表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第六章『墜憶時雨』
33/58

2.雷鳴

 茜はいつも重い足取りで歩いていた筈の裏山の森の中を駆けていた。左手には鞘に入った刀、ただ雫を助けたい、その意識が今まで空身を閉じ込めてきた苦難や罪悪感などを全て覆い隠していたのかもしれない。

 茜は封印庫を襲撃する際、もしものときのことを考え暗剣を用意していた。しかし実際にはそんなものを使うまでも無く、簡単に気絶させることが出来てしまった以上、茜は警備が薄かったことを感謝するべきかもしれない。

 そして封印庫内に入った途端、感じた静謐で、かつ圧倒的な霊力が溢れ出す一メートル半の封印の施されている箱に出会った。

 あの時茜は思わず息を呑んだ。その音が封印庫内にこだまするような錯覚に陥るほど、大きく、息を呑んでいた。

 その箱に静かに触れ、開く。

 中から現れたのは一振りの刀。

 刃と峰の境目が直線に隔てられた直刃の刀。もともと切れ味を追求した刀は直刃になる傾向がある。しかし茜は、この刀には直刃でありながら『斬る』と言う意志を全く受けず、むしろ『退ける』あるいは『弾く』という想いを感じた。

 茜はその刀を手に取り目の前の虫を払うように軽く振る。しかしたったそれだけの行為でこの刀に大きな可能性を見出すことになる。刀は封印庫内の全ての結界を、まるで豆腐でも相手にするように容易く切り刻んだ。

 そしてその刀はいま、茜の手の中にある。結界の張り巡らされた、雫の囚われているアラミの社を覆う山の木々の間を、茜はうねる風の様に駆け抜ける。

 そろそろ結界が張られている場所に到達する。

 茜は刀の柄に手をかけ、鯉口を切り、刀を抜く体勢に入ったまま駆けぬける。

 しかし、茜の足はふと止まる。

「結界が……ない?」

 幾重にも張り巡らされているはずの結界が全くないのである。

 茜にとっては願ってもいないはずの状況なのに、何故か心臓の鼓動が早くなる。

 その早くなった鼓動のまま、茜は駆け出した。今まで牛歩の如く進んでいたアラミの社までの道を、恐ろしく短く感じるほどに速く走った

 既に結界を切る必要性は無いのに、いつでも抜刀できる体勢のままほんの十数秒走ったところで、木々の合間からアラミの社が見えてくる。


 はずだった


 木々の合間から見えたのは煙、そしてその木々の合間を抜けた茜が目にしたのは崩壊したアラミの社。

「何、よ、これ……」

 空身の気配は全く無い。社が壊れてしまい、逃げ出したのだろう。

 だが茜の思考にはそんなことはかけらも浮かぶことは無かった。

「雫! 何処にいるの!?」

 返事など無い、ここには人の気配など微塵もなかった。脳裏をよぎるのは最悪の結果(雫の死)

