おしゃべり聖女と生きたがり魔王
「魔王城で働かせてくださいっ!!!」
「お前人間だろ!? しかも聖女! 危ないからかーえーれ!!!」
「追い出されちゃったんですよぉ! 帰る場所なんてないんです! こう見えてたくましいので、ひとつくらいお役に立てることもあると思います!」
「うるさいっ! お前みたいなキラキラコミュ強光属性は、俺みたいな陰の者には物凄い心理的ダメージを与えるんだ!! そうやって魔王を殺す気か!?」
「またまたぁ! 光属性……って、私、神聖魔力とかからっきしですもん! 癒しにはなりませんが害にもなりませんよぅ」
「だから追い出されちゃったんですもん!」と、まるで世間話でもするかのようにケタケタと笑う少女に、「そういうことじゃねえんだよ……」と、青年は頭を抱えた。
巨大な壁一面の赤や紫などの濃い色を中心としたステンドグラスに、精緻な細工が施された柱が何本も建つ、荘厳な大神殿のようにも見えるこの場所は、しかし実際は魔王城の――それも魔王の謁見室であった。
アミュエルと名乗った少女は、一見しただけで普通の人間とは大きく違っていた。
清廉で浮世離れした容貌に、きらめく長い銀の髪を緩く編んで前に垂らし、とろりと柔らかく溶けた金の瞳を笑みに細めている。
汚れ一つない純白の法衣に、額に浮かぶ聖印は、紛れもなく『聖女』のそれ。
しかし彼女は静謐な近寄りがたさなどはまるで感じさせず、むしろ全身から溌溂とした気を発し、ちょっとやそっとではへこたれないであろう精神性が眩いまでに伝わってくる。
対する青年は見目こそ整っているものの、もとより青白い肌は顔色優れず、陰気なオーラを全身から滲ませていた。
艶のない漆黒の髪は、闇そのもの。見る者へ畏怖を与える濃い赤紫の瞳は、どんよりと澱んでいる。
簡素な服になけなしのマントを羽織った長身痩躯は、姿勢の悪さのせいか陰気さに拍車をかけ、そこへさらにひ弱そうな印象まで加わる。
人間からの絶大な恐怖の対象であるはずの『魔王』は、実際のところ小娘一人追い返すことのできない体たらくっぷりを示していた。
諦める気などこれっぽっちもなさそうな聖女アミュエルに対し、魔王ヴェルグリムは降参のため息を吐いた。
元気いっぱいの彼女の相手をするのは、とてつもない疲労を与えてくる。
けれど害意も危険もない少女を力づくで追い出す真似など、彼にはできない。
「……魔王城に仕事なんてない。皆やりたいように過ごしているだけだから、お前も好きにするといい。衣食住は保証しよう」
「ありがとうございます魔王様!!」
パッと花が咲くような笑顔を浮かべたアミュエルから、魔王は視線を逸らした。
彼の褪せた表情に、皮肉が混じる。
「細かいことは、周りの連中に聞いてくれ。……早速、俺の配下を手懐けたようだしな」
「おしゃべりしていたら、ここまで案内してくれたんです。これから、みんなともっともっと仲良くなりたいなぁ」
呑気にも今後の展望を口にする聖女に、魔王は顔を大きく顰める。
追い出されてきたというからには永住希望なのだろうが、聖女といえど人の身。
いくら本人が図太かろうと、それだけで魔物の巣窟に馴染めるとは到底思えない。
「ここは人間向きの場所じゃない。嫌になったらすぐにでも去れ。……それから、危険なことは厳禁だ。怪我の一つでもしたら、問答無用で放り出すからな」
そう言い捨てて立ち去った魔王の背中に、アミュエルはぽかんと口を開けた。
聞けば聞くほど、彼女にはこの魔王城が天国のように思えたのだ。
「……怪我なんて、するはずないのに」
ここまで深い森やダンジョンをくぐり抜けてきたが、危険などこれっぽっちも感じなかった。
非殺傷トラップに、ゆっくり休める休憩室まで完備。
道中はむしろ、ちょっとした楽しいアトラクションのような場所にすら思えるほど。
どれもこれも、訪問者を傷つける意図がないことは明白だった。
「それに私は……聖女だし」
ぽつりと零したところで、アミュエルは足元から自分の名前を呼ぶ声にしゃがみ込む。
視線を合わせた先には、彼女をここまで案内してくれた魔族のノアが、幼子のような姿で喜色満面に歓迎の意を表していた。
「アミュエル、魔王城にようこそなのですぅ!」
ちびっこのような体格に、大きな狐の耳とふさふさの二本の尻尾、紺色の艶やかな毛並みを持つノアは、夜狐族だという。
その後ろにも、大小さまざまな魔物たちが集っていた。
皆、アミュエルが魔王城に留まることを一様に祝っている。
「みんな、これからどうぞよろしくね。たっくさん、おしゃべりしよう!」
にこやかなアミュエルの周りで、わあっと歓声が上がる。
はじめこそ人間であるアミュエルを警戒していた魔物たちだが、軽快に語られる彼女の身の上話を聞くと、あっという間に態度を一変させた。
これまで魔王から聞かされていた人間像と、大きく違っていたのが理由の一つだろう。
アミュエルは、とにかく人懐っこいのだ。魔物たちの心まで掴むほどに。
しかし、まさか同じ理由で神殿どころか国まで追い出されるとは、本人とて思ってもみなかったことだった。
とはいえ、住む場所は見つかった。――それも魔王城!
