冀求(ききゅう)の浪人 VS 無頼の通信士(2)
>先週はパンツイッチョマンの名乗りが終わったところで切りました。一時停止を解除して続きを見て参りましょう。
小太り青年は玄関から扉を開けて出ようとするが、慌てて解錠を忘れています。
♯ ガチャガチャ、ガチャガチャ
>本来外敵から身を護るための錠が、逃走を阻む障害となるのは皮肉。そこにひたひたと裸足で迫るパンツイッチョマン。それを振り返り表情を強張らせる小太り青年。――って、これ、完全にホラー映画の構図じゃないですか! 近寄っているのは本来ヒーローなんですよね? ……って、ここで「はぁ」という返事を送ってきた視聴者の貴方! お見事です!
だけど、こうして本気で人が慌てている場面を見ると、ホラー映画で恐怖となる悪魔とか悪鬼とかが駆けてこないことに、私は「本気出せよ」とイラついたことがありますが、被害者当人にとっては歩いてくるだけでかなり怖いんだな、と思い直します。小太り青年、鼻水垂れていますもんね。これが走ってくるなら、そしてパンツイッチョマンなら疾走もあり得るので、ショックが大きすぎて失神しかねないです。
と説明しながら、場を繋ぐこの話術。我ながらほれぼれしますね。ええ、誰も褒めてくれませんから自分で言っています。てか、いい加減落ち着け! 小太り青年よ。
♯ カシャ
>お、開いた! ロックを外すことには気付いていたんだけど手が震えて掴めていなかったんです。そして、パンツイッチョマンに追いつかれる前に扉を抜けて――って、あ、これ――
小太り青年: ひ、ひいぃぃ!
>思わずまた情けない声を出して硬直する小太り青年。それは仕方ありません。扉を開けてマンションの階段の踊り場に出ようと思ったら、また別の人影に立ち塞がられたのでした。おそらく本人はそれがどういう人かという認識すらできていなかったのですが、一時停止ができる我々ははっきりわかります。その男は着古した着物をまとった――はい、忝い侍ですね。
この忝い侍は、小太り青年が姿を現した途端、さっと動いて次の瞬間には抜刀した切っ先を小太り青年の喉元に突きつけていました。これ、状況をわからず小太り青年が突進していたら、喉を突く形になって大変なことになっていました。驚いたらフリーズするという小動物的習性の人物で命拾いしましたね。
侍: こやつが、拙者の賞金首か?
>ぼそりと言われた一言の迫力に、小太り青年が……うん、まあ仕方ないですね。死ぬよりずっとましですから皆さんも見なかったことにしてあげましょう。カメラもそちらは映しませんが、私は状況をお伝えします。ええ、失神はしませんでしたが失禁しちゃいましたね。……いや、「露骨に言うなんて冷たい」とか「大人げない」とか言われてもこちらは状況をお伝えする仕事だから仕方なくですよ。……でも大人になってお漏らしって、うぷぷ……あ、うそ、今のは意地悪じゃなくて冗談ですよ。
P1: いや、むしろ逆だな。そちらが貴殿へ食べ物を提供してくれるお方だ。まあ、まだ確定とはなっていないが――おっと。
>ふにゃふにゃと脚の力が抜けてへたり込みそうになっていた小太り青年を、傍まで迫ったパンツイッチョマンが脇抱っこの形で受け止める。おかげで彼は、自分の尿の上に座るのを止められた。
P1: 大丈夫かな、モーターマン・サキザキ。立てるか?
>サキザキっていうのは名前ですかね? えーと、玄関先の表札は……そうですね。近年はプライバシー保護の観点から表札を出さない方も増えています。
でもこれって運送業の方からすると困るというか、嬉しくない変化のようです。荷物を宅配した時、多くの場合不在になっているのですが、それで置き配達をしようにも表札がブランクだから最終確認が取れにくいのです。住所が合っていたらそれでいいじゃん、と思うでしょうが、差出人が高齢者の場合などで住所の書き間違えは結構ありますし、マンションの中に入ってしまえば、おしゃれなのかプライバシー保護なのか理由はわかりませんが、部屋番号などもわかりにくい場合があります。それでも頑張って置き配達してスマホ撮りしたら、しばらくして「間違ってるぞ、コラァ」と苦情が来る。「そっちがわかりにくいんだろ。間違ってほしくなければ表札をちゃんと出せ」と思うそうです。間違っているという指摘も、「次の配送地へ走り出す前に送れ」とのこと。もちろん、全ての配送業者の方がそう思っているわけではありませんが、そういう声があるということを、この機会を利用してお伝えしておきます。
>名前を言われたためかビクリと震えた小太り青年でしたが、震えつつもなんとか自力で立ちます。やはり、粗相をしてしまったことは恥ずかしそうな顔をしていますね。
P1: 排尿の事は別として、私に伝えておくべき事件が起きたのではないのかね?
