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  作者: ぱっかー
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第弐帳:【記憶】

 

『――だ』


 (これは……記憶……?)


 くたびれた和服をまとった男だった。

 長い黒髪を後ろで束ねている。

 ただ立っているだけなのに、空気が張り詰めていた。


『――れ……だ?』


 (何か言って?)


『 お 前 は 誰 だ 』


 その声が響いた瞬間。

 景色が音もなく崩れた。

 男の姿も――すべてが闇に沈んでいく。


 ――意識が戻る。


(がッ?!)


 右足の激痛が、沸騰した鉛を流し込まれたような熱量へと変わる。

 いや、それは痛みじゃない。

 空っぽの器に、許容量を超えた「」が強引に注ぎ込まれている音だ。


「……あ」


 声が出た。

 それは僕の声であって、俺の声ではない気がした。

 濁流のように流れ込む、見知らぬ戦い、見知らぬ術理、そして――底なしの、静かな怒り。


 無意識に右手を突き出していた。

 化け物が喉笛に触れる、そのわずか数ミリ手前。


「――(ぜつ)


 パチン、


『な゛……、ん゛て゛…………』


 直後、化け物の動きが止まる。

 数多の顔が、一斉に目を見開いた。

 驚愕、あるいは、解放。


 衝撃も、光もなかった。

 ただ、世界の「密度」が失われた。


 空間が微かに歪み、化け物の巨体ごと、その一帯の「灰色」がさらに薄く、透明に透けていく。

 それは破壊というより、まるで乱暴に消したかのような、あまりに呆気ない消滅。


 殺意を煮詰めた咆哮も、数百の死者の怨嗟も、その「消し跡」に吸い込まれるようにして、音もなく霧散していった。


 鳥居ほどもあった怪物は、一陣の風に吹かれた塵のように消滅した。

 あとに残ったのは、静まり返った灰色の森と、右足から血を流して座り込む僕だけだった。


「はっ、……はぁ、はぁっ……!」


 命の危機は去った。否。

――――ビリリッ


 左に空間が無いように感じる。左の鼓膜をやられたみたいだ。


 下の方に目をやると、ぐしゃりとした傷口から神経がむき出しの右足。ドクドクと、血が足元から雪解け水のように流れ出していく。


(僕の……右足……)


〈ほぉう?〉


(誰…だ…?)

〈さ……がは、……………じゃ…な〉

(あ、これやばい……やつ……)


 視界の端から(すす)が混じるように黒ずんでいく。音が遠のき、意識を手放してしまう。


 ◇ ◇ ◇


 ――温かい。


 すべてが冷え切ったこの世界で、そこだけが異常なほどの熱を持っていた。

 鼻腔をくすぐるのは、線香のような、あるいは雨上がりの森のような、どこか懐かしい香り。


 むにっっ


(むにっ?)


 懐かしい音色に疑問符を浮かべる。視界を開いた先は銀色の髪がカーテンのように僕を覆い、その隙間から、射抜くような黄金の瞳が僕を覗き込んでいた。なんて美しい顔立ちだろう、この世の語彙では形容しきれない、完成された『造形美』がそこにあった。クトゥルフで言えばAPP 18ある。


(そんなことより.........)

(なにこの状況?)


 後頭部に伝わる、吸い付くような太ももの弾力。

 逃れようと身をよじった瞬間、のぞき込むように前傾姿勢をとった彼女の胸元が、爆ぜるような質量をもって僕の視界を塗りつぶした。


 もはや黄金の瞳も国宝級の美貌も、その圧倒的な「山脈」の向こう側へと消え去ってしまう。鼻先が柔らかな境界に埋もれ、吐息さえも熱となって跳ね返る。


(……っ、見えない……)

〈ほう、顔が見えぬか。……それとも、余計なものを見すぎて、目が眩んだか?〉

(こいつ、直接脳内に?!)

〈それは、脳内に語り掛けられた時のありきたりな反応じゃ〉


 彼女はクスリと、鈴を転がすような音を立てて笑う。


〈そこは、『こいつ、思考を?!』と驚くところじゃろう〉

「たしかに」


 思わず納得してしまったが、何も解決していない。

 僕は慌てて質量から 身を翻そうとしたが、右足の感覚がなく、無様に膝の上でのたうつだけだった。


「……じゃなくて!、なんで思考を読めるんだ?」


〈人ではないから。……と言ったら、お主は信じるか?〉


「……」


 薄々そんな気がしていた。今まで起きていた非現実的な事象や生物?は、僕の鬱が引き起こした幻覚や夢なのだと。


 しかし、先ほど右足を失った際、脳を直接焼き焦がしたあの激痛。断面からドクドクと命が零れ落ちていく、あの絶対的な虚無感。あれほど「生々しい死」を、ただの空想で片付けられるはずがない。


(ない?……)

「スゥーーー」


(右足あるくね?)

〈なんじゃ。いまさら、気が付いたのか?〉


 おかしい……あの苦痛は何だったんだ?


(やはり……夢?)

