する。大砲を思わせる斬撃を茜は『朧霞』で受け流す。

 茜を狙ったその空身は茜のはるか後方、ぬかるんだ地面の上を滑り、不気味に口の端を吊り上げる。

 空身の瞳が紅に染まる。周囲の建物、いや雨粒も含めて物質全てが振動を起こしている。稲穂の顔は青ざめ、膝が笑い、足腰が立たないほど震えている。

「視界内の生命、物質全てのものに恐怖を与える……魔眼?」

 自分に影響が無いのを不思議に思う茜をよそに、不敵に笑った空身は茜と稲穂と雫を取り囲む円形を描くようにゆっくりと移動する。

 周囲の木々、空から大地に落ちる雨粒、庭の石が逃げ場の無い恐怖の振動が共振現象を起こし、粉々に砕ける。

 瞬間、加速する空身。

 ぬかるんだ地面から水しぶきと跳ね上がるほどの高速で移動する。

 空身本体が視界に入らない程の超高速移動。

 突如茜の背後に突進する水しぶきが円を真っ二つに裂く。

 キィンと音を立てる刀が削りあい、紫色の雷光が走った錯覚に陥る。

 空身はそのまま茜の前方に地面を滑りながら着地する。

「――――速いだけね」

「――――それはどうかしら?」

 再び水しぶきのサークルが生まれる。

 茜は全く動かず瞳を正面にすえたまま刀を正面に構える。

 今度は茜の正面から突っ込んでくる水しぶき。

「動きがいちいち大きすぎるの……よ!」

 刀が空身の胴体を深々と捉える。

 人間なら致命的な一撃。それは空身にもいえること。

 空身は茜の体を跳び越え、大地に横向きに転がっていく。

「ふふ……」

「死を目前にして気でも狂った?」

 この期に及んで笑みを浮かべる空身に悲しみと憎しみがない交ぜになった奇妙な感覚を覚える。

 その空身に背を向け、未だに苦しんでいる雫を助けようと茜は振り返る。この状態なら助ける方法はもう決まっている、とでも言わんばかりに真っ直ぐと歩みを進める。

「茜さん! 後ろ――――!」

 稲穂の泣きそうな、それでいて悲鳴に似た必死な声。

 ゾブ、というどこか鈍い音。

 何故か止まった茜の歩み。

 気がつけば茜の胸から漆黒の刃が『生えて』いた。

「――――え?」

 あまりに唐突な出来事に茜は一瞬、何がなんだかわからないといった表情を浮かべる。茜の視界の隅には今にも死にそうな空身が不敵な笑みを浮かべている。

「速いだけじゃないでしょう?」

 ――――ゴボッ――――

 茜の口から血が溢れ、茜はそのままぬかるんだ地面に横向きに倒れる。

「茜さん……茜さん!」

 稲穂が茜に駆け寄り治療を施そうとするが、即死しなかった事が奇跡のような致命傷、どうすることも出来無い。

「ああ……そういえば『閃黒』は持ち主の意志で自由に動かすことも出来た、っけ……失念して……た…のは……私の」

「茜さん、喋らないで! 傷口が……」

 茜は弱々しく稲穂に微笑む。

「もう、私は助からない」

 力を振り絞るように地面を這う。

「でも……それで、雫は助かる」

 呼吸も荒く、それでもうずくまる雫の元に向かってしっかりと這い続ける。

「雫は空身、のいろんな意志、その方向性がバラバラで意識、が混濁、している」

 自分に言い聞かせているのか稲穂に話しかけているのか、傍から見たら区別がつかない。

「なら、その空身たちの意志を、思い、を一つに集約すればいい、私にはそれができ……る!」

 熱病にうなされたように呟く茜の額には玉のような脂汗が浮かんでいる。

 雫の元にたどり着いた茜は最後の力といわんばかりに体を起こし、うずくまった雫の頭を優しく撫でる。

「雫はもう苦しまなくていいわ、あなたは私が――――」

 雫を優しく抱き寄せた茜はとても安らかな顔で眼を閉じる。



 ―――― ずっと 護るから ――――



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