表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/16

第9話(平和) 囲い

会社の入口で、僕――そらは足を止めた。


 警備員が増えている。

 制服が新品っぽい。立ち方が硬い。

 視線が、僕の顔で止まる。


 嫌な予感は、だいたい当たる。


「おはようございます、そらさん」


 声をかけてきたのは、みずほ。

 丁寧な口調なのに、距離が近い。逃げ道を塞ぐ距離。


 隣にはさえ。タブレットを抱えたまま、僕の右腕を見る。


「右腕。見せて」


「……何でですか」


「照合」


 短い。切り捨てるみたいに。


 僕は入館証をかざそうとして、手を止めた。

 この状況で中に入ると、戻れない気がする。


「遅れます」


 みずほが笑った。目だけが笑っていない。


「遅れません。今日は出社扱いにしてあります」


 勝手に、という言葉が喉まで上がって消えた。

 代わりに胃が沈む。


 その瞬間、胸の奥が――冷たく撫でられた。


 慣れてる。

 慣れてるのに、毎回気分は悪い。


【カゲ】(触るな)


【カゲ】(触らせるな。囲うな。近づくな。息が臭い。やめろ)


 僕は表情を動かさない。

 返事もしない。

 ただ指先が、微かに熱を持つ。


 (また始まった)


 みずほが僕の顔を見て、ほんの少し眉を動かした。


「……体調、悪い?」


「普通です」


 嘘じゃない。

 普通が壊れてるだけだ。


 ◇


 みずほが手を上げた。


 左右から男が寄ってくる。警備員の格好。

 でも動きが職人みたいに無駄がない。


「抵抗しないでください」


 みずほの声は最後まで丁寧だった。


「安全に移動するだけです」


 移動。

 囲い。

 言葉を選ぶ余裕がある相手は、もう準備が終わってる。


 身体が固まる。

 固まる前に、胸の奥が先に動く。


【カゲ】(手を出すな。触らせるな。折れ。潰せ。止めろ)


 僕の左腕が伸びる。


 左の男の手首を掴む。

 掴んだだけで、相手の動きが止まる。


 右の男が肩を押す。

 押されても、僕は動かない。


 男の目が一瞬だけ揺れた。


「……何だこいつ」


 (やめろ、ここ会社だ)

 心の中で言って、終わりにする。

 声にはしない。


 掴んだ手首をひねる。

 関節が鳴る直前で止める。

 男が膝から崩れ落ちる。痛みで息が詰まる音。


 右の男が膝を入れてくる。

 僕は腹で受けた。


 痛い。

 なのに倒れない。

 男の方が足を引いて、顔色を変えた。


 みずほが小さく息を吐く。


「……報告通りだ」


 さえがタブレットを見たまま言う。


「耐性、想定より上」


 物みたいな言い方。

 腹の底が冷える。


【カゲ】(撃つ)


【カゲ】(撃たれる前に潰せ。潰せ。潰せ。音を止めろ。手を止めろ)


 みずほが指を動かした。


「距離を取れ」


 一人が後ろへ引き、腰に手をやった。


 銃。


 会社の入口で?

 現実が一段ずれる。


 僕の喉が鳴る。

 でも足は止まらない。


【カゲ】(遅らせろ)


【カゲ】(一拍でいい。半拍でいい。止めろ。止まれ。そこで固まれ)


 僕は何もしてない感覚なのに、空気が引っかかった。


 銃を構えた男の動きが、一瞬だけ遅れる。

 引き金を引く指が、最後まで落ちない。


「……っ?!」


 男が目を見開く。


 さえが淡々と言う。


「反応遅延。原因不明」


 みずほの声が低くなる。


「近づくな」


 遅い。


 僕の足が勝手に前へ出る。

 銃口の内側へ。


 手首を叩く。

 銃が床に落ちる。乾いた音。


 僕はそれを蹴って遠くへ滑らせた。

 みずほの目が一瞬だけ鋭くなる。


【カゲ】(次)


【カゲ】(次は誰だ。誰が触る。誰が縛る。出てこい。全部止めろ)


 僕の心臓がうるさい。

 このまま続けたら、社会が終わる。僕の。


 (逃げる)


 その判断だけは、僕がした。


 半歩下がるふりをして、身体の向きを変える。

 出口へ。


 ◇


「そこまでです」


 声が割り込んだ。


 くろえだった。

 スーツ。丁寧な顔。場違いな落ち着き。


 くろえはみずほに頭を下げた。


「初めまして。くろえと申します。社内の安全担当です」


 みずほが笑う。


「名簿にない」


「載せない枠です」


「そんな枠、ない」


 さえの声は冷たい。


「あります」


 くろえは即答した。根拠を出さないのに、言い切る。


 くろえは僕の横に立ち、囁く。


「……今は退きましょう」


 僕は頷いた。

 口に出すと余計な情報になる気がした。


 みずほが一歩前に出る。


「連れていくのか」


 くろえが微笑む。


「本日は体調不良として帰宅させます。会社で倒れられると困りますので」


「誰が困る?」


「全員です」


 くろえの嘘は滑らかすぎる。


 みずほは視線を僕に戻した。


「そらさん。君は――」


 言い終わる前に、くろえが僕の袖を引いた。


「こちらへ」


 僕は従った。

 従った方が、今は生き残る。


 ◇


 車の中。


 街はいつも通りだ。

 信号も、コンビニも、歩く人も。


 なのに僕の手のひらだけが、熱を残している。


 くろえが運転しながら言った。


「あなたは目立てば目立つほど、囲われます」


 僕は窓の外を見たまま、短く返した。


「……嫌です」


「でしょうね」


 くろえは淡々と続ける。


「彼らはあなたを“管理”したい。

 管理できないなら、生活を壊してでも従わせる」


 その言い方が、現実的すぎて腹が立つ。


 胸の奥で、声がざわつく。


【カゲ】(壊すな)


【カゲ】(壊される前に壊せ。囲いを潰せ。手を折れ。足を折れ。息を止めろ)


 僕は目を閉じた。


 返事はしない。

 相手をすると増えるから。


 (黙ってろ)

 心の中でだけ言って、飲み込む。


 くろえが、ちらりと僕を見る。


「……疲れますね」


「はい」


「しかし、慣れてもください。今後、似た状況は増えます」


 増える。

 最悪だ。


 でも、否定できない。


 車窓に映る自分の顔は、普通の社畜のままだ。

 普通のまま、普通じゃないものに囲われていく。


 胸の奥で、低い笑いが鳴った。


【カゲ】(もっと)


 僕は返さない。


 ただ、指先の熱だけが、なかなか消えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