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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第六章『墜憶時雨』
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4.長雨

 桜色の和服、それはとても目立つ格好だ。しかし(はた)から見ると目立っているのはその和服の所為ではないことは明白だ。その綺麗な和服が崩れかかったのも気にせず、必死に街中を駆けずり回る女性を見たら「何事か」と目を向けるのは自然な流れだろう。

 雨下茜は息を切らし、動きの鈍くなる全身の筋肉に鞭打ち走り続けていた。必死に、懸命に雫を探していた。もう心当たりは探したのか、闇雲に街中を駆けめぐる。

「雫……」

 しかし途切れることなく無酸素運動を続けていた体は言うことを聞かなくなり、茜はついに街から少し外れた公園で立ち止まる。両膝に手をつき、呼吸は途切れ途切れ。そこでようやく気がついた自分の身なりを正す。右手に持った長い布包みに隠した霊刀を自分の体に寄りかからせた。はだけすぎた胸元、ずれた帯を整える。

 整え終え刀を手にするが早いか、悲鳴が聞こえる。

 反射的に走り出した茜は両頬に手を当て、固まったままの女性の姿を目にする。

「……っ!」

 その「固まっていた」は喩えなどではなく、文字通り死後硬直を始めた胴体で真っ二つの女性の体。叫び声を上げた状態で殺されたということが素人目にもわかる。

 そして茜は仮にも退魔師として人の生き死に関わった人間。この状況がつい先程生まれたとことを考えるまでもなく布包みをいつでも解ける状態に整えた。

 血の滴った点を辿っていく。徐々に点の数が少なくなることがあの女性を殺した人間に近づいていることを示している。高まる緊張はポツリポツリと降り出した雨を凍りつかせるほど冷たく張り詰めている。

 茜は曲がり角を曲がる前に垣根の陰に隠れ、様子を伺う。

 茜は目を見開いた

 そこにいたのは髪が長くなっても、身なりがどれほど薄汚くなろうとも、決して見間違うはずのない愛しい人の姿。

「雫!」

 茜は先程までの緊張すら忘れ、その人の下へ駆け寄る。

 その『雫』はゆっくりと口元が見える程度だけ振り返り

「しず……く?」

 違和感を覚えたように立ち止まった茜の声に『それ』は口元を大きく吊り上げ

「なっ!?」

『それ』は漆黒の刃を抜く。

 茜は反射的に布包みから刀を手に取り、斬撃を弾いた。

 湿った空気に響く金属同士の短い衝突音は雨粒に吸収されてゆく。

「あははっ!」

 狂気の笑い声を乗せ繰り返される斬撃。茜は戸惑い、後退しつつ手にした霊刀で弾き続ける。

 袈裟、逆袈裟、薙ぎ払いと繰り返される刀の軌道。

 下がり続ける防戦一方の茜。

 茜の背中が電柱にあたる、逃げ場を失った茜に狂気を孕んだ高笑いと共に『雫』が刀を振り下ろす。

 茜はその刀を鍔で受け止める。

 茜は一瞬目を見開き、即座にその『雫』を睨みつける。

「あなた、何者?」

 すっと氷のような目線で睨みつける。

「何言っているの? 『雫』だよ?」

「嘘ね」

 茜は鍔ごと『それ』を押し返す。

「雫の瞳は黒よ、あんたみたいに赤くないし、それに……」

 すっと一瞬刀を押し戻す力を抜く

「額の左にホクロがあるのよ!」

 そして茜は抜いたところに強く力を入れ弾き飛ばす。

『それ』は一寸よろめく。

 そこに茜は『それ』に歩み寄りつつ、淡々と刀を振るう。その様はさながら阿修羅の行進。『それ』は始めこそ刀で受けていた。しかし満月を幻想させるほど美しい斬撃が徐々に速度と重量を増すたび、表情が険しくなる。

『それ』は四十五回目の斬撃で刀を弾かれ、切り返しの四十六回目に峰でわき腹に衝撃を受け軽い浮遊の後アスファルトの地面に叩き付けられた。

「何か言い残すことはある?」

 茜は『それ』に刀の切っ先を向け、氷のように言い放つ。

「はは……殺すつもり?」

「当たり前でしょ、人殺しの辿る末路はそんなものよ」

『それ』は茜の言葉に笑いを噛み殺す。

「理由は違うくせに、『大好きな雫を汚された』とでも思ったんじゃないか?」

 ピクリと震えた切っ先。その刀の切っ先を『それ』は素手で掴み、その手から血が滴る。茜は「しまった」という表情を見せ、刀を引き抜こうとするが『それ』はさらに強く掴んでくる。

