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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第三章『供花時雨』
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4.雷

 雫の『太刀の儀』当日、稲穂は朝からいつも通りに道場で久須志を投げ飛ばし、汗を流した後のシャワーを浴びた。

 稲穂と久須志は雨下家と昔からの繋がりがあるとは言え、結崎家の人間は立ち入ることが出来ない、そういう盟約が昔から交わされている。しかし稲穂は落ち着かない表情で玄関の下駄箱前で、言ったり来たりを繰り返している。

「なに家の中で不審者やってるんだよ?」

 道場でもう一汗かいてきたのか、タオルを首に巻きつけた久須志が玄関でうろつく稲穂を見て呆れ顔を浮かべる。

「だって気になるんだもん!」

「雫君のことか? それとも紫藍(きらん)ちゃんのことか?」

「……どっちも」

 久須志はいじけたように言う稲穂の顔を見て呆れたようにため息をつく。

「取り敢えず、どっちか選べ、片方なら何とかするから」

「本当!」

 稲穂は満天の星空が瞳に生まれたかのように眼を輝かせたのち、一転して難しい顔になる。稲穂は数十秒ほど悩んだ後、ぼそっと呟く。

「……雫」

「はいよ」

 久須志は予想通りだったとは言え、内心「友達より好きな人を取るのか」と苦笑していた。

「俺の部屋の隣にある物置、あそこから双眼鏡を使えば『太刀の儀』を執り行う部屋を見ることが出来るぞ」

「本当!?」

「嘘言ってどうするんだよ、見つけたのは三日前だけどな」

 久須志は屈託のない笑顔で笑う。

「じゃあ俺はニギミの社に行ってくるよ」

 その言葉を聞いた稲穂は一瞬、石のように固まる

「『何で知っているの?』って顔だな。俺はお前よりも退魔師と関わりが多いんだ、あそこに居るのが紫藍(きらん)ちゃんの兄さんだって事はとっくの昔に知っているよ」

 ため息をつきながら肩をすくめる久須志の態度が「稲穂はまだまだだ」と言っているように見えたのか、稲穂は少し頬を膨らませる。

「結構危ない橋を渡ることになるが、仙治(せんじ)君なら紫藍(きらん)の居場所について何か知っているかもしれない。俺は着替え次第行ってくるよ」

 久須志は後ろ向きに手を振り、風呂場のほうに向かっていった。

 そこからの稲穂の行動は早かった。

 即刻、二階にある久須志の部屋の隣にある物置に向かう。物置の扉を開けると若干かび臭いものの、久須志が掃除したのか埃はほとんど積もっていない。しかもご丁寧なことに明り取りの窓のそばの台に久須志が昔買った双眼鏡と、昔にしまいこんだ古びた椅子がある。

 稲穂は兄の久須志がいい加減なようで居て、意外とまめな性格の持ち主であることを再確認することになった。

 稲穂は記憶の片隅に追いやられた椅子の上に座り、双眼鏡を眼に当てる。確かに久須志の言うとおり、『太刀の儀』を行う『雨簾之間(あめすだれのま)』がはっきりと見える。実際の儀式は午後からなので今から見る必要はないが、久須志についていったらまず間違いなく雫の儀式に間に合わない。

 雫の『太刀の儀式』を見ることが出来ると安心した途端、稲穂は急に睡魔に襲われた。

 昨日は心配で眠ることが出来なかった稲穂の目蓋は鉛のように重く、そのまま窓際の台にもたれかかるようにして眠った。




 稲穂はどれだけ眠ったのか分からない。日の傾き具合も久々に晴れていた空から降り続ける夕立に遮られて分からない。稲穂は眠たい眼を擦り、それでも双眼鏡を両目に当てる。

 稲穂は双眼鏡に当てた眼を細め、一旦離してまた目を擦り、もう一度『雨簾之間』を覗く。

 瞬間、稲穂は双眼鏡から眼がはみ出すのではないかと思うほど眼を見開き、手に持った久須志の双眼鏡を手から取りこぼす。

「嘘……なんで……」

 稲穂のその顔は幽霊でも見たかのように真っ青に染まっていく。

 そこには儀式の剣舞を終えた後なのか、稲穂に背を向けて立つ刀を持った雫と

 縛られた状態で座っている紫藍(きらん)の姿がそこにあった。




 * * *


 俺は自慢のバイクでニギミの社を目指して御霊の山を登る。アラミの社と違ってニギミの社はそれほどデリケートで複雑な結界は存在していないため、乗り物に乗っていくほうが早いのだ。