〈夢ではない〉

「当たり前のように思考を読むな」


 本当に調子が狂う。


〈そんなことより、先ほどの質問の答えをもらってないのだが?〉

「……少なくとも、人の考えを読む奴を『人』とは呼べない」

「……悪魔か?」


 彼女の顔が心底、呆れた表情になったがすぐ笑みを取り戻した。


悪神(あくま)ではない。余は、この社の神主じゃ〉


 そういうと神主(かのじょ)は、僕の出方を値踏みするように見つめてきた。

 そう思うと、なんか……急に緊張してきた。


(しっかし……)


 なんだ?この違和感は……。

 まぁ…とりあえず、この人?から敵意は感じられない。


「質問に答えてもらぅ…いまㇲ?」

〈なぜ疑問形なんじゃ。敬語…まぁ…よい〉

〈答えられる質問なら答えてやってもよい〉


 神主はそう告げると、流れるような所作で両腕を広めの袖の中へと滑り込ませた。


「ここは、どこだすか?」

〈それはどこの方言じゃ?〉


 ……狙ってやった。決して緊張しすぎて噛んだわけではなく、ただの国民的忍者アニメ忍〇ま乱〇郎のし〇べヱパパリスペクトだ。


「……ここはどこですか?」

〈ここは、生と死の間。幽世(かくりよ)じゃ〉

「生と死?、かくりよ?」


〈まずお主、……死のうとしたじゃろ?〉


――心臓が跳ねた。

 即座に飛び起き、警戒の体制を整える。そして、目の前の何かを見据える。

 見透かされた。すべてを清算しようとした、あの冷たい決意を。


〈何せ、この幽世。死のうとした者しか入れぬからな〉


 困惑、焦り、ネガティブな感情が僕を襲い、飲まれる。

 

「死者は皆、幽世(ここ)に来るのか?!」

「なぜなくなった右足がある?!」

「あの化け物はなんなんだ?!」


「僕はもう()()()のか?!」


 動揺を塗りつぶすように、僕は言葉を叩きつけた。

 そうでもしなければ、自分という存在が足元から崩れ落ちてしまいそうだったから。


〈落ち着け。質問を畳みかけるのも、焦って死を急ぐのも、若者の悪い癖じゃ〉


 神主(かのじょ)は僕の額に冷たい指先を置き、暴走する思考を無理やり黙らせる。その指の冷たさは、彼女の膝の温もりとは対照的な、絶対的な拒絶のようでもあった。


〈一つ。ここは死者の皆が来る場所ではない。ここは『幽世』。現世から零れ落ち、行き場を失った未練が形を成す、世界の裏側よ〉


「……零れ落ちた、未練……?」


〈左様。お主らがいた現世は、生者が死を待つ場所。だが、この幽世は、死にきれぬお主のような者が、こうして余の膝を枕にする羽目になるのじゃ〉


〈二つ。お主の足は無事じゃ、その身は現世にあるからのう。幽世(ここ)で負った傷は、現世の者には残らぬ。お主はそろそろ現世(あっち)に回帰する。だから足が()()()と勘違いした〉


 彼女は僕の右足を、黄金の瞳で見据える。


「……三つ目。あいつだ。……あの、化け物はなんだ?」


 彼女の表情から、慈愛のような笑みが消え、底冷えするような冷徹さが顔を出す。


〈あれは『(けがし)』。……死を拒み、無様にこの世にしがみついた怨念の成れの果てよ。あ奴らは生者を求め、魂を貪り喰らう〉


 彼女は僕の顎をくいと持ち上げ、鼻先が触れそうなほどの距離で囁いた。


〈最後に。お主はまだ死んでおらぬ。正確には、死に損なったのじゃ〉


「死に損なった?」


〈お主が幽世(ここ)に迷い込んだ理由にもつながる〉

〈あの小娘がお主を死に損ないにしたのじゃ〉


「………」


 冷徹な顔が再び笑みを取り戻す。


〈あの小娘に感謝するのじゃな。途轍もない想い〉

〈死者になろうとしたものを引き戻すなど前代未聞じゃ〉


「小娘って…」


〈お主がゆきって呼んでいるものじゃ〉


 それを聞くとなぜか先ほどまでの動揺が嘘みたいに消えていった。


(やっぱり、ゆきは世界一の美女で慈悲深くこんな僕を愛してくれて。あぁああ…パンツ嗅ぎたい)


〈うわ……〉


 如何やら思考を読まれたらしい。まぁ…関係ないが。


〈ぉお、お主もそろそろ戻るころ、じゃな。あ…はは…〉

「わかりやすく引くな」


 はじめて、彼女が人間らしく感じれた。


「ん?なんか今、重要なこと言わなかった?」


〈おや?〉


 国民的電気ネズミが進化しそうな時のようなセリフが聞こえたとき、ふと視線を落とすと、自分の輪郭が陽炎かげろうのように揺らぎ、境界線からじわりと透け始めていた。


(……消える?)


心臓の鼓動が、自分のものとは思えないほど激しく耳朶を打つ。動揺が戻る。


「ま、待って……! 僕、このまま、どうなるんだ……っ!」


そして、彼女は僕の訴えを無視するように呪いよりも重い最後の一言を置いていった。


〈そうそう、忘れておった。一つ、冥土の土産に教えてやろう〉


 視界が白く爆ぜる寸前、彼女の唇が弧を描く。


〈小娘は、もう()()()ことはない〉

お読みいただきありがとうございます。

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