第16話(平和) 戦争の匂い
くろえは、予感が嫌いだ。
予感は当たる。
当たった時には、もう遅い。
遅いから、現場は血で片付く。
夜。
港の外れ。潮の匂い。鉄の匂い。
それに混じって――焦げた甘さが、濃くなっていた。
くろえはイヤホンに指を当てる。
「状況」
『予定が変わった』
あやめの声は短い。
普段より硬い。
『“荷”がコンテナじゃない。車で動く。
護衛が増えた。銃も増えた。あと……変なのがいる』
「変なの、とは」
『人間じゃない感じのやつ。笑ってないのに笑ってる。
……説明しにくい。とにかく嫌なやつ』
嫌なやつ。
それで十分だ。
くろえの背後に、残党が四人。
拳銃。予備弾。弱い札。
どれも“短時間で逃げる”装備だ。
だが今日は、逃げるだけでは終わらない予感がする。
くろえは小声で言った。
「撃つな。撃てば火がつく。
火がつけば、さらに寄る」
残党の一人が乾いた声で返す。
「じゃあどうやって止めるんです」
くろえは言った。
「奪って、消えます」
言い切ってから、胸の奥が少しだけ重くなる。
――本当に、それで済むのか。
◇
道路脇、暗い陰に潜む。
遠くからエンジン音が近づく。
車が三台。先導と本体と後尾。
本体はワゴン。
後部が沈んでいる。積んでいる。
車列がコンテナの間を抜ける瞬間、くろえは手を上げた。
残党が同時に札を弾く。
ぱち、ぱち。
薄い霧が路面を這う。視界を揺らすだけの弱い魔法。
同時に、くろえが滑り出る。
運転席の窓に近づき、拳銃を見せる。撃たない。見せるだけ。
「止まりなさい」
運転手が舌打ちしてハンドルを切る。
霧の中でブレる。
くろえは判断を変えた。
「……本体を止める。後尾を切る」
残党が動く。
霧の奥から、銃声が鳴った。
――相手が撃った。
運が悪い。
弾がコンテナに当たり、火花が散る。
くろえは歯を食いしばる。
銃声が増えれば増えるほど、周囲に“それ”が漏れる。
ワゴンの後部が開きかけた。
金具が跳ねた。匂いが溢れる。
焦げた甘さが、夜気に広がる。
くろえの背筋に冷たいものが走った。
「……やめろ」
遅い。
ワゴンの中で、何かが動いた。
布が持ち上がる。影が膨らむ。
人間の腕。
だが指が多い。関節が変だ。
護衛の一人が笑った。
「ほらほら、出ろよ。見せ物だ」
見せ物。
そんな軽い言葉で扱うものじゃない。
腕が護衛の胸を掴んだ。
ぎゅ、と音がした。
骨が潰れる音。呼吸が途切れる音。
男がその場に落ちた。動かない。
護衛の笑いが消える。
「……は?」
くろえは息を吐いた。
――始まった。
◇
霧が揺れる。
暗がりの端で、空気が“弾けた”。
ぱち、ぱち、ぱち。
小さな火花が散る。床を走る。線になる。
線が短い円を描く。
くろえは一瞬だけ目を閉じた。
来るな、と言っても無駄だ。
もう匂いが出た。
影が落ちた。
黒いフード。顔は見えない。
くろえは名を呼ばない。
呼べば、ここに“存在”を固定する。
フードの男は、こちらを助けに来た顔をしていない。
救うための足取りじゃない。
ただ、真っ直ぐワゴンへ向かう。
獲物を見つけた肉食獣の歩き方。
護衛が銃口を向けた。
「止まれ!!」
フードの男は止まらない。
次の瞬間、フードの男の掌が光った。
熱のない光。
でも空気が裂ける音がする。
光が走って、銃口を包んだ。
金属が白く曇る。凍ったみたいに動かなくなる。
「……っ?! 何だこれ!」
フードの男は歩きながら、もう片方の手を振る。
光の糸が伸びた。
銃を持つ手首に絡み、ぎゅっと締まる。
銃が落ちる。いくつも。
くろえの部下が呆然と呟く。
「……魔法……」
くろえは小さく言った。
「見るな」
フードの男はワゴンの“口”の前に立った。
中の腕が、外へ伸びようとする。
フードの男が笑った気がした。声じゃない。気配で。
そして、掌を突き出した。
光が――槍みたいに刺さった。
腕が引っ込む。
いや、引きずり込まれる。
嫌な音を立てて、ワゴンの奥へ戻される。
フードの男が指を鳴らす。
光の膜がワゴン全体を包む。
隙間が閉じる。蓋が縫われるみたいに塞がる。
匂いが急に薄くなる。
だがフードの男は終わらせない。
そこから“取り出す”動きをした。
光がワゴンの中へ潜り、黒い欠片を引きずり出す。
鉄粉みたいに小さい塊が、いくつも宙に浮く。
フードの男の指が握られる。
欠片が一つにまとまる。光で縛られる。
護衛のリーダー格が叫んだ。
「それ、うちの“荷”だぞ!!」
フードの男が、初めてそちらを向いた。
影の中の声は低い。
「……触るな」
それだけ。
その短さが、逆に怖い。
護衛の男がナイフを抜いて突っ込んだ。
銃が効かないなら近接、という判断。
フードの男は避けない。
――光が弾けた。
床に走った線が、男の足元で跳ねる。
男が吹き飛び、コンテナに背中から叩きつけられた。
ぐしゃ、と嫌な音。動かない。
殺したのか、生きてるのか。
分からない。確認する余裕もない。
フードの男は興味を失ったように背を向けた。
そして、くろえの足元へ欠片の束を落とした。
くろえは布で包み、内ポケットへ入れる。
「……回収」
口に出したのは、自分を落ち着かせるためだ。
◇
霧が薄れる。
護衛たちは、引く。
恐怖を知った引き方だ。
あやめの声がイヤホンから落ちる。
『撤収。今すぐ』
くろえは短く返す。
「了解」
くろえは最後にフードの男を見る。
フードの男は、こちらを見ない。
助けた風でもない。
ただ、匂いが消えたことに満足した獣みたいに、影へ歩く。
影に溶ける。
火花が消える。円が消える。
いなくなる。
くろえは深く息を吐いた。
――戦争の匂いがする。
銃が増えた。護衛が増えた。
そして“荷”が、もう隠れていない。
現場が“戦場”に寄り始めたら、終わりは近い。
終わりが来る前に、整えるしかない。
くろえはハンドルを握り直した。
今夜もまた、少しだけ世界が整ってしまった。
その事実が、薄気味悪くて――だから、仕事は終わらない。




