第7話(荒廃) 四つ目のやつ
広場の端で、瓦礫がゆっくり持ち上がった。
いや、持ち上がったんじゃない。
“そこにいたもの”が立ち上がった。
赤い目が四つ。
輪郭がぼやけて見える。近づくほど、空気が重くなる。
ソラは唾を飲んだ。
「……さっきのと、格が違う」
しずが獣の口で笑った。
笑い方が、悪い。
「うん。やっと殴り甲斐ある」
レオンが前へ出ようとして、ミラに肩を掴まれた。
「出るな」
「でも――!」
「死ぬ」
ミラの言葉は短い。
短いけど、足が止まるくらい重い。
しずが手首を見た。
淡く光る痕。
それが、さっきよりはっきりしている。
しずが小さく舌打ちした。
「……勝手に目を覚ますなよ」
何に言ったのかは分からない。
でもしずの声は、怒りと――ほんの少しの高揚が混ざっていた。
四つ目が、声を出した。
「……勇者の匂い」
ぞっとするほど静かな声だった。
人間の声帯で出してるみたいに“整ってる”。
レオンの顔が一気に強張る。
「しゃべった……!」
四つ目はゆっくり首を傾げた。
「名乗っておこう。わたしはギル。新魔王軍、斥候隊の“目”」
名乗りが丁寧なのが、逆に嫌だ。
礼儀がある敵は、だいたい強い。
ギルの四つの目が、しずの手首へ吸い寄せられる。
「……光が見える。勇者印。ここに居たか」
しずが獣の口で吐き捨てる。
「見つけるの、早すぎ」
「目だから」
ギルは淡々と答えた。
「壊す。救護所。人間。居場所。全部」
その言い方が、ただの宣告で。
だから余計に腹が立つ。
しずが一歩踏み出した。
「じゃあ、先に目を潰す」
ギルが笑った。口だけ。
「できるなら」
◇
ギルが動いた。
速い。
影じゃない。狙いがある動きだ。
しずが迎えに出る。
獣の腕を振る。
――当たらない。
ギルが“ずれる”。
そこにいるのに、そこにいないみたいに。
しずの爪が空を裂き、砂が舞った。
「……うざっ」
しずが低く唸った瞬間、ギルの指がしずの脇腹へ刺さる。
爪じゃない。針みたいな指。
痛みが遅れて来るタイプのやつ。
しずが顔を歪めた。
だが。
手首の痕が、ぱちっと光った。
裂けた肉が、また閉じる。
血が止まる。
しず自身が、笑いそうになって笑うのを止めた顔をした。
「……やっぱ、これ……腹立つな」
レオンが息を呑む。
「今の……治った……?」
ミラが短く言う。
「回復。勇者印」
ギルの目が細くなる。
「……戻っている。面倒」
しずが笑った。今度はちゃんと笑った。
「面倒なら帰れ」
◇
ギルが広場の地面を叩いた。
砂が跳ねる。瓦礫が浮く。
その浮いた瓦礫が、矢みたいに飛んできた。
レオンが前に出る。
「ソラ、下がれ!」
瓦礫がレオンの肩を削る。血が出る。
レオンが歯を食いしばる。
「ちっ……!」
ミラがレオンの背中を掴んで引き戻す。
「盾になるな。死ぬ」
「でも――!」
「死んだら守れない」
ミラの理屈は冷たい。
冷たいから正しい。
ソラの胸の奥が騒いだ。
【カゲ】(目。あいつの目。割れ。割れ割れ割れ。見えなくなれ)
ソラの手のひらが熱くなる。
「……っ、救護所は?」
しずが叫ぶ。
「ここは外! 好きにやれ!」
その一言で、ソラの足が動いた。
ソラは走った。ギルへ。
ギルの四つの目が、ソラを見た。
「……器が動く。中身が騒ぐ」
ソラは意味が分からないまま、殴った。
拳が――当たらない。
ギルが“ずれる”。
ソラの拳が空を切る。
