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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第三章『供花時雨』
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3.霧

 稲穂の料理により、人が壊滅的被害を受けた雫の『太刀の儀』は、予定日の十日後に行われることが決定した。それまでの間は普通の中学一年生として過ごすことになる。その間に『水無月』とは名ばかりの六月が訪れる。

 そして儀式を五日後に控えた六月一日。雫が誕生日を迎える日でもあった。

 もっとも、雨下家やその分家はご老体ばかりである上に、雫の誕生日など意に介していない。それに雫を生んだ両親は十年前に突然失踪して以来、音信普通の状態が続いている。

 だから稲穂は久須志、茜、それに少しずつ稲穂と打ち解け始めた紫藍(きらん)と共に雫の誕生日パーティーの準備は進めてきた。今ここに居るのは塾で遅れてくるはずの紫藍を除き、準備に携わった三人。だから今日はただ主役の雫の帰宅を待つだけだった。

 玄関の引き戸が開く音がして、茜が玄関に出迎えに行く。稲穂と久須志はふすまの向こうから来る雫のためにクラッカーを用意する。

 ふすまが右から開く、これは茜さんが決めた雫が来たという合図。

「ハッピーバースデー! 雫!」

 火薬の弾ける音、そして紙のリボンが雫に向かって飛び掛る。雫は一瞬で何があったのか理解したらしく、刹那驚いた表情はすぐに太陽のような笑みに変わる。

「ありがとう、みんな!」

「料理は俺と茜が作ったから安心していいぞ」

 雫の笑みにつられるように久須志は明るい笑顔で返した。

「どういう意味なのかな、兄貴?」

 それに対して久須志の肩を掴んだ稲穂は同じく笑顔だが、背景に立ち上る大気のゆがみがどす黒く見える。

「稲穂ちゃん、折角の祝いの席なんだからそんな顔しないの! さあ、雫、主役は突っ立ってないでみんなで一緒にご馳走食べましょう。折角頑張ったのに冷めちゃうわ」

 親しい仲間との食卓はたとえ料理が冷めていてもとても温かい。稲穂はある程度食べた後、少しだけ席を外し、紫藍と携帯電話で電話をする。

 ――――御掛けになった電話番号は電波の届かないところか……――――

 稲穂は首をかしげる。紫藍は携帯電話の電源を切ることはしない、と言っていた、電池でも切れたのかな、と稲穂は特に気にも留めず、携帯電話を閉じてまた、にぎやかな食卓に戻る。

 食べきれない、と思っていた料理も今は残っていない。どれだけみんなで食べたのか気にするぐらいなら、これからの体重管理に気を配ったほうがいいぐらいに食べた。

「雫、これは俺からのプレゼントだ。なかなかいい代物だぞ」

 久須志はそう言って真っ白な鞘と柄に生える真っ赤な飾り紐が美しい短刀を雫に手渡す。

「すごい……綺麗な刀だね」

 久須志は誇らしげに胸を張り、そして得意げに笑っていた。

「そいつは『白雪』って言う霊刀、名も無き女性の刀匠が霊力を込めて作り上げた一品だ」

 雫は刀を鞘から抜き真っ白な刀身をみる。そこには穢れも無く、確かな力が宿っている。

「力は『繋がりの切断』、つまり関連性や想い、人間関係まで切ろうと思えば切れる刀だ。結構危険な刀だが……雫君、お前なら間違ったことに使わない、そう信じている」

「ありがとう、嬉しいよ。でもさ……」

 雫は複雑な表情を浮かべる。久須志は何が不満だったのかと不思議な顔をしている。

「誕生日プレゼントに刀は無いよ……」

 稲穂と茜は二人してふきだす。

「そうね、確かにそれはいえる」

「兄貴のお馬鹿さん」

 抗議の声を上げている久須志を無視し、稲穂はガラス細工の鳥の置物を、茜は藍染の和服をそれぞれ雫にプレゼントする。雫は二人に「ありがとう」と言ったが少し寂しそうな表情を浮かべる。