「雫、しずく!」

 叫びながら刀を放り投げ、その手で社の残骸を手で掻き分け、投げ捨て、取り除く。

 桜色の和服には泥がつき、長い艶やかな髪の毛は砂埃にまみれ、陶器のように白い肌は傷がつき真っ黒に染まっていった。

 瓦礫に覆われていた場所が地面をさらすまで、とにかく茜は掻き分け続けていた

 しかし雫はおろか、もともと生き物の気配の無かった場所、結局茜のしたことはただ瓦礫を散らかしただけだった。

「ここには……いない?」

 茜は一人呟くと安心したのか、拍子抜けしたのか、その場にへたり込む。

「よかった……」

 その安堵と共に遥か彼方で雷鳴が轟いた。




「おーい、赤根警部補はいるか?」

「いますよここに」

 紙コップに入ったコーヒーを二つ持ち、少し不機嫌そうに一方のコップを置く。

「やっぱり苗字は嫌か?」

「それを解ってていったんですか? 厳島(いつくしま)警部?」

 解っているなら言うな、と赤根充彦は不満を隠そうともせずに厳島玄道(げんどう)を睨みつける。

 しかしその目線はすぐに散らばった厳島警部のデスクに向けられる。

「……また、ですか」

「これで三件目、だな。一体この犯人は何を考えているんだかな」

 厳島警部のデスクにあった資料は、二日前から発生している連続放火殺人事件のものだった。

 たった二日で連続殺人と断定するにはおかしい、と言う人間も多数いたが現場の状況を見る限り、誰もがその反論を喉で飲み込む。

 それは『放火』であることには間違いない。そのうえ被害者が『爆死』していると言う点で完全に一致していたのだ。

 原因は家屋のそのものの爆発。それが現場から検死官が導き出した答だった。

 それだけでも奇妙なことだというのに現場には爆発物が一切ない上に、そして燃える原因の物質、ガソリンや灯油などの痕跡すらなかった、と言うことだ。

「この件に関して、わざわざ本庁のお偉い方々が出張ってきやがった。何かくさいと思わないか?」

 にやりと笑う厳島に赤根充彦はため息をつく代わりにコーヒーを口に含む。

「くさいも何も、産廃置き場に匹敵するぐらい臭くてかつ、危険な香りがしますね」

 厳島はデスクの湯気を上げるコーヒーを気にも留めず、突如、表情を険しい顔に一変させる。

「このヤマで俺は引退するつもりだった。だが、こんな釈然としない終わり方じゃ退くにひけねぇ。赤根、いや充彦……」

「はい、御供させていただきますよ」

 厳島はデスクの椅子から立ち上がる。彼はそのまま、ため息をつく充彦の肩を岩のように厳つい手で叩いた。

「恩に着る」

「勘違いしないでくださいよ? あなたが暴走しすぎないように監視するつもりなんですから」

 充彦は呆れつつ、口元には笑みを浮かべている。

「いくぞ、まずはこの事件が起こる前にこの街で失踪、未発見の人間の捜索からだ」

「了解、まずは雨下家の直系の息子さんですね」

 椅子の背にかけられたこげ茶色のコートを手に取り、羽織る。季節は木々の葉が色づき、散るまでを華やかに飾る準備を始めるとき。それでも夜は例年に無いほど冬のように寒い

「聞き込みをして雨下雫の行方を徹底的に追うぞ」

「了解しました、警部殿」

 誰もいないデスクの群れに闇の帳が落ちる。



 * * *



 ここはどこだ?

 水の流れる音が聞こえる。

 ここはどこだ?

 月明かりの届かない橋の下。

 そっと目を開ける。姉さんにもらった藍染の和服は薄汚く汚れ、濡れていた。

 突如はしる頭痛。

 いや『突如』じゃない、アラミの社に入れられてからずっと続いている。痛みに強弱の波があるだけだ。

「――――っ!」

 たまらず、うずくまる。

 多くの人の思いを感じ

 多くの人の狂気に触れ

 多くの人の憎悪を受けた

 今ではそれが自分の体の中で意思を持ち、俺を蝕む。

 そもそもこの体が「雨下雫」のものであるのかさえ怪しい。

 意志が混然とし、意識は蒙昧(もうまい)

 正気を保つことそのものが狂気に感じるほどの目眩(めまい)が襲う。

 理性を保つ余裕も無ければ、本能に従う猶予も無い

「――――?」

 何か「三本の群れ」がよってくる。声を発するそれはなにかに駆られている。

 ゆらりユラリとよってくるその三本の群れはあまりにも声と同様に薄く、灼熱の大地から立ち上る陽炎のように揺れていた。紙のような「ソレ」から手が伸び、俺の肩に触れる。

 流れ込む卑しい(いやしい)感情

 それはまた「雨下雫」の身体に意志となって飲み込まれる。

「――――っぁ!」

 激痛。

 ほとんど声なんて出ない。気が付けば三本あった群れは二本になり足元には赤い水たまりが出来ていた。

 困惑と恐怖が綯い交ぜ(ないまぜ)になったその声はとても耳障りで、でも聞こえなくなったと思ったら群れは消え、赤い水たまりがさらに大きくなっていた。

「――――は、は……」

 いつの間にか「雨下雫」の手に握られていた短い漆黒の刀から滴る水は赤い水たまりを少しずつ広げている。

 ああ、なんでこんなに簡単なことに気が付かなかったんだろう。

 正気を保つことが狂気なら、堕ちたって大差ない

 ユラリと動いた足がパシャリと音を立てる。

 飛び散った水は花が開くように扇状に広がり、門出を祝う。

「――――て」

 自分の声すら聞こえない

 何も感じない

 それでも足は無意識に進む。

 ゆらりユラリと歩く様は狂気にかられた亡霊の行進。

堕ちて(死んで)しまえ」



 * * *


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