歴代の勇者たちだって、こんな経験をした人間なんていないだろう。
アミュエルの胸は高鳴るばかりだった。
***
アミュエルは、おしゃべりが大好きだ。
自分には知りえない、いろんな人からさまざまな話を聞くのが、特に。
そして生来、おしとやかとは無縁だった。
そんなアミュエルは、神殿の施したどんな教育でも、彼らの求める『慎み深い聖女』にはなれなかった。
常にベールを被り、神殿の人間を介して言葉を伝え、何時間も同じ姿勢で祈りを捧げ、動くときはゆったりと静かに……何より、自分の意志を持たない、神の威光を広めるためだけの存在。
十七年生きたが、そんなものとは到底程遠い。
それどころか、アミュエルの聡さは神殿をはじめとする権力者たちにとって、大層受け入れ難かったのだろう。
何気ないおしゃべりから情報の断片を引き出し、それを繋ぎ合わせて隠しておきたい真実まで辿り着いてしまうのだ。
口が上手く、行動力があり、賢く――そして、誰にも従わせることのできない聖女。
加えてアミュエルの聖女としての能力は、神聖魔力のような癒しの力などとは違い、人々の役に立つものではなかった。
神より与えられた『聖域展開』――絶対的な防御力を誇り人々を悪しきものから護るはずのその能力は、しかし周囲一帯を覆う歴代聖女のそれよりもはるかに弱く、範囲はアミュエル自身に限定される。
身勝手な振る舞いに加え、与えられた神聖な力を己のためにしか使えない聖女に、存在価値などない。
聖女の護衛であり手足となるべき神殿の聖騎士たちですら、『厄介な俗物』と唾棄するほど。
どうせ傷つけられないのだからと、襲撃を受ければ震えるどころか自分たちの盾になろうとする少女に、高潔ぶった聖騎士たちの矜持が保てないのも無理はない。
アミュエルはいつしか、神輿として担いでおくことすら手に負えないと判断されたらしい。
気づけば、魔物の棲む森へ追放されていた。
人間の手によらず殺されるか、野垂れ死ぬことを期待したのだろう。
まさか神殿の人間たちは、規格外の彼女が意気揚々と魔王城を目指すなどとは夢にも思わなかったはずだ。
アミュエルのおしゃべり欲求は、とどまることを知らないのだ。
***
「魔王様は一体全体、何にそんなに怯えてるんですか?」
性懲りもなくおしゃべりしようと絡んでくるアミュエルに、魔王ヴェルグリムは思わず足を止めた。
振り返れば、純真無垢な表情を浮かべる人間の少女。
彼女はたったの一言で、ヴェルグリムの柔らかな場所へ踏み込んできた。
害意がないのは、アミュエルを見ていればわかる。
彼女はここを訪れたその日から、魔王城に暮らす魔物たちを味方に付けてしまった。
度が過ぎるほどの安全対策が施されたこの領域の不自然さについて、おおまかな事情はすでに伝え聞いているのだろう。
それがわかっていてもなお、人間にそのことについて触れられるのは、どうしようもなく忌々しさを煽った。
「調子に乗るなよ、人間。俺が『不殺の誓い』を立てていようが、いつだって好きなときに破ったっていいんだ」
地を這うような唸り声で凄むヴェルグリムに対し、アミュエルはゆっくりと小首を傾げた。
禍々しく底光りする赤紫の瞳を、澄んだ金の瞳が真っ直ぐ捉える。
「人間が、怖いのですか?」
「……っ、ウルサイ!」
ヴェルグリムのかぎ状に薙いだ指先がアミュエルの眼前を掠め、廊下の壁を抉った。
しかし魔王の激高をものともせず、彼女の視線は変わらず彼へと注がれている。
アミュエルは混じりけのない純粋な表情を浮かべたまま、今度は首を反対側に倒す。
「人間を……殺すのが、おぞましいのですか?」
「魔物たちの長たる俺に、できないとでも? お前など、紙切れ同然に屠れる」
冷たく大きな手のひらが、白く細い首へ伸びる。
触れる寸前でピタリと止まったそれに、アミュエルは自ら一歩近づいた。
