第2話 魔王様、保護される
翌朝。
目が覚めた瞬間、僕――そらは思った。
……勝った。
師範を倒した。
多分、世界を壊すための第一歩だ。
具体的に何をどうしたかは、よく覚えていない。
でも「勝った」っていう手応えだけは、妙に鮮明に残っている。
起き上がると、右腕の内側が赤く腫れていた。
昨日、何か刺さった場所だ。
「うわ……」
触ると熱い。
なのに、痛みの奥に――変な安心感がある。
世界が繋がった。
そんな気がする。
僕は自分の厨二病を疑っていた。
でも、今は疑う方が面倒だ。
だって、僕は忙しい。
今日も仕事がある。
滅べ。
◇
出勤すると、会社の空気が妙だった。
受付の人が、僕を見るなり目を逸らす。
エレベーターの中で、同僚が一瞬だけ僕の腕を見て黙る。
フロアに入ると、上司がやたら優しい声で言った。
「そらくん、今日は……体調大丈夫?」
昨日まで、体調のことなんて気にしたことなかったくせに。
「大丈夫です」
僕が答えると、上司は笑って頷いた。
笑顔なのに、目が笑っていない。
――ああ、これ。
なんか、監視されてるやつだ。
僕の妄想が、現実に追いついてきた。
【カゲ】(いいね。そういうの、好き)
胸の奥がにやっとした。
冗談じゃない。僕は会社で目立ちたくない。
「……うるさい」
思わず小声で呟いたら、近くの同僚がびくっとした。
終わった。
◇
昼休み。
スマホを開くと、通知が妙に多い。
格闘教室のグループチャットが荒れている。
『昨日の師範やばかったよな』
『救急車呼ぶ?ってなった』
『そらさん、マジで大丈夫だった?』
『動画、誰か撮ってたって聞いたんだけど……』
動画。
最悪だ。
僕は椅子にもたれて、天井を見上げた。
「滅べ……」
【カゲ】(滅ぼす?いいね。まずは会社からだ)
「会社は困る……給料は欲しい……」
【カゲ】(じゃあ、世界から滅ぼそう)
会話が成立しているのが嫌だ。
僕がため息をついた、その瞬間。
――知らない番号から電話が鳴った。
出るか迷った。
でもこういう時、無視すると余計に面倒になる。
「……はい」
『そらさんでお間違いないですか』
落ち着いた男の声。
事務的すぎて逆に怖い。
『昨夜の件で確認したいことがあります。お時間を――』
電話の向こうで、別の声が小さく重なった。
「対象本人で確定」みたいな、冷えた言い方。
僕は反射的に切った。
心臓が早鐘を打つ。
……本当に来た。
国家とか、そういうやつ。
【カゲ】(来た来た。強い敵?)
「いや強い敵じゃない。警察とか……もっと嫌なやつ」
【カゲ】(嫌なやつも敵だよ)
そうかもしれない。
でも僕は本気で戦いたくない。
ただ世界を壊したいだけだ。
矛盾してるのは分かってる。
◇
仕事が終わる頃、雨が降り始めた。
会社の正面玄関を出た瞬間。
視界の端で、スーツ姿の男が二人、同時に動いた。
――僕の進路を塞ぐ形で。
「そらさん。少しお話を」
真面目な顔。
声が丁寧なのに、拒否が許されない圧がある。
僕は身体が固まった。
逃げたい。
でも逃げたら、面倒が増える。
その時――隣から、傘が差し出された。
「お疲れ様です」
道場の常連。
昨日の、礼儀正しい男。
彼は僕に傘を渡すと、スーツの二人に向き直った。
「申し訳ございません。そら様は本日、お疲れでして」
……様?
僕は固まった。
スーツの男が眉をひそめる。
「関係者の方ですか」
「はい。保護者です」
保護者?