「違う!」

「違・わ・な・い・だ・ろ・う?」

 握り締めるように強くつかまれた刀から『それ』の血がさらに滴る。

「そうだろう? なあ?」

「……っ!」

 茜の視界に入ったのは弾き飛ばしたはずの漆黒の刀が自分にめがけて飛来する様。<

 助かるためには刀を放す以外にない。しかしもし、この霊刀をこんな奴に渡したら、と思った思考がその選択を躊躇させる。

 そしてその躊躇が致命的だということも同時に理解できていた。



「封・固・結!」

 突如響いた声と共にその刀が空中で静止する。

「さっさとそいつから離れろ、茜! 加減できないぞ!」

 予想外の事態に動揺した『それ』は刀を握る力をほんの一瞬緩めた。茜はその僅かな隙を見逃さず、刀を引き抜き、大きく後方に飛びのく。

「崩……爆・封!」

 刹那、透明な球体でもあるのかと思うほど雨粒が球状に弾かれる。

 重く腹のそこに響くズシンと響く爆砕音と共に粉塵が舞う。

「久須志!?」

「気を抜くな、まだ来るぞ!」

 粉塵が晴れる。そこには血まみれの『それ』が立っていた。

「……二対一じゃ分が悪いわね」

『それ』はそう言い残し大きく夜空に跳躍し消える。

「待ちなさい!」

 茜は叫び後を追おうと一歩前に踏み出した瞬間、めまいに襲われる。

「あ……れ……?」

「茜!」

 体がぐらりと傾いでいく。久須志の呼びかける声が茜の耳に届くが早いか、茜はその場で意識を失った。



 茜が目を開いて最初に見えたのは見覚えのない、やけに派手なピンク色をした天井だった。自分が寝ているベッドも見れば普通の形ではない上に、やけに甘ったるい色をしている。どうやらしばらくの間完全に眠っていたみたいだ。最近寝ていなかった反動が襲ったのか、あるいは走り続けたことが原因なのか、はたまたその両方が混じったのか、体が完全に悲鳴を上げていたようだ。

「お、気がついたか? しかし驚いた、空身の気配を追ってきたら茜がいる上に闘っているし、その挙句にはぶっ倒れるとはね」

 茜は呑気に言い放った久須志を睨みつける。ここがどういうところなのかははっきりと予想がつく。

「……ラブホテルに連れ込むなんてどういうつもり?」

 久須志は居心地が悪そうに肩をすくめる。

「しょうがないだろ、俺もお前も何故か追われる身だ」

 久須志はペットボトル入りのミネラルウォーターを茜に投げ渡す。

「安全に休むなら、プライバシー保護のために身元の確認をしないここが丁度良かった、ってことなのさ」

 茜は「長居は出来ないけどな」とため息をつく久須志を見る。改めて久須志の機転のよさを実感するとは思わなかった。しかし少し冷静になった後、『追われる身』と言う言葉が引っかかる。

