5.真澄
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風邪をひいたのか全身がだるく、熱もある僕は自分の部屋で横になっていた。平屋の一軒家には僕以外はいない。このときが安らげる時間の一つであり、そして恐怖におびえる時間でもある。
その矛盾した時は何かを叩きつけるような大きな音によって、消え去った。僕の全身が硬直する。
「真澄! おらぁ、とっとと出て来いやぁ!」
僕は部屋のドアの隙間から大きな音のした玄関のほうを向く。父親の範正は、屋台のちょうちんのように顔を真っ赤にして、帰ってきたところだった。僕の父親は御世辞にも紳士的な人間とは言えない。乱暴で、粗野で、酒癖が悪く、酔うとすぐに暴力を振るう。この状況だと対象は間違いなく僕だ。
部屋から出たくない、そんなわがままが許されるはずもなく、僕は言うことを聞かない身体と心に鞭打ち部屋からでる。
「お帰りなさい、父さん」
その瞬間に顔面を殴られ、僕は床に倒れた。擦り切れた畳の棘が頬に痛い、それでも殴られたときの痛みは感じないことにした。鏡となった窓ガラスはやつれ、真っ白になっている自分の顔を映し出す。小さい頃は「男なんか産みやがって!」と母親が殴られた。
絶えず続く暴力に耐え、僕を守ってくれていた母親は、交通事故で先に逝ってしまった。僕が女だったのならこんなことにはならなかったのかもしれない、そう思ったことさえある。
昔なら泣き喚いていたけれど、抵抗すると長引くだけと知った今では黙って受け入れている。もっとも、黙って暴力を受け入れる気が無かったとしても、今の僕には抵抗する元気も無いのだけれど。
今度はわき腹を蹴られるいつも以上に強かった所為か口から真っ赤な血がとぶ。
殴られる
唇が切れる
蹴られる
腕が痛む
殴られる
何も食べていない腹は胃液をはく
蹴られる
骨がきしむ
蹴られる
もう考えるのも、感じるのとうの昔にやめた。いつもこの時間が早く終わることを願うばかりだった。
父親が何か茶色いものを振り上げているのが見える。あれはビール瓶かな、ともう間もなくそれは振り下ろされる。その動線上には僕の頭。
僕は眼を閉じる。
最期に彼女に会いたかったな。
派手な破砕音が夜の空に響き渡っていく。
祈りを伝えるように
でもそれは間違いなく僕にとっては絶望の音だった
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