3.月の姫
雫たちのなけなしの所持金ではハンバーガー一個ぐらいしか買う余裕は無かった、それでも金髪の女性は正面で見ている雫と稲穂がうらやむほど美味しそうに食べている。
「本当に助かりました! ありがとうございます」
本当ににこやかな表情を浮かべる彼女に対し、取り敢えずこれからのことで頭を悩ませている雫はため息をつく。明日の朝のことも考えると、一食二百円前後で充彦がこの鞠池市に到着する翌日の昼まで待たなくてはならない。
「何かお困りでしたら、私の出来る範囲内で何とかいたしますよ?」
「じゃあ、何処か泊まる場所は無い? ちょっとした理由で今家に帰れなくて」
稲穂は冗談交じりで、しかし半ば強い期待を込めたまなざしで彼女を見る。
「なら私たちの家に来ませんか? すぐ近くだしきっとみんな歓迎してくれるわ!」
稲穂は予期しなかった幸運に小さくガッツポーズを決め、雫のほうを向く。しかし雫は疑いのまなざしを彼女に向けた。
「なら何故、あんなところで行き倒れていたんだ?」
「そ……それは……」
彼女は一人で「恥ずかしいなぁ」とか、「信じてもらえないだろうなぁ」などと呟きながら顎に手を添えている。その間雫はそんな彼女をずっと睨み続けていた。
ようやく決心が付いたのか、彼女は二人を手招きする。そしてちょっと前の行き倒れに戻ったように弱々しい声で囁いた。
「わたし極度の方向音痴なんです、そのうえ携帯電話も御財布も落としちゃって途方にくれてて……」
「――――行き倒れた?」
「はい、恥ずかしながら」
真っ赤になる彼女。
稲穂はどれだけ方向音痴なんだと呆れるが、それでもこの目の前の彼女が今日の寝床を貸してくれる、その事実があるため内心、「妙な人がいる」と思いつつも表面上は苦笑いしている。
しかし雫は険しい表情を崩さない。
「でもここまで来たら流石にもう迷わないですよ! ご案内しますね」
妙に威圧感を放っている雫にせかされていると感じたのか彼女は稲穂の手を取り「こっちですよ!」と小走りに駆け出す。稲穂はそんな彼女に手を引かれ荷物を引きずったままつんのめりそうに駆け出す。
商店街を抜けてすぐ右にあった昼でも薄暗い並木道を、小走りで駆け抜ける彼女と引っ張られるように走る稲穂、そしてその二人に歩きつつも速度は追いついている雫、といった三人が妙な光景を繰り広げていた。
「ほら、ここです!」
彼女は止まって、雫と稲穂の二人を並木道から左にそれた場所に導く。
並木道の先の森の向こうに別次元が広がっていた。
大きな鉄門の向こうにあるその建物は、二階建て。しかしおよそ郊外の都心と呼ばれる鞠池市にはあまりにも似つかわしくない、ヨーロッパの古城を思わせるグレーの建築物。それでいて特別に暗くも無く、所々に施された彫刻などの装飾が絢爛さを引き出している。それは家と言うよりは御屋敷よりの城に近い建物だ。
呆気に取られている稲穂の後ろで雫も眼を剥いている。
「みんな、お客様よ! 御出迎えして」
彼女が両手を二回叩く。すると屋敷から白いシスターのような衣装を身に纏った二人の家政婦が出てきて、スカートの裾をつまみ恭しくお辞儀をする。
「お帰りなさいませ、フィリアお嬢様。いらっしゃいませお客様」
「フィリア……『お嬢様』?」
まだ驚き顔の治っていない稲穂が彼女のほうを向いて呟く。
「申し送れました。わたくし乙藤・フィリアと申します、以後、お見知りおきを」
先ほどまでの弱々しさは彼女ことフィリアには無く、そこにはお嬢様と言うオーラを醸し出している乙藤フィリアと言う女性が、艶やかな金髪を揺らし、淑やかにお辞儀をして立っている。
「こ、こちらこそ! 私はゆう……いえ赤根稲穂です」
「赤根雫だ」
「雫兄さん!」
完全に舞い上がっている稲穂の隣にいる雫は、未だフィリアに対する警戒心を解いていない。それどころかより一層警戒を深めたようにすら見える。
