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第4話(荒廃) 一般人、いきなり無双する

灰色の空。

 崩れた街。

 砂埃が肺に刺さる。


 ソラは走っていた。


 理由は単純。

 追われている。


 背後から響くのは、爪が瓦礫を引っ掻く音。

 息が詰まるほど重い気配。

 見なくても分かる。


 ――新魔王軍の斥候。


「なんで俺なんだよ……!」


 叫んでも風に消えるだけだ。

 この世界は、誰の事情も聞いてくれない。


 ソラは昨日まで、ただの一般人だった。

 武器もない。魔法もない。

 あるのは逃げ足と、諦めの良さだけ。


 なのに今日は、逃げても逃げても、追いつかれる。


 瓦礫を飛び越えた瞬間、足元が崩れた。

 ソラは転び、手のひらを擦りむいた。


「っ……!」


 血が滲む。

 立ち上がろうとした、その時。


 影が落ちた。


 瓦礫の上から“それ”が降りてきた。


 人の形に近い。

 だが腕が長く、背中に黒い突起。

 赤い目が、獲物を見て笑っている。


 終わった。


 ソラは息を吸ったのに、息が入らない。


 ――その瞬間。


 胸の奥が、ぞわっと熱くなった。


 笑い声。

 自分の声じゃない。

 でも、はっきり聞こえる。頭の奥で、ぐしゃぐしゃに笑う声。


【カゲ】(あっはは。いい。いいね。来た来た来た。こいつだ。これだよ。こういうのが欲しかったんだよ)


 ソラは目を見開く。


「……は?」


【カゲ】(なに呆けてんだよ。走るの飽きたろ? 逃げるの飽きたろ? ほら来る。爪。痛いぞ。折れるぞ。……折れないけどな)


 斥候が爪を振り下ろす。


 ソラは反射で腕を上げた。

 避けるのではなく、受けた。


 ――痛い。

 でも、腕が折れない。


「え……?」


【カゲ】(ほら折れない。気持ち悪い? 気持ちいいだろ? 死なないって、最高だろ。さぁ、殴れ。殴れよ。今だ)


 ソラの足が勝手に踏み込む。

 逃げるためじゃない。ぶつかるための踏み込み。


 拳が、斥候の胸に当たった。


 ――硬い。

 なのに、拳が負けない。


 斥候が一歩、二歩、下がる。

 赤い目が見開かれた。


 ソラの喉が鳴った。


「俺、いま……何した」


【カゲ】(殴っただけだろ。殴れ。もう一発。ほら、顎。そこ。そこだ。いい、いけ)


 ソラの指先が熱い。

 黒い火花みたいなものが走る。


 怖くて、ソラは手を振った。


 ――風が裂けた。


 空気が刃みたいに伸び、斥候の肩口を削る。

 黒い血が飛び、斥候が吠えた。


「――ッ!!」


 ソラは息を呑んだ。


【カゲ】(はは! 出た! いいぞ! それだ! なんだ今の? 知らねぇ! でも出た! 出たなら使え! もっと!)


 斥候が飛びかかる。

 ソラは避けた。最小限で。


 避けられた理由は分からない。

 ただ“そこに来る”のが分かった。


【カゲ】(遅い遅い遅い。こいつ遅い。もっと速いの連れてこいよ。……今はこいつでいい。ほら、背中。踏み込め。逃げるな。逃げるなって)


 ソラは歯を食いしばって走る。

 逃げるんじゃない。距離を取るために。


 瓦礫の影から、誰かの声がした。


「おい! こっち来んな!」


 振り向くと、男が一人、崩れた壁の陰に隠れている。

 年はソラより少し上くらい。

 背負い袋を抱えて、顔が真っ青だ。


「俺はダイチ! ただの回収屋だ! 巻き込むな!」


 名乗る余裕があるのに、声が震えている。


「巻き込む気はない!」


 ソラが叫んだ瞬間、斥候がダイチの方へ目を向けた。


「うわ、やめ――!」


 ダイチが腰を抜かす。


【カゲ】(あー、そっち見た。そっち見るなよ。邪魔が増える。嫌いなんだよ。邪魔。……でも、ほら、守れ。邪魔は守れ。守ったら続きができる)


「何を言って――!」


 ソラは飛び出した。


 斥候の爪がダイチに届く前に、ソラが掌を突き出す。

 指先の火花が弾ける。


 斥候の動きが、ほんの一拍だけ鈍った。


【カゲ】(よし。今。殴れ。顎。顎だ。開け)


 ソラの拳が、斥候の顎を撃ち抜く。


 斥候の頭が跳ね上がり、身体が転がった。

 瓦礫に叩きつけられ、赤い目が揺れる。


 ソラは追撃する。

 自分でも怖いくらい、迷いがない。


【カゲ】(いいいいいい。そう。そうだよ。止まるな。止まったら死ぬ? 違う。止まったらつまんねぇ。起き上がらせるな。立たせるな。潰せ)


 斥候が起き上がろうとする。

 ソラは手を翳した。


 何をするか分からない。

 でも“できる”と身体が言っている。


【カゲ】(締めろ。絡め。動くなって言え。ほら、足。砂。瓦礫。縛れ)


 黒い火花が弾けた。

 砂と瓦礫が巻き上がり、斥候の足に絡みついて動きを奪う。


 斥候が吠える。


【カゲ】(吠えるな。うるさい。息もできないくらいにしろ)


 ソラは最後に、掌底を胸へ入れた。


 空気が潰れる音。

 斥候が息を吐き、ぐしゃりと崩れ落ちた。


 静寂。


 砂埃の中で、ソラの呼吸だけが荒い。


 ダイチが口をぱくぱくさせて言った。


「……お前、何者だよ」


 ソラは答えられなかった。


 一般人だ。

 そう言いたい。

 でも、今の自分は一般人じゃない。


【カゲ】(次。次が欲しい。まだ足りない。熱い。もっと熱くしろ。もっと来い)


 ソラの背筋が凍った。


「……最悪だ」


 ダイチが震えながら立ち上がる。


「お、おい……こっちの路地、まだ安全だ。……多分」


「多分って……」


「俺も今、人生で一番適当な“多分”言ってる!」


 ダイチは泣きそうな顔で叫んだ。


 ソラは笑いそうになって、笑えなかった。


 この世界では、笑う余裕が死ぬ。


 ソラは自分の手を見た。

 手は震えているのに、指先は熱い。


【カゲ】(走れ。次を探せ。次を殺せ。……いや、まず生きろ。生きてから殺せ)


 ソラは走り出した。


 自分が何になったのか、分からないまま。

 ただ分かるのは――逃げるだけじゃ、もう済まないってことだ。

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