「雫?」

 茜がうつむいた雫の顔を覗き込むようにしゃがむ。

「いや、紫藍は来ないのかな、って」

「そういえば遅いね、ちょっと電話してくる」

 縁側に出て電話をかけてみるが電源が入っていないというメッセージが繰り返し流れるだけ。単なる電池切れならいいが、それでもこの時間なら紫藍の塾はとっくに終わって、ここ雨下家についているはず。稲穂は一瞬、日付を勘違いしているのかとも思ったがこれほど分かりやすい日を間違えることは無いだろう。

 途端に心に暗雲が立ち込める。

 稲穂は震える指先で釜蓋家の電話番号を押す。

「――――もしもし!」

 一回のコールで待ち構えていたかのように、母親らしき人物の声が耳に響く。いやな予感がさらに増した。

 稲穂の心臓が緊張で飛び出そうなほど脈打つ、茜に久須志、それに雫が何事かと縁側に出てきた。

「まさか」

 受話器の向こうの女性と稲穂の声が重なる

「そっちに居ないんですか!?」



 あのときの予感は当たらないで欲しかった、稲穂はそう切に願うも、いやな予感は的中してしまった。

 紫藍(きらん)は行き先がつかめず、雫の誕生日から三日たった今も学校に来ないばかりか家にも帰っていないらしい。警察も流石に本腰を入れているのか、雨下、結崎家の両家共に連日、聞き込み調査を受けた。

 雫は眼に見えるように落ち込み、紫藍のことをずっと心配している。茜はそんな弟の姿を見て常に悲しそうな顔をしていた。稲穂も何処か胸の中身が欠けていなくなったような喪失感を抱いていた。久須志は相変わらずの調子だったが、何とか暗い空気を明るくしようと無理しているところがよく分かる。

 この三日間、分かった事と言えば、雫が本気で紫藍のことが好きだということぐらい。

 それでも雫の周りの人間は二日後に控えた『太刀の儀』の準備にいそしんでいる。

 その所為か祭具が多くおかれている土蔵には、儀式の準備をする人間以外は入れない、と言う徹底振り。確かに先代の退魔師、雫の両親が行方不明になってから正式な退魔師は生まれていない。いやでも期待も高ぶるだろうし、同時に失敗は許されないという気概が感じられる。

 あっという間にこの二日間も過ぎるのだろう。

 稲穂は雫が退魔師になると言う事実と、紫藍がいないと言う事実に不安がよぎる。よく分からない何かが裏で甘いものに群がる蟻の大群のようにうごめいている気がしてならない。

 しかし、稲穂はどうしようも出来ない。

 稲穂に何か出来るとしたら、居るかも分からない神様に無事を祈るということぐらいだった。ただ祈るだけで当人は少なからず救われる、ただし他者が救われることはない、そんな無益な行為が稲穂は嫌いだった。それでも稲穂は祈らずにいられなかった。

「どうか紫藍が無事でありますように」

 友の無事を

「どうか雫の儀式が上手く運びますように」

 想い人の成功を

 窓の外ではしとしとと雨が降っている。



 * * *



「だめね、今日はここでおしまい」

 私は何の変哲も無い真剣を鞘にしまう。雨下家の道場で雫の刀の稽古に付き合っていたものの、雫の集中力は散漫でこのままだと大怪我をしかねない。

「茜姉さん! 大丈夫です、まだ……」

「気を紛らわせたいなら他のことをしなさい。刀は肉体ではなく精神で振るう、そう教えたはずよ」

 私がきつく言うと刀を構えたまま雫は黙り込んでしまった。どうやら紫藍(きらん)が行方不明であることで、相当気を病んでいるらしい。雫は乾いた笑いを浮かべ刀を鞘に納める。

「まったく、茜姉さんには隠し事は出来ないな」

「雫は分かり易すぎるのよ」

 私は笑い、その場に座り込んだ雫の隣に肩を寄せるように座る。

 すぐそばから伝わる雫の温もり、この温もりがあったからこそ私は『雨下』の人間としてやってこれた。そうでもなければ心の支えも、人の支えも無いそんな状態だったら既に私の心はぼろきれのようにずたずたに引き裂かれていた。