「改めてよろしくお願いしますね、稲穂さん、雫さん。百、合、御二方を客間にお通しして」
フィリアは雫のそんな様子を気にするでもなく、たおやかな笑顔を返し、二人のメイドに指示を出す。
「その必要は無い」
しかし雫はあっさりとその申し出を断った。
「何処の馬の骨とも分からぬ輩を屋敷に入れたら世間の眼が痛いでしょう。そんな迷惑は掛けられません」
雫の言葉は丁寧だが、はっきりと拒絶の意志が汲み取れ、口調には棘がある。
「それではここで、数々の非礼、失礼いたしました」
「え、ちょっと雫!?」
今度はフィリアではなく雫に手を引かれ、稲穂は荷物ごと引きずられるように屋敷から引き離される。
二人のいなくなった屋敷の門の前でフィリアはメイド二人と共にただ、立ち尽くしていた。
「私の家の趣味、特殊すぎたのかしら?」
* * *
「とんでもない奴らだったな」
「ああマジでたらめな奴らだよ」
太陽は地平線に沈み、一つの満ちた月と幾数多の星が空を支配する。そんな世界を何も警戒せず、いかにも遊び人と言った茶髪の三人組が歩いてくる。今日、昼間に出歩いたのは失敗だった。だって夕方に動けなくなるほど体力を使うだなんて普通思いもしない。真澄が言うには月が最も似合う人と言われた。そのせいか、強く輝き続ける太陽の光には耐えられないのかもしれない。
取り敢えず今日の獲物はふらふらと歩いている三人組に決定する。
獲物といっても殺すわけではない、ちょっと傷つけることになるがそれも軽い切り傷程度。本当は私も真澄も他人を傷つけたいなんて思ってもいない、だけど真澄は血液を補給しないとシンデシマウ。一緒に結ばれる、そんな日がいつか来ることを信じて、私は真澄に尽くしたい。
私は電柱の影から道路の真ん中を歩き、目の前の三人組に歩み寄る。
電柱にくくりつけられた無粋な光が私の影をまるで獲物を捕らえた触手のように、伸びていった。
目の前の三人組が息を呑む。
真澄は「君は夜の闇に輝く月だよ」と言っていた
もう店じまいをした、真澄がおいしいと言っていたパン屋さんの窓ガラスが鏡となって私の姿を映し出す。
私は自分の姿をわき目で見た。
首辺りまでの金色の髪は光を受けて輝き、白い服は確かに暗闇の中の光にとても映える。その姿を見た私は自然と笑顔になっていた。
彼のことを考えているととても楽しい
彼に褒められるととても嬉しい
だから彼と共に、永久に共に過ごしたいから今、彼を失いたくない。
「ねえ、御兄さん方」
夜の光に舞う蝶のように妖しげに話しかける。
「何でも望むことを叶えてあげるから、私のお願いを叶えてくださらない?」
三人組に微笑みかける。
すると予想通り下卑な笑いを浮かべ、私に三人が歩み寄ってくる。男なんてこんなものか、と私は心の中でため息をつきながら、それでも金色の両眼で微笑みながら三人に視線を送る。
「俺たちの相手してくれるの、お嬢様?」
「俺たち今寂しくてさ、慰めて欲しいんだよね~」
「ご奉仕してくれるのかい?」
あなた達のような心が下品な奴なんかに私の純潔を渡すわけが無い、と怒りがこみ上げそうになっても、私は出来るだけ柔らかく微笑みを投げかける。
「良い夢、見させてあげるわ」
「うん、思った以上に劣等な血だったな、まともな生活送ってないみたいだし」
私は電柱に寄りかかり一人呟く。
「でも無いよりはあったほうがましかな?」
鏡となっている窓ガラスに映る私の唇はさっき見たときよりも赤く染まっている。その端から赤い線が一筋延びた。
「ああ、もったいない」
人差し指でその筋をすくいあげて赤く染まった指をなめる。
「気をつけなさい、坊やたち」
路上に転がる三人組を一瞥し、囁く。
「夜の月は人の魔性を呼び覚ますの、今の私みたいにね」
昼以上に軽やかに身体が動く。一度、我が家に帰ろうと小走りに駆け、幸せそうに眠る三人組を飛び越える。
飛び越えた三人組の首筋にはそれぞれ二本の赤い筋が見えていた。
* * *




