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虚無の旋律  作者: 東屋 篤呉
第三章『供花時雨』
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2.曇

 山に茂る木々の隙間から、僅かに重い鉛色の空が見える。その空同様、小さな袋を腰にぶら下げている稲穂の顔は、晴れやかな顔、と呼ぶには程遠い顔をしていた。

「どうすればあんな殺人料理が出来上がるのか教えて欲しいわ」

「それは稲穂の昔からの不思議なところだ。でもおかげで上手くいっただろ?」

 後ろをついてくるように歩いている雫と紫藍(きらん)は小声で話しているつもりだろうが、静寂に包まれた山林の中、声はよく通り、当然稲穂の耳にも届いている。

 二人の話を聞いた稲穂は恥ずかしさと怒りで、顔から火が出ているかと錯覚するほどに、顔面を真っ赤に染めて、軽率だった己の行為を恥じた。

 昨日の夜の晩餐は阿鼻叫喚の地獄絵図を映し出していた。

 ある人は口から火を噴き

 ある人は胃の中身を吐き

 ある人は泡をふいていた

 そしてそのまま今日の『太刀の儀』に関わる人間、つまり雨下家、結崎家のほぼ全てがダウンしてしまい、軍事施設並みの警戒区域の場所を、稲穂たちは今日、無警戒でニギミの社に向かっている。

 原因は稲穂の作った料理に他ならない。

 稲穂は何故か昔から料理だけは致命的にしか作れない、その様はまさに病的とも言える。稲穂の作った料理は必ず人に危害を加え、しかも見た目は普通。いや、むしろ料理人ですら勝てないほど、美しい見た目のものを出すからより一層性質(たち)が悪い。

 雨が降っていないというのに、湿っている木々の根元を踏みしめる稲穂の足には思わず力がこもり、柔らかい土は稲穂の足型を硬く残している。

 そして程なく、結界の固定を司る鼠色の要石(かなめいし)で四方を囲まれた、(ほこら)にしては少し大きすぎる外観のニギミの社が見えてきた。

 幾万の年月を重ねてきたその祠の木材は黒光りし、その木材の色が荘厳な雰囲気と、近寄りがたい威圧感を持っていた。

 そしてこの祠こそ魔に落ちていなくとも、大きな危険を孕む有身を封印するニギミの社。しかし今は、ここに紫藍の兄、釜蓋仙治が有身でもないのに囚われている。

 とても不思議な気分で結界の淵に立つ雫と要石に手を伸ばす紫藍を稲穂は眺め、一瞬で現実の世界に引き戻される。

(ふれ)るな!」

 雫は結界の性質を知っているから結界に触れることの意味は百も承知、なので別に問題はない。しかし結界の何たるかを知らない紫藍にはいきなりきつくいっても、触れようとした手を止めはしたものの、睨み返される。

「要石を動かすと結界が急に崩れる、中に居るあなたのお兄さんと共に……、ね」

 稲穂は想像もしたくない事実を冷たく端的に言い放つ。その嘘偽りの感じられない薄ら寒さすら感じる口調に、紫藍はあわてて要石に近づけた手を引っ込めた。

 稲穂は麻で出来た小さな袋の中から何かの粉が入っている小瓶を取り出し、その中身の粉を要石の少し外に小さく盛り付ける。

「封・解・外・忌」

 稲穂は印をきり、新たな結界に『結界の封を解き、外に出る物を拒め』という意味を与えた。程なくして元からあった結界が解け、ニギミの社ごと稲穂たちを覆う結界が生まれる。

「これなら、万が一何かがあっても被害はこの結界内だけ、ということになるわ」

「さすが稲穂、じゃあ久々の再会、と行こうか、紫藍?」

 紫藍は小さく頷いた。

「……その前に、稲穂に感謝を言うのが筋だろ? 紫藍」

「雫?」

 きょとんとした稲穂の前で雫は、黙り込んでいる紫藍を肘でつつく。

「ほら」

 口すら開かない紫藍を雫はもう一回突っつく。

「……ありがと」

 何とか表情を見せないようにしようとしているのか、うつむいてお礼を言う紫藍の姿に稲穂は不覚にも、好感を持ってしまった。彼女は多分素直じゃないだけで、本当はかわいらしい性格の持ち主なのだろう。