 雫は可愛くて、優しくて、人を惹きつける完璧な人間のように見えるのに、意外と直情的でいて、何処か鈍く、情けない。

 それでも、いつでもありのままで居続ける雫がとても愛おしい。

 しかし私はその想いだけは心のうちに封印した。

 こんな人の想い(空身たち)を狂気に陥れ続けた穢れた手で、雫を幸せには出来ない。

 だから私は雫の幸せを願うに留めた。今みたいに辛い表情をしているのを見ると私も辛くなってしまう。

 私は右側の雫のいるほうに顔を向ける。

「……ねえ、雫」

「なに?」

 雫は私のほうを向く。もともと肩を寄せ合うように座っていたせいで顔がとても近い。

 それでも雫は息もかかるこの距離で、何も感じてはいないみたいだ。少し女としての自尊心を傷つけられたような気がする。けどそれも姉と弟だから何も感じないのは当然といわれればそれまでだ。

「我慢は、しないでね」

「茜姉さん?」

 雫は眉をしかめ、怪訝そうな表情を浮かべ、何か言いたそうにしたが、私は左手の人差し指で雫の女の子のようにかわいらしい唇を優しく押さえる。

「私から、今言いたいのはそれだけ。彼女(紫藍)が戻ってくるまでに笑顔を取り戻しなさい」

 私は温もりから離れる寂しさを感じながら雫の隣から立つ。

「明日の儀式のときに今日みたいだと、失敗するわよ」

 雫には退魔師になって欲しくはないが、親類縁者の前で恥ずかしい真似はさせたくない。私は後ろで呆然としている雫の気配を感じたまま、道場を出て扉を閉める。ここ、四日間降り続いている雨は家の縁側を濡らしていた。

 私は道場と武家屋敷のような家を結ぶ渡り廊下をゆっくりと歩いた。少し風があり、雨粒が私の服を濡らす。

 渡り廊下の正面の階段をのぼり、左にいったところに私の部屋がある。

 ふすまを開け、自分の部屋に入ると私はゆっくりと机の椅子に座った。

「雫……」

 私は机の上に置かれた写真を眺めながら、大分昔から一人の男として意識してしまった弟の名前を呟く。

 私はふと自分の左手に目線を落とす。そこには愛しい人の唇に触れた人差し指があった。

 (よこしま)な想いが私の胸に込み上げてくる。

 私は自分の部屋を見回した。

 ふすまは端までちゃんと閉まっているし、窓の障子も同じくちゃんと閉まっている。私の部屋の周りは、『退魔師の出来損ない』の近くに『高潔』な退魔師の血を引く者を置いておきたくなかったのか、昔から誰もいない空き部屋。

 つまり誰にも見られる心配も聞かれる心配も無い。

 そう思った瞬間私の何かが弾ける。

 自分の人差し指を自分の唇につける。その指は私の指だと分かっていても、その指が雫の唇に触れたという事実だけで十分だった。

 私は自分の指に口付けし

 赤ん坊のようにその指をしゃぶり、貪る。

 いつもならこんなことなんてすることも無かった。

 でも雫の幸せを祈っていながら、現実の私はまだ雫を欲している。

 姉と弟の関係でさえなければ、私はもっと自分の思いに素直になれたのだろうか。そんなことを夢想しつつ、私の右手は和服の隙間をぬぐい、指は足の間を別の生き物のように這う。

 意識は蕩け、私の身体は椅子からおりて床に転がる。

 もはや私のこの行為に意志はない。

「雫、しずく、シズク……!」

 そこにあるのは甘美な声と、愛を求める獣の本能だけ

 からだは疼き、熱を帯びた意識(ほんのう)はただひたすらに(しずく)を求め続ける。

 誰もいないここなら耽美な世界(ゆめ)に浸っていられる

 甘い吐息が荒くなる毎に、全身はより汗ばむ。

 身体から筋肉も骨も抜けたのかと思うほど身体はただ快楽に溺れ続ける。

「――――!」

 私は最後に雫の名前を呼んだのか、ただの叫びなのか定まらない声をあげ、頂を迎えた。

 その声と想いは降り続ける雨音に抜け出していく。

 ここに残ったのは快楽の余韻に浸ったままの私の抜け殻

 熱も、魂も抜けた『雨下茜』と言う名の人形

 その抜け殻に魂は戻ってきて体温も戻る。

 ああ、私は生きている。

 この行為の後(一度死に臨んで)、自分が生きているということをようやく知る。



 私は人間だ。

 出来損ないと呼ばれようと

 紛れも無い人間だ

 そう信じるために


 * * *


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