第14話(荒廃) 荷物
救護所の空気が、張り付くみたいに重かった。
昨日の戦いで壊れた布。
倒れた寝台。
それらは直せても、匂いは直らない。
血の匂い。
火薬みたいな匂い。
そして、獣が寄ってくる匂い。
ミラが入口で立ち止まって言った。
「ここ、もう安全じゃない」
レオンが歯を噛む。
「でも……ここがなくなったら、あいつら」
「生き残れない」
ミラは淡々と続けた。
だから余計に重い。
しずは救護所の中を見回した。
負傷者たちが不安げにこちらを見る。
しずは目を逸らさない。
優しい言葉も出さない。
「移す」
それだけ言った。
負傷者の一人が掠れた声で言う。
「……どこへ」
「守れる場所」
しずの答えは短い。
でも嘘じゃない。
レオンが肩を叩くみたいに言う。
「俺が運ぶ! 歩けないやつは背負う!」
ミラが即座に言う。
「分散。固まると狩られる」
しずが頷く。
「準備。二十分」
二十分。
荒廃世界では、十分長い。
◇
ソラは、救護所の隅で荷物をまとめていた。
包帯。水。乾いた食料。
使い道が分かる物だけを、黙って袋に詰める。
胸の奥は静かだった。
静かすぎて、自分が軽く感じる。
戦えない。
戦う気になれない。
昨夜の自分が、遠い。
「……俺、役に立つのかな」
独り言がこぼれる。
しずが近くを通り過ぎて、言った。
「今は荷物。
それで十分」
慰めじゃない。
ただの評価。
ソラは頷いた。
“それで十分”が、どれだけありがたいか。
◇
準備が終わった。
救護所を出る。
外は灰色。風が冷たい。視界が悪い。
しずが先頭。
レオンが最後尾。
ミラが横を取る。
そしてソラは――真ん中。
守られている位置。
守る側じゃない。
その事実が、少しだけ刺さる。
レオンが小声で言った。
「気にすんな。生きてりゃいい」
「気にするよ」
ソラは返す。
「俺、足引っ張ってる」
「足引っ張っていい。
引っ張ってもらわなきゃ、俺たちは勝てない時が来る」
レオンの言い方は真っ直ぐだ。
希望を握り潰さない言い方。
ミラが短く言う。
「喋るな。匂いが散る」
匂いで怒られる世界。
ソラは口を閉じた。
◇
瓦礫の影を縫って進む。
その時、ミラが足を止めた。
指を一本立てる。
――止まれ。
全員が止まる。
遠くで、足音。
軽い。多い。
人間じゃない足音。
レオンが歯を食いしばる。
「……また来たか」
しずは負傷者の方へ手を伸ばして、短く言った。
「しゃがめ」
負傷者たちが必死に身を低くする。
ソラもしゃがんだ。
息を殺す。
胸の奥が静かすぎて、逆に心臓の音がうるさい。
足音が近づく。
――影が見えた。
昨日の雑魚より、少し大きい。
目が赤い。口が裂けてる。
数は五……いや、七。
しずが小さく息を吐く。
「戦うと長引く。
ここは抜ける」
レオンが頷く。
「合図くれ」
ミラが指を二本立てた。
――二体、右へ。
しずが首だけ動かして、道を示す。
ソラはその動きについていく。
ついていくしかない。
その時――
負傷者の一人が、咳き込んだ。
「げほ……っ」
音が、夜に刺さった。
影が一斉に振り向く。
赤い目が、こちらを捉える。
レオンが舌打ちした。
「くそ!」
しずが即座に言う。
「走る!」
全員が動く。
だが負傷者は速くない。
転ぶ。倒れる。叫ぶ。
影が跳ぶ。
ソラは凍った。
しずが前に出る。
だが――間に合わない距離。
その瞬間、ソラの手首が、かすかに熱を持った。
光は見えない。
でも、皮膚の内側が“疼く”。
ソラは反射で手を伸ばした。
何をするか分からない。
ただ、止めたい。
空気が、薄く震えた。
影の一体が、ほんの一拍だけ動きを失う。
しずが、その一拍で間に合った。
爪が影を裂く。
黒い血が飛ぶ。
影は倒れない。
でも止まった。
レオンが負傷者を背負い上げる。
「行け!!」
ミラが短く言う。
「離脱」
しずがソラを睨んだ。
「……今の、何」
ソラは震えながら答えた。
「分かんない……反射で……」
しずは一瞬だけ黙って、言った。
「いい。今は走れ」
ソラは走った。
胸の奥はまだ静か。
でも、静かなまま“必要な時だけ動く”ものが、確かに残っている。
しずたちは、守るために走る。
ソラは、荷物として走る。
それでも――
今の一拍がなければ、誰かが死んでいた。




