第13話(平和) 謎のヒーロー
くろえは、夜の倉庫街が嫌いだ。
灯りが少ない。
音がはっきり響く。
そして、悪意がまっすぐこちらへ向かってくる。
それでも夜に動く。
昼より目撃が減るから――ではない。
“事故”の片付けは、夜に押し込まれる。
くろえは鉄扉の陰でイヤホンを押さえた。
「配置、確認」
『確認した』
返ってきたのは女の声。短い。乾いてる。
「あやめ。見張り役。あんたは回収役。私は逃走ルート」
命令口調に近いが、くろえは気にしない。
敬語は崩さない。
「承知いたしました」
くろえの背後には二人、残党の若い男たちがいた。
名乗りはしない。名を出すほどの場ではない。
ただ、腰には拳銃。
手には小さな札。
弱い魔法が使える者は、こういう物を持つ。
くろえは静かに言った。
「中に“匂い”があります。小さい。ですが厄介です」
『中に人がいる。罠だと思え』
あやめが言った。
くろえは頷いた。
「……承知」
◇
鉄扉を押し開ける。
倉庫の中は暗い。
輸送用の木箱が積まれ、通路が狭い。
足音が吸われる。妙に静かだ。
くろえは箱の札をなぞった。
表向きの管理印は雑。意味がない。
くろえが欲しいのは、その下。
“隠すために貼ったもの”の痕。
くろえは一つの箱の前で止まった。
「……ここ」
蓋を少しずらす。
焦げた鉄みたいな匂いが濃くなる。
黒い欠片。爪の先ほどのサイズ。
それでも空気が、じわりと嫌に重い。
くろえは布で欠片を包み、内ポケットへ入れた。
「回収完了」
その瞬間、倉庫の照明が一斉に点いた。
白い光。
逃げ道を消す光。
拍手が聞こえた。
「丁寧だねぇ」
男が奥から出てきた。派手なジャケット、金の指輪。
笑っているのに目が冷たい。
男は名乗った。
「カナメ。ここの“荷”の番人。
今の、見た? あんた、慣れてる」
入口側にも人影。背後にも人影。
挟まれている。
あやめの声がイヤホンから刺さる。
『囲まれた。外も塞がれた。銃が多い。短く抜けろ』
くろえは表情を変えない。
「ただの会社員です」
「嘘が上手い。嫌いじゃない」
カナメは指を鳴らした。
「じゃ、出して。さっきの欠片」
くろえは微笑んだ。
「何のことでしょう」
「とぼけるのも仕事のうち、ってやつ? なら――」
カナメが肩をすくめる。
「やるしかないね」
男たちが動く。
くろえの後ろの残党が銃を抜いた。
くろえは短く指示する。
「撃つな。まだ」
撃てば、ここは戦場になる。
戦場になれば、もっと厄介が寄ってくる。
くろえは袖の中から小さな札を取り出した。
紙じゃない。薄い木片だ。
古い文字が焼き付けられている。
くろえがそれを指で弾く。
――ぱち、と空気が鳴った。
倉庫の床に、薄い煙が這う。
白い煙幕。視界を奪うだけの、弱い魔法。
「うわっ、何だこれ!」
「煙だ! 目が!」
くろえは声を落とした。
「右へ。三歩。壁沿い」
残党二人が動く。銃を構え、撃たずに牽制する。
カナメが怒鳴った。
「撃て! まとめて撃て!」
銃声が鳴る。
煙が切られる。木箱が砕ける。
くろえは眉を動かした。
――やはり、頭が悪い。
だが頭の悪さは、数と銃で補える。
面倒なやつだ。
◇
煙が薄くなった瞬間、カナメの部下が距離を詰めてきた。
くろえの背後の残党が発砲する。二発。
床と壁に当てる。警告の弾。
「止まれ!」
だが止まらない。
カナメが笑う。
「へぇ、撃てるんだ」
笑いながら、別の男が銃口を上げる。
狙いがくろえに向く。
くろえは、内ポケットの欠片に触れないように指を握った。
ここで欠片を使うのは愚策だ。
だが撃たれたら終わる。
――その瞬間。
倉庫の入口側、影の濃いところで、空気が“きらり”と鳴った。
音じゃない。
光の気配。
小さな火花が一つ、落ちた。
床に触れた瞬間、薄い光の線が走る。
次に、もう一つ。
もう一つ。
火花が連なり、床に“円”が描かれる。
男たちが、反射でそこから離れた。
「何だよ、それ……」
カナメの声が初めて鈍る。
円の中心に、影が落ちた。
黒いフード。
顔は見えない。
でも立ち方が、やけに自然だ。そこに最初からいたみたいに。
くろえは息を止めた。
――そら様。
だが、口に出さない。
名は武器になる。
フードの男が、手を上げた。
掌が、淡く光る。
次の瞬間――
床の円が燃えた。
炎じゃない。
光だけの燃焼。熱はないのに、空気が裂ける。
円の縁にいた男たちが、同時に吹き飛んだ。
殴られたわけじゃない。
衝撃が“押し出した”。
「うわっ……!!」
「何だ今の……!」
カナメが一歩下がる。
「魔法――?」
フードの男は答えない。
代わりに、もう一度掌を振る。
今度は細い光の糸が走った。
糸は銃を持つ手首に絡み、ぎゅっと締まる。
金属音。
銃が落ちる。いくつも。
くろえの背後の残党が、思わず呟いた。
「……銃を落とした……」
くろえは即座に小声で言う。
「見るな。口を閉じろ」
余計な言葉は、余計な痕になる。
カナメが歯を見せた。
「面白い。やる気かよ」
カナメが銃を抜く。
引き金に指がかかる。
フードの男が、指を一本立てた。
――ぱち。
小さな音。
次の瞬間、カナメの銃口の先が白く凍った。
霜じゃない。
熱を奪う魔法の膜。
引き金を引いても、弾が出ない。
内部で“詰まった”みたいに、乾いた音だけがした。
カナメの顔が引きつった。
「……何だよ、それ……!」
フードの男が、低い声を落とした。
「……帰れ」
短い。
命令というより、宣告。
その声だけで、くろえは確信した。
今のそら様は、普段の声ではない。
カナメは一瞬だけ迷って、舌打ちした。
「……撤収! 今日はやめ!」
男たちが引く。
引き際だけは妙に早い。生き残りの嗅覚だ。
◇
フードの男は追わない。
追うより先に、倉庫の床に残った光の円を、足先で踏んだ。
円が、すっと消える。
火花も消える。
何も無かったみたいに暗さが戻る。
くろえは、深く頭を下げた。
「……助かりました」
フードの男は顔を向けない。
「礼いらない」
くろえはそれ以上言わない。
言えば、この男は“ここにいた”ことになる。
フードの男は、倉庫の影へ歩いた。
影に溶けるみたいに、見えなくなる。
足音も残さない。
くろえは、一瞬だけ手を握った。
――隠してる。隠す気がある。
それだけで、くろえは少しだけ安心した。
あやめが入口側から滑り込んできた。
目を見開いたまま、声を落とす。
「……今の、何」
くろえは淡々と返す。
「幸運です」
「幸運で片付けるな」
「では、奇跡で」
くろえは微笑む。
あやめが舌打ちして、くろえの胸元を見る。
「回収は?」
「完了」
「なら消える。今すぐ」
くろえは頷く。
外へ出る。
夜風が冷たい。
倉庫の影の中に、もうフードの男はいない。
くろえは内ポケットの欠片を押さえた。
今夜もまた、少しだけ世界が“整ってしまった”。
それが良いのか悪いのか。
くろえにはまだ決められない。