小太り青年: そ、そうです! そうでした! た、大変なことが起きているのです!!
>小太り青年は、向き直ってパンツイッチョマンにすがりつきそうな勢いで話し出したが、あいにくパンツイッチョマンに脇抱っこされたままなので、向きは変えられない。脇抱っこ、いわば相撲で両まわしを取られた状態なので、もはや自在に身動きが取れないのだ。
侍: では、その前に。拙者は米を所望する。
# ぐぐぅぅ
>「私も」とばかりの腹の虫ちゃんが同意の声を上げますが、むしろ同意というより貴方が空腹に関しては中心的存在です。しかし、場面転換としては良い区切りになりました。
で、あれから色々あった。……いや、最勝寺先生が好きなフレーズだから私も言ってみましたが、色々というほどはありませんでした。
小太り青年の着替え。バケツに水を汲んでの共用階段の清掃。くらいかな。時間にして十分ほど。その間、パンツイッチョマンが小太り青年から話を聞こうとしたが「後にしてください」「だったら、掃除手伝ってくれますか?」と言われて、パンツイッチョマンはフロントラットスプレッド風の姿勢で立ち尽くす方を選びました。掃除の手伝いが面倒だったのか、他人の尿事情に関わりたくなかったのか。もし後者であれば、おそらくパンツイッチョマンは介護の仕事に就いていないのだろうという推測ができますね。もしそうなら慣れているから気にしないでしょう。……って、みなさんは、それくらいは偉そうな態度からわかっていましたか?
# ぐぐぐぅぅ
>あれから色々あった後も明けの合図は腹の虫さんです。その音に、小太り青年が紙タオルモップで床を拭いていた手を止める。ちなみに、フローリングから拭きとっていたのはパンツイッチョマンの足跡だ。あの人は裸足で歩いているせいで、室内に入ると土足上がりこみ状態で足跡が残るのです。これは靴跡を上回る明確な証拠になりますね! まあ、それを拭きとっているから証拠としては残らないのですけれど。
小太り青年: ……お腹が空いているんですか?
>実はもう腹の虫さんの訴えは何度もあったのですが、日常生活では誰かの腹が鳴ったところでスルーするのがマナーです。だから小太り青年も触れないでいたのですが、連発されるとさすがに気になるようです。
侍: 左様。些か。
腹の虫: ぐぅう~~
侍: ……いや、かなり。
>忝い侍の虚栄に対する、腹の虫の抗議を受けて、宿主も素直に現状を吐露する。――てか、腹の虫さん、効果音の域から脱してキャラクター化しちゃっているじゃないですか!
小太り青年: じゃあ、食べ差しですが、そのカップ焼きそばを食べますか?
侍: いや、医躑躅殿から淫した食べ物には触れるべからずと――
P1: ――インスタント食品の間違いだろうな。
>パンツイッチョマンの訂正に、忝い侍はそちらを見上げる。ちなみに、パンツイッチョマンは掃除の邪魔にならないようにいつもの偉そうなフロントラットスプレッド風の姿勢で、入ってきた窓近くに立っている。もちろん、そのまま歩き回られるとまた汚れるので、スリッパを履かされていた。小太り青年は雑巾で足の裏を拭くように勧めたのだが「いや、結構」とまるでサービスを遠慮したように答えられ、「そうじゃなくて、こっちが迷惑なんだよ」と思ったのだろうが説明するのが面倒になったらしく、スリッパ一対を無駄にする選択をしたようだ。
忝い侍は草履派だ。手作りらしく様々な材料のハイブリッドで編まれているのだが、今はそれを玄関で脱いで、スリッパを履かされた後でパンツイッチョマンの隣で胡坐をかいて待っている。実践したらわかってもらえるでしょうが、スリッパと胡坐というのは相性が悪い。なので、今スリッパは脇に揃えて置かれている。どうでも良い情報ですが、パンツイッチョマンの物も忝い侍の物も、どちらも当然ながら鉄道関連の模様のあるスリッパだ。恐ろしい凶器となる竹光は、鞘ごと抜いて肩にもたれ掛けさせるように抱いている。
侍: い、いんすた、淫した食物――
P1: ――イ、ン、ス、タ、ン、ト、食品
>たどたどしく復唱しようとして全く実践できていない忝い侍に、一語一語区切ってわかりやすく伝えるパンツイッチョマン。忝い侍はそれにわかったとばかりに頷きを返す。
侍: 淫した食物
>いや、わかってねえだろ! しかし、今度はパンツイッチョマンが頷く。訂正できないということがわかった、という判断であろう。
腹の虫: ぐぅ~~~うぅ
>忝い侍の判断に異議を唱える腹の虫。インだろうがアウトだろうが、食える物なら何でもいい、とでも主張しているのだろう。代弁したうえで申し訳ないが、淫したという意味はおそらく堕落したという感じで忝い侍は使っているのだろう。だから、内や外は関係ない。アウトとセーフとヨヨイのヨイも無関係だ。
小太り青年: はっ! そういえば、大変なことが起きているんです。
>パンツイッチョマンに質問された時は「今は手が離せない」状態だった小太り青年の心情を動かしたのは、おそらく、「俺、今、なんでこんな所に居るんだろう」という気にさせたパンツイッチョマンと忝い侍のバカバカしい掛け合いに違いない。
小太り青年は持っていたワイパーを近くに立てかけ、パソコン机へと向かう。
小太り青年: ほら、これなんですけれど――
>と言いかけた小太り青年であったが、まあなんというか散らかっているというか、散らかエッチってるというか、そんなデスクトップ画面の状態に慌てる。
小太り青年: あ、ちょ、ちょっと待っててください。あっち向いていてください。
P1: いや、気にすることはないぞ、モーターマン・サキザキ。健全な青年であれば……
>言いかけていた言葉を止めると、パンツイッチョマンは両腕を組んで小首を傾げる。
P1: いや、健全と言い切るにしては偏りがあるような……
>そこは放っておいてあげましょう! 人それぞれの嗜好というものがあるのです。耳を真っ赤にしながら小太り青年がちょちょいとデスクトップを片付けると、ブラウザを開いて、ある掲示板の画面を見せる。
小太り青年: ほら、ここです!
