1 バブル崩壊後、「利下げ」と「銀行を救うタイミング」を間違え「デフレ経済」に
筆者:
本日は当エッセイをご覧いただきありがとうございます。
今回は「自民党愚策30年」と題しまして、バブル崩壊後からの30年余りの「愚行の山」を僕なりに分析してまとめましたのでご覧ください。
質問者:
今回はそう言う特集なんですね……。
そもそもの話としてどうして80年代の不動産バブルって起きて、90年代初めにはじけちゃったんですか?
筆者:
ある意味、「戦後の負の遺産」と「日米関係」に基づいたものです。
まず80年代日米貿易摩擦が極まっており、アメリカとしてはどうしても日本からの輸入を減らしたかったわけです。
本来であればアメリカが日本よりもいい製品を作れば良いだけのような気もしますが、そう言う現実的な解決策では無く「日本製を相対的に高くする」という方法を取りました。
それが1985年9月22日の日本、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランスの5か国でかわされたプラザ合意と呼ばれるものです。
最近も「日米協調為替介入」が話題になりましたが、この当時の協調為替介入はなんと5か国で行いました。
そのために僅か1日で1ドル240円から220円と20円の円高。そしてその後5年で120円まで円高が進んだみたいなんです。
質問者:
それは一大事なレベルで円高になっていますけど、そのプラザ合意で円高になったことがどうしてバブルに繋がったんですか?
筆者:
プラザ合意までは日本は外需国で「輸出のための国内投資」に全振りの状況でした。
しかし、プラザ合意によって輸出にかける投資と言うのが空転することが予想されたために景気が冷え込むリスクが出ました。
そこで、政府は利率を2.5%と当時の最低水準まで下げたみたいなんです。
すると、投資として当時は株と不動産ぐらいしか存在しなかったために一機にこの2つに投資が集中しました。
そうやって実態を超えるだけの値段にとんでもないスピードで吊り上がったのです。
質問者:
アメリカさんには逆らうことができませんから、「戦後の負の遺産」という事なんですね……。
筆者:
バブルが崩壊するきっかけになったのは1989年から約1年で、2.5%の金利(旧公定歩合)を6.0%まで急激に引き上げたのです。
というか、逆を言えばそれまで利率を引き上げていなかったとも言えるので、後手に回ったのもバブルが過熱し過ぎた要因とも言えます。
政府はバブル対策の政策として1990年末に大蔵省(現・財務省)が金融機関に通達した土地関連融資の「総量規制」を行いました。これは「不動産向け融資を減らせ」という通達だったようです。
そして、最終的に決めたのがBIS規制(バーゼル合意)です。これは国際的に活動する銀行に対して自己資本比率を8%以上に維持することを求めたもので、1988年から策定され、日本も92年ごろから本格的に適用しました。
つまり、銀行が80年代末から「貸し渋り」や「貸しはがし」に入ったことから資金の流入が止まり、値上がりも無くなり、「値上がり前提」資金を回していた人たちがショートしていきました。
質問者:
なるほど、どちらかと言うと日本国内と言うより国際的な関係がバブルを生んで崩壊もさせたという感じなんですね……。
バブルを崩壊させてしまったことに対して政府の責任はあるのでしょうか?
筆者:
何の価値も生み出さない原野が億単位で売れていた「原野商法」すらも成立していたそうなのでそれは異常だったと言わざるを得ないです。
そのために、「バブルが崩壊した」ことをもって愚策と言うことは間違いだと思います。
ただ気になるのが崩壊直後の対応だと思います。
日銀は1990年1月のバブル崩壊から1年半が経過した1991年7月に公定歩合をようやく6%から5.5%に引き下げました。
その後、1993年2月までにさらに5回にわたって公定歩合を引き下げて2.5%とし、1993年9月には1.75%とします。
金利の引き上げも遅かったですが引き下げるのも遅かったと言えるでしょう。
その教訓? なのか知りませんけど今は実質消費がマイナスでも実際の%だけを見て金利を引き上げるという「早まり過ぎ」という傾向を感じますけどね。
質問者:
本筋とは違いますけど、この頃の利率よりは低いわけですけど、どうして今は利上げは駄目で当時は大丈夫だったんですか?
筆者:
バブルの前後の時期の国民負担率は35%ほどでしたが今は47%まで来ています。
後でこれについては詳しく語りますが、保険料と年金の負担があまりにも増えすぎたのです。
手取りの割合で見た場合では65%残っていた状態から53%残る状況へと、手取り同士で比べると2割近く減っているわけですから、そこから家賃やローンをを支払う余裕なんて無くなります。手取りが増えていない状況での利上げは危険だという事です。
質問者:
筆者:
BIS規制と銀行の体力の減少と言うのは「借りたくても誰も貸してくれない」という悲惨な状況を生んだのです。
貸し渋り、貸しはがしに動いた銀行は企業倒産というしっぺ返しを受けて、不良債権を増大させるという悪循環をもたらし、一気に「平成不況」に陥ったのです。
そののちに資金を政府が注入して金融機関を救いにかかりますが、BIS規制の時点で救うか、銀行の統合を推し進めれば傷口が広がらずに済んだのかなと思います。
このサイト https://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa08-02/s2-08-1-1-2.html では『90年代から2000年代初めに、バブル崩壊とその後の危機対応・再生過程を経験した。その過程で金融機関の不良債権買取や資本注入、破綻処理等、預金保険機構を通じて投入した金額は47兆円に上り、うち約32兆円は回収し、約10兆円が国民負担として確定している。』とあるので、金融機関を救いきれなかった分は完全に足が出てしまったわけです。
質問者:
なるほど……不況は銀行が起因になったわけですから銀行をここで支える必要があったんですね……。
筆者:
この不況を支えるために政府は公共事業を拡大して、あまり意味の無いものを含めて色々と作りました。95年度には35兆円その後も数年30兆円ほどの公共事業を毎年行い、景気の下支えを行ったのです(逆に現在は8兆円ほどしかない)。
http://www2.hokurikutei.or.jp/lib/shiza/shiza10/vol23/topic2/02.html
一方で、当時から「財政赤字」を懸念する声があり、1997年の橋本内閣では消費税を3%から5%への増税、医療費負担増など、9兆円負担増を決めました。
※ただし森永卓郎氏と共産党の試算などの評価のために過大評価の可能性はあり https://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-05/07_0204.html
質問者:
建設業界は潤っても他の業界は借りることが出来ないわけですから不満が爆発しても仕方ないですね……。
筆者:
橋本内閣は増税の影響もあってか直後の第18回参議院選挙で60議席から16議席を減らす大敗を喫したために、辞任に追い込まれましたけどね。
2000年代にもかかる話なので詳しくは次の項目で話しますが、バブル崩壊後、企業を守ることを優先し、当時の若者の人生を犠牲にしました。
労働組合と企業が結んで給料を上げない代わりに雇用を守るという「密約」を結び、給料が上がらなくなりました。
こうして、内需中心の日本は90年代から「銀行の貸付能力の低下」と「デフレ」という苦境に陥ることになったのです。