「っ、おい!?」
悪態と共に下げられそうな指先を握り込み、聖女は自身の首へ押し当てた。
魔王でなくとも、ほんの少し力を入れればぽきりと折れてしまいそうな繊細さが伝わってくる。
爪の先が当たっただけでも、その小さな身体から血が全て吹き出してしまいそうなイメージが、ヴェルグリムの脳内に浮かんだ。
「や、やめろ……っ!」
「大丈夫、私は人の身ではありえないほどの防御力があるので、あなたが思うほど、簡単に傷ついたりしません。怖がらなくていいんです」
震える冷たい指先を、小さくも温かな手が包み込む。
恐怖と苦悶に侵される魔王を見上げる聖女の顔には、慈愛に満ちた笑みが浮かんでいた。
「魔王様は――『死』が恐ろしいのですね。私は、あなたの力になりたいのです。……どうか、お話を聞かせてください」
アミュエルの脳裏に、『魔王様を助けてほしいのっ!』と懇願するノアの声が響いた。
いつ訪れるとも知れない人間を、憔悴するまで恐れる魔王。
強大な力を抑え、誰よりも優しいのに、どこまでも諦念がまとわりついていて、訪れてもいない未来の幻想に圧し潰されてしまいそうな危うさが、どうにももどかしい。
「お前に言ったところで、何がわかるものか」
「でもまずは、なんでも話してみなければはじまらないじゃないですか。相互理解の第一歩ですよ」
諦めが伝わったのだろう。
先ほどまでの真面目ぶった雰囲気は消え去り、アミュエルはあっけらかんとした口調でそうのたまった。
ヴェルグリムは、大きな大きなため息を吐き出した。
***
ヴェルグリムは魔王として生じたそのときから、これまでの魔王の記憶を受け継いでいた。
永劫に続く血に塗れた殺戮と、怨嗟の渦の中で無残に打ち取られる記憶。
時代を超え、繰り返される連鎖の先で――彼が何よりも欲したのは、『生』そのものだった。
いつの時代も、魔物と人間は相容れず――魔王と勇者たちの争いは避けられない。
魔王としての強大な力は、衝動的に人間を襲いたがる魔物を屈服させ従えるために使った。
殺戮以外の楽しみを与えるために、記憶の中からありとあらゆる知恵を絞った。
それはひとえに、人間たちに魔物を退治する口実を失くすためだった。
こちらが壁を築き閉じこもったところで、暴きたくなるのが性というもの。
だから森へ迷い込んだ人間が無事に帰れるように道を整え、力試しなど考えないように拍子抜けするような仕掛けを施した。
かすり傷の一つでも、言いがかりの種は作りたくなかった。
しかしどれほど策を講じたところで、人間の来訪を永遠には避けられない。
生きたい。
死にたくない。
殺されたくない。
殺したくない。
傷つけられない。
――だけどそれでは、抵抗できない。
そうして最期には、何もできずに殺されてしまうのだ。
安寧に生きたいと望むヴェルグリムだったが、いつしか願いは恐怖へと変わった。
死への恐れが常に付きまとう中、人間という存在をとにかく忌避した。
そうした焦燥の果てに……義勇に燃える勇者ではなく、何故か馬鹿みたいに能天気な聖女が現れた。
「いやですよぅ、能天気だなんて。そこは向日葵みたいに明るい~とか、お日さまみたいに快活~とかでお願いしますよ」
「そういう話じゃなかっただろうが」
きゃらきゃらと笑うアミュエルに、ヴェルグリムはむっつりと視線を逸らした。
「魔王様が生きるために、私を使ってください。私は……簡単には死ねないので。勇者が現れても、人間の私を斬るのは物理的にも精神的にも難しいと思いますよ」
「っ……そういうのはやめろ。女を盾にする趣味はない」
「えぇ? 魔王様がそんなんでどうするんですか! 使えるものは使えばいいんですよぉ」
軽い口調に対して眉を寄せ、割り切れないと顔をしかめるヴェルグリムのことを、アミュエルは好ましく思った。