【カゲ】(いいね。“保護者”って名乗るの、演出として強い)
「演出じゃなくて現実だよ……」
スーツの男が、淡々と手帳を見せた。
所属は言わない。ただ、雰囲気がもう“それ”だった。
「昨夜の格闘教室で発生した異常事案について――」
常連は、驚くほど自然な動作で一歩前に出た。
「その件は、こちらで処理しております」
「処理?」
スーツの男の声が低くなる。
常連はにこりと笑って、でも目だけは笑わなかった。
「映像、目撃情報、怪我人。すべて“整理”します。あなた方の組織に迷惑が掛からぬように」
……怖い。
こっちが敵だったかもしれない。
スーツの男たちは、互いに目配せをした。
そして、諦めたように言った。
「……本件は上に上げます」
「どうぞ」
常連は頭を下げた。
礼儀正しく、完璧に。
スーツの男たちは去った。
残ったのは、雨音と、僕の心臓の音だけ。
◇
常連は僕を車に案内した。
黒いセダン。やたら高そう。
「僕、電車で……」
「いえ。今夜は、危険です」
彼は当たり前みたいに後部座席のドアを開けた。
僕は乗った。
乗るしかなかった。
車が走り出す。
「……あなた誰なんですか」
僕が聞くと、彼は少しだけ迷ったような間を置いた。
そして、静かに言った。
「かつて、この世界に存在した“魔王”に仕えていた者です」
僕は一瞬、笑いそうになった。
いや笑っていい。これは完全に厨二病だ。
でも、彼の声は冗談じゃなかった。
背筋が寒い。
「……魔王は負けたんですよね」
「はい。敗北しました」
「じゃあ、あなた今は無職ですか」
自分でも驚くほど、雑な質問が出た。
彼は真顔のまま答えた。
「無職ではありません。残務処理中です」
残務処理。
魔王にも残業があるのか。
【カゲ】(残務処理w いいね。部下として合格)
「合格じゃない……」
常連――旧魔王の手下は、僕の右腕をちらりと見た。
「……因子が定着しています」
その言葉だけで、空気が変わった。
「昨日の欠片、あれは何なんですか」
「魔王残滓の一部です。滅ぼせません。封じるか、散らすか――それしかない」
淡々と告げる声が、本物の恐怖を含んでいた。
「そしてあなたは、それを取り込んだ」
僕は喉が鳴った。
「……取り込んだらどうなるんです」
「――“帰還”と誤解されます」
彼は静かに、だけどどこか嬉しそうに言った。
「魔王様が戻った、と」
僕は息を吸って、吐いた。
「……いや、戻ってないです。僕、ただの平社員です」
「存じております」
「じゃあ、なんでそんな態度なんですか」
彼はまっすぐ前を見たまま、言った。
「器が器である以上、敬意は必要です」
意味が分からない。
でもこの人は、僕が何を言っても変わらない。
僕は頬を掻いて言った。
「……魔王様って呼ぶのやめてもらっていいですか。恥ずかしいんで」
彼は即答した。
「申し訳ございません。難しいです」
難しいのかよ。
【カゲ】(難しいなら仕方ない)
仕方ないで済ませるな。
◇
家に着いた。
旧魔王の手下は、玄関の前で一礼した。
「本日より、あなたを“保護”します」
「保護って……」
「あなたは、国家の管理対象になります。今夜の接触は、始まりにすぎません」
雨の中、彼は淡々と告げた。
「そら様が“魔王”として動いたと、彼らが確信すれば。次は確保ではなく、排除になります」
排除。
その単語が、胸の奥を冷たく撫でた。
僕はふっと笑った。
「……上等ですね」
口から出た言葉に、自分で驚いた。
僕は世界を壊したい。
敵がいるなら、壊しやすい。
それが僕の本心だ。
でも――胸の奥の声が、もっと嬉しそうに笑った。
【カゲ】(いいね。敵が増える。最高)
◇
同じ夜。
灰色の空の下。
瓦礫の隙間で、ソラが膝をついていた。
胸の奥が寒い。
昨日からずっと、知らない感覚が離れない。
「……なんなんだよ……」
呟いた瞬間、遠くで何かが吠えた。
ソラの前に、人の形をした影が現れた。
武器を持っていないのに、殺気がある。
「勇者の器」
影が言った。
「ここにいたのか」
ソラは震えた。
逃げたい。
でも足が動かない。
影の背後に、さらに数人の影が現れる。
全員、どこか人間じゃない雰囲気を纏っている。
その中の一人――女が、ソラを見て目を細めた。
「……反応が薄い。まだ“空”か」
ソラは意味が分からなかった。
だが、その瞬間。
胸の奥で、楽しそうな声がした。
【カゲ】(こっちも来たか)
ソラは凍りついた。
その声は、ソラのものじゃない。