「どういたしまして」

 そんな紫藍に笑顔で答える稲穂を脇に置き、雫はニギミの社の扉に手をかけ、軽く力を入れる。ゆっくりと開いた格子状に組まれた扉は、屋内の暗闇に光を灯す。

「さてさて、姉妹の感動の再会だよ」

 雫はそう言ってにっこりと笑う。

 紫藍はゆっくりと扉の奥の闇をのぞく。

 その顔はその暗闇すらはねのけそうなほど明るく、まるで夜明けの太陽のように笑顔が輝く。暗闇の中に鎮座している影が動く。

「まさか……、紫藍?」

「仙治!」

 紫藍は一瞬で太陽のような笑顔になり、すぐに大雨が降っているような泣き顔になる。

「兄を呼び捨てにするなって。まあ、元気そうだな」

 そう言って細身の引き締まった男、釜蓋仙治は妹の紫藍の頭を撫でる。

「さて、邪魔者は消えましょうか、雫」

「そうだな、俺たちは外を見張っていることにしよう」

 ここはやはり幼馴染の力なのか、稲穂と雫は同じ考えだったらしい。二人で社の外に出る。

「待ってくれ、お嬢さんたち、紫藍とあわせてくれて本当にありがとう」

 その言葉に稲穂は苦笑いし、雫は石のように固まった。

「仙治! 彼はああ見えて男なの!」

 さらにフォローするつもりで言ったであろう、紫藍の言葉が、雫の心を砕き、さらに深く傷つける。

「どうせ俺はどっちつかずの顔ですよ……」

 雫は社の入り口に座り込み、傍目からも分かるほどいじけている。雫は男から見れば美少女に、女から見れば美少年といった顔立ちをしている。その綺麗な顔立ちをしている所為か、嫌でも雫の周りには男も女も集まって来ていた。

 稲穂は過去に雫が何も知らない男子からラブレターをもらっている所を目撃し、しばらくは腹がよじれるほど笑い、何も手につかなかったことがある。

「もしかして、雫に一目ぼれですか? 紫藍の御兄さんの仙治さん?」

 稲穂は愉快さを隠しきれずからかう。稲穂は仙治が怒ってくるか慌てるかのどちらかだと思っていたが、仙治の反応ははるか上をいくとは思いもしなかった。仙治は言葉に詰まったまま、顔を茹蛸のように赤らめる。兄は妹とは違い、素直なようだ。

「まさか……仙治……」

 稲穂も紫藍も予想外の事態に身体が凍ったように動かない。雫は既に嫌な予感を感じているのか、振り返ろうともしない。

 そして何か大切なものが壊れそうな言葉を、とても短い言葉で微かに呟く。

「……うん」

 その言葉を聞いた三人は文字通り、三者三様の反応を見せる。

「だめ! 雫は私の彼氏なの!」

 紫藍は猫が得物を捕まえるような驚異的な勢いで雫に駆け寄り、しがみ付く

「ちょっとまて! 俺がいつ紫藍の彼女になった!?」

 その言葉か、紫藍の行動に耳まで真っ赤になる雫

「みんな五月蝿い! 見つかったらどうするの!」

 その二人に肩の辺りまで伸びた髪すら逆立ちそうな勢いで、般若のごとき形相をした稲穂の一喝が場を静める。稲穂は面倒に首を突っ込んでしまったことに頭を抱えてしまい、その原因の一端を担っている、まだ顔の赤い雫を睨みつける。

「……何だよ」

「なんでもない」

 稲穂は心の中で先が思いやられるな、とため息をついた。

 後ろで茂みが揺れる。

 稲穂と雫は見つかったのかと思い、後ろに振り返り、茂みを睨みつけた。

 しかしその茂みから出てきたのは狐の親子、稲穂たちの目の前を横切り、また別の茂みへと消えていった。稲穂と雫は安堵のため息をつく。

 しかし稲穂たちは絶対に忘れてはならないことを忘れていた。

 ここが警戒区域だということを

 そして知らなかった

 雨下家の呪われた風習と

 茂みに光る二つの怪しい光を。



 * * *


「久須志?」

「気のせいか稲穂の声が聞こえたような……」

 昨日、私が無理やり食事に連れ出したため、昨日の惨劇を生き残った久須志が徐に東の方角に顔を向ける。

 あいも変わらず桜色の和服を着た私と深い緑色の袴をはいた久須志は雨下、結崎両家の北側にある裏山、御魂(みたま)の峰を登っている。

 久須志の見ていた方角にはニギミの社と呼ばれる有身を閉じ込めた祠があり。私達の向かっている西側にはアラミの社と呼ばれる御堂が存在している。

 正直、空身を閉じ込めるという用事さえなければアラミの社などに近寄りたくも無い。

 あそこは怨霊の巣、と言う呼び名が一番相応しいだろう。人の強い思いに対してそのような言い方は失礼だと思うかもしれないが、そういった言葉はあの場に辿り着いてから言って欲しい。