恐れられるべき魔王だというのに、これまで出会ったどんな人間よりも繊細で情け深い。
もっと早くにこんな存在と出会えていたなら、望まれた聖女にだってなれたのかもしれない。
「私がいるからには、そういう陰気な考えは禁物ですよ! これからはもっと楽しく過ごしましょう! さしあたっては、もっとこの場所について色々教えてください!」
「あーもう、こうなると思ったから嫌だったんだ」
そう嘯きつつも、いつの間にかヴェルグリムの顔から悲壮感は消えていた。
聖女に眩く輝く笑みを向けられ、魔王はもう一度、諦めたように大きく息を吐いた。
***
「見つけたぞ、魔王! 覚悟しろ!」
「えーと……もしかして、あなたがたは勇者様ご一行だったりしますぅ?」
「それ以外、何に見えるんだ!?」
勇者からのツッコミをものともせず、呑気に小首を傾げたアミュエルは、人差し指を頬に当てた思案顔のままヴェルグリムへ視線を向けた。
名指しされた魔王本人はやや緊張しているようだが、ステンドグラスを背に動く気配はない。
もしかすると、来たるべき日が来たとでも思っているのだろうか。
いつの間にか猫背気味な姿勢の悪さが直っていたおかげで、立ち姿に卑屈で陰気な印象はなく、泰然とした強者としての風格を纏っている。
魔王城にいる魔物たちは、ヴェルグリムの指示で遠くへ退避している。
この魔王の謁見室にいるのは、勇者一行と魔王、そしてアミュエルと、並々ならぬ意志で残ったもののぷるぷると震えてしまうノアだけ。
現れた人間はほんの数名なのだが、皆が闘志を漲らせ武器を構えているのはいただけない。
「それでは、勇者様。私はこの魔王城に住まわせていただいている聖女なのですが、どのようなご用件でいらしたのかお聞かせ願えます?」
「聖女アミュエル、貴女を助けに来ました!」
「は、はぁ……!? どういうことですかぁ?」
まずは対話をと、丁寧に切り出したアミュエルの目元が衝撃にひくひくと動く。
生まれ育った神殿と国から追放されたので魔王城へ身を寄せたというのに、勇者が助けに来たとはこれいかに。
「調べはついてるぞ魔王! 我が国の辺境の村を滅ぼし、隣国の聖女を攫うなど……それらの悪行に留まらず、こちらへ侵攻してくるつもりだろうが、そうはいかない! 被害の少ない今のうちに、我々がお前を倒す!」
「ちょっと、ヴェル様はそんなことしませんよぉ!」
あまりの言い分に、外交モードだったはずのアミュエルが思わず素に戻る。
どこか憐れむような勇者たちの視線が肌を刺す。
「やはり、聖女は操られて……すぐにでも、お助けします!」
「そんなわけないでしょう! 武器を下ろしてください!」
しかし、アミュエルの言葉は勇者たちに届かない。
せめて攻撃を防がねばと前へ出ようとする彼女を、ヴェルグリムの長い腕が引き留める。
半ば抱えられるように押さえ込まれ、アミュエルは懇願するように青白い顔を見上げた。
「いい、アミュエル」
「放してヴェル様! 私が――」
「そういうのはやめろと、言ったはずだ」
「嫌、いやです。生きたいんでしょう? その想いを諦めないで」
アミュエルにとって、魔王城は自分らしくいられる居心地のいい場所だった。
魔物たちは心置きなくおしゃべりしてくれるだけでなく、人間の彼女を頼りにしてくれた。
自分がどれだけ頑丈か説明しても、ヴェルグリムは常にアミュエルをか弱い少女として扱った。
打算のない、温かな関係。
だからアミュエルは、大切な居場所を守りたいと心から思った。
滲んだ金の瞳から、ぽろりと涙が溢れる。
それを見たヴェルグリムの拘束が僅かに緩んだ隙を突いて、アミュエルは魔王の腕から抜け出した。
服の袖でぐいと顔を拭い、毅然と勇者たちを睥睨する。
「武器を下ろしなさい。あなたたちが相手にするべきなのは、魔王様じゃないわ」
「聖女! 貴女は魔王に惑わされているんだ! 私たちの話を――」