 雨でぬかるんだ道をものともせずに走りぬく愛車はとても頼もしく、歩いたら一時間は掛かる距離をたったの三十分で駆け抜けた。

 ニギミの社に張られた結界と自分を包むように結界を張った後、もともと張ってあった結界を解く。

 その瞬間、社から何かが飛び出してきたので俺は思わず身構えてしまった。

紫藍(きらん)か!?」

「あー悪いけどハズレだ」

 あからさまに落ち込む目の前の男こそが釜蓋仙治(かまぶたせんじ)紫藍(きらん)ちゃんの兄さんだ。

「俺は結崎久須志だ、始めまして」

 伸ばした手を律儀に握り返すあたり、ただ期待が外れて落ち込んでいただけなんだろう、良くも悪くも表裏が無くて好感がもてる。

「結崎? もしかして稲穂ちゃんの御兄さんか?」

 俺は首をかしげた。

「そうだが、何でお前……じゃなくて仙治君、稲穂を知っているんだ?」

 その疑問に仙治君はじょうろで花に水をやるかの如きのどかさで口を開いた。

紫藍(きらん)を連れてここに来てくれたからだよ」

「ってことは雫君も一緒か……なんて無茶をする」

 俺は二人の無謀さに頭を抱える。いや、三人か。

 これ以上頭を抱える前に、単刀直入に切り出すことにする。

「唐突で悪いが紫藍(きらん)ちゃんが行きそうな場所を教えてくれ、彼女、行方不明なんだ」

 仙治君は眼を見開く。

「なにか心当たりは無いか?」

「いや、ちょっと待ってくれ!」

 仙治君は手で俺の言葉を制する。気は急くが今ここであせってもしょうがない、そうやって割り切ることは昔から得意だ。

紫藍(きらん)が一人でここに来たとき雫君の使いが来ただろ、雫君が知っているはずじゃないのか?」

 ……まて、どういうことだ。雫は誰かを呼ぶとき、人を使うことを極端に嫌がっていたはず。

 いや問題はそこじゃない、雫は紫藍(きらん)がここに来ることを知っていたのか?

「……いつの話だ?」

「日付は分からないけど……多分、五日前の夕暮れ前だ」

 丁度雫の誕生日、そして同時に紫藍(きらん)が居なくなった日。

「どんなやつらだった」

 声が思わず低くなる、頭の中ではさっきからずっと警鐘が鳴り響いている。

「舞台裏で仕事をする黒子……みたいな外見をしてたよ」

 黒子みたいな姿といえば雨下家の分家、鏑葉(かぶらは)家の隠密部隊が真っ先に思い浮かぶ。

 いやな予感がする。

 もし雫たちがここに来たときにその様子を見られていたら

 もし今日の儀式の準備の一環だとしたら

「すまない仙治君、急ぎの用事が出来た。話はまた今度!」

 雫君の命も、紫藍(きらん)ちゃんの命も、稲穂の命も危ない。

 ニギミの社の結界を元通りに張りなおし、仙治君が「おい、どうしたんだ!」と叫ぶ声を無視する。

 一発でエンジンの掛かった愛車は走り出す。しかし急な夕立に地面はぬかるみ、バイクの足を飲み込もうとする。はやる気持ちとは裏腹にバイクは山を登ったときのようには進まない。

「何も起こっていないでくれ、俺の杞憂であってくれ!」

 俺は誰も聞いていないはずなのに大声で叫んでいた。


 * * *



 * * *


 雫の剣舞は素晴らしく、蝋燭の光に照らされた刀の反射光と雫の容姿とがあいまって、妖しく幻想的。もはや芸術の域に達していた。

 右隣に座る祖父も、声には出さないものの少し満足げな表情を浮かべている。

 少し前から降り出した雨もより美しさを引き立てていた、私も刀の稽古をつけたものとしてとても誇らしげになる。祖父は手を二回叩き、その場に居る親類縁者の注目をひきつける。