 抑圧され、欲望は強くなり

 拒絶されることで恨みは募り

 道具として使われることに怒りを覚える

 どんな清らかだった空身も、怨嗟の集まる場所に放り込まれれば武器として優秀な有身を生み出す糧になる。

 これは雨下家の呪われた風習。

 退魔師になることを拒絶した人間はアラミの社に放り込まれ、『魔』を取り込んだ退魔師とされてしまう。しかもこの経緯で生まれた多くの退魔師は己の中の空身の怨嗟に耐え切れず、『魔』に堕ち、『退魔』されてしまう。

 私は厳密には雨下家の人間ではないので、今のところ退魔師に準ずる人間、と言った中途半端な立ち位置に居る。そのため退魔する権限を持たず、あくまでも後世の退魔師のために空身を捕獲し、さらに凶悪な空身を生み出す、それが私、『雨下』茜に与えられた役割。

 今私の首にかけた鎖に結ばれた紫色の宝石、空身を封印する紫光石(しこうせき)の中の空身たちが恐怖の悲鳴を上げた気がする。これも聞き飽きてしまった、と言うことはとても恐ろしいことだ。

 アラミの社が近づいてきた。

 久須志は私をこれ以上進まないように手で制する。この先は幾重もの結界が張られており、中にはただ隔離するものから、触れれば無事ではすまないものまで様々だ。

 久須志は次々と複雑な印を切り、一歩ずつ私たちは進んでいく。

 一歩進むごとに紫光石の中の空身の恐怖が確かに膨れ上がることを感じる。空身は人ならざるものであっても、もともと人間から生まれた感情、それもむき出しである分より空身のほうが感情は直接人に伝わる。悲鳴は聞きなれても感情の奔流にはいつまで経っても慣れない。

 任務、と割り切っていたはずの心は、まるで刃物で抉られた傷跡が引きつるように痛む。

 久須志もそれを感じているのだろうか、それとも危険区域へ近づいている所為か、徐々に顔が強張る。

 アラミの社が木々の隙間から視界に入る。

 中では恐ろしいことが起こっていた、いや、起こっている場所にしては吐き気をもよおすほど、綺麗に整い、白木で造られた百人は寝泊り出来そうな大きな御堂。

 最後の結界を久須志は解き、私はアラミの社の扉の前に立つ。白く、穢れを知らないような外観の中から流れてくる感情の奔流。

 恨み

 憎しみ

 悲しみ

 怒り

 私はその中に今から二人の空身を放り込む、と言う罪を犯す。

 一人の空身は死を恐れ続け、その死に囚われた悲しき(うつろ)

 もう一人は燃え盛る歪んだ愛に溺れ、命を燃やし尽くした者の(うつろ)

 どちらも還る肉体を失っていたから紫光石に捉えるのは難しくなかった。

 そう、ただそれだけの理由で私に囚われ、罪も無いのに、地獄のような日々を送ることになる幾多もの空身は、昔からそのように選ばれている。

「ごめんなさい、私はこうしないと居場所が無いの」

 私の口からこぼれたのは自己中心的で、他人を省みない酷い言葉。

 でも、壊れそうで危うい雫のそばに居るためにはこれしかない、そう常に自分に言い聞かせ、私は任務を続け、空身を縛り付けてきた。

 私はアラミの社に手のひらを向けるようにして、首から提げた紫光石を取り出し、右手を添える。重々しい雲から少しずつ水滴が落ちてくる。

「ごめんなさい、許して(恨んで)

 脇で苦々しい表情を浮かべている久須志を脇目に、私は右手で軽く押し出すように紫光石を叩く。中に入っていた二人の空身はアラミの社の格子状の扉をすり抜け、地獄に飛び込み、戻ってくることは無い。一方通行の結界、それがアラミの社、最後の防衛線だからだ。

「久須志、帰るわよ」

 返事は聞かない、一刻も早くこの場を立ち去りたかった。

 私は駆け出す、久須志も駆け出す。

 後ろで聞こえる苦悶と怨嗟の叫び声から逃げるように。

 その声は程なく雨脚に消されることになった。


 * * *

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