「いいえ、話を聞くべきなのはあなたたちよ」
揺るぎない意志を感じさせながらも、これまでとは違う平坦な聖女の声音に、勇者たちはやや戸惑ったように視線を彷徨わせる。
彼らは、ただ命令されてここにいるわけではないのだろう。
蛮勇に駆られたわけでもなく、ただ襲撃された村の状況を聞き、かどわかされた聖女を救うべく、義憤を胸にやってきたのだ。
だというのに……攫われ監禁されていたはずの聖女は、一歩も引かずに魔王を庇う姿勢を見せ、大いなる誤解の元、間違っているのは勇者たちだと突き付けてくる。
揺らがないはずはない。
「これまで私が、あの国でどれほどの『嘘』を暴いてきたかご存知? 自分たちに都合のいい甘言ばかり口にするような連中なの。騙されているのは、あなたたち。私なら彼らの思惑を、全てを説明できるわ」
「聖女……?」
「神聖国などと名乗ってはいるけど、腐りきった連中が支配する国よ。滅ぼされた村というのは、あちらとの国境近くにあるんでしょう? はじめは隣国からの攻撃だと、そちらも考えたはず。だけど、自分たちも聖女を攫われたのだと惨めたらしく縋られ、魔王が動き出したなどという話は一気に信憑性が高まり……こうしてあなたたちが遣わされた」
間違っていないのだろう。
難しい表情を浮かべた賢者らしき女性が頷くと、勇者たちの間で戸惑いが広がった。
「長年何の行動も起こさず、力を溜めていたはずの魔王が攻勢に出たのなら、小さな村ひとつと聖女ごときで止まるはずもないことくらいわからない? 自分たちで聖女を追放して襲撃を起こし、それを魔王の仕業だと被害者ぶって騒ぎ立てて、あなたがたの国と魔王を争わせるのが目的。――襲われた村の近くに、砦があるのでしょう?」
賢者の肩が、びくりと揺れた。
「慰霊のために聖なる祈りを捧げるなどと言って、神殿の人間と聖騎士が送られているはずよ。勇者たちが魔王城へ潜入したことが伝われば、一気に襲い掛かって砦を落とす算段でしょう。だけど……今あなたたちが無実の魔王様と戦わずに戻れば、間に合うんじゃないかしら」
「くっ……! 筋は通っているかもしれないが、それを信じる理由がどこにある!?」
彼らとて、ここまで来て疑念ひとつでおめおめと帰ることなどできないのだろう。
アミュエルは、慈愛に満ちた笑みを勇者たちへ向ける。
「勇者よ、私をお連れなさい。私は、思い通りにならない聖女など要らないと、追放された身。操られてなどいないことも、真実を述べていることも、城にいる魔法使いたちなら証明できるでしょう」
「それは……」
「――おい、黙って聞いていれば、おかしなことを言うのはやめろ。魔王城にずっと住みたいと、言っていたじゃないか。そうだろう? アミュエル」
地を這うような声に、僅かに震えが混じっているのを、アミュエルは感じていた。
だからこそ、振り返れなかった。
なけなしの勇気を萎ませるような真似はできない。
決して、魔王城を去りたいわけではない。
だけどアミュエルには、こうする方法しか思いつかなかった。
だというのに、ヴェルグリムはあっさりと彼女の決心を揺らがせる。
「お前はもう、この城の住人だ。嫌になったわけでも、帰りたい場所があるわけでもないのに、ここから出してもらえると思っているなら大間違いだ」
「その通りなのですぅ! アミュエルはずっとここで一緒に暮らすんですぅ!」
ヴェルグリムの言葉に乗るように、鼻息荒くノアも小さな拳を突き上げている。
勇者たちが武器を構え直したのを見て、アミュエルは慌てて魔王とその眷属を振り返る。
「っ、ヴェル様! 角! 出ちゃってますよぉ!」
「もう、いい。関係ない。俺の城で人間どもが好き勝手するなら、いっそひと暴れしてやるよ」
ヴェルグリムが威圧感を与えないために、力を抑え人の姿を取っていることを、アミュエルは知っている。