「皆の者、次の儀でこの者、雨下雫が退魔師に相応しいかを明確にする」

 途端にみな無表情になる。それは恐ろしいほどに。

 胸騒ぎがする。

「例のものを出せ」

 祖父がそういうと、間もなく部屋のふすまが開き『例のもの』が運び込まれてきた。

 目隠しをされ、縄で縛られた女の子

 茶色い頭、短い髪の毛を持つ少しやつれたその少女は雫に

紫藍(きらん)(きらん)!?」

 そう呼ばれていた

 五日前から行方不明だった少女がここに居る、その意味を私は一瞬で理解してしまった。

「おじい様……これはどういうことでしょうか」

 つまりは祖父が誘拐を指示したと言う事。

「儀式には生け贄が付き物だろう?」

 皺だらけの口元が邪悪にゆがむ。周囲の親類縁者を見回すともう見慣れた、とでも言わんとしている様に表情が感じられない。

 私は吐き気がこみ上げてきた。

 そして縛られ身動きの出来ない紫藍(きらん)は雫の前に『差し出される』まさか……

「雫、斬れ」

 信じられないコトバが左から

「想いを断ち切れ」

 向かいの親類から聞こえた声

「心を断ち切れ」

 左斜め向こうの縁者から聞こえるコエ

「そして退魔師として『雨下雫』への未練を断ち切れ」

 誰も彼も狂っている。この狂気染みた人間の渦に目眩を覚える。

「……お断りします」

 唯一はっきりと聞こえた正気の声が私を現実に引き戻した。

「私は人を守りたくて退魔師になろうと思っていました、こんなことは出来ません」

 雫は刀の先を畳に下ろす。

 私はよかった、思うと同時に、これから雫に降りかかるはずの罰を恐れる。祖父の顔が憤怒にゆがむ。

「愚かな……親と同じ道を辿るか!」

「親と……同じ道……?」

 まさか、雫の両親は、私を雫と共に受け入れてくれたあの二人は……

 冷酷な祖父の声が響き渡る。

「雨下雫、退魔師不適格としてアラミの社に幽閉する」

「お待ちください!」

 叫んだ私を親類縁者が鈍い眼光を携えた眼で睨む。

「何もそこまでする必要はありません! 雫は立派に儀式をやり遂げたではありませんか!」

「茜、我らと血の繋がりもないのに生意気な口を聞くな。それに雫は儀式をやり遂げてなどいない。退魔師が自らの思いを断ち切ることも出来ずに、他者の空身(おもい)を断ち切れると思うか? 答は否」

 私は目の前の人間が本当に人間なのか、目を疑いたくなってきた

「そうですか」

 雫の声が一瞬でその場を静まらせる。しかしこの声は本当に雫のものなのだろうか。

「つまり昔からここでは人殺しが行われてきたと?」

 何時ものお調子者であったり、嘘をつくときのよそよそしい感じであったりしていた雫とはあまりにもかけ離れた冷たい声。雫は返事も待たずに続ける。

「そして私の両親、つまりあなたは自分の子供をアラミの社に幽閉し、退魔した(ころした)と?」

 雫の顔は、夕立の所為か急激に暗くなった部屋のなか、ろうそくの光だけではうかがい知ることは出来ない。

 視界の隅で拘束された紫藍(きらん)が動く。今まで薬か何かで眠らされていたのだろう、小さく呻き、目隠しをされたまま周囲を見渡すように動く。

「そしてあなたは自分の子供であるこの雨下雫も殺す、そう言いたいのですか?」

「お前がその目の前の女子(おなご)をあくまでも殺さない、と言うのならば」

「え……?」

 紫藍(きらん)は見えていないのに自分の状況を理解したのだろうか、ゆらゆらと揺れるオレンジ色の炎の光が紫藍(きらん)の恐怖におびえた顔を映し出した。

「助けて! 雫……助けて、お願い!」

 嘆願する声は舌が痙攣しているのかと思うほど震えている。しかし雫はそんな紫藍(きらん)にちらり、と視線を向け、無言でまた祖父に向きなおる。

 雫は一瞬眼をつぶり

「やはり私は先程お断りする、といいましたが」

 次に眼を開いたときには

「死んでは誰も守れませんよね?」

 雫は私が初めて見る無表情な、陶器で出来た人形のように、整っているだけの冷たい顔をしていた。

「雫、まさか……」

 私の心の拠り所(よりどころ)だった温かい太陽は闇に堕ちてしまったのか、雫はまたも無言で、今度は私に背を向ける。

 雫は手に持った刀を上段に構え、一言、「ごめんよ、紫藍(きらん)」と呟いて

 刀を振り下ろした。


 * * *

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