【カゲ】(ずれる? ずれるなら、囲え。逃げ道を潰せ)
「囲うってどう――」
ソラが言い終わる前に、指先の火花が走った。
地面の砂が巻き上がる。
円になる。
ギルの足元の砂が、粘る。
ギルの動きが一拍遅れた。
しずがその遅れに噛みついた。
獣の腕がギルの肩を裂く。
黒い血が飛ぶ。
「当たるじゃん」
しずが笑う。
ギルが静かに言った。
「……邪魔」
ギルの目が光る。
次の瞬間、ソラの視界がぐらついた。
目眩。吐き気。足元が遠い。
ソラが膝をつく。
「う、わ……何これ……」
レオンが叫ぶ。
「ソラ!」
ミラがソラの前に出る。
「見るな。目を合わせるな」
ソラは片目を閉じた。
胸の奥の声が、笑う。
【カゲ】(見るな? じゃあ、潰せばいい)
ソラは歯を食いしばって立ち上がった。
目を合わせない。
でも位置は分かる。なぜか分かる。
ソラは両手を広げて、火花を散らした。
砂が舞う。
瓦礫が跳ねる。
ギルの足元が沈む。
ギルの動きが止まる。
一瞬だけ。
その一瞬に、しずが飛び込んだ。
「――目、潰す」
しずの爪が、ギルの顔へ。
ギルが“ずれよう”とする。
だが砂が絡む。逃げる足が滑る。
しずの爪が、四つの目のうち二つを裂いた。
ギルが初めて声を荒げた。
「――っ!!」
しず自身も目を見開いた。
「……当たった」
その言い方が、どこか信じられないみたいだった。
レオンが叫ぶ。
「しず!! 今の、勇者様の時みたい――!」
「言うな!」
しずが怒鳴る。
でも、口元が少しだけ上がっている。
ミラが淡々と言う。
「戻ってる。……しずの動きも、反応も」
しずが吐き捨てた。
「戻ってほしくないのに戻るんだよ!」
◇
ギルが後退しようとする。
目が二つ潰れても、残り二つで見ている。
「……撤退」
ギルが静かに言った。
しずが一歩踏み出す。
「逃がすかよ」
ギルは淡々と返す。
「逃げる。次は本隊」
その言葉が、寒い。
レオンの顔が青くなる。
「本隊……!?」
ミラが短く言う。
「急げ。倒せ」
ソラの胸の奥が、くつくつ笑った。
【カゲ】(倒せ。壊せ。逃げ道、要らない)
ソラは息を吸って、吐いた。
怖い。
でも、逃がしたら救護所が壊れる。
ソラは走った。
ギルに向かって。
ギルの残った目が、ソラを見た。
「……狂っている」
ソラは笑った。
「狂ってんのはお前らだろ」
そして、ソラは手を突き出した。
砂が、ギルの足に絡む。
瓦礫が、背後に落ちる。
逃げ道が一瞬だけ閉じる。
しずがそこへ踏み込んだ。
爪で裂くんじゃない。
掌底みたいな一撃。
――衝撃が走った。
ギルの身体が、内部から潰れたみたいに崩れ落ちた。
四つ目の“目”が、砂に沈む。
静寂。
しずが息を吐いた。
「……はぁ。最悪」
レオンが、信じられない顔で笑った。
「勝った……! 救護所、守れた!」
ミラは短く言う。
「まだ終わってない」
しずが手首の痕を見て、眉を寄せた。
「……懐かしいの、ほんと腹立つ」
ソラは膝に手をついた。
胸の奥が、まだ騒いでいる。
【カゲ】(いい。もっと欲しい。次。次は?)
「次とか言うな……」
レオンがソラの肩を叩いた。
「ソラ! お前、やっぱり――」
ミラが横から切る。
「今は言うな。戻る」
しずが救護所の方向を見る。
「居場所、壊れてたら殺す」
レオンが慌てて頷く。
「壊れてねえ! 絶対守った!」
四人は走った。
守るために。
そして、壊すために。