「追われる身って?」

 久須志の目がすっと細くなる。

「お前は封印庫からその刀を盗み、その際、警備の二人を殺害したということになっている」

 久須志は一息置き、一瞬で印をきる。結界の詠唱破棄。瞬時、茜の両腕に出来た結界は身動きを奪っていた。

「単刀直入に聞く、その刀は封印庫にあったものだな?」

 茜は久須志の鋭い視線から逃れることは出来なかった。

「もう一つ、本当に警備の人間を殺したのか?」

「……それは違うわ」

 茜は言い逃れすることは出来ないと直感で感じていた。それゆえに事実だけを伝える。

「確かに私は雫をアラミの社から解放したくて封印庫を襲撃し、この刀を奪った。でも私は誰も殺していない。気絶はさせたけど、殺してはいない」

 一気に、しかし言葉を区切りはっきりと告げる。

「……本当だな?」

「本当よ」

 にらみ合う二人。本来男女が愛し合うはずの空間に殺伐とした空気が満ち溢れる。

 ため息をついた久須志は指を鳴らす。同時に茜の両腕の自由を奪っていた結界が解ける。

「わかった、信じるよ。嘘をついてないみたいだしな」

 和やかな笑顔になった久須志は茜の持つ刀を指差す。

「折角だ、その『重要機密複数』の片割れとやらを見せてもらってもいいか?」

 茜は『複数の片割れ』に首を傾げつつ頷き、布包みを手渡す。

 その布包みを開いた久須志の表情が固まった。

「なんてこった、こりゃあ確かに隠密部隊が血眼になるわけだ」

 額に手を当てた久須志は呆れたような、それでいて感心したような微妙な表情を見せる。

「よりにもよって朧霞(おぼろがすみ)を盗みやがったのか、茜」

「朧霞?」

「妖術や空身、結界及び超常現象と目される物事、この世の理……有体(ありてい)に言えば『一般の常識』から外れたものを無効にする『魔殺しの霊刀』」

 今度は茜が驚く番だった。まさかそれほどの刀だったとは思いもよらなかったのだ。

 しかし驚くのはまだ早かった、と言うことを痛感することになる。

「これならあの空身が奪った妖刀、『閃黒』に渡り合えたのも頷ける」

 妖刀『閃黒』。これは茜もよく知っている。「この世に存在する物全てを斬る」ことができる『殺し』の刀。

 初めて『準』退魔師として認められ初めて持たされた妖刀がまさにその『閃黒』だったのだ。茜はその一対の妖刀に拒絶され手のひらを傷だらけにされた挙句、三日三晩、呪いによる熱病で寝込んだ記憶がある。しかしそこで茜は難しい顔をする。

「でも、閃黒はあんなに長くはなかったはずよ」

 本当に閃黒だったのなら手にした事のある茜は気がつかないはずがない。仮に茜が自分の手にした刀が霊刀『朧霞』だと知っておらず、『閃黒』の特性が『朧霞』の前に通用しなかったことを差し引いても、あの禍々しい黒い『短刀』を見紛うはずがない。

「……閃黒は心の闇に呼応してその刀身を伸長させる、あの空身はより闇が深かった、ただそれだけだろう」

「何か隠しているわね、久須志」

 一拍置いて鋭い目つきをした茜に、話を終わらせようとした久須志は黙り込む。

「閃黒が『一対』であることと何か関係があるんじゃないの?」

 久須志は辛そうな表情を浮かべるが、それでもまだ黙り込んだまま。

「それとも、あの空身が雫の姿を模していたことに関係があるの?」

 久須志の辛そうな表情は、苦しそうな表情へと変化する。兄妹して隠し事が苦手なことは良く知っていたが、これほどまでに露骨に表情に出ていると流石に気が引ける。

「やっぱり言いたくないなら無理して……」

「ある」

 久須志は迷いを断ち切るかのごとく目をつむり、キッパリと答える。

「はっきり言っておこう。間違いなく雫は閃黒の片割れに『気に入られた』」

 窓ガラスを打つ小さな雨音が微かに聞こえる。

「あの空身は間違いなく雫に閃黒の片割れを渡した」

「それと雫の姿をした空身、何の関係があるかと聞いているのよ」

 雨足が強くなり、雨音が強くなる。

 久須志はぎゅっと下唇を噛み、目をつむる。

「ここから先はあくまでも想像だが……」

 窓の外で雷の閃光

「おそらくあの空身は雫の人格と生命を、閃黒を通して吸い上げている」

 一拍遅れてやってきた雷鳴

「その結果としてあの空身は……」

 茜は久須志が言い終わる前に目にも止まらぬ速さで腰掛けたベッドから立ち上がる。同時に久須志に手渡していた朧霞を奪い取るように手に取り、ドアに向かって駆ける。

「落ち着けよ、茜」

「急がないと雫が危ないじゃない! 何をそんなに悠長に構えているのよ!」

 蒼い閃光と雷鳴がほぼ同時に訪れる。

「下手に雫に近づくことは出来ない」

「何故よ!」

 久須志は叫んだ茜にぞっとするほど冷たい眼を向ける。

「あの空身は雫に近づいたものを斬り、雫に関連する人間、雨下家の者を焼いている」

「なら、なおさら犠牲が出る前に!」

「これだけ言ってもまだわからないのか!」

 茜は久須志の激昂した声を聞き、動きを止めた。久須志は右手でその茜の胸倉を掴み、自分のほうに引き寄せる。

「お前はあいつに狙われているんだ! そんな奴が街中をうろついたらどうなるかわからないのか!? 何より俺は……」

 再びの雷鳴が照明も必要ないほど明るく、室内の全貌を照らし出した。

「俺はお前のことが心配なんだよ!」

「なんだ、そんなことで怒っていたの?」

 クスリと笑った茜に久須志は絶句する。

「それを先に言いなさいよ。簡単にあの空身を片付け、そして雫も救える簡単な方法があるじゃない」

「まさかお前……っ!」

 久須志の体は一瞬の衝撃と共に崩れ落ちる。

「あ、か、ね……ま、て」

 鳩尾を抱え、くの字に体を折り曲げる。久須志は餌をねだる鯉のように口を開いたり閉じたりしながら、絶え絶えに言葉を搾り出す。

「たぶん、これが最期、だから……」

 茜は扉を開け振り返らずに、一瞬天を仰ぐように顔を上に向け呟く。

「さようなら、ありがとう」

 部屋の扉は空気を叩く乾いた音を残響と久須志をその場に残す。茜の戻る場所を奪うように。

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