第5話(荒廃) 救護所で、勇者になった
ダイチの案内は雑だった。
でも、雑な案内でもこの世界では命綱になる。
「こっち! この辺は人がいる! 人がいると魔獣が寄りにくい!」
「根拠薄い!」
「根拠なんて死んでから考えろ!」
ダイチは叫びながら走る。
ソラも走る。
腕が痛い。熱い。
斥候に裂かれた場所から、まだ血が滲んでいた。
そして胸の奥では、あの声がずっと笑っている。
【カゲ】(走れ走れ。まだ終わりじゃない。次も来る。もっと来る。いいね、いいね)
「……黙れ」
【カゲ】(黙らない。黙ったらつまんない。死ぬよりつまんない方が嫌だろ?)
嫌だよ。
◇
瓦礫の壁に埋もれた看板が見えた。
『救護所』
布をくぐる。
中は狭い。
寝台が並び、負傷者が呻いている。
薬草と汗と鉄――血の匂い。
奥から刺すような声が飛んだ。
「次。そっち止血。
包帯、雑。巻き直せ」
女だった。
髪はまとめているのに乱れている。
白衣みたいな上着。袖をまくって腕は汚れている。
なのに動きは速く、迷いがない。
彼女はソラを見るなり、眉をひそめた。
「……客?」
ダイチが慌てて手を振る。
「ち、違う! 追われてて――!」
「追われてるやつは外に捨てろ。ここは病人の場所」
慈悲がない。現実的。
でも女の視線が、ソラの腕で止まった。
「……怪我」
言葉の温度が一段上がった。
嫌々じゃない。“仕事”の声だ。
「座れ。名前」
「ソラ」
女は短く頷いて名乗った。
「しず。ここの救護係。……呼び方はそれでいい」
それでいい、って何だ。
突っ込む余裕はない。
しずはソラの腕を掴む。
強い。痛い。けど温かい。
【カゲ】(手。いい。近い。熱い。触れろ。離すな)
「触れるなって……俺の腕だよ」
【カゲ】(腕でもいい。血でもいい。生きてるのがいい)
しずはすり鉢を持ってきて、薬草を潰し始めた。
緑の泥みたいな薬が出来上がる。
「爪。浅いけど混ざってる。洗う」
「混ざってるって何が」
「後で言う。まず生きろ」
しずは薬を塗った。
熱が引いていく。痛みが薄れる。
ソラは思わず息を吐く。
「……助かった」
【カゲ】(助かった。じゃあ次だ。次が来る。来いよ。来い来い来い)
しずが脈を取るため、ソラの手首に指を当てた。
距離が近い。目が合う。
しずが眉をひそめる。
「……変」
「何が」
「普通の一般人じゃない感じ。……でも強い感じでもない」
【カゲ】(強いだろ。さっき殴ったろ。もっと殴れ。もっと壊せ)
「黙れって言ってんだよ……」
◇
外で爆音。
地面が揺れる。救護所の布がばさっと揺れ、呻き声が増える。
しずが舌打ちした。
「来た」
立ち上がったしずの背中が、一瞬だけ戦場の形になる。
ソラは反射で、その腕を掴んだ。
「行くの?」
「当たり前。ここは私の居場所」
居場所。
その言葉が、ソラの胸を刺した。
ソラは、思わず言った。
「……俺も、居場所が欲しい」
しずが一瞬だけ止まる。
視線がソラの傷――血に落ちた。
「……血、まだ出てる」
「出てるけど、大丈夫」
「大丈夫じゃない。あとで倒れる」
しずがソラの手首を掴んだ。さっきより強い。
「……反応する」
「何が?」
「黙って」
しずはソラの傷口に指先を当てた。
血が、しずの指に移る。
その瞬間。
しずの胸元が、淡く光った――気がした。
次に、しずの手首のあたりも、同じように光った――気がした。
しずの目が見開かれる。
「……なんで今……!」
ソラは意味が分からない。
「何、今の」
しずは歯を食いしばって、まるで悪態みたいに言った。
「……契約」
「契約?」
「聞け。今から言う。……勝手に口を挟むな」
しずの声が低い。
救護所の空気が、ぴんと張り詰める。
しずはソラを睨みつけて言った。
「名を預けろ。命を預けろ。――私が守る。」
ソラの喉が詰まる。
怖い。意味が分からない。
でも外はもう、壊しに来ている。
しずが言った。
「答えろ。……“了承”しろ」
ソラは口を開こうとして、声が出ない。
その時、胸の奥が笑った。
【カゲ】(いい)
声は嬉しそうだった。
怖いほどに。
【カゲ】(守る? いいね。守ったら続けられる。続けられるなら壊せる。壊せるなら最高)
ソラの口が、勝手に動いた。
「……了承」
自分の声だったのに、自分の声じゃない。
しずの表情が、ぐしゃっと歪む。
「……最悪」
でも指先の光は止まらない。
一本の線が、ソラとしずの間に通った気がした。
熱が流れ込む。
散っていたものが、形を持つ。
しずが吐き捨てる。
「……成立」
「成立って、何が――」
しずはソラを睨みつけた。
「勇者の契約」
ソラは固まった。
「は?」
「は、じゃねえ」
しずの視線が、まだ淡く光る自分の手首に落ちる。
「これ、勇者印だ。……光った。だから勇者だ」
「意味が分からないんだけど!」
「意味なんて後でいい。来る」
しずが前を向く。
その立ち姿は、救護係じゃない。戦うやつの姿だ。
【カゲ】(来る。来る。来る。いい。殺せる)
「殺すな」
【カゲ】(殺す)
◇
救護所の布が捲られる。
外には黒い影が数体。
斥候より小さい。けど数が多い。
しずが吐き捨てる。
「雑魚。だけど壊すには十分」
しずが一歩踏み出す。
ソラの腕を引いて、背中側に押した。
「ソラ。あんたは下がれ。まだ“慣れてない”」
「慣れてないって……」
「言うな。今は戦う」
その瞬間、外から熱い声が飛び込んできた。
「――ソラ!!」
救護所へ二人が駆け込んできた。
肩幅の広い男が、息を切らしながら叫ぶ。
「俺はレオン! 旧勇者に仕えた召喚獣だ!
お前を探してた!」
短髪の女が淡々と続けて名乗る。
「ミラ。同じく旧勇者の召喚獣。……生きてたか」
レオンの視線が、ソラの手首――淡く光る痕に釘付けになる。
「……おい、それ……」
ミラの目も細くなる。
「……光ってる」
しずが面倒そうに言った。
「事故」
「事故で勇者印が出るかよ!!」
レオンが叫ぶ。
ミラは短く言った。
「……希望」
希望とか言うな。
ソラは胃が痛い。
しずは肩を回した。
「話は後。
居場所、壊されたくないんで」
しずが笑った。
不機嫌そうに。なのに、楽しそうに。
「――さぁ、片付けるよ」
ソラの胸の奥も、笑った。
【カゲ】(行け)
ソラは息を吸った。
自分が何者か分からない。
でも分かる。
ここで逃げたら、全部終わる。
今回は「勇者印が光った=勇者だ!」という“見た目の事実”だけを本文で出しました。
仕組み(なぜ光るのか、なぜ契約できたのか)は、読まなくても話が追えるように、今後も必要になるまで本文では説明しません。