禍々しい魔力を纏い始めた魔王に、聖女は慌てて飛びついた。
「ダメですってばぁ! 戦わないために、これまで頑張ってきたんじゃないですか!」
「そのためにお前がいなくなるんじゃ、意味ない。俺は臆病だが、身内が連れていかれるのを、指を咥えて見てるほど寛大じゃない――なあ、勇者」
煌々と光る赤紫の瞳が、臨戦態勢の勇者一行を見下ろした。
「適当な罪状チラつかせて武器まで抜いたんだ。その上、女一人連れて帰らなきゃ、冤罪も認められねえって? こっちからすりゃ押し込み強盗もいいとこだ。そっちの法でも、こういうときの正当防衛は認められてるよなァ!?」
「そうなのですぅ! 聖女攫ってきて洗脳するくらいイケイケ魔王様だったら、こっちだって苦労してないんですぅ!」
「ヴェル様! 抑えて、抑えて!! ノアのは……なんか違くない!?」
「ウルサイッ! 元はといえば、お前が――」
「あのー……なんかもう、わかりました。今は手を引きます」
ヤル気を出すヴェルグリムたちにアミュエルが頭を抱えたところで、勇者たちの空気が緩んだ。
見れば、頷き合って武器を収めている。
一体何が琴線に触れたかわからないが、とりあえずもう争うつもりはないらしい。
「少なくとも、我々が聞かされていた情報と、色々食い違うようです」
「だから、アミュエルが最初からそう言っているのですぅ!」
「とはいえ、こちらとしても、まだ完全に信じることはできませんが……ここへ至るまでの道中から今まで、一貫してあなたがたに人間を攻撃する意志がないのは伝わりました。魔王を止めようとした聖女様の言動は、洗脳されている人間のものではありませんでしたし。我々が戦うかどうかは、改めて情報を精査してからでも遅くない」
「このまま帰るってんなら今回は許してやるよ。っていうかもう来んな」
すこぶる機嫌の悪そうな表情を浮かべているものの、ヴェルグリムは角を引っ込めた。
ただアミュエルだけが、納得しきれずに困惑したまま首を傾げている。
「ヴェル様の剣幕に恐れをなしたわけでもないのに……急にどうして?」
「それは――あんな痴話喧嘩見せられたら、戦意も失せますよ」
「なっ……! ち、違ぁう!!!」
間抜けな聖女の叫び声が、魔王城に響いた。
***
とんでもない爆弾を落として、勇者一行は帰っていった。
アミュエルは、自分の読みが間違っているとは思わない。
少なくとも、しばらくは人間の国同士の問題を解決するために、こちらに手出しする余裕はなくなるはずだ。
「お前なあ、口が上手いのはいいが、もっと自分を大切にしろよ。もう出ていくとか言うな」
「う……。まさか、あんなに引き留めていただけるとは思わなかったんですよぉ」
アミュエルは、ポンっと音がしそうなほど顔を真っ赤に染めた。
ヴェルグリムはそんな彼女へ呆れたような視線を向けるが、口元は満足げに弧を描いている。
「お前のせいで、俺はもっと贅沢になったんだ。ただ縮こまって生き延びるんじゃなく、お前たちと面白おかしく過ごしたい。この生活を守るためなら――精一杯抗ってみせるさ」
「ふふ……私を引き留めたからには、どうぞ末永くお側に置いてくださいね」
「押しかけて居着いたのはそっちなんだから、今さら手放してもらえると思うなよ」
そんなことを言い合って、顔を見合わせて、二人笑い合う。
こんな瞬間が幸せだと、いつから感じるようになったのかわからない。
アミュエルは自由になったその足で、真っ直ぐ魔王城を訪れた自分の判断を、心の底から称賛した。
こうして不要だと追放された聖女は、自分らしく生きられる終の棲家を見つけたのだった。
居場所を見つけた追放聖女と、生きるための理由を見つけた魔王のお話でした!
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