>示された画面をパンツイッチョマンが覗き込む。この時の講座はやはり、パンツイッチョマンのバイザーにモニターの文字情報が映り込むのが定番ですね。おかげでこちらは文字が逆さまになって何が書いているかさっぱりわかりません。
P1: なるほど。……これは日本語だな。
>何を今更当たり前のことを、思われたかもしれませんが、これは仕方がないのです。
P1: しかし、何が書いているのかがよくわからんぞ。
>と、またふんぞり返る。そう、マニアが│跋扈する掲示板って専門用語があり過ぎて知識のない方には理解するのが難しいのです。この感覚は外国語の学習、特に英語なら多くの方が体験されていると思いますが、その過程で似た経験をされているはずです。
知らない単語のせいで一文四割ぐらい理解しかできていない場合、次の一文を読むことで分からなかった内容が補完できて理解の割合が上がる――のはむしろ稀ですよね? わけがわからないのが重なって理解率かドンドン低下していくことの方が多いのではないでしょうか?
この事から言えるのは、過度に進んだ専門文書はもはや半端にしか読めない外国語文書と同等という事実です。それを受けて、「なーんだ、外国語だから毛嫌いしていたけれど、ちょっとマニア化すれば済む話じゃん」と前向きに思うのか、「じゃあ専門文書が理解できなんて当然じゃん」と諦める側に進むのかは個人の見解によりますね。些細な事からでも全く逆へ進む分岐が潜んでいるのです。
小太り青年: あ、そっか。アングラだから隠語とか含んでいるもんな。
>おっと専門用語だけよりずっと難解に変わっていたようです。それをさっと理解していたあたり、見方を変えると、小太り青年はバイリンガルとさえ言えますね。
小太り青年: だったら、これならどうですか?
>小太り青年は、ヘッドホンを手に取るとそれを装着するようにパンツイッチョマンに促す。素直にそれを受けると、いちいちフロントラットスプレッド風の姿勢で胸を張るパンツイッチョマン。
P1: ふむ、これは……鉄道無線だな。
>おっと、ここで当番組の弱点が露呈されちゃいました。ヘッドホンで音を占有されちゃうと、こちらで何が聞こえているのか一切わからないのです。いや、普段ならさほど問題にはなりませんよ。ヘッドホン着用者の表層思考にアクセスすれば済む話なので。しかし、それが異能者、しかもパンツイッチョマン│級になると全くもってお手上げです。
P1: そして、新幹線……
>パンツイッチョマンの呟きにウンウンと頷く小太り青年。
P1: 大爆発?
>って、ダメでしょう! それじゃもうあの映画とほとんどタイトルが丸かぶり状態です。
小太り青年: え、爆発するんですか!?
>その情報は初耳だったらしく、こちらも驚いているようだ。
P1: いや、なんとなく?
>ここで疑問符を押し付けられても困ります。小太り青年もひったくるようにヘッドホンを取り返し、通信内容を確認する。
小太り青年: いや、やっぱり暴走しているだけですね。今のところ。
P1: 今のところ?
>これは良い方の疑問符ですね。確かに付け足された一語は不穏な臭いがします。
小太り青年: はい。ここままではいずれ、脱線します。
>冷静に、大事故を予言する――
腹の虫: ぐぅぅ~~
>って、緊迫する空気に耐えきれなかったのか腹の虫ちゃんが呻いちゃいました。でもまあ、ここで一旦区切りですね。また来週~。




